いきおいよく4-1
俺と朱里が婚約してから四日目の朝。
夢の続きは見させてもらえなかった。というか夢は見ていない。
現実は相変わらず残酷なものだ。
今の俺はというと朝の定番状態だ。
具体的に言うならば、俺を起こしに来た朱里に頬を引っ張られている状態だ。
よく伸びるだろ。自慢なんだけどさ。
ふと思ったけど、もしかして、ここまで伸びるようになったのって、お前のせいじゃね?
それはともかく、さて今日は何で来る?
婚約してから二日目はモーニングキス。三日目は抱きついてきた。
さらに発展を期待したっておかしくないだろう。もしかして昨夜の夢が現実に?
それは叶わぬ夢として、二日目、三日目それぞれをリピートでも俺は構わんぞ。
ぎしっとベッドが揺れる。お、今日も抱きつきか?
さあこい! お前の体の柔らかさを堪能させてくれ。
「せい!」
「ぐあ!」
額に『ゴン』と打ち込められた朱里の正拳突き。
忘れてた。そういや朝の定番って、こっちの方が歴史が深いんだ。
今日は特に体重も乗っていて良い突きでございます。
歴代五傑に入るほどの衝撃だ。危なく永眠する所だったぞ。
こっちのリピートは御免被りたかった。
「いててててて。分かった起きる起きるから」
「ご飯できてるからすぐに来てね」
そういって朱里は部屋を出て行った。
ずきずきと痛む額をさすりながら、服を着替える。
「世の中甘くないなー。それとも夢の罰なのか」
独りごちて、さっさと着替えるとリビングに向かった。
リビングではお袋と朱里が弁当を詰め込んでいるいつもの光景。
食卓では美希が黙々と朝食を口にしている。
洗面を済ませ、俺も食卓へ座る。
「にーちゃんおでこ赤いよ?」
「ああ、なんでもない。気にしないでくれ」
「相変わらず変なにーちゃんだね」
それよか妹よ。俺が洗面に行く前と朝食の量があまり減ってないんだけど。
もう少し早く食べれるようになれよ。お前小学校の給食のときも時間足りなかった口だろう。
お前はのんびり過ぎて、たまに心配になる時がある。
朝食を終えて学校に行く準備もできた俺達は学校へと向かう。
美希は徒歩十分ほどで着く中学校なので、まだ時間的に余裕がある。
俺たちが出た後、しばらくしてから、隣の兵頭家へ行き、大地を誘って行くのが通例となっている。
美希とお袋に見送られ、バス停へ向けて朱里と二人並んで歩く。
今日も雲の少ない好天に恵まれ、気温がかなり上がりそうだ。
朱里の様子は昨夜のことは引き摺っていないように装っている。
気にしたってしょうがないことだからと、無理に自分に言い聞かせたのだろう。
産まれた時から一緒にいる俺を舐めるなよ。
「おい。気にしてない振りはやめとけよ」
「あは。京介にはかなわないね。やっぱりばれた?」
「当たり前だ」
俺達ができることといえば何も無い。
用心するならば、朱里を一人で帰さないようにすればいいが、婚約してからは下校も一緒に帰ってきてるので問題は無いはずだ。
相手だって早々に無茶はしてこないだろう。
「……ねえ京介。明日、予定ある?」
「ああ、もう週末か。……あ、わりい。明日は部の連中と出かける予定があった」
「そうなの?」
先週、沙緒が持ってきた手伝い話。プロのイラストレーターに知人がいるらしく、イベントの手伝いをして欲しいと沙緒が頼まれたのだ。ただ沙緒だけでは人手不足で誰か手伝えないかと部で聞いてきた。
その話を聞いた菫が、部活動の参考になるかもと、どうせなら部で協力しようと言い出したのだ。
確かに多少畑が違ってもプロの活動を目の前で見る機会があるなら、部の活動としても問題は無い。
他のみんなも賛同したので、沙緒を通じて部員五人でも参加していいか聞いてもらったのだ。
相手側も人数がいてくれた方が助かると言ってくれたそうなので、こちらも勉強させて貰う立場上、迷惑をかける恐れもあるので、俺達は無償で協力させて貰うことにした。
仲介した沙緒は相手からのご褒美として、そのイベントに参加しているお気に入りのイラストレーターのサイン入りイラストを貰う手筈になっているらしい。ちゃっかりしてやがる。
「沙緒の知ってる人がイベントに参加するらしいんだ。その手伝いを頼まれてな」
「ええ、聞いてなかったなー」
「わりい。婚約した件で俺もすっからかんに忘れてた。みんなに言っとくからお前も一緒に行くか?」
そう言うと、朱里は顔をふるふると横に振って答える。
「私、部員じゃないからお邪魔虫だよ。みんなにも悪いし」
「部員もお前を知らないわけじゃないし、大丈夫だろ。それに……出来れば一緒にいろ」
「え?」
「昨日言ったじゃねえか。俺がお前を守るって。一緒にいなかったら守れねえだろ?」
「……京介」
俺、今すげえ格好いいこと言ってない? これ万人惚れるでしょ。
「京介。そういうことは、ちゃんと一緒に行けるって決まってから言わないと逆に格好悪いんだよ?」
はい、おっしゃるとおりです。誰にも確認していないうちから決めて、駄目だったら最悪ですよね。
「でも気持ちは嬉しいよ。ありがとね。今回は大人しく京介が帰ってくるまで家で待っとくよ」
そう言って俺の腕に手を絡ませて、もたれかかってくる朱里。
「……日曜日なら空いてるから、日曜ならいいぞ」
「うん。日曜まで待つから」
朱里は俺の腕をぎゅっと抱いて、屈託のない笑顔で喜んでいた。
☆
バスは定刻どおりに学校にたどり着いた。
乗ってきたバスが出発すると、駅が始発のバスがすぐさま入ってくる。
降りてくる人影の中に変態、いや茶々を見つけた。相変わらずバスを降りた途端、手鏡でチェック。
だから次の人の邪魔だから早く動けよ、お前。
動いたと思うと、とことこと壁のところに行き、鞄を漁りだす茶々。鞄の中から別の手鏡を2つ取り出して右顔をチェックして、次に左顔のチェック。
「…………ああ~ん。今日も可愛い。今日も世界に人類の宝をお披露目しないといけないのね。可愛いって罪だわ。この罪を償うにはどうすればいいのかしら?」
誰か保健室の先生呼んできてくれないか。なんなら救急車でもいい。
変態はどこに運べばいいんだ。誰か教えてくれ。
「おい」
朝っぱらから周りが引くようなことを言ってるので、思わず頭頂部へチョップしてしまった。顔ではないので過剰な反応は無いはずだ。
「あいた⁉ あ、部長。おはようです」
「おはようですじゃねえよ。朝っぱらから何やってんだ」
「儀式に決まってるじゃないですか!」
そういうと鏡を掲げ自分の顔を見るとぶるぶると身を震わせて、恍惚とした表情でのたまう。
「ほら私、こんなに可愛いじゃないですか。この罪をどう償おうかと真剣に考えていたわけですよ」
誰か助けろ。やっぱ俺にはこいつ無理だ。
まあ、確かに茶々は顔立ちからして黙っていれば超一級品だ。
さらさらで艶のある髪。小さな顔。まつ毛も長くぱっちりとした目。スタイルも悪くないし、まだまだこれからも良くなるだろう。
実際、街でスカウトされたこともあるらしい。
入学したての時はわずか一週間で二十人の男子から告白された奴だ。
茶々の変態性がばれてから(そもそも隠していないから性質が悪い)大半が茶々の事を温かい目で見るようになってしまった。
今では一年の名物女子の一人となっている。
それでも物好きな奴が付き合って欲しいと告白しているようで、部活で「可愛いって罪ね」と呟いているのをたまに見かける。その度にデコピンの衝動に駆られる俺の身になりやがれ。何度「静まれ俺の右手!」と右手を抑えたことか。
「教室に入ってやれよ」
「教室の皆さんには可愛い私を見てもらいたいじゃないですか。だから入る前にもチェックしてるんです」
そこまで周りに気を遣うなら、今の現状でも気を遣いやがれ。
「はいはい、お前の可愛さは十分に分かったし、今日も最高に可愛いから教室に行こうなー」
「あら部長にも私の可愛さが分かっちゃいました? やっぱり罪だわ。婚約者がいる人まで魅了してしまうなんて」
デコピンぶっ放してもいいかな? 昨日の2ランクくらい上の奴。
「……ほほう?」
背後から魂を鷲掴みにするような殺気立った声。忘れてはならないことを忘れていた。
やべえ、振り向くことすら怖い。声の質からしてやべえ。
俺の本能が「あんさん、これ、かなりやばいんちゃう?」と訴えてくる。
「そうなんだ京介? 魅了されちゃってんだ?」
体中の汗腺が全部開いたような気がした。やべえ。嫌な汗がだらだら出てくる。
俺の幼馴染は婚約してからというもの、かなり面倒な方向へシフトしているのをすっからかんに忘れていた。
「ああ~。婚約者のいる人まで虜にしてしまうなんて、なんて私ってば罪な女。部長が魅了されるのも仕方ないですよね。それも私が可愛すぎるから。……どれどれ。うん、やっぱり可愛い!」
おい、茶々お前、俺に追い込みかけてんのか?
わざわざ繰り返して言う必要あったの?
手鏡に映る自分見て喜んでじゃねえよ。このド変態が!
お前ちょっと黙ってろ。今俺動くと、後ろから心臓貫かれそうな気がしてなんねえんだ。
「……黙ってるとわかんないけど?」
「はっはっは。なに馬鹿なこと言ってんだ。朱里が一番に決まってんだろ」
やべえ。自分で言っておいてなんだが、誠意がこもってねえ。
怖すぎて、後ろ振り向けねえし。
「その割には新城さんしか見てないけど?」
後ろ向いたら恐ろしい顔した般若がいそうで怖くて向けないだけだ。
「は! いけない。姿見で全身チェックしなくちゃ。では部長お先に!」
茶々はそう言って駆けていった。
おい、この状況のまま置いて行くなんて、どうすんだよ。
てか、俺これからどうなんの?
どうしよう。俺の背後の気配が全然おさまってないんですけど。
「……とりあえず目から潰そっか?」
うわ怖い。この子なに言っちゃってるの?
今の言い方だと続きあるみたいなんですけど?
「いいからこっち向きなさい」
朱里は、俺の左腕を掴んでぐいっと引っ張る。
うわ。朱里さん目が据わってますけど。
どうなさったんですか。可愛い顔が台無しですよ。
まあ落ち着きましょう。人生色々あるもんです。
「言い残すことは?」
え、朱里の中でもう殺す段階まで到達してたの? 早すぎじゃない?
「ちょい待て! 誤解だ。魅了なんてされてない!」
「ほんとに?」
人を疑うのよくない。親父達もよく言ってたろう。信じあうことが大事だって。
「マジだって!」
「……わかったわ。ちょ~っとだけ半殺しで済ませてあげる」
全然わかってねえじゃねえかよ。
「京介ったら私がいるのに、ちょっと可愛い子みるとすぐに鼻の下伸ばすんだから」
おいおい、ハニーそりゃねえぜ。鼻の下なんて全然伸ばしてないから。
俺そんなキャラでもないし、部員以外の女の子と接点ほとんどねえから。
「それじゃあ、さっそく――――」
「お前まじかああああああああああああああああああああ!」
――数分後、校門前には倒れ伏す俺の姿があった。登校した生徒達は誰も気にもしないで通り過ぎていく。ああ、世間様ってのは冷たいぜ。
「くっそ。朱里のやろう。マジで手加減無しでボコボコにして置いていくとは……」
「……あの大丈夫ですか?」
俺が倒れ伏したままブツブツ言ってると、声をかけてきたのは沙緒だった。
いつの間にか公営団地からのバスが着いていたようだ。
「あ、行き倒れかと思ったらやっぱり部長ですか。おはようございます。こんな所で寝てると遅刻しますよ?」
ちょこんと俺の前にしゃがみ込んで覗き込む沙緒。
その鞄が邪魔で見えないな。どうせなら横に置かないか?
何が見えないかって? それは野暮な質問だぜ。誰も聞いてないけど。
沙緒の頭の上で竿竹が揺れ、先端だけが俺に照準を合わせるかのように動いている。お前も心配してくれてるんだよな? 万が一にも、とどめさそうとして狙ってるわけじゃないよな?
「寝てるわけじゃねえんだけどな。あいててて」
「どうしたんです? まあ、何となくわかりますが」
なに言うほどの事じゃない。単なるヤキモチやかれて半殺しにされただけだ。
理不尽だとは思うが。
「またつまらないことでも言って会長怒らせたんでしょう。婚約しても変わらないんですね」
沙緒がやれやれといった顔で言う。
「そんな頻繁じゃないだろう?」
「何言ってるんですか。先週の月曜は校舎の壁に張りついてたじゃないですか」
ああ、朱里にぶん投げられて壁にめり込んだ時の話だな。あれも痛かった。
たかだか、部活の朝練が終わった女子が体操着で走ってるのを見て、
「胸って何であんな風に揺れるんだろうな。朱里はどうなんだ?」
と聞いたくらいで「この変態が」とぶん投げられた。
「その前の週は、校舎脇の桜の木から、ぶら下がってたじゃないですか」
ああ、あの時は確か朱里にアッパーカットされて木の上までふっとばされた時だな。あの後、顎の調子が悪くなって昼飯食うのに苦労したんだよな。
あれもたかだか桜の木を下から見上げてたら、たまたま階段を昇っていた女子のスカートの中が見えて、「おいおい紫はやめとけ。派手すぎるだろ」と呟いたら、横にいた朱里に「どこ見てんのよ!」とぶん殴られた。
「毎週毎週、会長に殴られてる部長の姿見てたら、『あー今日もか』って、誰だって慣れちゃいますよ」
好きでやられてるわけじゃないんだけどな。
「本当に部長は婚約しても変わらないですねー」
沙緒がくすくすと笑いながら俺に手を伸ばして言った。
沙緒の手を借りて立ち上がり、制服に付いた土埃を払う。
沙緒と並んで下駄箱へと向かいながら話を始める。
「婚約したからといって性格が変わるって事は無いだろう? 俺様は俺様だ」
「そりゃあ、そうですけど。なんかこう、落ち着くとかあるじゃないですか」
そう言われてみれば確かにそうだが、俺は基本落ち着いてるぞ。
俺自身が騒いだことなどほとんど無いぞ。
「部長はなんだかんだと目立ってますからねー。もしかしてわざとですか?」
目立つなんて滅相も無い。俺は道の傍らに生えている雑草のようなものだと自覚している。
華々しさは無いが、生命力だけは溢れているだろうと自分で思う。
目立っていると言うのなら、それは一緒にいる朱里のせいだろう。
「俺が目立つんじゃなくて、朱里が目立つんだよ。あいつは俺と違ってカリスマ性あるからな」
「そんなこと無いですよ? 部長だって十分カリスマ持ってますよ」
「え、マジで? どういうとこカリスマあんの?」
「えっとですねー。………………あ、あれ?」
どうしよう。とても真剣な表情で考え込んでる。地味に傷つくわ。
竿竹もピコピコピコピコと小刻みに揺れているが心境的に焦っているのだろうか。
そんなに俺ってカリスマ無いの?
「あ! そうそう。ほら私が入部した時のこと覚えてます?」
沙緒が入部してきた時――。
沙緒が入部してきたのは俺が二年になってすぐの頃。
沙緒からしたら入学して二週間も過ぎた頃か。
部室に行くと沙緒が先代の部長に入部届を手渡していたのが最初の出会いだった。
「こいつが二年の菅原京介ね。馬鹿だけどいい奴だから」
先代部長が部室に入ってきた俺を見るなり、沙緒に紹介した。
馬鹿とはなんだ。馬鹿だけど。あ、あってましたね。部長正解です。
当時の漫研は、三年の部活常連組は四人。ちなみに全員女子だった。
誤解の無いように言っておくが決してハーレム状態ではなかった。
誠もいたとはいえ、女子の方が人数多いときというのは、男子にとって肩身が狭いだけなのだ。
あと週に二回ほど参加していた先輩も一人いたが、この人にはいい思い出というより、嫌な思い出しかないので、いつか再会したら報復せねばならん。
この件に関しては長くなってしまうので、また後日、別の形で語ることにしよう。
常連組は、俺の先代の部長でもある設楽先輩と先代の副部長である楠先輩。
それと春日部先輩と誠の姉でもある高塚ゆかり先輩。
部長と副部長は一つのペンネームで作品を作っている昔からのコンビで、大学に進学した今でもコンビを続けているようだ。
俺が一年の時から、ずっと世話になっていて今でも恩義は感じている。
怒られることも多々あったが、とてもよく可愛がってくれていたと思う。
春日部先輩はとても無口で肉声を聞いたことがほとんどない先輩だった。
よくぼーっとしていて何を考えているかわからなかったけど、俺にお茶菓子を分けてくれたりしたので基本いい人だった。
そして誠の姉のゆかり先輩は、この部の問題児だった。
高塚家の血がおかしいのか。
誠同様にこの女もエロかった。それに付け加えてどうしようもないくらい腐ってた。
腐り方が半端なく発酵し過ぎて、それもう終わってるだろってくらい腐ってた。
基本男二人が揃った時点で「攻め×受け」が脳内で決定されて妄想拡大が常である。
それだけならまだしもロボットに乗ってるキャラと搭乗してるロボットでさえカップリングさせてしまう程だった。
ゆかり先輩の作品の一部分を紹介すると、
「お前の中(操縦席)に入っちまったぜ? (計器が)びくんびくんしてやがる」
「いやああああ、らめえええええ。そんなこと言わないでええ」
「さて、どうしようかな?」
「じ、焦らさないで。は、はやく動かしてぇえええええええ」
と、パイロットとロボットの会話を描いたゆかり先輩の作品を見たとき異世界に行った気分になった。
その作品を見た後、俺のゆかり先輩に対する視線はシュールストレミングを見るような目に変わっていた。
ゆかり先輩はニタニタ笑っているうちはまだいいが、脳内妄想レベルがある一定を超えると突然、鼻血を噴出する。血が飛び交う部室は洒落にならん。俺の原稿と制服が何度か被害にあった。
ベタ塗りしていた原稿が血でベタベタになったときには、そのまま失血死で死んでくれないかなと、真面目に思ったものだ。部室でルミノール反応液を試してみたら、ここで殺人でも起きたんじゃないかってくらいの反応をすると思う。
そんな先輩たちがいる部活に、夏川沙緒というか弱い羊が舞い込んできた。
緊張しているのか妙に伸びたアホ毛がプルプルと小刻みに震えていたのは覚えている。
「一年C組の夏川沙緒です。アニメが大好きで私もイラストが描けるようになりたくて入部しました。よろしくお願いします」
「俺、さっき紹介あったけど菅原京介。二年C組ね。俺も経験浅いから一緒に勉強していこう。よろしく」
ベタな挨拶しかできねえのか俺はと、自虐的に思ったがボキャブラリが無いので仕方ない。
設楽部長から初心者らしいので面倒見るように言われ沙緒を預かった。
「漫画は画力もいるけど、話も作れないと駄目だからな」
「え? 漫画?」
目の前で沙緒が硬直する。妙に伸びたアホ毛がギギギとぎこちない動きをし始めた。
妙に気になるな、このアホ毛。
「そうだよ。ここは漫研だから漫画に決まってるだろ?」
「……あは、あははは」
「……もしかして隣のアニ研と間違えた?」
ビクッとする沙緒とビクビクッと動く妙に伸びたアホ毛。お前ら別の生命体だろ。
「あー……やっぱ間違えたのか。しょうがねえ。ちょっと待ってろ」
沙緒に代わって設楽部長に事情を説明すると、設楽部長はがっかりしていたが、とりあえず来たついでだから向こうに連れて行く前に見学していって貰うことにした。
「うちとアニ研は似てるところもあるからな。新入部員が増えなくて残念だが、あっちとはお互い仲もいいし、向こうに行ってもよろしくだ。あとであっちの部長に紹介するわ」
「すいません。勘違いとはいえ、ご迷惑おかけします」
「気にすんな。勘違いくらい誰にだってある」
その後、沙緒に漫研が過去に作ってきた部誌を見せて、俺が知ってる範囲の技術的な話をした。
「へー、一つの作品作るの大変なんですね?」
「俺も自分で作るまでわからなかったけどな。まあ、作るのは大変だけど出来上がったときは嬉しくもあり悔しいもんでもある」
「嬉しいのは分かるんですが、なんで悔しいんです?」
「あーすればよかったとか、もっといい表現があったとか粗がわかっちゃうんだよ。まだまだ修行が足りないと実感するんだ」
「へー」
感心したように言う沙緒。随分と素直な子のようだ。
あまり時間を取るのも可哀想だったので、ここらで切り上げて沙緒を隣のアニ研へ連れて行くことにした。俺の後ろをついてくる沙緒の頭の上で、妙に伸びたアホ毛がゆら~りゆら~りと揺れている。
「ここがアニ研の部室。まあ、隣だからいつでも遊びに来てくれ。うちはいつでも歓迎するぜ。血が飛びかうこともあるけどな」
どんな文化系の部室なんだよ、と自分で心に突っ込んでしまう。
アニ研の部室のドアを開けようとしたら沙緒が俺の制服をくいっと引っ張った。
「先輩。わたしやっぱり漫研に入部します!」
「はあ? お前マジでそれ言ってんの? アニ研じゃなくていいのかよ?」
「やりたいことは近いんです。……それに先輩の話聞いて漫画作るのに興味持ちました。私も……漫画作ってみたいです!」
強い眼差しで見つめてくれるのはいいんだけどさ。今の俺はお前の頭の上のアホ毛がドリルみたいになってるのがとても気になるんだわ。そいつ絶対自分の意思あるよね? もしかして寄生されてる?
まあ、ともあれこうして夏川沙緒は、俺の可愛い後輩第一号として漫研に入部した。
「ああ、お前が間違って入部してきた時だよな」
「あの時の部長はなんか格好よく見えましたよ。頼りになりそうって」
「おいおい「あの時の」ってか。今はどうなんだよ?」
「自分の胸に手を当てて聞いて見て下さい」
そう言ってふふっと笑う沙緒。その頭の上で竿竹も先端だけがピコピコと揺れていた。
下駄箱にたどり着いた俺と沙緒。そこで待っていたのは見たくない光景でした。
ちなみに見たくないのは俺限定で、沙緒は少しずつ俺から距離を取っている。
竿竹はやけに縮み上がっているけれど、その気持ちは俺もよくわかるぞ。
俺もできることなら小さくなって見つからないようにしたい。
さて前置きはこれくらいで、俺の目に映っている見たくない光景とは、不機嫌そうな顔で腕を組んで仁王立ちしている朱里の姿だ。ここにいるということは、一応俺を待ってくれていた様子。
やってきた俺が後輩、しかも女の子と話しながら現れたからか、えらく不機嫌そうである。
眉毛辺りがピクピクしてるのがいい証拠だろう。
婚約してからと言うもの随分と怒りっぽくなったものだ。困ったものである。
さて、どうしようか。
とはいえ、俺がしたといえば部活の後輩と話しながらの登校だ。
悪いことなどしていないのだから、やはりここは正々堂々と声をかけるのがいいだろう。
「おー、朱里。待っててくれたのか――――――ぐは!」
いきなりのボディブロー炸裂。良いの持ってんじゃねえか。ってこのネタこの間やったわ。
――――現在、肉体的教育指導実施中。
「――さて、すっきりしたから先いってるね」
「――ああ、俺も回復したら行くわ」
下駄箱の中に頭を突っ込んだ状態で答える俺。言っておくが自分で突っ込んだんじゃないぞ。
説明は省くが、俺の幼馴染である婚約者のせいだ。
ところで、この下駄箱使ってる奴、足臭いぞ。
消臭スプレーちゃんとやっとけ。
おかしいな。婚約してから朱里からの攻撃が減る予定だったのだが、逆に増えてるのはどういうことだ。朱里が面倒な方向へシフトしているのが問題だ。もしかして、今までもそんなことがあったのだろうか。思い浮かべてもピンとこないのだが。
さて、そろそろ身体も動けるようだし、この臭い下駄箱から移動しようか。
「あ、あれ? 抜けん」
困った。しっかりはまりすぎて頭が抜けない。あいつどんだけ勢いよく突っ込ませたんだ。
よく入ったな俺の頭。
臭い、狭い、暗いの三重苦に、いい加減嫌気がさす。
そのうち「暗いの怖いよ狭いの怖いよ~」といって下駄箱を破壊したくなる気がしてきた。
――トントンと誰かが俺の肩を叩く。
すまねえな、顔が見れないから誰か分からないが、助けてくれないか。
もしかして、この下駄箱の持ち主か? 助けてくれたらお前もここにぶち込んでやるよ。
「……部長。大丈夫ですか?」
この声は沙緒だな。まだいたのか。
俺が肉体的教育指導を受けている間に行ったとばかり思っていた。
「沙緒か。抜きたいのだが抜けんのだ。すまんが、ちょっと身体を引っ張ってくれ」
「ちょっと待ってくださいね。えーと」
俺の身体にしがみつく沙緒。むにゅっとした感触が背中に当たる。
沙緒、お前いいもの持ってんじゃねえか。無いと思ってたけど、意外とあるんだな。
そんな邪念に気付かず、俺を助けようとぐいぐいと引っ張る沙緒。
俺も邪念を捨て、自分でも抜こうと踏ん張るが、なかなか思うように力を入れられず悪戦苦闘していた。
何度か挑戦したが、なかなか抜けない。
「はあ~、ちょっと休憩」
疲れたのか、抱きついたまま俺の背中にもたれかかる沙緒。
別に休むのはいいんだけどよ。邪念が復活しちゃうだろ?
ハァハァ言ってるけど、なんかちょっとその声いやらしいよ?
「はぁ…………ねえ、部長。部長は婚約して良かったんですか?」
「何だよ唐突に」
「だって、婚約しても部長達、全然変わらないじゃないですか」
「お互い実感が無いだけだ。形式上なものってのもあるしな」
まあ、ちょっとは進展あるんだけどな。それは言えないってだけの話で。
「部長……婚約破棄してもらっていいですか?」
はい? 何で?
「おいおい、いきなりなんだよ。何で婚約破棄しなくちゃいけないんだよ」
「こんな所で、しかもこんな状態で言うのもなんですけど。私部長の事好きだから」
「は?」
「私、入部した時から部長のこと好きですもん」
「ちょい待て! お前そんな素振り全然見せたことが無いだろ!」
変に力が入り、下駄箱からすぽっと頭が抜ける。そんなことはどうでもいい。
「あ、抜けましたね。おめでとうございます」
「そんなことどうでもいい。今言ったのマジか?」
「嘘です。婚約者がいるのにそんなこと言うわけないじゃないですか。頭を抜くために部長を焦らせてみようと思っただけですよ。まんまとひっかかりましたね」
ニコッと笑う沙緒だった。
「抜けたので私も教室に行きますね。それじゃあ、また部活で」
そうして沙緒は去って行ったが、とても気になった。
沙緒は笑っていたけれど、竿竹が根元から毛先までヘナヘナとしていたからだ。
俺を引っ張るのが疲れてたからか、だけど気になった。
沙緒の元気がない時、空元気を出してる時、竿竹はああいう感じだ。
去年の秋、沙緒のお母さんが入院した時もあんな感じだった。
文化祭前で忙しかった時に、沙緒は俺たちに部活を休むこと言い出せずにいた。
春日部先輩が竿竹の異変に気付いて、そのことが分かったんだった。
気付けなかった俺は、それからというもの沙緒と竿竹をよく見るようにしていた。
もしかして沙緒……本当は笑ってなかった?




