誰がための道
傷が癒えてもドレアスの右手が動くことはなかった。
それでも療養中現場を支えたアルヴィとともに街道造りの指揮を執り続けるドレアス。周りから無理をするなと注意されながらも、右手以外はなんともないからと屈託なく笑い、今までと変わらず率先して動く。
ギルスレイドもまた、そんなドレアスの助けとなれるよう立ち回った。
今までのようになんとなくでも流されてでもなく、自らの意思を以てここに留まり、少しでも力になりたいと願って行動する。
龍でも人でもないと知られてからもドレアスの態度は何ひとつ変わらず、ルヴィエートたち龍や人々と同じように扱われた。自分がほかと同等とされていいのかと思うこともあるものの、感謝され労われることは素直に嬉しいと感じるのもまた事実で。
―――誰かに関わり、ともに過ごす喜びと幸せ。
あの日から自らずっと遠ざけていたそれは、どこまでも温かく心を潤すものなのだと改めて知った。
一万と八千の年を経て、再び動き出したギルスレイドの時間。
しかし、彼の時間はほかの誰の時間とも並び進むことはできない。
この幸福をいつまでもと願えぬこともまた、定められたことだった。
「世話になった」
呼び出したドレアスにそう告げる。初めからドレアスの顔が気落ちしたように見えていたのは、何を言うのか気取られていたからだろう。
「……これ以上は無理、か」
寂し気に微笑む目尻にも、仕方なさそうに低く呟く口元にも、五年の歳月が見て取れるドレアス。
対して一切変わらぬままのギルスレイド。
ふたり並ぶとますます違和感が増すようだった。
「そう言って何年引き延ばしたと思ってるんだ」
来るとわかっている別れの日を何度も先延ばしにし、何度も引き止められ。それでも五年も過ぎればもうごまかしも利かない。
街道が広がるにつれ関わる人数も増えて目立ちにくくはなるものの、いつまでも容姿の変わらぬ自分が居座るわけにはいかなかった。
「こんなに長くいるつもりはなかったんだがな」
「心配ばかりかけて悪かったな」
茶化すように笑ってから、ドレアスは左手を差し出した。
初めて会ったあの日とは左右逆のその手を、今はためらいなく自分から取る。
「ありがとう」
万感の思いを込めてその手を握ると、力強く握り返された。
「礼を言うのは俺の方だろ」
まっすぐこちらに向けられたドレアスの眼差しからは、龍でなくても感じ取れるであろう親愛が窺える。
「来てくれて……いや、違うな」
一度目を逸らしブツブツと呟いてから、ドレアスは改めて目を合わせ、ぎゅっとその手に力を込めた。
「ギルスレイド。俺たちと出逢ってくれてありがとう」
顔に出る感謝も寂しさも隠そうとしないドレアスからは、その思いもまた実直に響く。
ずっとただ永らえるだけだった自分であったのに。
今自分がここにいることを認め喜ぶその思いは、贖罪のはずの時間をここへと辿り着くための道程としてのそれに変えてくれるようだった。
それは自分にとって、今ここにいる己自身の価値にも思えて。
「……それこそ、礼を言うのは俺の方だろう」
説明しきれない思いはそんな言葉にしかならなかったが、ドレアスはどこか嬉しそうにそうかと笑みを深める。
「じゃあまあお互いにってことだな」
「……そうだな」
おそらく自分の方が強く恩を感じているとは思うものの。
口にしたところで伝えきれないとわかっていたので、ただ頷くだけに留めた。
別れを惜しみ、思い出話に花を咲かせる。
懐かしみ笑い合ったその先で、ドレアスに今からどうするのかと問われた。
「……まだ決めていない、が……」
最初は少し覗きに来ただけのつもりだった。すぐに去り、あとはまた元のように過ごすのだと思っていた。
自分が棲んでいた、暗く何もないあの横穴。
五年もの間光の下で過ごした今、自分はまたあの闇の中に戻れるのだろうか。
命の限り目標を成し遂げようとするドレアスを知っているのに、自分はまた無為に過ごすことができるのだろうか―――。
暴かれた本音に心中嘲笑する。
あの闇の中に戻りたくないと思う自分が確かにいた。
それならば。
「……あの場所に戻ってみるのもいいかもな」
既に龍には入れぬ土地だが、死ぬことのない自分なら戻ることができるだろう。
今一度あの泉の前で。
少しでも償うことができているのか振り返り、これからどうすべきかを考えてみればいい。
「あの場所って、泉のことか?」
近いのかと聞くドレアスに、おそらく人にも龍にも辿り着けない場所だと答えると、呆けて見返したあと豪快に笑われた。
「お前、そんな場所に俺を連れて行こうとしてたのか?」
言われてみれば、たとえ泉が枯れていなかったとしてもこの気温では誰も行くことができない。
ギルスレイド自身もその事実を失念していたことに気付き、思わずドレアスを凝視する。
「そもそも無理じゃねぇか」
「あの時はそこまで気が回らなかったんだ」
渋面で返すギルスレイドの肩を何度も叩きながら笑い転げるドレアス。
ひとしきり笑ってから、じゃあやっぱりと呟き、そのまま肩を引き寄せ抱きしめる。
「俺はお前と逢えた方がよかったよ」
背に回された左手に込められた力にも、らしくなく小さな呟きにも、滲み溢れるその思いに。
「ああ。俺もそう思う」
同じ思いを込め、ギルスレイドもその背に手を添えた。
惜しむほどに別れ難くなることはお互いわかっているからか。出立するギルスレイドを、もうドレアスが引き止めることはなかった。
「お前はもう十分償っただろうから。あとは自分のために生きろよな」
「……いや、それは……」
自分が永らえているのは泉を枯らした罪を償うため。たとえこれまでの時間がここへ辿り着くためのものでもあったと思えても、その事実に変わりはない。
渋るギルスレイドに、ドレアスは強情だなと笑う。
「じゃあ俺のため。俺が生きてるうちには無理だとしても、いつか出来上がった街道を見に来てくれ」
遥か未来の約束を、明日の予定のようにあっさりと口にして。
その約束が果たされたか見届けることなどできるはずもないのに、それでもドレアスは確信に満ちた眼差しでギルスレイドを見据える。
怖じることなくそれを受け止め、ギルスレイドも少し笑った。
「ドレアスのために、か?」
「ああ。この先龍と人とがどう暮らしてるのか。俺たちの造った道がちゃんと役に立ってるのか。お前が確かめて俺に報告してくれ」
静かな言葉に込められる切望は、この先へ続く道程となり得るもの。
「ギルスレイドにしかできないこと、だろ?」
ともに並び歩くことはできずとも。
ドレアスの敷いた道を、自分が歩くことならできるのだと―――。
暫しドレアスを見つめてから、ギルスレイドは短く息を吐き、左手を差し出す。
「……わかった。約束だ」
「頼んだからな」
その手をしっかりと握り返し、ドレアスは満足そうに頷いた。






