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いきおいよく4-2

 沙緒のことが気になるものの、時間が無く追いかけることも出来なかった。

 西側校舎に着いたところで予鈴が鳴り響く。急いで駆け足で教室へ向かう。

 教室に入ると、まだ担任は来ておらず間に合ったようだ。

「遅いな菅原。婚約者とでもいちゃついてたのか?」

 席に着き息を整えていると、後ろの席の小林が背中をちょんちょんと突いてきて言った。

「いちゃついてねえよ。いちゃつくどころかその婚約者に制裁されてたわ」

「あんだよ。お前ら婚約しても変わらねえのか。お前Mなんじゃねえの?」

「ばーか。俺はノーマルだ」と言ったところで担任が教室に入ってきた。


 担任は、朝の挨拶を済ませると淡々と出席を取っていく。

 今日は欠席者や遅刻者もいない。平和なクラスの朝である。

 ホームルームもいつもと変わらず、先生の発言にときおりざわつくくらいだ。


 担任から他愛も無い話が続いているので、物思いに耽る。

 もし、沙緒の言ったことが冗談じゃなかったら……。

『私、入部した時から部長のこと好きですもん』

 なに自惚れてんだ。そんなことなんてあるはずが無い。

 あいつの言う通り俺を焦らせるための冗談だ。

 竿竹がへなってたのも俺を引っ張るのに疲れたからだろう。

 ……でも、仮に事実だとしたら? 俺の婚約を聞いてどう思ったんだろう。   


 正直、うちの部員の子は性格は悪くない。身内贔屓(ひいき)かもしれないがそう思う。


 厳しくもあり優しくもあるしっかり者の副部長、菫。

 外交上手で、何事にも真面目に一生懸命する沙緒。

 変態なところはあるが素直で愛らしい茶々。あいつの場合は変態すぎるから問題だが。

 抜群の変態を除いても、菫も沙緒も顔つきは可愛い部類に入ると思う。

 変態は自分を愛しすぎてるから分かるが、あの二人に男の影がないのが不思議だと思っていた。


 部活を通して過ごしてきた日々は、楽しくもあり苦労もあり、かけがえの無いものだ。

 それぞれに良いところも悪いところもあることは分かっている。

 結論でいうと、部員の中で彼女にしたくないと思う子などいないということだ。

 あ、やっぱり変態は無理だ。あれにはついていけん。  


 もし、これが冗談ではなく本当のことだったら。

 もし、これが婚約する前だったら。

 もしもし、かめよ、かめさんよ。どうなってたと思う?

  

 物思いに耽っているとホームルームが終わり担任は教室を出て行った。

 そして一日の授業は始まっていく。

 ただ、ちらほらと沙緒の事を思い出してしまって、あまり集中できなかった。

 普段も集中できてねえけど。


 ☆


 午前の授業が終えたところで、昼休み。

 昼休みとなると、黙々と弁当を取り出して食べ始める奴もいれば、席を移動して、気の知れた奴同士で机を並べて一緒に食べたりする奴もいる。俺は前者の方だ。 

 学食に行く奴や購買にパンを買いに行く奴は昼休みになるとダッシュで教室を後にする。

 俺は弁当なので昼休みに行ったことは無いが、人気商品の争奪戦は凄まじいらしいのだ。

 特に大人気なのはカツサンドで、ボリュームがあり、値段も百五十円とリーズナブル。

 限定二十個販売らしく餓えた学生の格好の的である。

 一度小林が競争に勝ってカツサンドを手にして戻ってきたことがある。

 そのときに聞いてみたことがあるが、カツサンド自体も嬉しいが、なにより手に入れたときのみんなからの羨む視線がまた快感なのだそうだ。小林も変態の部類だな。

 まあ競争とはそうあるべきなのだろう。公平であるならばだが。

 購買のおばちゃん達に、餓えた学生がまるでゾンビのように押し寄せるのだ。

 声の通る奴ほど有利であろう。

 

 弁当も食べ終わりクラスの男子三人と雑談。岸本、小林、八木は席が近いこともあってよく話す。

 八木は昨日、俺を顎で突こうとした奴だ。持ちネタで「元気ですかー!」とよくやる奴である。

 自分の身体的特長をネタにも使っている。お前Mだろ。

 岸本は、この中で唯一彼女がいるリア充だ。彼女は部活の後輩らしいが遠目でしか見たことが無い。

 岸本は傍から見ても清清しい、割とイケメンな部類に入る。ついたあだ名は岸本青年である。

 そういや、お前もリア充のクセに昨日参加してたよな?

 小林は言うまでも無く昨日の首謀者であろう。人の隙間から何度も俺の腹を殴ってたよな?

 俺ももう高校三年生で落ち着いてきてるから、過ぎたことはいつまでも恨んでいないさ。

 俺も大人になった証拠だ。

 

 ところで、いつデコピンバトルするんだ? 指名したい奴が今現在三人ほど周りにいるんだが。


 男だけの雑談は他愛も無い話ばかりだが、それなりに盛り上がるから不思議だ。

「菅原はいいよな。あんな可愛い子が婚約者でよう」

 小林が顎の髭をさすりながら言う。気になるなら剃れ。

「俺もあんな可愛い子が彼女だったらなー」

 この中で唯一彼女がいる岸本が言った。


「お前彼女いるだけましじゃねえか。リア充のクセになに言ってんだ」

「そうだそうだ」

 と非リア充の小林と八木が悔しそうに言った。

 つい先週まで俺もあっち側の人間だった。何この優越感。超快感なんだけど。

「部員だって可愛いのいるじゃん。新城とかさ」

「あれ、変態だぞ?」

「自分のこと可愛いって言ってるだけだろ? 実際可愛いからいいじゃねえか」

 物には限度ってもんがあるんだ。そこ大事だから覚えとけ。

「他の子も結構いいもんな。えーと次元と夏川だっけか」

「おーおー、次元ってあの真面目タイプな子だろ? あの子俺好みだわ。罵ってくんないかな」

「八木はあっち派か? 俺は夏川って子の方がいいな。なんかいつもニコニコしてるしな」

 まさか八木と小林の口からこんな話が出るとは思わなかった。八木よ、お前Mなのを自白してたぞ。

「菅原、何びっくりした顔してんだよ?」

 そりゃあそうだろ。うちの部員がそんなに好評だとは思いもよらなかった。


 ☆


 昼休みも終わり、午後の授業が始まった。

 教壇には咲きねえが立っているがそんなことはどうでもいい。

 俺の心は沙緒の一言に縛られていた。


『――私、入部した時から部長のこと好きですもん』

 

 沙緒は部活に入ってからというもの、何に対しても真面目に取り組んだ。

 基礎的な技術を諦めもせず、こつこつと鍛え上げていく根性の持ち主だった。

 沙緒の後に漫研に入ってきた菫ともすぐに仲良くなった。

 誰に対しても温和で友好的で外交上手だった沙緒は先輩達からも可愛がられたのは分かる話だ。

 先代部長らが卒業式の後、俺たちに最後の挨拶と引継ぎの儀式をやったときも、無口な春日部先輩が沙緒をぎゅうっと抱きしめていたのは印象的だった。


 副部長を菫に任せたのは、菫の能力を買ったからだ。

 沙緒には苦労をかけたくないと言うこともあった。

 技術的なことや知識、統率力ともなると沙緒はどうしても菫に負けてしまう。

 ある意味苦汁の決断だった。

 これも誠が役に立たないせいだ。そうだあいつのせいだ。

  

「――なあ、京介。私の授業はそんなにつまらないか?」

「うっせえな咲きねえ、今大事なこと考えてんだ――――んぐっ!」


 咲きねえは手にした教科書を縦にしてスコーンっと俺の脳天に落とした。

 薄い教科書とはいえ縦は痛いぞ、縦は。

「罰として24ページの頭から読め。ああ、もちろん空気椅子の状態でな」

 ちくしょう。またいつか報復してやる。


 咲ねえの授業が終わったところで、「後で話があるから、放課後部活行く前に職員室に来い」と告げられる。何だよ。また雑用か何か言い渡す気か? 一応顔は出すけど面倒なことは止めてくれよ。

 

 今日の最後の授業は体育で水泳だった。これやると眠気が出て部活が辛いんだよな。

 まあ、クソ暑い中、屋内プールでの水泳だから涼めるといえば涼めるのだが。

 うちの学校のプールは屋内にあるため一年中水泳が出来る。

 おかげで冬でも天候が悪いときは、屋外での体育が水泳に変更されるから困ったもんだ。

 おかげで体育のある日は水泳道具と運動着の両方を持ってきておかなければならない。

 泳ぐのは嫌いではないから苦ではないけれど。


 更衣室で着替えていると、堂々と全裸になる奴もいれば腰にタオルを巻いている奴もいる。

 そしてお約束のように「俺の筋肉を見ろ」と言わんばかりにポージングする筋肉馬鹿もいる。

 中には言いたくないがやたらと人の身体をジロジロ見てニヤニヤしている奴もいた。


 お前は俺に近付くな。

 

 野郎がごったがえす更衣室は正直長くいてもつまらないだけだ。さっさと着替えて出て行くことにしよう。それに今日は、二年生も混ざっている。屋外での体育は別々だが水泳のときはたいてい被るのだ。

 俺達もそうだったが、更衣室で上級生と一緒の時、下級生はすみっこに避難して大人しくしている。

 上級生に気を遣っているのもあるが、部活の先輩達が混ざっている可能性があるので、いじられないよう自己防衛のためだ。特に体育会系は必ずといっていいほどなにかする。過去に受けた先輩達から受けた洗礼が後輩達へ伝統のように受け継がれていく。悪しき伝統だ。

 今もうちのクラスの野球部員が全裸のまま二年の後輩に絡んでいっている。

 すまんな、そいつら馬鹿だから許してやってくれ。 


 ごった返す更衣室から逃げるようにプールサイドへ向かった。

 

 プールサイドで他のみんなを待っていると、女子も姿を見せ始める。

 八木が隣で女子の成長を見る機会があって嬉しいと言った。

 おいおい、そんなスケベ根性丸出しは駄目だろう。だからお前はもてないんだ。

 そういうのは口に出さずに冷静沈着に分析するもんだ。

 

 プールサイドにくる女子集団の中に竿竹を見つけた。

 宿主である沙緒があの中にいるようだ。

 今日一緒に水泳やるのは二年C組か。

 朝の出来事がまたフラッシュバックした。

 冗談だったとはいえ、まだ俺の心に残ってしまっている。

 しょうがねえよ。生まれてこの方女から冗談でも好きって言われたことねえんだ。

 気になったってしょうがねえじゃねえか。と、自分に言い訳していた。


「あれ、部長。今日一緒なんですね」

 スクール水着姿の沙緒が俺を見つけて笑顔で言った。

 なんだか沙緒の顔を見るのが照れくさい。

 ところで何で竿竹が急にとぐろ巻き始めたのか教えてくれ。

「ああ、たま~に一緒になるよな」

「いやらしい目で見ないで下さいね。見たら会長に言っちゃいますよ?」

「見ねえよ!」

 いつもと変わらない沙緒の態度。竿竹はとぐろ巻いたままだし、よく分からない。

 やっぱり朝のは冗談で、竿竹がヘナヘナしていたのは疲れたからなのかな。

「では、失礼します」

 沙緒はクラスの女子達と一緒に歩いていった。


 程なくして水泳の授業が始まった。

 アップの後、平泳ぎの練習とクロールの練習。後半でタイムを計測するのが主な流れだ。

 50メートルを完泳できない奴は端っこのコースで体育助手の講師が特別授業を行う。

 それで単位はもらえるのだ。

 うちのクラスの男子はいないが、女子が二人ほど参加している。

 二年では男二人、女三人が参加している。その中に沙緒がいた。

 そういや、あいつかなづちだったな。


 反対サイドからビート版を手にして顔をつけずにバタ足で泳いでくる沙緒。

 その表情は一生懸命だ。足の動かし方が悪いのか、スピードは全然でていない。

 水泳帽のせいで竿竹は見えないが、きっと帽子の中で暴れているだろう。

 もしかして水泳だから出番が無いと、とぐろ巻いて寝てるのか? 

  

 水泳の授業も後半戦になりタイム測定。

 俺のタイムは平泳ぎで52秒、クロールで38秒。ベストではないが悪くはなかった。

 一緒に泳ぐ奴によって若干変わるんだよな。今日はこんなもんだろう。

 タイムを計り終わった俺は待っている間、沙緒の様子を見ていた。

 特別授業を受けてる生徒は、端っこのコースでタイムの代わりに距離を測る。

 飛込みが出来ない沙緒は下からスタートするようだ。

 体育助手の合図で沙緒がスタートした。素人目から見ても危なっかしいクロールだ。

 手の動きも遅く身体が沈みこむ。慌てたようにフォームを崩して水面から顔を上げる沙緒。

 何か溺れているようにも見える。それでも少しずつではあるが諦めず前へ前へと進んでいった。

 体育助手がプールサイド横を並んで歩いて見てくれているので、安心はしているが不安を誘う。

 バシャバシャとあがきながらも中央の25mを越えた。いいぞ、がんばれ。あと半分だ。

 だがそこから10m程進んだ所で限界に達したのだろうプールサイドに手をつけた。

 体育助手が駆け寄り、「やったよ。前回よりも伸びたよ」と沙緒に声をかけた。

 はあはあと息を荒げながらも、その声を聞いた沙緒はとても嬉しそうな顔をした。

 本当に沙緒はいつでも一生懸命だなと感心した。




 水泳の授業が終わり、教室へと戻った。

 ホームルームで担任の話を聞いているが、水泳の後は身体が火照ってだるい。

 この後部活もあるので眠気に負けないようにしないと。

 その前に咲ねえから呼ばれているから職員室にも顔を出さないといけない。

 簡単な用事だったら良いのだが。




 ホームルームも終わり放課後。職員室にいって咲ねえのところへ向かう。

「咲ねえ。何の用事だよ?」

「咲ねえと呼ぶなと言ってるだろう。小野寺先生だ。まあいい、お前と朱里の事なんだが……」

 いつものような掛け合いのあと、咲ねえは周りの様子を窺ってから困ったような顔をして言った。

「兄さんからお前たちの婚約をやめさせるように言われたんだ」

 豪一郎の野郎。咲ねえにまで手を広げてきやがったのか。

「家に行ったときにお前たちの婚約話をしたらな、兄さんが急に考え込んじゃってな。その時は何も無かったんだが、昨日うちにその内容の電話が着たんだ。だが、私としてはだな。朱里も物好きなやつだと思うが、本人は喜んでいるようだし、やめさせるつもりは無い。この件に関して兄さんの言うことは無視するつもりだ」

 今の俺に対する侮辱が入っていたような気がするけど、とりあえず咲ねえは敵じゃないんだな?

 なんだよ。咲ねえもいいところあるじゃねえか。

 今日教科書で殴った時のことは水に流してやるよ。

 咲ねえからの話は。どうやらそれだけのようだった。


 咲ねえの所から離れようとした時、

「あ、京介ちょっと待て」

 咲ねえが俺を呼び止めた。

「いいか、お前達の婚約を快く思っていない連中もいることを忘れるなよ」

 連中って、豪一郎以外にもそう思ってる奴いるの?

 まあ、いいや。咲ねえが言ったこと肝に銘じておくわ。


 咲ねえのからの話が終わって、部室へ移動した。 

 沙緒のことは気になるものの、意識していたら部活にならない。

 部室前で一つ深呼吸する。忘れろ。意識から飛ばしてしまえ。

 たられば話は思ってたって、きりが無い話だ。

 もう俺には婚約者がいる。なに浮ついてんだ。自分を戒めよう。


 一呼吸した所でいつものように扉に手をかける。

 さあ、愛する部員たちよ。今日も一生懸命に作業を進めようぜ。

 部室の扉を開けて中に入ると、誠と沙緒が目の前の作業机に未完成の原稿を広げて進捗状況をチェックしていた。

 菫はみんなが手がけた原稿の最終調整をしている。

 茶々は真っ白い原稿を見つめたまま固まっていた。

 おお、やっと入ったか。今週は無理かなと思っていたのに。

 

「菫、茶々はいつものに入ってるのか?」

 菫の横の椅子に座り、茶々をちらりとみて聞いてみる。

「そうみたいです。私が来たときにはすでに入ってました」

 菫も茶々をちらりと見て答えた。


 ここで茶々の状態を説明しておこう。

 茶々の執筆方法でもあるのだが、茶々は下書きを描く時、一種のトランス状態に入る。周りに誰が何していようが微動だにしない。話しかけても返事も無い。

 多分、俺が部室に来たことも気付いていないだろう。

 こうなった時の茶々は集中していて何も耳に入らないのだ。

 今、茶々の頭の中では、自らが描こうとしている物語が構築されている最中なのだろう。茶々の中で違う意識が働き、そのせいで微動だにしないようなのだ。

 物語や描きたいものが茶々の中で形を成した時、茶々は動き出し、一気に下書きを仕上げる。かなり細部まで設定しているようで描き始めると筆が止まらない。

 そして下書きを描きあげるのも尋常じゃない速度で仕上げる。

 初めてこの状態を見たときは驚いたが、これが茶々の描き方なのだ。

 普段は変態的なことをやったり言ったりしているのが嘘みたいだ。


「こいつの描く漫画は続き気になるもんな。天賦の才能なんだろうなー」

「普段とのギャップが凄いですからね。もうそろそろ動く頃じゃないかと……」

 菫が言うと、茶々の手が静かに動き出し、茶々愛用の鉛筆に手を伸ばした。

 その動きの中でも茶々の視線は真っ白い原稿用紙を捕らえたままだ。

 猛スピードでラフ画を描き始める茶々。まるで機械の様に細かい所まで書き込み始めている。


「今週は入るのが時間かかったな」

「そうですね。まとめの部分はまだですから、描いてもらわないといけないですからね」

 菫は手に持っている原稿を見て言った。

「でもこれで来週はみんなの作業が増えますね。部長にもがんばってもらいますよ」

 菫は作業が増えると言うのに茶々の姿を見て嬉しそうに言った。

 ああ、なんてことはない。部誌の発表にむけて努力するさ。


 俺と菫が話しているところに沙緒が真っ赤な顔して俺のところへ逃げてきた。

「部長。部長。誠さんが……」

 何だか沙緒の顔を直視するのが少し恥ずかしいのは、まだ俺が気にしているせいだろう。まだ振り切れてないようだ。いかんいかん。意識しないように意識せねば。

「どうしたよ? また訳わかんねえこと誠が言ったか?」

 沙緒に悟られないように言うと沙緒はぶんぶんと首を縦に振った。

 まったくしょうがねえな。

「おい誠。沙緒に何言ったんだよ?」

「別に? 何も言ってないが?」

 誠は両肩を軽くあげて答えたが、誤魔化しているようにも見えなかった。

「あの、言ったんじゃなくてですね」

 沙緒は恥ずかしそうな表情を見せた。

 その頭上では竿竹がぐるぐる巻きに捻じれながらピーンと立っている。

 ……どうやら怒ってるようではないようだな。

「何したかわからねえと文句の言いようが無いぞ?」

 俺が言うと沙緒が俺の前に原稿を並べ始める。

 原稿に描いてあるのは、部誌として作っている原稿の主人公とメインヒロインが口論しあうシーン。

 王道ではあるがお互い素直になれず、つい相手の悪口を言い合ってしまうシーンだ。

 ぱっと見で誠が食らいつくような要素が見当たらない。

 俺も手がけたので覚えているが、ふきだしの中に書かれているのは、

「女々しいのよ!」「どこが女々しいんだよ?」と簡単なセリフのはずだ。

「ここのセリフがですね。あの……その……」

 ふるふると指先を震わせながら説明をしようとする沙緒だが言いにくそうだ。

 ん? よく見るとセリフの脇に鉛筆で薄く文字が書いてある。

 俺と菫は原稿に顔を寄せて書いてある文字を確認してみた。


『ほしいのよ!』『どこにほしいんだよ?』  

「――――菫」

「了解です」


 菫は俺が全てを語らずとも了解し、速やかに立ち上がり誠を粛清にかかる。

 よりによって、みんなで作っている部誌にまで手をだすとは不届き者が。

 部屋の隅から肉を殴る音と誠の悲鳴が聞こえるが気にしないでおこう。


 沙緒は誠が殴られる度に、ハラハラドキドキしているようだ。

 竿竹も右へ左へと慌てたように動いている。  

 茶々は、周りで何も起きていないかのように、一心不乱に下書きを描い続けている。

 

 ガス! ドガッっと音が響いてくる。

 今日の菫もキリングマシーン状態が絶好調のようだ。

 原稿を汚されたあいつ自身の怒りもあるのだろう。

 うわ、腹に一撃入れて、前かがみになった瞬間、顎を蹴り上げか。コンボ炸裂だな。

「……カスは死になさい」 

 菫が冷淡な口調で言い、片足を天高く上げた。ネリチャギまでつかえるのかよ。

 だが、菫よ。その技は失敗だ。誠を見くびっちゃ駄目だ。

 誠はフラフラになりながらも菫の高く上がった瞬間に顔を向け、菫の足の付け根を凝視した。

 恐らく菫の下着が見えているのだろう。やけにぎらぎらした目で見ている。

「ピ、ピンクドットだと⁉ グッジョブ」

 グッジョブじゃねえよ。三回くらい死んで来い。

「良かったわね? 最後にいいもの見れて」

 菫は見られていると分かっているのに微笑を浮かべて、高く上げた足を振り下ろす。

 振り下ろされた足は、誠の脳天にクリーンヒットした。

 なまじ菫に顔を向けていたので、格好の的になってしまったようだ。

 倒れピクピクと痙攣する誠を足でグリグリと踏むにじる菫。

 相変わらず容赦の無いやつだ。

 お前は絶対に敵に回してはいけないと思う。部長には優しくしてくれ。


「沙緒。お前も誠に言っていいんだぞ? ああいう節度の無い社会の害悪は潰してかまわん」

「はは、一応先輩ですし、お世話になってることもあるんで。男の人がああいうの好きなのも理解はしてるつもりなんで」

 おいおい、どこまでお人好しなんだ。ああいうのはセクハラっていうんだぞ。

 個人で楽しむなら俺も文句いわねえけどさ。あれは限度越えてるぞ。

  

 誠はまだピクピクと横たわっているが、しばらくすれば勝手に生き返ってくるだろう。

 制裁を終えた菫は俺の横に戻ってきた。

 余韻にひたったような感じな表情は気のせいと思いたい。

 さっき誠を踏んでた時も目がやばかったもんな。菫をSだと思う瞬間だ。


 さあ、誠の事は忘れて部活動に勤しもう。

 茶々が無心に鉛筆を走らせているのだから、部長たる俺がやらんでどうする。

 あいつが頑張って描き上げたのを俺たちが台無しにするわけには行かない。

 限られた時間の中で、部誌を完成させていかないと。


 八月下旬には、毎年お世話になっている印刷所に持ち込まないといけない。

 菫の立てたスケジュールでは、今のところ微妙な遅れで済んでいるらしい。

 だが、まだ余裕があるとはいっても油断は出来ない。

 誠が書き込んだ原稿の修正をして沙緒に渡し続きをしてもらうことにした。

 俺は俺で自分の今日の持分でもある効果線とベタ塗りを進めていく。

 

 部活動も後半に入り、誠も復活して今は大人しく背景にペン入れしている。

 あいつもちゃんと真面目に部活やれるのに、発言や行動が台無しにしてるよな。

 黙っていれば、眼鏡のイケメンで通るくらいの顔なのに。


 作業が進む中、茶々が鉛筆をコトンと手から落とす。

 どうやら描き終わったようだ。

 茶々は描き終えるといつも放心状態になる。

 ぼ~っとしたまま数秒間動かない。


 茶々の左手がゆっくりと上がり、その手には手鏡が握られていた。

「ああ~ん。仕事した私ってば、ちょ~~~~~~~可愛い!」

 本当に残念な台詞を吐きながら、手鏡をまじまじと見つめる変態だった。


 仕事したのは偉いけど、これさえなかったらお前のこと尊敬できると思うよ。

 手鏡を見ていたかと思うと、今度は鞄の中から置き鏡を三つ出して机に並べる。

 左右正面にそれぞれ置いて、自分の顔の映り具合を確認していた。

 その表情はさっきまでの真剣な表情は無く、変態地味た顔になっていた。

 お前、自分の顔でメシ三杯くらい食えるんじゃね?


 今日は進みがいいのか菫が今日の作業は中止と言い出した。

「大丈夫なのか?」 

「はい、今日の作業はおおむね予定どおりですので。それより明日の話をと思いまして」

 明日の話? ああ、沙緒の持ってきた手伝い話か。


 菫は自分の鞄からイベントのチラシと簡易地図を取り出す。

 みんなに見せるように机の上に置いた。

 俺達は菫を取り囲むように集まって覗き込む。


「場所が海浜のイベント会場ですから、現地集合は厳しいと思うんです。混雑も予想されますし」

 海の祭典で使われている施設があって、そこが今回のイベント会場なのである。

 夏場は集客のために様々なイベントが行われる。今回もその一つなのだろう。

「そこは俺も前に行ったことあるが、現地の琴浦駅周辺は何も無いぞ」

 地図を見て誠が言った。

 誠が言うには琴浦駅は海に近いせいか、コンビニや飲食店は浜辺の近くかイベント会場近くにあり、駅周辺はバス乗り場くらいしかないらしい。

 

 今回のイベント時間は、十一時から十五時までだ。

 俺達は八時に会場入りして準備に当たる。

 貸し出される器材の設置や、売り場への搬入準備を俺たちが手伝う予定だ。

 となると、集合場所によっては結構早めに集まらないといけなくなる。


 会場近くの駅が駄目ならばと考えていると菫が口を開いた。

「ということで、少し早いですが殿宮駅の東口に七時集合でどうでしょう?」

 菫からの提案は的を射ているものだった。


 殿宮駅はこの学校からバスで十五分ほどで着く所にある駅だ。

 菫と茶々は元々駅から近い所に住み、駅からのバスに乗って学校まで来ている。

 殿宮駅が集合場所としては妥当なところで、他の面子も集まるのは簡単だ。


 殿宮駅から会場のある琴浦駅まで電車でおおよそ二〇分。

 琴浦駅から会場まで徒歩でゆっくり歩いても二〇分はかからない距離だ。

 七時に集まれば余裕もあり確実だろう。


 沙緒が携帯で時刻表を調べると、電車の時間は一〇分毎に出ている。

 俺のところからも、沙緒の住んでいる公営団地からも、バスなら殿宮駅まで三〇分ほどで着くだろう。誠ならその半分で済む。

 バスの時刻表をそれぞれ確認すると、待ち合わせ時間に丁度良い駅行きのバスがちゃんとあった。

 うちの副部長はできる女なので、俺たちが使うバスの時間くらいはすでに調査済みだっただろう。


 沙緒の話だと昼食は向こうが用意してくれることになっている。

 無償で手伝うと言ったからか、依頼主がそう言ってくれたらしい。

 こちらとしても助かる話だ。

 問題は朝だな。朝が早いと家で朝飯を食うには時間が無い。 

「んー、朝飯は駅前のコンビニで買うかな」

 準備作業があるなら飯はしっかり食っておかないとな。朝飯は大事だ。

 お袋に言って早くしてもらうのも悪くないが、せっかくの土曜日だ。

 ゆっくり寝てもらいたい。

 俺の都合で早く起こすのは申し訳ない。


「私もそうしたいです。お母さんに無理させたくないんで」

 そういえば沙緒のお母さん去年入院してから、まだ調子悪いんだよな。

 家でも家事の手伝いしてるって話だけど、お前は偉いと思うよ。

 横で手鏡見て「ああん」とか言ってる奴に爪の垢でも煎じて飲ませてやってくれないか?


「ところで、今回のイベントなんだが、少し時間をもらうことは出来るのか?」

「えーと、一応交代で売り子する事になってるんで、非番の時なら大丈夫と思いますよ」 

 誠が神妙な顔つきで聞くと、沙緒が答え、竿竹もピコピコと同調するように縦に揺れる。


「そうか。調べたら少々欲しいものが出展しててな。できれば買いたかったんだ」

「どんなの買うんですか?」

 沙緒、それは聞いてはいけない質問だ。

「……乳の描き方が絶妙な人がいるんだ。おっぱいの揺れ――ぐはあ!」


 話の言い終わらないうちに菫の左ストレートに吹っ飛ぶ誠。

 菫が机を挟んで対面にいるから拳はこないと思っていたのだろう。

 俺もまさか菫が机を乗り越えてまで、一撃食らわすと思わなかったよ。


「失礼しました」


 机の上から降りて、ぺこりと頭を下げる菫。

 うん。俺、全然気にしてないから、巻き込まれなくて幸せです。

 それよか誠を殴る動きが早すぎておっかなかったです。


 しかし慣れというものは怖いものだ。

 吹っ飛んでピクピクしてる誠を誰も気にしない。


 立ちっぱなしも疲れるので椅子を持ってきて、机を中心にして座っていく。

 地図を見ながら明日の予定を詰めていると、部室の扉がノックされた。

 扉が開いて、そこにいたのは朱里だった。


「京介、生徒会終わったから…………何してるの?」


 机一つを囲んでみんなで頭を寄せ合ってる姿を見て、朱里の眉がピクッと動く。

 なに、こんなのでも逆鱗に触れちゃうの?

 お前どんだけ嫉妬深くなってんのよ。


「あ、ああ、今日の朝言ってたやつの打ち合わせだ」


 何で俺も言い訳みたいな感じで言ってんだ。

 でも怖いんで、本能的にしちゃうんだよな。

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