第弐拾肆話 OPERATOR'S SIDE【オペレーターズサイド】②
少し続きをば。
新しい人達も登場し、すっかり短編では無くなりそうな雰囲気ですね。
第弐拾肆話 OPERATOR'S SIDE【オペレーターズサイド】②
私は暗い気分でコーヒーメイカーの準備をしていた。何にせよ少し落ち着きたかった。給湯室に入ってすぐコーヒーメイカーを見つけ、一服する事にしたのだ。粉はすぐに見つかったが、砂糖とミルクは切らしているのか戸棚には確認できない。少し残念に思いながらも私は飲料用の水をポットに入れ挽かれた豆をパックと一緒にセットしてスイッチを入れる。まだ電力に問題は無い。水道を捻ってみたが、水は勢いよく流れた。他にも確認すべき事は山ほどあったが、混乱している頭を落ち着かせる必要があった。5分も待つとコーヒーのいい香りが給湯室に溢れ出す。コーヒーの香りを胸一杯に吸い込みながら、私はマグカップにブラックのコーヒーを注いだ。
「ふぅ・・・、おいし。」
思わず独り言が出てしまったが、どうせ私一人。どうでもいい。私はカップを持ったまま窓際に移動した。窓の外にはビル群が見えていたが、自社ビルは35階建てで最寄のどのビルよりも高かった。25Fからでも南に広がる海やドーム、電波塔など広く見渡す事が出来る。遠くにヘリコプターが数機飛んでいるのが見えたが、こんな所でSOSを送っても無視されるだろう。屋上に行く手段も無い。私は届かない救援を諦めてまたコーヒーを一口だけ喉に流し込む。朝に立ち上っていた白い煙は随分と数が減っていた。建物が燃え尽きたのか、延焼しなかったかは確認できなかったが、これで1つ憂いが消える。ビル火災など起これば私は焼け死んで終わるだろう。シャッターを開けて逃げる勇気は今の私には無かった。大雨でも降ってくれればこれ以上火災が広がる事は無いかもしれない。それに賭けよう。私は残ったコーヒーを一気に飲み干すと、これからすべき事を声に出して確認した。
「えっと、まずは25F内に生きている人が居るかどうか確認しよう。もしかしたら恐がってトイレとかに閉じ篭ってる人が居るかもしれないし。シャッターはしっかり閉めたし心配は無いはず。それに食べ物の確保も忘れずにしないとなぁ・・・。皆には悪いけどロッカーや机の引き出しは全部調べなきゃ。自販機のガラスを割るのは本当に困った時だけにしなきゃ。飲み物も水があるし何とかなるでしょう。お風呂は無いけど水で体を拭くくらいしなきゃなぁ。さすがにちょっと匂うわね。あとは何だっけ・・・?」
私はそこで言葉に詰まってしまった。よく考えれば具体的な案は何一つ無い。昨夜からずっと秋吉の助言に従って私は難を逃れていた。やはり彼に相談してから動いた方が無難だろうか。
「・・・ううん、いいや。何だかギクシャクしちゃってるし、あの人けっこう性格悪そうだもん。私一人で大丈夫だっ!きっと大丈夫。」
秋吉に助言を求めてもまた話がややこしくなるだけのような気がして、私はレシーバーを耳から外してPCの横に置いた。そして、廊下が無人である事を確認すると恐る恐る歩を進めていった。
★
たくさんのモニターに囲まれ、俺は頭の後ろに手を組んで動き回る暴徒をぼんやりと眺めていた。画面は数秒毎に切り替わり、自社ビル内のプライベート空間(トイレ、個室、給湯室など)以外はほぼ見渡せる。ここは15Fにあるセキュリティールームだ。中は狭く、せいぜい六畳ほどの広さしかない。しかもソファやテーブル、それに訳の分からない資料などが山積みにされていて寝転ぶ事も出来なかった。自販機を開けてくすねてきた缶コーヒーを一本取ると、プルタブを引いて口に運ぶ。そして何本目になるか分からないタバコに火を点けて大きく息を吸い込んだ。頭がもやもやして考えが纏まらない。俺はイライラしながらタバコを揉み消すと、また缶コーヒーを一口喉を鳴らして飲み込んだ。原因は昨夜25Fまで誘導した折原美雪だ。
「馬鹿女が・・・。何の連絡もよこさねえが大丈夫なんだろうな?何してんだコイツ・・・。」
モニターを1つ固定して先ほどから監視している女。折原美雪24歳。入社2年目でまだ若い女性社員だ。別に若い女性だから盗撮している訳では無いのだが、やはり倫理上はよろしくないだろう。昨夜揉めてから彼女からスカイプを使った通信は無かった。この狂った映像を一晩中眺めている俺としては、女性が一人で行動していると言う事実だけで非常に危なっかしく思える。事実、昨夜殺したと思われる自販の作業員は恐ろしいくらいの腕力だった。殴り飛ばせたのは奇跡に近い。あんな連中が徘徊するビル内で単独行動をする勇気は今のところ俺は持ち合わせていなかった。自分の居る15Fは隅から隅まで調べ尽くし、現在の生存者は自分しか居ない事が分かっている。シャッターを破られない限り俺に危険は無いのだが、それでも恐怖感は拭えない。
「コイツよく寝れたよな・・・。しかもシャッターのロックもしてなかったんだから、暢気と言うか緩いと言うか・・・。兎に角しっかり行動を見守らなきゃダメだな。コーヒーなんかのんびり飲みやがって、こっちの気にもなってくれよ。」
俺はしばらく折原は放置しても大丈夫だと思い、部屋を出た。シャッターの向こうからガチャガチャとうるさい音が響いてくる。その向こうにゾンビの集団が居る事は明らかだ。俺は出来るだけ物音を立てないようにシャッターの前を通り過ぎて社員食堂に移動した。説明しておくと、この15Fは少し特殊な階だった。社員食堂や団らん室など、広いブースが何個かあって部屋の仕切りが少ない。そして、階の半分は資料室に宛がわれ、会社創立以来の膨大な量の書籍や伝票などがファイリングされて収められていた。その片隅にセキュリティールームは位置している。このセキュリティールームは一般の社員には知られていない。何故なら、会社の内偵のために作られた部屋だからだ。秋吉は、第4営業部所属とされているが、実は会社側の査定員である。そのため、会社の内部に関してはかなり詳しい。すでに会社内に入り込んだ暴徒の数は分からなくなっていたが、どのフロアーにどれだけ入り込んでいるかは見当がついた。現在、社内で生き残りは5人居た。1人は自分、もう1人は折原美雪、そして35Fに社長秘書が2人(ここはエレベーターでしか行けないため生き残っている)、12Fに社外の人間が1人、恐らく逃げ込んだ一般人だろう。何とかオフィスに鍵を掛け生き残っている。だが、すでにフロアには暴徒が侵入しており、食料も水も無い。死んだも同然だろう。上の社長秘書も危ない。通信手段もなく、食料のある部屋にも降りて来ないだろう。ヘリなどの救助があれば何とかなるかもしれないが、望みは薄い。秋吉は出来るだけ売れ残りの弁当などを選んで来ると、売店の棚に陳列されているタバコをカートンの箱ごと持ってセキュリティールームに帰って行った。
★
私達2人は、昨夜からずっと最上階の社長室に潜んでいた。私は熊谷直人40歳。もう1人は関本由香、私と共にこの会社の社長秘書をやっている女性だ。会社は国内外を問わず手広く事業を展開しており、我が社の社長もかなり忙しく飛び回っている。昨夜は会食に出かけたので、私と関本君だけで残務処理をしつつ深夜の密会と洒落込んだのが命を繋いだ要因となっている。大きな声では言えないが、所謂不倫関係と言うやつだ。世間では後ろ指を指される関係だったが、私達の関係はまさに情熱的だった。そんな事はどうでもいいが、昨夜ビルに侵入した不特定多数の人間の対処に困っている。警察に連絡を入れてみたが、繋がりもしない始末。酒を購入しようとエレベーターで降りた際に連中と遭遇したわけだが、やつらは警備員を食っていた。1Fに居ただけで30人以上居たのは確かだ。慌ててエレベーターの扉を閉めた関本君の行動に感謝せねばならない。私達はそうして最上階に引き返し、現在に至っている。もう夜は明け、空は青く晴れ渡っているが、私達2人には絶望を明るみに出されただけだった。ビル群から吐き出される白煙、遥か彼方に見える海にも船影の1つも確認できない。街の機能は完全に停止して、道路には人影以外に動く物は無かった。自動車が走らない国道、長蛇の列のまま放置された車両群、赤い点がそこら中に広がっている。そして徘徊する大勢の幽鬼のような連中。社長自慢の望遠鏡がここぞとばかりに残酷な現実を私達に教えてくれる。世界が光に包まれているのに絶望しか覚えないとは如何ともし難い。私は今日何度目になるかも分からない溜息を吐きながら、関本君の淹れてくれた紅茶を口に運ぶ。甘い液体は少しだけ私に落ち着きを取り戻させてくれるだろう。
「やっぱり救助の目処はつきませんか?」
望遠鏡から目を離した私に、関本君は心配そうな声を掛けた。私はそれに無言で首を振って答える。
「一体何が起こっているんでしょうね?TVはもう砂嵐とテロップ放送しかやってませんし、この分だと復旧も時間が掛かりそうです。せめて私達がここに取り残されていることだけでも外部に連絡出来ないものでしょうか?」
「多分それは無理だ。街はもう半壊しているし、何よりこれだけの騒ぎに警察も自衛隊も姿が見えない。はっきり言って異常だよ。もしかするとすでに壊滅してるんじゃないのか?幸いここはインフラが止まっても屋上のソーラー電池で最低限は電力も供給出来る。水も屋上のタンクに少しは備蓄されているだろうからトイレも心配ない。問題としては食料だな。関本君は何か食べ物を持ってるかい?」
私は出来るだけ相手に不安を与えないように確認できた状況を説明する。関本君は何か考えるような素振りを見せたが、やがてゆっくりと頭を振った。
「まさかこんな事になるなんて思ってませんから、せいぜい来客用のお茶請けにクッキーや洋菓子が少しあるだけです。まともな食料は社食か下のコンビニにでも行かないと手に入りませんね。」
「ううむ・・・。」
私は小さく唸ると、関本君に目を移す。彼女は怯えているのだろう。綺麗に化粧を施された顔に大きな瞳が潤んでいる。私はその上目遣いの怯えた瞳にジッと魅入られて、昨夜の情事を思い出す。もうしばらくは外界との接触は出来ないだろう。それまでこの女を堪能するのも悪くない。そう思うと、私は関本君をソファに押し倒した。その時、私の頭の片隅にはその内どうにかなるだろうという甘い考えがあったのも事実で、私は行為に没頭し、これから先の悪夢を完全に舐めきっていた。
★
暗い廊下には、シャッターに当たるガシャガシャという音が不気味に響き渡っていた。私は、ゆっくりと歩を進める。ここは25Fで、私はお使いくらいでしか足を運んだ事は無い。作りは27Fと同じだが、机や椅子の配置やレイアウトは私のオフィスとは全く違っている。何となく知らない場所に居るような違和感は、私の恐怖をこの上ないくらい煽った。いつ物陰から暴徒が出てくるか分からないのだ。丸腰では不安なので、給湯室にあったカバー付きの果物ナイフを両手で握り締め、私は廊下にゆっくりと歩みだした。
「恐くない恐くない恐くなんかない。このフロアに居るのは私だけなんだから、何も恐くない・・・。」
一人で呪文のように呟きながら、まずはトイレを目指す。昨夜からずっと我慢していたので、すでに膀胱炎になっても仕方ないほど私は尿意を我慢していた。鳴り続けるシャッターの前をヒールを脱いで歩く。こうする事で足音を極力出さずに済むのだ。ペタペタと廊下には意外に大きな音が響いたが、これが今出来る精一杯だった。泣きそうになりながらも第一関門のシャッター前を通過する。何度通っても慣れるものでもなかったが、通過すると一気に汗が噴き出した。凄まじい緊張感だ。かつて子供時代にやった隠れ鬼を思い出す。あのドキドキの何倍もの緊張が一気に膀胱を刺激し、私は急ぎ足で女子トイレに入った。中はシーンと静まり返り、物音1つしない。私はすぐに個室のドアを開けると用を足した。まるで天国だ。一気に緩みきった顔になる。それから私は、とりあえず全てのオフィスを調べまくった。ロッカーから個人の引き出しまで全て開けると、飴玉やスナック菓子、カップ麺やガムなどそれなりの収穫があり、一安心する。それから私は昨夜仮眠を取った部長室に戻ると、ソファに腰掛けて戦利品の飴玉を1つ口に放り投げる。甘いオレンジの味がひどく懐かしさを覚えた。私は普段飴など舐めないので、学生の時食べた以来かもしれない。私は女のくせに甘味が大の苦手だった。珍しい人種だと同僚に何度もからかわれたものだが、今その彼女も生きてはいないだろう。
「な~んで私生き残っちゃったんだろ?いっその事ビルから飛び降りた方が楽なのかもしれないわね・・・。皆無事なのかな・・・?」
もう世界が狂ってしまったのは揺ぎ無い事実だったし、この先生き残っても楽しい事など無いかもしれない。それでも自分は生きている。精一杯生にしがみ付いて、警備員を見殺しにして、みっともなく生きている。私は数分物思いに耽ったが、やがて昨夜の睡眠不足も手伝ってまどろみの海に落ちていった。
この話、それなりに長いです。1話目がすでに他の1.5話分ほどありましたしね。
この後、ビル内を舞台に話は進んでいきます。メインキャラクターは後回しで美雪さんと秋吉君にしばらく頑張ってもらいましょう。
まぁツマンネって人はしばらく見ないでヨロシ(´・ω・`)作者やさぐれ中




