いきおいよく3-1
俺と朱里が、婚約してから三日目の朝。
またもや、身体を揺すられる感覚が俺を襲う。
どうやら、もう朝のようだ。
昨日の夜は風呂を出てからも、イラストを描いていて寝るのが遅くなった。
睡眠時間の短さからか、身体がだるい。
そう揺すらなくても分かってるよ。でも、あと五分寝かせてくれ。
また、頬が引っ張られる感触。
なんだよ。よく伸びるからって今日もかよ。
本当に良く伸びるだろ。マジで自慢なんだぜ。
次に布団が捲られるが、それぐらいではびくともしない。
今日はマジで眠いから、ギリギリまで粘ってやる。
パンチが来るまでは耐え切ってみせる。
昨日はキスされたが、顔に近付く気配を感じたら起きればいい。
べ、別にまたキスしたいなんて思ってるわけじゃないんだからね!
と、誰かにツンデレとこう。
ベッドが少し揺れて、ギシギシと音を立てる。
朱里が近付いてきてるのだろう。
マジで、今日もキスしようって気か。
しかたない。甘んじて受ける準備をしてやろう。
さあ、こい。俺はいつでも準備オッケーだ。
んん? 何か急に、金縛りでもあったかのように重苦しい。
耐えられないほど重いわけじゃないが、何だか息苦しい。
特にお腹のあたりが――――柔らかいものが乗ってる感じ。
でも、心地よい柔らかさで温かみがある。
うっすら目を開けてみると、俺の上に跨った朱里の姿があった。
もしもし朱里? お前、何で俺の上に乗ってんの?
お前のお尻、超柔らかいんですけど。
「おまえ、なにやってんにょ?」
思わず目を見開くほど、驚いてしまった。
驚きすぎて「にょ」なんて言っちまったよ。
じーっと、俺を見つめる朱里の目が、やけに艶っぽい。
「起きない京介がいけないんだからね」
そう言って倒れこみ、俺に上半身を預けてくる。
え? と? どうなってるんだ!?
朱里に抱きつかれてるんだけど、俺、どうしたらいい?
抱きしめ返したらいいの? それとも爆発した方がいいの?
鼻先に朱里の前髪が触れて、くすぐったい。
朱里がもぞもぞと動くから、余計にくすぐったい。
ちゅっと、俺の首筋に音と刺激がした。
それと同時にぞくぞくぞくと、全身にくすぐったさが広がる。
身体に密着されて、女の子特有の柔らかさが伝わっている。
胸とか、太ももとか、お尻とか、むにむにしてて、超やばい。
その柔らかさと色々な刺激で、俺の下半身が戦闘態勢に入っている。
「ちょちょちょちょ、ちょっとまった!」
慌てた俺は、朱里の肩を押さえて起こす。
「早く起きないと、もっとしちゃうよ?」
恍惚とした表情というか、妙になまめかしい表情の朱里。
「起きる! 起きるからどいてくれ!」
俺の慌てた姿を見て、朱里はしてやったりと微笑んで、俺の上から降りた。
「はい。それじゃあ、起きて起きて」
朱里に手を引っ張られ、ベッドから降りた俺は、まともに立ちあがれない。
だって、アレが元気になり過ぎて、凶棒化してるから。
「なんで、そんな前屈みに――――」
そう言いながら、朱里の視線は俺の股間に移って行った。
「……京介。――おっきくなってるよ?」
朱里は口元を押さえて驚いたものの、視線は股間に固定されたままだ。
見るな! 言葉に出すな!
「しょ、しょうがねえだろ。男ってのは朝はそういうもんなんだ」
俺がそう言うと、朱里はにやっと笑って、俺に耳打ちした。
「私でおっきくなっちゃった?」
殺せ! 俺を殺してくれ! いっそ殺してくれ!
「意地悪はここまでにしてあげる。早く降りてきなさいよ」
そう言って、俺を弄んだ朱里は、部屋を出て行った。
お前、立たすだけ立たしてどっか行くなんて――こういうの、生殺しって言うんだぞ?
さすがに、朝から賢者タイムを迎えるわけには行かない。
もし行為に及んでいる時に、朱里が来てしまったら俺は死を選ぶかもしれない。
凶棒化した暴君を、数学の公式を思い浮かべて鎮める。
少し時間はかかったが、暴君がおさまったのを確認してからリビングに移動した。
リビングでは、お袋と朱里が弁当を詰め込んでいる。
いつもの朝と変わらぬ風景だ。
俺はそのまま洗面所に移動して、洗顔を済ませリビングに戻った。
朱里の姿を見るたびに、さっきの朱里を思い出してしまい、ドキドキする。
また暴君が目覚めてしまいそうになり、数学の公式を思い浮かべまくる。
「にーちゃん目が遠いよ?」
目の前に座って朝食を摂っている妹の美希が、不思議そうな顔で聞いてくる。
「いや、なんでもない。気にしないでくれ」
「変な、にーちゃんだね」
妹よ。にーちゃんは生殺しがどれだけ辛いか、思い知ったぞ。
できれば、一生知りたくなかった。
朝食を終え、学校に行く準備もできた俺達は、学校行きのバス停へと向かう。
朱里が、すすっと俺の横に来て、俺の腕を取って絡めてくる。
今日は朝から何だか積極的な朱里だった。
「あ、朱里。朝っぱらから恥ずかしいんだけど」
「婚約者なんだから、いいじゃない」
と、昨日と同じように軽く笑った。
「私に欲情して立っちゃったくせに」
「そ、そういうこと、口に出すなって」
危なく舌噛んで自害しそうになったじゃねえか。
「お前、俺だって男なんだから、そんなことしてると襲っちまうぞ」
「京介ならいいよ。私の処女あげる」
――――マジ?
「ばーっか。そんなすぐに、あげるわけないでしょ。エロ京介」
どうやら、朱里に弄ばれているようだ。
俺はこれから先、何度も生殺しを味わうに違いない。
それなりの覚悟と、煩悩を払う修行もしておこう。
☆
俺たちを乗せたバスは定刻どおり学校前に着いた。
俺達の他、乗り合わせた数人の生徒がバスを降りて学校に向かう。
学校前に停車するバスには複数の路線がある。
そのうちの一つが、俺たちの利用しているベッドタウンからのバス。
もう一つは駅前発のバス、残りの一つは公営団地方面からのバスだ。
部員達でいうと、菫と茶々は駅前からのバスを利用している。
沙緒は公営団地からのバスを利用。
誠は家が近いので徒歩組だ。
俺達の乗っていたバスが出ると、すぐに駅前からのバスが到着した。
バスから菫と茶々が降りてくるのが見えた。
おい変態――いや、茶々。
手鏡を見ている間にさっさと降りろ。後ろがつかえてるぞ。
「あら、部長、それに会長も。おはようございます」
菫が俺達に気付き、朝の挨拶をしてきたので俺達も返す。
茶々も遅れたが、同様に挨拶してきたので返礼。
いつも早い菫にしては今日は遅い登校のようだ。
俺たちは、いつも同じ時間に登校しているので、朝にあまり菫と会うことは無い。
「朝から婚約者と一緒に登校なんて、随分と熱いですね」
「婚約する前から一緒に登校してるだろ?」
「ああ、そうでしたね。てっきり、婚約していることを自慢したいのかと思いました」
菫の中の俺って、そんな嫌味な奴に設定されちゃってるの?
「今日はいつもより遅いんだな?」
「あれのせいです」
変態、いや、茶々を指差す菫。ああ、納得。
「駅の一角に、鏡に囲まれた場所があるのですが、そこで固まっていまして……」
なんだ、その茶々のためにあるような聖地は。
それは茶々ホイホイと同じじゃないか。
今度、部室に作ってみるか……いや、やっぱりやめよう、本人が喜ぶだけだ。
「それはご苦労。よく諦めさせて連れて来れたな」
「私ですよ?」
菫の目が冷酷極まりない、既に数人殺しているかのような目に変わる。
主人探しに来て暴れまわった、はた迷惑な殺人メイドと同じくらい怖いわ。
さすがの茶々でも、抗うことは出来ないだろう。
人生を終わりにしたいのなら話は別だが。
当の茶々は茶々で鞄から取り出した手鏡を色々な角度に変えて、自分の顔を映しては恍惚の表情を浮かべて訳の分からないことを口走っている。
「うん。どの角度から見ても可愛い。超可愛い。超可愛すぎてペタ可愛い」
朝っぱらからそれはやめろ。
日本語も怪しいぞ、お前。
自分で色々台無しにするな。
変態だからしょうがないのか?
ちなみにペタって千兆だけど、洒落なの?
――――突然、俺の右腕がぎゅうっと抓られる。
「いてっ! 何だよ、朱里!」
見ると、朱里の目が少し怒っている。
この感じは久しく見たことが無い目だ。
朱里は温厚な性格なのであまり怒らない。
朝の鉄拳制裁だって、別に怒っている訳ではない。
あんなの、怒ってる部類に入らない。
朱里が本気で怒った時は、俺なら核シェルターに避難したい。
「なんで新城さんのこと、じっと見てるの?」
朱里は二人に聞こえないように、小さく囁いた。
「朝っぱらから気持ち悪い事を言ってるから、残念な奴だと見てただけだ」
「ああいう子がいいの?」
朱里? 突然どうしたんだ?
お前、昨日だって平気だったじゃないか。
キャラ変わっていませんか?
なんで、そんな急に嫉妬深いキャラになってんだよ?
普通、こういうのはぶれちゃいけないんだぞ?
「そういうのじゃないって、それに俺は朱里の方が……」
俺がそう言うと、朱里は顔を赤くして照れくさそうに俯いた。
「そ、そう。そ、それならいいの。うん。ごめん」
「――どうしたんですか?」
菫が俺たちのやり取りを見ていて、不思議そうに聞いてきた。
「いや、朱里が、俺の態度が悪いって、抓ってきただけだ」
「おやまあ、仲が良いことですね。そういうのは何処か別の所でやってください」
菫は淡々と言うと、一度頭を下げて「それでは」と校舎に向かっていった。
茶々はというと、大きな手鏡に持ち替えて、自分の顔をじーっと眺めている。
お前、毎朝そんな事やってるの? 教室にたどり着くまで何分かかるの?
持ち物検査したら、何個くらい鏡出てくるの?
「おい茶々。そんなことしてると遅刻するぞ。さっさとしまって、早く行け」
「部長には大事な儀式っていうものがわからないんですか? ああ、今の顔もいい!」
うん、悪かった……お前に言うのって、ものすごく無駄な事だった。
俺と朱里が可哀想な変態を見ていると、市営団地方面からのバスが到着した。
バスから降りてくる生徒の群れの中に、ゆらゆら揺れる竿竹が垣間見える。
左に揺れてピコピコ、右に揺れてピコピコ、まるで周りに、やあやあと挨拶しているようにも見える。
人の群れで宿主の顔はまだ見えないが、宿主である沙緒が群れの中にいるのだろう。
少しして群の中から沙緒の顔が見えた。沙緒も俺達に気付いたようだ。
「あれ、部長に会長――おはようございます。何やってるんですか?」
竿竹が頭の上で、はてなマークにそっくりな形を作る。
何度見ても、不思議なアホ毛だ。
「ああ、これをどうしようかと」
鏡の角度を変更しては恍惚とした表情を繰り返す変態を指差した。
「ああ、簡単じゃないですか。茶々、そんな小さい鏡より、通路に大きい姿見があるわよ」
沙緒がそう言うと、茶々の目がキランと輝き即座に反応した。
「あああああ! そうでした。それでは、さっそく行って参ります!」
そう言うなり、茶々は猛ダッシュで走り去ってしまった。
「ほらね」
沙緒。お前、いつの間にあいつの扱い方そんなに慣れたんだよ。
竿竹もふんぞり返ってる様に見えるけど、自慢してんのか?
その後、沙緒と分かれ、俺と朱里が校舎内で見たもの――――
それ、見えてないだろってくらいの至近距離で、姿見と向かい合う茶々の姿。
もう、変態に関わる事は諦めよう。
「朱里、行こう」
「うん」
こうして、姿見の前で固まっている茶々を一人残して、俺達は教室に移動した。
きっと、変態のことだ。予鈴がくるまで動かないことだろう。
☆
ここで、うちの部員達のクラスも紹介しておこう。
俺と同じ三年の誠はB組。俺よりも頭がいいのはどういうことだ?
二年の菫はA組。学年トップクラスであるらしい。羨ましい限りである。真面目な委員長さんタイプだし、妥当といえば妥当だ。
沙緒はC組。俺と似たような感じらしいが、あいつに好感を覚えるのは、この事もあるからかもしれない。ちなみに二年連続のC組だ。
茶々はD組。茶々は一年なので、入試の時の成績でクラスが決まっている。きっと試験勉強の時に鏡を見すぎて勉強が足りなかったせいだろう。まあ、変態だからしょうがない。受かっただけでも良しとせねばなるまい。
まあ、こんな感じで、我が部員たちはE組に誰も所属していない。
E組は成績の悪いものが集まっているので、おのずと柄の悪いやつは多い。
だが、うちの学校は他の高校と比べると、非常に大人しい学校で、よそ様に迷惑をかける奴はいない。(そんな噂を聞いたことがない)
どちらかというと、E組は愛すべき馬鹿者どもの巣窟になっている。
お祭り好きの奴らは、三年が主体となって、一年と二年のE組を巻き込み、E組で連合を組んで、体育祭や文化祭を毎年盛り上げる。
まるで、それがE組の宿命であるかのように。
結果として、E組連合のおかげで、我が学校の行事は、生徒にとって忘れられない楽しい思い出になっているのだ。
学年が進級するたびに、約二割の生徒がクラス替えの憂き目に立つ。
下から上がってきたものは誇らしげだが、落ちてきたものは憂鬱そうに新学年を迎える。
特に、一年から二年への進級時は、下克上のような大変動が毎年起きる。
入試結果が悪く、入学当初はE組だった生徒が、一年間の努力で二年進級時にはA組になるという快挙を成し遂げたりする。
そういう奴は、E組から英雄的象徴として扱われるのも有名な話だ。
E組を抜け出た者は、一年間、E組で過ごした事が、なんだかんだと楽しかったのだろう。E組集団がする行動に非常に寛容的だ。
うちのクラスにも、元E組が数人いるが同じように寛容的だ。
E組の奴らは一度でも仲間になった者を、クラスが変わっても変わらぬ対応をしている。それがE組特有の絆なのだろう。
だからなのか理由はわからないが、基本クラス替え直後は、ナーバスな時期になるのだが、それも一ヶ月もすれば、今までのは一体なんだったんだと何もなかったように慣れてしまう。
とりあえず、平和すぎる学校で、平和すぎる生徒達なんですよ。
教室へ向かった俺と朱里は、いつものようにC組前で分かれる。
いつものことなのに、今日の朱里は、なんだか名残惜しそうな顔をしている気がした。
「京介、今日も一緒に帰ろうね」
「あ、ああ。わかった。俺が先に終わったらどうする?」
「それは無いと思うよ。それじゃあね」
朱里が小さく手を振って、A組に向かうのを見届けて、俺は教室に入った。
C組の教室内に入り、クラスメイトに挨拶を送ると、温かく皆が返してくれる。
このクラスの半分以上が、三年間一緒に過ごしてきた奴らだ。
顔馴染みが多いせいか、俺自身、クラスでも気楽に過ごせている。
俺も男子とつまらない世間話で盛り上がったりもする口だ。
自分の席へと移動する。運動場側の窓際で一番前の席が俺の席だ。
さあ、今日も平和な一日が始まる。
☆
二時限目終了後の休み時間。
後ろの席の小林が、俺の背中をつんつんと突いてきた。
「なあ、ちょっと聞いたんだけど、お前婚約してるんだろ?」
どこから聞いたか知らないが、いつの間にかクラスに噂が流れているようだ。
SNSやちょっとしたサイトでも情報をやり取りする時代だ。
俺も部員には報告したし、朱里も少なくとも親しい友人には教えただろう。
いいかげんクラスメイトの耳に入っていても、別におかしくは無い。
隠し立てしないってのが、朱里との約束だったからな。堂々と答えよう。
「ああ、婚約って形になってる」
「相手は兵頭なんだろ?」
「そうだ」
「じゃ、じゃあさ。もうやった?」
おい、小林。興奮するな。お前の意図が見え見えだ。
「まだに決まってるだろ」
「なんだつまんねーな。このチキン野郎」
この小林、元E組である。
このクラスでも、なにかと祭りごとの中心にいる。
元E組のなせる業なのかもしれない。
「お前それどこで聞いた?」
小林は携帯ゲームに課金しすぎて、親に使用止めされた、愛すべき馬鹿である。
携帯事情を踏まえると、小林の集める情報と言えば、噂を直に聞くらいしかないはずなのだ。
一応、聞いておくことにした。
「お前聞いてないの? 兵頭が一昨日の朝のHRで発表したそうじゃないか」
え?
「いやー、うちのクラスでもお前が言うかなって、みんな待ってるんだけどさ」
ちょっと待て。
確かに隠し立てしないという約束だが、発表は違うだろ。
朱里、そこまで自分自身を追い詰めないといけない事なのか?
俺はふと、小林の背後にいるクラスメイトの目を見てしまった。
みんな好き勝手にバラバラにいるが、視線だけが俺に集まっている。
おそらく、小林が口火を切ることを、みんなに告知していたのだろう。
いかにも俺を『さっさと告知しやがれ。この童貞チキン野郎』と蔑むような目で見ていた。
誰もそこまで思ってないかもしれないが、俺の被害妄想が止まらない。
なに、この疎外感。
告知する義務は俺に無いはず。
そりゃあ、聞かれたら答えるぞ。隠し立てしないのが、朱里との約束だからな。
だが、俺には自ら進んでクラス全員に告知する勇気なんぞ、持ち合わせてなかった。
だからこそ、朱里には部員には公表することで納得してもらったんだ。
「おい小林」
「なんだよ。お前も発表するのか?」
「いや、そんなことしなくても、もうクラス全員知ってるんだよな?」
「ああ、知ってる。全員もれなくだ」
「いつからだ」
「一昨日、朝のHRからに決まってるじゃねえか」
当日かよ! 時系列とか、空間とかおかしくない? ここC組だぞ?
なんでA組の事がリアルタイムに知れ渡ってんのよ?
「菅原……今の時代。情報なんか、一瞬で校内巡るんだぞ?」
携帯使用止めにされてるやつの口から、そんな話聞きたくなかった。
「俺、学校が怖くなってきた。てか、お前らが怖い!」
俺が部活に行く前には、すでに知れ渡っていたのか。
でも、そうしたら、何でうちの部員は誰も知らなかったんだ?
「安心しろ。情報操作して、お前の所の部員には、伝わらんようにしておいた」
「ますます怖いわ! しかもなんで俺の考えてたことまでわかるんだよ!」
「菅原……俺達は悲しいんだ。お前と俺達C組の絆って、そんなもんだったのかと思うとな」
「ど、どういう意味だ?」
「お前の口から聞きたかったって事だ。だから、俺達は待っていた。だが、当のお前ときたら……」
悲しそうな表情を浮かべ、腕で涙を拭ったのか、目をこする小林。
だが、俺は見逃さなかった。一瞬だけだが、あいつの口端が吊り上ったことを。
見えた。こいつら退屈だからって、俺で遊ぼうとしてやがる。
だが、こいつらが待っていたのは事実だろう。痺れを切らしただけで。
分かった。そんなに知りたいなら、堂々と発表してやるよ。
それが俺とお前らの絆の証だ。
俺は席からすっと立ち上がり、皆に宣言した。
「お前らよく聞け。俺こと菅原京介は、三年A組の兵頭朱里と婚約した! これは嘘偽りない事実だ」
クラスがシーンとなった。皆が俺を注目している。
なんだよ。望みどおり発表してやったんだ。祝えよお前ら。
男共が無言で近付いてくる。祝いの胴上げか?
一度やってもらい――『ドス!』
「ぐはあ!」
いきなりボディブローが炸裂。ついで足払い、次に肘が落ちてくる。
ありとあらゆる角度から、拳、肘、手刀が襲い掛かる
さらに、膝、足刀、踵、顎も飛んでくる。
ちょっと待て、顎はおかしいだろう⁉
さらに危険な奴もいて、目潰ししようとする奴までいる。
本気だ、こいつら!
「てめえ、ふざけんじゃねえぞ」
「あんな美人と婚約だなんて、俺らが許すと思ってんのか。あ゛あ゛⁉」
「てめえはC組男子の裏切り者だ。ぶっ殺す」
ボコボコにされ放置された…………おい、絆はどこに行った?
クラスの男子にボコボコにされ、教室の入り口に放置され、あと数分は痛みで動けないだろう。
俺をこんな目に合わせたクラスの男子はと言うと、俺を放置して席につき、変わらぬ世間話をしている。婚約しただけなのに、何故こんな仕打ちを受けなくてはならんのだ。
これって、いじめだよな?
しかし、もし俺がクラスの奴と同じ立場だったなら、俺も確実に参加していただろう。
それが分かってしまうだけに、ここは耐えるしかな――――「ぐえ!」
俺が自分に言い聞かせていると、いつの間に予鈴が鳴っていたのか、次の授業の教師が入ってきた。――俺を踏みつけて。
「おや京介、こんな所で寝ていると風邪引くぞ?」
今の絶対わざとだろ? いいから足どけろよ。
言いながらも俺を踏みつけたままじゃねえか。
おい、気のせいか、ねじってないか?
「ちょっと、咲ねえ! 何ねじってんだよ。痛いだろ!」
「また咲ねえと言ったな? 幾ら親戚だからといっても、公私を分けろといつも言ってるだろう。小野寺先生と呼べ」
グリグリと足に力をさらに込める。
ヒールの踵でそれはやめろ。マジで痛い。
小野寺咲――旧姓、菅原咲。
親父の兄の娘、つまり叔父さんの娘で、従姉にあたる。
俺よりも8歳上の26歳で、我が高校の英語教師である。
苗字が俺と違うのは、大学からの付き合いである相手と、去年の春にめでたく結婚したからだ。
肩ほどまでのショートカット。今は赤いフレームの眼鏡をかけているが、実は、度が入っていない伊達眼鏡だ。キャリアウーマンでも意識してるのか、タイトスカートとワイシャツのシンプルな姿。
色気づきやがって。何かのキャラでも憧れてんのか?
それとも、旦那がそういう趣味なのか?
うちの家系にしては、美人と言われる部類だが、俺にはそう見えん。
みんな眼球取り出して、よく洗った方がいいぞ。
咲ねえは美人じゃない。擬態しているだけだ。
よく見ろ。メイクが濃いだろう。ああやって、誤魔化しているんだぞ。
女子生徒はそこんとこ学ぶと、咲ねえと同じように相手を騙くらかして結婚できるかもしれん。
それより問題なのは、この人が俺の天敵でもあり、仇敵でもあることだ。
俺の切実な願いとしては、早くどっかに転勤させてくれ。
この学校の経営者は、何を考えているのか。
俺の入学と同時にこの高校に雇いやがった。
おかげで、俺は咲ねえに色々と目を付けられる始末だ。
昔からこの人は俺に対して容赦が無い。
朱里にはとても優しいのに。
男嫌いかと思っていたら、その矢先に結婚しやがったから、そうではないようだ。
つまり、俺個人の事が嫌いなのだろう。
そうでないと今までの仕打ちに納得できん。
「お前、朱里と婚約したんだろ? そんな不甲斐ない態度してたら捨てられるぞ?」
そういえば、咲ねえは朱里のクラスの副担任だった。
知っていてもおかしくは無い。
グリグリと、俺を踏みつける表情がどこか恍惚としているように見えるのは、俺の気のせいじゃないな。咲ねえが俺をいじめるときは、昔からこんな表情だった。
まだ俺があどけない瞳をしていた幼い頃、俺が『やめて』と泣き叫んでいるのに、咲ねえは俺に電気あんまをし続けたっけか。嫌な思い出だ。
たかだが、叔父さんと一緒に遊びに来ていた咲ねえの入浴中に、俺が捕まえてきたバケツいっぱいのカエル数十匹を放り込んでから、出られないように風呂場の入り口を塞いだくらいで、その報復にしてはひどかった。
そして、また幼い頃、蓑虫みたいにロープでぐるぐる巻きにされて、ベランダで吊り下げられたこともある。これもまた嫌な思い出だ。降ろせ降ろせと泣き叫んでいるのに、咲ねえは「謝れ」と言い続けたっけ。
これもたかだか、咲ねえが寝ている間に、ベッドごと縛りつけて、動けないようにしてから、カマキリとかバッタとか、雑多な昆虫を大量に枕元に放り込んだだけなのに。器の小さいやつめ。
そういえば、そのどっちも最終的に朱里が助けてくれたんだった。
あいつは、本当にいい性格だよな。
攻撃には報復をと、幼き頃から血で血を洗う戦いを繰り広げた相手が権力を持ってしまう。これほど恐ろしいものはない。
教師になった咲ねえは事あるたびに、俺をいたぶったり、雑用を言い渡してくる。
だが、俺とて負けられない。相手が権力をもったにしても報復は報復だ。
俺を踏みつけたことを後悔するがいい。先に仕掛けたのは咲ねえ何だからな。
攻撃には報復を。身内だからといって、俺も容赦はすまい。
「ほら、いいからっさと席に戻れ。授業始めるぞ」
「わかったよ」
すれ違いざまに仕掛けを施す。
ちなみに、この技は門外不出なので絶対に教えられん。
授業が始まり、しばらくしてトラップ作動。
咲ねえが黒板に書いている最中に、仕掛けを施したスカートがストンと落ち、咲ねえの下半身を露出させた。
「え? きゃあああああああああああああああああ!」
一瞬何が起きたか分からなくて呆けた咲ねえが、似合わない可愛い悲鳴を上げてしゃがみ込む。
ほぼ同時に――――沸き立つ男子の声と女子からのどよめき。
「うぉおおおおおおおおおおおおお!」
「小野寺先生セクシー!」
「えっちぃ下着だ!」
「あれで旦那様誘惑してるのかしら?」
黒いレースの下着と、ガーターベルトで固定された黒のストッキング。
随分と色っぽい格好じゃないか。
咲ねえ、普段からそんな派手な下着はいてるの?
ガーターベルトって、俺、初めて生で見たよ。
慌ててスカートを戻しながら、この世の憎しみを全てぶつけるかのような眼差しで、俺を睨んで叫ぶ。
「き、京介、きさまああああああああああ!」
――――くっくっく。後悔したか?
しかし、なんで俺がやったってすぐに分かるのかな?
腹を抱えて笑ってるの俺だけだからか?
10分後――――ハムスターがエサを頬張ったように、俺の両方の頬は腫れ上がっていた。
出席簿は顔を叩くためのものじゃないぞ。まったく。




