罪
午後に再会を果たしたハルヴァリウスには来てくれると思ったと嬉しそうな顔をされ、ギルスレイドはひと言多いとの負け惜しみと改めての礼とを述べる。
見透かした笑みとともにこれからどうするのかと問われ、思わず暫く滞在し街道造りを手伝うと答えていた。
言ってしまってから、本当は少し覗くだけのつもりであったのにと苦笑するものの、ハルヴァリウスたちの手放しでの歓迎がとても嬉しかった。
街道は東西、そして南北に七本ずつ。敷くための土地は確保してあるというものの、実際に敷けたのはまだ南北に一本と東西に途中まで。この一本を西の端まで敷き終えたあとは、人の住む北西から放射状に広げていく予定らしい。
死ぬまでに終わるかなぁと明るく笑うドレアスと、呆れ顔で終わらせろとぼやくアルヴィに、手伝う周囲の人々にも笑顔が広がる。
ドレアスを中心に広がる温かな空気。飾らぬ言葉と態度、そしてまっすぐに目標を見据え懸命に動くその在り様に惹かれるものも多かった。
ギルスレイドもまたこのあまりに心地いい空気感に惹かれたもののひとり。帰ると言い出せないまま過ぎていく日々は長らく振りの温かさと穏やかさに満ち、時を経ることで深まるお互いへの理解は信頼に変わる。
しかしそれは同時に、『龍である』と偽りつづける己自身を咎めるものでもあった。
どこかうしろめたい気持ちを抱えたまま、それでもこの平穏とドレアスへの親しみを手放せずにいたギルスレイド。
自分が去るまで変わらないと思えた状況は、ある日のシラーからの知らせに一変した。
駆け込んだ小屋にはアルヴィの姿があった。
「ドレアスはっ?」
慌てた声をあげるギルスレイドに落ち着けと呟くアルヴィもまた、その表情は浮かない。
「手当は済んだ。やっと寝たから、もう少し休ませてやってくれ」
「一体何が……」
シラーからはドレアスが事故に遭ったことしか聞いていない。気配はちゃんとあるので命に別状はないとわかっているが、アルヴィの様子からはそれだけではない何かを感じた。
「積み上げていた資材が崩れて。巻き込まれそうになった者を助けて、代わりに自分が下敷きになったらしい」
静かな声音に滲む後悔は、自分がその場にいなかったから、だろうか。
「右腕の怪我がひどい。……ドレアスは、命があるならいいと言うが……」
途切れた言葉の先は容易に想像できて。
何も言えず、ギルスレイドはただアルヴィを見返していた。
後片付けをしてくるからと、アルヴィは小屋を出ていった。
心配して駆けつける人々に知る限りの状況を説明しながら、ギルスレイドはドレアスが目覚めるのを待つ。
―――ドレアスの右腕は、おそらくもう治り切ることはないのだろう。
どの程度の影響が残るのかはまだわからないが、この先の作業に影を落とすことになりかねない。
どうにか怪我が治ればと願う先、過ぎった風景にギルスレイドは動きを止めた。
大切なものを助けたい。その思いは今も昔も、そして動物でも龍でも人でも変わらない。
拳を握り、うなだれる。
(……これが俺の罪、なんだな)
己の罪であると受け入れていた。
あの時の行動にも後悔はない。
だがその罪の重さを正確には理解できていなかったことを、今更思い知った。
―――かつてここから遥か北西の地に、ひとつの泉があった。
傷を癒す不思議な力を持つ泉。
周囲の動物たちが恩恵を受けていたその泉は、寒さから逃れて移動してきた龍たちの知るところとなった。
尤も強靭な体を持つ龍がその泉の世話になることはそうそうなかったであろうが。
移動を拒み元の地に残り続けていた自分にも、それを見つけた龍からの報告は届いていた。
だからあの時自分は一縷の望みを託して泉に入った。
―――そして、泉は枯れた。
泉に死者とともに入った代償に、死ぬことすら叶わぬ龍でも人でもないモノへとなり果てた。
泉を枯らした罪を償うためだと、わかってはいたが―――。
動いた気配に思考の沼から浮上する。
続く部屋へと顔を出すと、ドレアスが左手を支えに身体を起こすところだった。
「まだ寝ていろ」
急いで支え再び横になるよう促すが、起こしてほしいと頼まれる。痛みでゆっくり休むことも難しいのだろうと思い、それ以上は言わずに従った。
「心配かけて悪かったな」
まだ顔色は悪いが、それでもいつものように笑って謝るドレアス。右腕に何重にも巻かれた布には既に血が滲んできている。
痛ましいその姿に、ギルスレイドはかけるべき気遣いの言葉を失った。
「……すまない」
代わりに口から洩れるのは、浅はかな自分からの謝罪。
あの泉がまだあったなら、この腕も治ったかもしれない。痛くつらい思いをさせずに済んだかもしれない。
―――あの日自分が奪ったのは、誰かを心配するものの願いが叶う場所。
あの時の自分と同じ、我が身でないからこそいたたまれずに縋る先。
どれだけ大きなものを失わせたのか、自身が再びそれを請う立場となってようやく見えた。
「あの泉がまだあれば治る可能性もあるというのに」
「ディア? 一体なんの……」
「すまない。俺が泉を枯らせなければ―――」
「ディア!」
強い声で名を呼ばれて身動ぐギルスレイドに、ドレアスは宥めるように表情を緩めて左手を伸ばす。
「ちょっと落ち着け。そんで思ってることちゃんと話してくれ」
ぽんと肩を叩いて覗き込むドレアス。
怪我を負った本人の方が、自分よりも余程平静を保っていて。その様子がなおさら心苦しく、ギルスレイドは口を噤んだ。
何度もドレアスに促された末に、ギルスレイドは泉のことを話した。
そして同時に己が既に龍ではないことも。
相槌を打ちながら話を聞いたドレアスは、ギルスレイドを見据えたまま暫く黙り込んでいた。
こちらを疑っているようには見えないが、かといってすぐに呑み込める話でもないだろう。
ギルスレイドにとっては重い沈黙ののち、ふっとドレアスの表情が緩む。
「……その泉の話って、どのくらい前なんだ?」
まったく予想もしていなかった問いに驚きながら、己自身を振り返るギルスレイド。
「……一万と……どれくらいか……」
三千年で継がれていく龍の魂を考えればおそらく大まかな年数はわかるが、それをするのも忍びなく。
確実に過ぎている年数を示すと、ドレアスはわかりやすく瞠目して見返した。
「……なんていうか。ちょっと俺には想像できねぇな」
じっとこちらを見つめる眼差しは、化け物を見るものでも罪人を見るものでもなく、今まで以上の親愛に満ちて。
「……大変だったなって軽々しく言うのも違うんだろうけど。ごめんな、俺にはそうとしか言えねぇや」
伝わる労いと慈しみは、ずっと龍たちから向けられていたものと同じ。
まさか人から向けられることがあるとは思っておらず、一瞬呆けてしまってから我に返った。
「そうではなくて、俺が泉を―――」
「もしその泉が残ってたなら、ディアはここにいないってことだろ?」
ギルスレイドの言葉を遮り、ドレアスは強く言い切る。
「それなら俺はお前に会えた方がよかったよ」
お前は大変だっただろうけどさ、と申し訳なさそうにつけ足してから、二の句が継げないギルスレイドへと笑いかけた。
「償おうって気持ちがあれば犯した罪は償えるもんだって俺は思ってる。だから」
伸ばされた手が、存在を確認するように肩に触れる。
「今、ここにいてくれてありがとな」
肩に感じる重みと温もり、そしてじわりと沁み込んでくる言葉の意味に、ギルスレイドは何も言えずにただ目の前で笑うドレアスを見つめる。
ただ在ることだけが己の存在意義だと思っていた。
これはただの贖罪の日々。今もこの先も長らえることにほかの意味などないのだと思っていた。
それなのに、かけられた言葉は自分の存在を認めるもので。
ここまで果てられなかった―――居続けるしかなかった自分を赦してもらえたような、そんな思いが湧いてくる。
罪が消えたわけではない。
贖罪を終えたわけでもない。
それでも今を満たす達成感と幸福が、間違いなく身の内にあった。
「……ドレアス」
幾度か無音を刻んだ唇が、ようやく音を紡ぐ。
自分はもう龍ではない。
この行為になんの意味もないことは、十分わかっていたのだが。
「俺の元の……龍の名は、ギルスレイドというんだ……」
それでも告げずにはいられなかった名を。
「ギルスレイドか。いい名だな」
微笑み、ドレアスが受け取った。






