第参拾捌話 静寂 ~silent~
人は、歩みを止めた時に、そして挑戦を諦めた時に、年老いていくのだと思います。
今回は新たな試みとして、いくつか試しています。話の展開が以前のような殺伐とした街に移動しますので、別の期待をしていた方には謝罪(。・ε・。)
第参拾捌話 静寂 ~silent~
夜明け前、晶は死んだ。痛みに悶え、迫り来る死の足音に怯え、何度も何度も光に礼と謝罪を繰り返しながら最後はあっさりと息を引き取った。これが現実だ。結局、噛まれた者は例外なく死ぬ。危険を犯して助けようが、どんなに奇跡を祈ろうが、どんなに強く生きたいと願おうが、必ず死は訪れる。
光は晶がこれ以上、この世に迷わぬようにきっちりとけじめは付けた。真澄と約束していた通りに、震える唇を硬く結び、自然に溢れ出る涙もそのままに、血に汚れた晶の頭部に致命傷を与えた。それは真澄が山寺茜を失った日と酷似した光景だった。
真澄は何も言わず、包帯で傷を覆われた晶の亡骸を両手で抱くと、深い海の底で永遠に眠り続けられるように祈りながら重しを括って沈めた。光は終始無言だったが、晶が沈んでいく様を呆然と眺めながら小さな歌を歌った。それは昔、光が母に歌ってもらった子守唄。いつまでも、掠れた歌声は続いていた。
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日が沈んでも、光はぼんやりと海を眺めながら口ずさんでいた。もう何度目になるか分からない優しい優しい子守唄。
真澄は、光の気が触れてしまったのではないかと気が気ではなかったが、彼女の意識ははっきりしていた。この子守唄は彼女がたった数日を一緒に過ごしただけの不思議な目をした女性に送る鎮魂歌。
夜中近くになり、光はやっと戻ってきた。暗い表情はそのままだが、心配そうな真澄を見て苦い顔をした。そして、たった一本だけ持参していたハーフボトルのワインのコルクを抜くと、真澄の手を引いて暗い海へと誘う。真澄は黙って光のしたいようにさせた。
光は、歩きながら呟くように語った。晶は自分に似ていた事、だからせめて夢くらい見させてあげたかった事、そして自らの過去との邂逅。まるで昔の自分を見ているようだった事。幸せを諦めた過去。恥ずかしく惨めな青春時代の事など、真澄は初めて光の過去を知る。光はひとしきり思い出話のように語った後、一筋だけ涙を流してワインを海に流した。それは弔いの花束など用意できないが故の供物。ほとんどお酒は飲んだ事がないであろう晶への精一杯の餞だった。赤い液体は海に溶け、やがて眠り姫に甘い夢を届けるだろう。そうなればいいと思った。
その後、疲れ果てて意識を失うように眠りについた光は夢を見た。夢の主人公はまだ幼い赤毛の少女。違う色の瞳を好奇心で輝かせる活発な少女は、やがて一人の青年と出会い、結婚し幸せな家庭を作るという・・・
悲しい夢だった。
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目が覚めると泣いていた。バリッという音がするほど目蓋はくっつき、光は情けない気持ちになる。少し前まではこんなじゃなかった。私は強い自分を演じてきたはずだった。
ここ数日はおかしかった。真澄に甘え、あまつさえ危険な目に会わせた。こんな自分に嫌気がさしたし、真澄はきっと失望しただろう。これからの旅を続けられるか分からない。ただ、もう二度と生存者に自ら接触するのは避けようと思った。
ひとしきり布団の中でモゾモゾやった後、光は覚悟を決めて立ち上がる。昨夜は、自分の過去を真澄に語った。自暴自棄とさえとれる愚行。全て墓まで持っていこうと決めていた自分の恥部。それを洗いざらいぶっちゃけた。男性を未だ汚らわしい物と見る事しかできない自分を哀れとさえ思う。何て傲慢で自分勝手な解釈だろう。自意識過剰も甚だしい。そんな恥ずかしい話を何故自分は語ったのだろう。
光は立ち上がったはいいが軽い眩暈を覚えへたり込む。ダメージは足腰に来ていた。腰を抜かすほどの羞恥。もうダメだ。私は真澄を真っ直ぐに見れない。死んでしまいたい。そんな考えが頭を過ぎる。そんな光の願いも空しく、同じ屋根の下に居れば自ずと出会う。
真澄はやっと起きた光を見て飛んできた。彼はいつまでも起きない光を心底心配していた。その手には作ったばかりの熱い薬湯を持ち、栄養ドリンクまで添えられていた。真澄は顔を背ける光を怪訝に思ったが、とりあえず気分の良し悪しや体の不調を矢継ぎ早に質問する。光はただ黙って全てを否定した。強いてあげるなら羞恥で足腰が立たないくらいしか変調は無い。そんな事は口が裂けても言えない。
真澄はいつまでもおかしな態度を取る光をますます重症と考え、強引に布団に戻すと薬や飲み物を枕元に置き、ずっと傍で世話を焼き続けた。光にとってそれは一種の拷問だったが、やがて緊張も解け、真澄の厚意に甘える事にした。完全なる仮病。笑ってしまうくらい弱い自分を、甲斐甲斐しく世話してくれる男が居る幸せ。こいつとなら、これから先も生き抜ける。光は密かにそう確信し、最後には安心から熟睡してしまった。
次の日、やっと体調を取り戻した(正確には精神的に復活した)光は、このまま旅を続ける事を真澄に宣言し、真澄に呆れられた。
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銭形一家の居る山荘にはまだ戻らない。それはまだこの旅で何一つ収穫が無いからだ。情報は何もない。手土産に出来るものは何も見つけていない。大見得をきって出てきた手前、何もありませんでしたでは格好がつかない。
理由はいくらでもでっち上げられたが、今回、光はある重大な点に気付いた。それは医療品の少なさだ。晶の傷の手当てから、包帯も薬も、抗生物質さえ自分達は持っていないと気付いたのだ。あるのは簡単な手当てをするだけの緊急医療キットくらいで、鋏に若干の包帯と軟膏、消毒液、風邪薬などの簡素な物ばかりだ。
この世の中、医者にかかる事は不可能に近い。これではいざと言う時に何も出来ない。熱に魘される仲間を見守る事が何になる。傷が痛いと嘆く仲間に何もしてやれない。そんな事はずっと前から分かっていた事だ。歯が痛いだけで人間は何も出来なくなる動物だ。この先、生きるつもりなら最低限の医療品は所持すべきだった。無論、噛まれた場合はアウトだ。手の施しようがない。だが、逃げる課程で怪我をした場合など薬品の世話になる事は多々ある。実際、足を捻って泣く目にあった女も居る。骨折や体の一部を失うような怪我には何も対処できないでは話にならない。
光は医療品の調達を第一の目標にあげる。真澄はまた妙な事を言い出したと暗い顔をしたが、確かにその目的には一理あった。生きていく上で医療品に頼る機会は少なくない。
しかし、問題もある。医療品がある場所は限られているという点だ。その辺の民家を家捜しした所で、大した物は手に入らない。一番手っ取り早いのが病院だろう。次に良いのは大手のドラッグストアだ。ここは医療品の他にも携帯食料や飲料水など、いくらでも手に入る。だがリスクは大きい。当然あるのは市街地や国道などの大きな道沿いになる。そこは今や死人のパラダイスだ。何も考えずに行けば100%死ぬ。見返りは大きい分リスクは比例して大きくなる。
どちらを狙うかは時の運にもよるが、行き当たりばったりで無計画に進めるほど甘くは無い。それに自分の住んでいた大都市ならば地理にも詳しいが、この周辺はほとんど訪れた事がない場所だ。いざと言う時袋小路でしたでは済まされない。綿密な計画が必要だった。
そのためにも、まずは周辺の地図を入手する必要がある。狙う場所はコンビニエンスストアだ。ドライブに適した海沿いの道なら、コンビニがあれば必ず地図があるはずだ。それを入手し、ついでに色々と頂戴すればいい。
この旅で食料品はもう残り少なかった。缶詰だけではいずれ死ぬだろう。当然、ここで魚を捕っても高が知れている。どっちにしても移動だ。光と真澄は、まずコンビニを探す事にして身支度を整えると、スワンボートで海へ繰り出した。この辺りは海流も速く、ボートは快適に進む。だんだんと小さくなっていく巨大な防波堤を見ながら、光はあれが晶の墓標だなと心の中で呟いていた。
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山荘とは真逆の方向にボートは舵を取る。皆との距離はどんどん離れるばかりだ。
今、彼らは何をしているのだろうか。頼れる男銭形の存在があるとは言え、あとは女子供の集団だ。大群の襲撃を受けた場合や、遊覧船を狙う人間が無いとは言い切れない。幸い、あの場所は海からしか視認できないため、人間による被害の可能性は皆無に近い。都市から地方のベッドタウンに通じる道沿いではあるが、地獄を避けた人間がわざわざ途中下車をしてあんな細い脇道に入る必要も無いだろう。真澄は勝手に楽観していた。
しかし、光の意見は若干違っていた。あの道を車で移動する者が居た場合、休息を取るには脇道に逸れるはずだ。近くにゾンビが確認できないからと言って、あんな道路に車を停めて休息する馬鹿はとっくに死んでいる。今生き残っている者は、大なり小なりサバイバルに長けた者ばかりのはずだ。ラッキーだけで生き延びれる程甘い地獄では無かったと自分の経験が言っている。だからこそいい塩梅にあるあの脇道の先に到達する可能性があるのだ。
自動車やガソリン、それに巨大な遊覧船を見つけられたら、どうなるか目に見えている。全員殺される可能性は少ないが、略奪を受けるのはまず間違いない。
今の世の中、完全に弱肉強食だ。武器、食料、そして女。生き残っている者はほとんどが男性だ。欲しがる理由はいくらでもある。良心を持って生き残っている者などもう居ないと思う方が賢い。運悪くそういった連中に発見された場合は最悪の結末を覚悟しなければならない。
あの山荘はそういった意味では風前の灯火とも言える。電気以外のインフラが生きている隠れ家にぴったりの場所など、殺し合ってでも手に入れる価値がある。今の自分達は願わくば、何も起こっていない事が望むくらいしか出来ない。
歯痒いが、旅の延長を言い出したのは自分だ。必ず情報と物資を入手して戻るのが一番だと思う。スワンボートはそうした二人の思惑の違いなど知らずに、ただひたすら海沿いを走る道路をなぞって行った。
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ちらほらと民家はある。だが、肝心のコンビニエンスストアは行けども行けども発見できない。道理を考えれば分かるが、客が通行する車だけで元を取れるはずがないのだ。弁当や日用品など、どうしても一般家庭や一人暮らしをターゲットにした店舗の性質上、人のある程度望める地理に建てるのが当然と言える。こんな疎らな民家の間に建てた所で、深夜などは開店休業状態だろう。
その事をうっかり思い付いた光は軽く舌打ちをする。どうやらコンビニで簡単に地図を手に入れると言う考えは甘かった。どうしてもゾンビの徘徊する地に足を踏みいれる必要が出てきたからだ。真澄はまだのほほんとした顔で双眼鏡を覗きながら鼻歌を歌っている。コンビニなんか適当に進めば見つかるだろうという甘い思考がまだある証拠だ。
光はそんな真澄の考えを改めさせるべく、自分の推測を披露する羽目になった。最初はふんふんと鼻を鳴らして相槌を打っていた真澄だったが、しだいに顔色が変化していった。まさに暗雲立ち込めるである。
そんな光と真澄の予感は的中し、二人がやっとの思いで発見したコンビニは、巨大な書店の横にちょこんと店を構えていた。住宅街のはずれだ。その書店と提携でもしているのだろう。当然だが、周囲には死体が歩き回っている。さすがに光達が居た都市と比べるべくも無いが、それでも密度は高い。消臭しても間を抜けるには少々無茶な感じはする。それに立地が悪い。海沿いではあるが、そこは海抜20mほどの切り立った岸壁の上を走る道路沿いで、近くにボートを泊められない。かなりの回り道を要する距離がある。遥か彼方に上れそうな場所はあるが、あそこから徒歩で移動してコンビニまで行き、無傷で帰って来る事は難しいと思う。
真澄と光は顔を見合わせたが、焦る事も無いという結論に達して、そのコンビニは通り過ぎる事にした。この先住宅が増え、死体の徘徊はますます活発になるだろう。それに、人口密度に比例して略奪が増えるという事も頭から飛んでいたに違いない。地図は手に入っても、他に役に立ちそうなものなど残っているほうが奇跡だという事を二人は完全に失念していた。
この後彷徨う羽目になるのは賢明な者なら気付いて然るべきだったが、どこかにもっとマシな場所があるはずだと、しばらく平和ボケして鈍と化した二人の思考は、楽な方へとばかり先延ばしにしていった。その結果、無駄に数km進んでUターンし、疲労だけを蓄積させた男女は、スワンボートから久しぶりの死地へと足を踏み入れたのだった。
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ポリタンクから鍋に水を汲み、流木などを掻き集めて作った火にくべる。しばらく待つといい湯加減のお湯が出来上がった。二人はお湯にタオルを浸すと、無言で手足から擦っていった。そして髪まで洗うと、暗黙の了解で背中合わせになり上半身の肌を晒してまた擦る。お湯がぬるま湯に変わる頃、やっとお互いに満足するとタオルを綺麗に洗ってスワンボードの屋根にペタリと貼り、お互いに消臭剤を塗していく。
そして最後にクンクンと臭いを嗅ぎ合ってから、海辺に落ちる拳大の石を集めてザックに放り込んだ。これは民家などに投げて窓ガラスを粉砕し、その音で死体を集めるための物だ。この方法は音に敏感な奴らには有効な作戦と言える。
真澄は周囲の安全を確認すると、2m程の壁にジャンプして掴まりよじ登る。その上に道路が走っていた。周囲にゾンビの影は無く、所々に放置車両の置かれた直線にも、思ったほどの影は無い。下で待ちぼうけを食らっている光に手を伸ばすと、真澄は一気に引っ張り上げた。さすがに軽い女性とは言え、重さは40kgを超える。腕の筋肉が数本プチプチと切断される嫌な感触を味わいながら、真澄は光を道路に立たせるとホッと息を吐く。そのリアクションに不満そうな目を向けた光だったが、すぐに状況を確認した。
進路はほぼクリア。道沿いに民家が並び、おびき寄せる事も難しくなさそうだ。
二人は確認すると、出来るだけ道沿いに生えた雑草を踏むようにしながら歩を進める。極力音を出す事は避けたい。消臭は完璧だし、まだ汗は掻いていない。思った通り、30mほど離れた死体は何も気付かずに徘徊をしている。相手は一人、真澄は後の障害になりそうだったので、すばやく模造刀を抜いて背後に回り頭を串刺しにする。ドサリと倒れた音で周囲のゾンビが一瞬ピクリとしたような気がしたが、やはり距離があり過ぎるせいか確認まではしていないようだった。一時の間を置いただけでまたゆったりと歩み出す。
光はそれを確認すると、とりあえず用意していたクロスボウを肩に担いだ。これを今使う必要はない。矢は有限だし、一発に時間が掛かり過ぎて近距離には向かないのだ。どこかで弦を張り替える物が見つかるまでは、今の状態を維持しておきたい。下手に打って弦を切ってしまうと、これはただのガラクタに成り下がる。
真澄はウェットティッシュで刀身をふき取ると、刀を鞘に収めて背中に背負うようにバンドで止める。こうしておかないと、腰に固定した場合は咄嗟に走ったりする場合に非常に邪魔なのだ。なので真澄は大刀は背中に、脇差は腰の後ろに固定して持ち歩いている。先手必勝が常なので、急に襲われた場合は逃げる。脇差とナイフを両手に持って二刀流スタイルの方がまだ逃げやすいのだ。
それを真澄は何度かの戦闘行為で結論として導き出していた。素人の使う剣術など、役には立たないのが常識だ。自分はただ武器を刀にしているだけの素人だという自覚は常に意識しないといけない。コンビニまでの道はまだ400~500mはある。このままやり過ごせれば問題ないが、最悪の事態は想定してフックを付けた10mほどの縄は出して光が腰に装備していた。いざとなればガードレールに巻いて下の海まで降りて水に逃げる。緊急避難の場合だがあらゆる点を想定しないと危ない。
これはセーブポイントなど無い一発勝負なのだ。慢心して足を掬われるなど愚の骨頂だ。二人は久しぶりの緊迫感に胃が痛くなりそうだったが、獲物を獲るためにリスクを犯すのは覚悟の上だ。二人はこそこそとこそ泥のように歩を進めながら、目的地を目指した。
題名ですが、内容に合っていないようで合っています。
今回は会話が一切ありません。尺稼ぎが出来ないと話が短いし書くのも面倒です。
でもまぁ作風の見直しという点で試験的にやってみました。感想お待ちしてます((*´ω`*)




