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いきおいよく6-4

 俺と豪一郎はそれぞれ手当てを受けて、親父達のもとへ集合した。

 朱里と菫も目を覚まして、今は大人しく座っている。

 親父さんにぼそぼそと何かを話していたみたいだが、内容は分からなかった。

 そのあとの朱里は随分と沈んだ様子で俺と目も合わせてくれない。

 俺を殺そうとしたことへの罪悪感がそうさせるのだろうか。


 部員の中で今日大活躍だった菫の様子もおかしい。


 状態を見ようとして、俺が近付こうとすると顔を真っ赤にして、

「こっちにこないで下さい。殺しますよ」

 と、制止された。

 守るとか殺すとかどっちなんだよ、お前は。


 全員が揃った所で親父と親父さんが土下座して謝ってきた。


「すまん。俺達が逃げだしたことが全ての引き金だ。京介の言うように俺達が立ち向かっていれば、未来は変わっていたかもしれない」


 豪一郎も俯いて何も答えずにいた。

 まだ心の整理が着かないのだろうか。


「俺達はこれから本家分家を回って説得を試みる。この争いに終止符を打つために」

「もう悲劇はいらん」

 親父達の言葉を聞いて豪一郎は顔を上げた。

「……私もお供します。……一馬と成し遂げたかった夢ですから」

 豪一郎がぼそっと呟いた。だが、その目は目的を得た強い目に見えた。

 澤田祥子がそっと豪一郎の手を強く握り、嬉しげな顔を見せた。

 この二人はいい夫婦になるような気がした。 


 親父さんは俺に向きなおり、真剣な表情で口を開く。

「……京介と朱里の婚約は一旦無かったことにさせてもらう」

「親父さん、それはちょっと違うんじゃないのか?」

「いや、朱里からたっての願いだ。わかってやってくれ」


 俺は驚いて朱里の顔を見たが、相変わらず俯いて俺と目を合わせてくれない。

 朱里は罪悪感に囚われているのだろう。一馬のこと、俺の事、死に関係したこと。

 俺との婚約を破棄することを願ったが、本当にそれでいいのか?

 問いかけたくなったが、今の朱里には何を言っても無駄な気がした。

 

「……わかった。その話は後で詰めよう」


 俺達が会場から移動し始めると、会場内のあちらこちらで黒スーツが撤収作業を行っていた。

 すごい人数いるけど、これって分家達なのか?

 俺が思っている以上に両家は大きいのかもしれない。


 駐車場に戻ってきて、親父達と朱里は別の車で先に家に戻ってもらうことにした。

 お袋達も心配しているだろうし、今は朱里もそっとしておいて欲しいだろう。


 俺は部員達を送っていく別の車に便乗することにさせてもらった。

 騒動に巻き込まれたのだから、それぞれ送って行ってやりたいからだ。 

 特に菫は、朱里との勝負で顔を腫らしてしまっている。

 今も濡れタオルで顔を冷やしている状態だ。

 怪我をしたのだから、菫の両親に謝罪せねば部長として申し訳ない。

 

 俺は部員達が乗ってきた白いワゴン車に一緒に乗り込んだ。

 一番後ろに菫、茶々が座り、真ん中の席に誠、沙緒、最後に俺が乗車。

 車は静かに走り出して、イベント会場を後にした。


 俺は部員達に謝った。騒動に巻き込んだこと。

 沙緒は「いいネタ拾いました」と、俺に気を遣ってくれた。

 誠は「今度何かおごれ」と、ぶっきらぼうに気にしていない素振り。

 こいつなりに気を遣ってくれているのだろう。

 茶々は「かがみ~、鏡はどこ~?」と枕を抱いて発作を起こしてる。

 末期の中毒患者のような状態だ。このまま与えなかったらどうなるんだろう。

 ちょっと見てみたい気がする。


 茶々の様子を見かねた沙緒が自分の鞄から小さな手鏡を茶々に渡す。

 鏡を見た途端、顔のチェックを始める茶々。こいつ、ぶれねえな。

「はあ~ん。今日もいけてる。人類の宝ここにありだわ!」

 変態を車から落としても事件になりませんか?

 衝動的にやってみたいんだけど。


 一人顔に濡れタオルを当てたまま、静かにしている菫。

 横で茶々が騒いでいるのに大人しい。

 なんだかぼーっとしているのも気になる。


「菫」

「はっ、はい!」

 慌てて返事する菫。俺の顔を見た途端、また顔が真っ赤にして目を伏せた。


「大丈夫か? まだ痛いか?」

「だ、大丈夫です。痛みには慣れてますから。これくらいならすぐ回復します」


 目を伏せたまま答える菫。

 まあ、あまり突っ込んだこというのはやめておこう。

 必死のことだったとはいえ、目の前で俺の事好きって言ってしまったのだ。

 今は恥ずかしくて仕方ないのだろう。



 車は走り続け、誠の家前に到着した。

「まあ、よくはわからなかったが、とりあえず婚約が破談したのだけは分かる」

 いや、お前。豪一郎が散々説明してただろう。

 またエロイことばっかり考えてたんじゃないだろうな。 

「京介。とりあえず……夢見たと思って忘れろ」

 ……もしかして、誠なりに俺を励まそうとしてるのか?


「おお、そうだ。ちょっと待ってろ」

 誠は家に急いで入ると、しばらくして小さな鞄を手にしてすぐに出てきた。


「これ貸してやる」


 小さな鞄を俺に渡してきたが、手にするとずっしりとした重みを感じた。

 これは誠が集めているエロ本の類とみた。


「……ランクは?」

「神クラスだ」

 やっぱりそうか。これも誠なりの慰めなのかもしれない。


「そうか。神クラスか……。期待しとく。それじゃあな」

「貸すが汚すなよ」

「わかってるって」


 家に帰ってからの楽しみが出来た。

 だが、車に乗ったときに、沙緒と茶々からゴキブリを見るような目で見られたのは、気のせいだと思っておこう。

  

 再び車は走り出し、沙緒が住む公営団地に到着した。

 車から降りた沙緒に一声かける。

「沙緒。せっかくの休みを悪かったな」

「いえいえ。ハラハラしましたけど……結果的に丸く収まったので」

「そうか?」

「あ、でも……これからの方が大変かな」

「え?」

「いえいえ、こっちの話です。では部長、また明日」

 そう言って手を振って自分の家へと帰っていった。

 沙緒が振り返った後、竿竹が俺らに向かってパタパタと毛先だけ振っていた。

 あいつ……やっぱり別の生き物だよな?

 それはともかく沙緒は何が言いたかったのだろうか? 


 これからって、俺と朱里が婚約する前に戻ったくらいじゃないか。


 ☆


 沙緒を送った後、駅方面へと移動。茶々と菫の家へと向かった。

 駅から近くにある明るい茶色マンションにたどり着いた。

 茶々の家は今まで来たことがなかったが、ここからなら駅まで歩いても一〇分とかからないだろう。

 マンションの入り口まで茶々に付き添って送ることにした。


 車から降りた茶々は大事そうに枕を抱えて、手には沙緒から借りたままの手鏡を握っている。

 ときおり手鏡をチラチラと見てはニヤニヤとしているのところは、揺ぎ無い変態ぶりだ。

 そして、ちらっと俺の顔をみると、包帯の巻かれた俺の右手を取った。


「部長。この手、大丈夫なんですか?」


 デコピンの極みのせいで爪が割れたのだ。まあ、痛みはあるが覚悟した上だ。

 部活に影響が出るかもしれないが、繊細な作業以外ならできるだろう。


「ああ、大丈夫だ。数日したら治る」

「私が部長の分もがんばりますよ。怪我の治療優先してくださいよ」

 茶々がこういうことを言うのは珍しい。

 茶々なりに励ましてくれているのかもしれない。 


「ああ、ありがとう。今日は悪かったな」

「あんまり記憶ないんですけど、とりあえず部長が捨てられたんですよね?」

 お前半分寝てたもんね。

 てか、とことん、捨てられるってところにこだわるなお前。


「どうなんだろうな?」

 俺自身もいまいちわからないので曖昧に答えた。


 元々、口約束だった婚約だ。俺からしても棚からぼた餅のような話。

 この二日の出来事で俺と朱里の関係は元に戻った。

 いや、戻ったのかすらわからない。

 朱里はきっと自分を許さないだろう。

 今、この時も自分を責めているような気がする。

 朱里にとってもこうなるとは、思いも寄らなかったのではないだろうか。


 誤算や思い違いというのなら、俺にもあった。

 理解しているつもりだった朱里を俺はわかっていなかった。

 あいつが兵頭家の代表であることなんて気付きもしなかった。

 本気で怒った時の朱里が強いはずだ。

 俺の知らないところで腕を磨いていたのだから。

 18年間傍にいて知らないことがないなんて、とんだ思い上がりだった。


「部長?」

 茶々がきょとんとした顔で覗き込んでくる。

「ああ、いや、なんでもない」

「そうですか。では部長、また明日です」

 マンション前の入り口で、茶々は車の中にいる菫にぺこりと頭を下げてから俺にも頭を下げる。


「ああ、また明日な」

 マンションの自動ドアが開き、中に入っていく茶々を見送った後、俺は菫の残る車へと戻った。


 ☆


 茶々のマンションから五分ほど走った距離で車は止まった。

 古めだが小さな門があり、広めの庭と大きな家。

 敷地内には古びた道場がある。菫の家である。

 菫の家は旧家で、先祖代々この土地に住む。

 市内のあっちこっちに土地を持つ地主でもある。

 親が何をしているか知らないが、まあ、要はお金持ちさんなのだ。

 道場は、菫から普段使っていないと聞いて、去年の夏の合宿で使わせてもらったのが近い記憶だ。

 俺と誠が先輩方から寝る前に簀巻きにされて、朝まで道場のすみっこで転がされてたのも懐かしい思い出の一つ。あんな危険な奴らをどうにかしようなんて、俺も誠も思わなかったのに。

 誠の姉のゆかり先輩なんて俺が簀巻きにされてるのをいいことに、見えそうで見えないチラリズム攻撃をして純情な俺を弄んでくれた。おかげで俺は悶々としてしまい、朝まで眠れなかった。

 

 ぶんぶんと顔を振って嫌な思い出を意識から飛ばした後、車から降りて菫と一緒に門に向かう。

 横で顔を下に向けたままついてくる菫。足取りはしっかりしているので大丈夫のようだ。

 菫が門の呼び鈴を鳴らし、「菫です」と声をかけると門の横にある小さな扉からカチャっと音がした。

 どうやら自動鍵のようだ。

 

 そのまま菫と一緒に敷地内に入り、家の玄関へと向かう。

 玄関から和装姿の菫の母親が出てきた。菫の様子を見て、眉間にしわが寄る。

「おかえりなさい菫さん。その姿はいったいどうしたのかしら?」

「お母様ただいま戻りました。ちょっと勝負をしました」

 菫の言葉を聞いて、菫の母親の右眉がぴくぴくと動いた。

 すかさず、俺は菫の母親に頭を下げる。

「すいません。俺のせいで菫さん怪我させてしまいました」

 下げた頭越しに静かだが迫力のある声が降ってくる。

「……お話を聞きましょうか?」


 菫の母親に話を掻い摘んで説明。

 菫の母親は目をつぶって、俺の言葉をじっくりと聞いていた。


「……わかりました。娘が怪我をしたのは自業自得だからよろしいです。あなたが気にすることではありません。しかしながら、菫さんは次元流を名乗ったのですか?」

 母親は目を開くと厳しい視線を菫に向けた。


「……はい……」

 菫が小さく答える。


「それで……もしや、負けたのですか?」

「いいえ。勝敗は着きませんでした」

「……ですか。名乗った上に負けたのなら、私が相手を潰しに行かなければなりませんでした。次からは自重してくださいね」


 全身から身が凍るような気を放ちながら淡々とおそろしい言葉を口にする菫の母親。

 チラリと俺を見る目に身も心も凍りつきそうになる。

 親父たちと対峙したとき、親父が炎、親父さんには水のイメージが浮かんだが、菫の母親には絶対零度のイメージが浮かぶ。


「部長さんは菅原家の方だったんですね……。菫の相手は兵頭家の……。どちらの一族さんも古くからご縁がありますゆえ、近いうちに連絡が来ると思います。お気になさらなくても大丈夫ですよ」

 淡々と言う菫の母親。


 ふと冷気を帯びた気配が菫の母親から小さくなっていく。

 菫の母親はゆっくりと手を上げて、軽く腫れた菫の頬をそっと触れ、

「もう、女の子なのに。みだりに流派を名乗ることは許しませんからね」

 菫の母親は微笑んで言う姿は、何故か慈愛に満ちているように見えた。

 やはり親なのだ。子を思う気持ちが大きいのだろう。


「はい。……お母様すいません」

 菫もそれがわかっているのか、少し照れくさそうに返す菫だった。


 俺は菫の母親に改めて謝り、帰ることを伝えた。

 菫にも感謝せねばなるまい。また日を改めて土下座させてもらおう。

「菫、今日はありがとう。また明日な」

 俺がそう言うと、菫はまた顔を赤くして俯き「はい。また明日」と答えた。

 菫の母親がその様子を見て、妙にニヤニヤし始めたけれど気にしないでおこう。


 菫の家から車に乗り込む時、遠くから雷の音が聞こえた。

 東の空に黒みを帯びた雲があって、段々と近付いてきていた。

 家に戻る頃には雨が降りだすかもしれない。


 車は走り出し、我が家へと向かう。

 過ぎ去っていく景色を見ながら朱里の事を考えるが上手くまとまらない。

 婚約は朱里の希望で無くなった。それはいい。目に見えないものだったし、口約束だったから。

 俺達は今後どうなる? いや、俺に何が出来る?

 ただひたすらに自分ができることが何かないかと考えていた。


 ☆


 我が家にたどり着いた。

 送ってもらった黒スーツの男に礼を言うと、男は頷きすぐに車を走らせて行った、

 まず自宅の玄関へ行くと誰の靴も玄関には置いていない。

 ということは、兵頭家の方にみんな移動しているのだろう。

 俺も向かうことにした。


 兵頭家の玄関をくぐると、見覚えのある靴が並んでいる。

 親父達の靴が見当たらないが、本家と分家をそれぞれ回っているのかもしれない。

 

 リビングに入るとお袋達と大地がいた。

 なんだ、この通夜みたいな雰囲気は、お袋達もどよんとした空気をまとっている。

 大地が俺の顔を見るなり近寄ってくるが、複雑そうな表情を浮かべている。


「おかえりにーちゃん。父さんから話は聞いたよ」

「そうか。朱里は?」

「今、美希と一緒にお姉ちゃんの部屋にいる」

「そうか。ちょっと話してくる」

「京介、今は駄目よ」

 お袋が気を遣って言ってきたが、俺は笑って答えてやる。


「今じゃなきゃ駄目なんだよ」



 二階の朱里の部屋に移動しドアをノックする。

 中から出てきた美希が、目を見開いて慌てふためく。

「に、にーちゃん⁉ 今はまずいって!」

「いいから入らせろ。朱里に話があるんだ」

 俺の入室を阻止しようとする美希を押しのけて部屋に入った。


 相変わらずの余計なものが出ていない小奇麗な部屋。

 出てるとすれば、部屋の壁に俺や家族と一緒に撮った写真が飾られているくらいだ。

 俺の小汚い机の上と違って、机の上は広々としている。

 机脇の棚には、きちんと教科別にまとめられた教科書や辞書が、あいつの真面目さを物語っていた。

  

 当の朱里といえば、自分のベッドの上で膝を抱えて座り込んでいた。

 なにを塞ぎこんでんだ、この馬鹿は。


「美希は下に行ってろ」

「で、でも、にーちゃん……」

 心配そうに朱里に視線を送る美希の背中を押して、部屋から出て行くよう求める。


「大丈夫だ。いいから行ってろ」

「う、うん」

 もう一度、朱里をチラリと見た後、美希は部屋を出て行った。


 車の中で考えた俺にできること。朱里と話をしよう。ただそれだけ。

 今までずっと一緒にいたんだ。

 生まれた病院から今の今までずっと、親以上に話し合えるのは俺しかいない。

 慰めるのは簡単だ。だが朱里はそれを望んでいるのか。俺はそうは思わない。

 朱里は自分を責めている。負のスパイラルに入り込んだままだろう。

 よしよしイイコだね、辛かったね、なんてのは俺の性には合わない。


「おい、朱里。お前、何やってんの?」

「…………」


 今の朱里の目は会場で俺を襲ったときとは違っていた。

 虚ろな目をして顔を上げる朱里。

 菫とやりあった時の顔の腫れもまだ残っている。

 泣いたような後も見える。本当に、この馬鹿は……。


「どうせ、お前のことだから、私が全部悪いって決め込んでるんだろ?」

「……なんで私の前に来るの? また殺しちゃうよ?」

「今のお前にゃ無理だ。もう目に力がねえ」


 俺の返事に苦笑して目線を壁際に逸らす朱里。


「……幼馴染って分かるから嫌だよね……」


「なあ、お前が何で兵頭家の代表になろうとしたか教えてくれないか?」


 朱里のことは分かっていたつもりだった。

 俺をろうとした時も、今のお前の状態も俺は分かってるつもりだ。

 でもな、何でお前が代表になろうとしたのかだけ分からないんだ。


 俺の問いに朱里は壁に掛けてある写真を見ながら口を開く。 


「……京介と一緒になりたかったから……」


「は?」


 俺と一緒になりたいからだって?

 なんだそりゃ、意味がわからん。


「父さんと約束してたの。もし私が総代になったら京介と結婚させてくれるって。小さい頃から京介のお嫁さんになるって決めてたから……。覚えてる? 幼稚園の時、約束したよね。大人になったら結婚しようって……」


 朱里は見ていたベッドの脇の壁にかけてある大きめの写真立てを指差す。


「……それ、後ろ開けてみて」


 朱里が指差したものは、俺と朱里が高校に入学した時に一緒に撮った写真が入っていた。

 俺は写真立てを手に取り、後ろの蓋を開けると古ぼけた紙が入っていた。


 紙を取り出し見てみると、


『おとなになったらけっこんする きょうすけ あかり』


 ぐにゃぐにゃな汚い字で書かれた文字。


 でも、明らかに俺が自分で書いた字だとわかった。

 俺の名前の横に違う字体で朱里の名前も書いてある。

 これは幼い時の朱里が書いたものだ。

 結婚の話を聞いてからお絵かきの時間を使って、二人で交わした誓いの書。

 幼い時ゆえに俺は忘れてしまっていた。

 先生に結婚話を聞いた勢いで作ったものだったが、朱里は今でも大事にしまっていた。


「――今でも大事に取ってあるっておかしいでしょう?」


 朱里は泣きそうな顔で笑って、また膝を抱え目を伏せる。


 色褪せた誓いの書を見て幼い時の記憶が蘇る。

 幼稚園の桃組にいた頃、桃組の先生が結婚した。

 当時の俺は結婚の意味がわからず先生に聞いたのだ。


「せんせー、結婚って、なーに?」

「好きな人と一生一緒にいることよ」

 先生は幸せそうに答えてくれた。 


「京介君もいつか好きな人と結婚してね」

「僕、朱里が好きだから朱里と結婚する!」

「あらあら、おませさんね。朱里ちゃんはどうなのかなー?」

 先生は俺の後ろにくっついていた朱里に声をかけた。

 この頃の朱里はいつもモジモジして人見知りも激しかった。


「朱里も好き。京介と結婚する!」


 普段か細い声でしか受け答えしなかった朱里が、珍しく大声で返事した。

 先生も朱里の珍しい態度に目を丸くしたものだ。

「あらあら、二人はいつも一緒だもんね。でも大人にならないと結婚は出来ないから、それまで待っててね。……でも、二人なら本当に結婚するかもね」

 俺達を見て先生も微笑んでいた。

 

 その後、お絵かきか何かをしていて、朱里と二人で約束を交わした。

 遠い昔の忘れた約束。書面にまで残していた約束。

 俺は今の今まで忘れていたけれど、朱里はしっかりと大事にしていた。

  

「私、頑張ってたんだ。寝る前に毎日毎日父さんに修行つけてもらって、ずーっと頑張ってて、やっと夢を掴かんだって思ったの。でも、……その夢のせいで、……他の人の夢壊しちゃった。……取り返しがつかないくらいに」


 朱里は肩を震わせ、その震えが声にまで現れている。

 取り返しがつかないと言ったのは、一馬が自殺したことに違いない。

 だけど、だけどだ。朱里がその責任を負うのは間違っている。


 俺は朱里のベッドに上がり込み、朱里のすぐ前に腰を下ろした。

 両腕を伸ばして朱里の顔を掴んでこっちに向けさせる。

 デコピンした指に痛みが走るが、そんなの構っていられない。


「お前、馬鹿か? 責任の取り方間違ってるだろ」


 そう、俺はこいつを叱ってやらないといけない。


「一馬が死んでその責任を感じてるなら、総代になって兵頭家を黙らせろ。一馬がやろうとしたことを引き継ぐのが責任ってもんだ。自暴自棄になって自分を捨てることが責任なんかじゃねえ!」


 どうにもならないことを自分のせいにして、自分まで捨てようとしている朱里をなんとかしなくちゃいけない。それが俺にできる唯一の手段だと信じたい。


「一緒になって不幸の道を選んでどうするんだ? お前はそのために今まで一生懸命やってきたのか? 違うだろ? お前はお前で夢追いかけて、諦めないで今までやってきたんだろうが。だったら、最後まで貫き通せよ!」



「だって、私、京介のこと殺しそうになったんだよ?」


 俺の腕を掴み、涙を流して大声で叫ぶ朱里。


「そんなの関係ねえよ! たまたま殴ったら心臓止まっただけだろうが。ちゃんと生きてるだろ?」


「また京介のこと襲っちゃうかもしれないよ?」


「その時は全力で逃げる! 逃げ足なら唯一お前に勝てる」


「でも、もう京介とは婚約解消したんだよ?」


「だったら、もう一回婚約すればいいじゃねえか」


「私のこと……嫌いになったんじゃないの?」


「そんな簡単に嫌いになるほうが難しいわ!」


「でも――」


「ああ、もう、うざい!」


 ぐいっと朱里を抱き寄せ身体全体で包み込む。


「……もういいから黙ってろ。俺の気持ち無視して勝手に婚約解消とか進めんな。馬鹿」


 抱き寄せられた朱里は俺の胸で嗚咽を漏らして泣いた。

 世話が焼ける馬鹿だよ、まったく。


 ☆


 朱里はひとしきり泣いた後、俺の胸の中で寝息を立てている。

 もしかしたら、朱里も昨日はあまり寝ていなかったのかもしれない。

 ベッドに横にして寝かしておいてやろうと思ったが、俺の服をぎゅっと握っていて、それもままならなかった。

 

 扉がそ~っと開いて、目だけが二つキョロキョロと動いている。

 どうやら美希と大地が心配して覗きに来たようだ。

 美希と視線が合うと、二人は静かに部屋に入ってきた。

 俺は指を立て声を出さずに口に当てる。

 美希は俺と朱里の状態を見て、少し微笑むと静かに首を縦に振った。

 大地は小さく敬礼すると、また二人して静かに部屋を出て行った。


 眠る朱里の顔をじっと見る。穏やかな顔をして寝息を立てる朱里。



 俺の愛しい幼馴染は、成績、運動、容姿、人格において、おおよそ満点に近い可愛い女子。

 人受けもよく、その人徳の高さから、今年の生徒会長にも選ばれた。

 スラリとした体躯。推定Dカップのおっぱい。くびれた腰周り。きゅきゅっと上がったお尻。

 歳を負うごとに女の色気も上がってきていて、もう女としてしか見られない。

 幼馴染の俺としては、一緒に並ぶのは鼻が高い自慢の幼馴染だ。

 

 だけど、嫉妬深くて、すぐ手を出してきて、周りの言葉に振り回されて、言い出したら聞かなくて、打たれ弱くて、思い込んだら馬鹿なことをやってしまう世話のかかる幼馴染でもある。


 世話のかかる奴だけど、起きるまで付き合ってやるから、今はゆっくり寝とけ。


 ☆

 

 気が付いたときには、俺もいつの間にか眠っていた。

 目を開けたとき、先に起きていたのだろう、朱里が俺の顔をじっと見つめていた。


「んあ? 悪い。俺も寝てたみたいだな」

「ううん。いいの……」


 周りを見渡すと薄暗くなっていて、どうやら日は沈んだようだ。

 朱里を抱いたまま寝たせいか、肩が少し突っ張っている。

  

「もう大丈夫か?」

「うん。大丈夫」


 朱里は身体を起こして、ベッドから先に降りた。

 俺も続いてベッドから降りる。途端に俺の腹が空腹を訴えてくる。

 そういえば、今日、昼もまともに食ってない。腹も減るはずだ。

 朱里はその様子を見てくすっと笑う。


「京介って、すぐ雰囲気壊すんだから」

「しょうがねえだろ。何も食ってないんだよ」


 お袋達が晩飯を用意してくれているかもしれない。

 俺と朱里は下で待っているはずの家族の下へ向かうことにした。

 俺が扉に手を掛けると、朱里が背中に抱きついてくる。

 ぎゅっと腕に力を込めて朱里は呟く。


「京介、本当にありがとう」

「ばーか。そんなの気にするな。行くぞ。マジで腹減った」

「うん」


 二人してリビングに入ると、いつもの光景が目に入る。

 リビングには長テーブル二つ並び、お袋達が台所で所狭しと食事を準備している。

 美希と大地はテレビの前に転がって、ポータブルゲームで遊んでいる。

 お前ら手伝えよ。

 親父達はまだ戻ってきていないようだが、まもなく帰ると連絡はきているようだ。

 俺の後ろで、気にした様子の朱里に声をかける。家族にまで気後れするんじゃねえよ、馬鹿。


「朱里、お袋ら手伝ってやれよ。俺、腹減って死にそう」

 そう言うと、朱里は嬉しそうな顔で「うん」と笑った。


 朱里はお袋達の輪に入り、俺は美希と大地のところへ行って、食事が出来上がるのを待つことにした。


「にーちゃん。もう、お姉ちゃん大丈夫だよね?」

 美希がゲームを操作しながら聞いてくる。


「ああ、もう大丈夫だ」


「遅いから乳繰り合ってるかと思ったよ」

 大地もゲームを操作しながらうししと笑って言う。


「ばーか。お前らじゃあるまいし、乳繰り合うかよ」

「…………は? それ、どういう意味?」


 俺の言葉にピタッとゲームを止めて、顔を上げる美希。

 横では笑っていた大地が、潜水艦が急速沈降した海のように顔を深く青ざめていく。


「……大地。あんた、もしかして、にーちゃんに……」

 ぎらりと大地を睨む美希、その声は怒りに震えている。

 睨まれた大地は、青ざめたまま顔全体で滝のように汗を流している。

      

 大地は転がった姿勢から飛び上がると、空中で足を畳み、そのまま着地して土下座の姿勢になる。

 瞬時にジャンピング土下座とは、なかなかやるじゃねえか。


 美希はそんなのお構いなしに、怒気をはらんでゆらりと立ち上がる。

 あー、これ切れたな。


 ここで説明しておこう。


 俺の妹――菅原美希は、兄の俺が大丈夫かこいつと心配するほど、普段はおっとりしている。

 何をやらせてもマイペースで、勝負事もあまりこだわらない。

 

 ただし、切れるとやばい。全能力が飛躍的に向上する。いや、主に戦闘力か。


 今、説明中にも大地が美希の上段蹴りをくらって壁に向かって吹っ飛んでいった。

 そして、まだ大地が壁にぶつかってもいないのに、美希は大地を追撃するために俺の目の前を通過した。普段の美希からは考えられない敏捷さだ。

 

 ドガとかバキとか、肉の殴る音や蹴る音が響く。

 美希は大地の片足を持って、「ちょっとこっちに来なさい」と、引き摺ってくる。

 大地は必死の抵抗を試みるが、その甲斐もなく引き摺られていく。

 

「にーちゃん助けて!」

 

 前を通り過ぎていく大地が俺に懇願する。

 すまんが大地、その状態の美希には俺も近付きたくないんだ。


 キッチンからお袋さんが美希に声をかける。

「美希、もうすぐご飯だからほどほどにね」

 お袋さん、止めようよ。あんたの息子がピンチだよ。

 俺は止める気ないけど。


「うん。半殺しにしたら戻るから」

 いたって普通に言う美希が怖い。

 

 大地はずるずると引き摺られて行き、美希は大地を連れてリビングを後にした。

 パタンと閉じるリビングの扉の向こうから大地の悲鳴が聞こえる。


「ちょっと、美希。ここ階段!」

「うるさい!」

「――ぎゃあ、痛て! あがっ」

 

 哀れだな。美希は切れたら容赦しないからな。


 お袋達が料理を運んできて、

「あんたもよく朱里にやられてたよね」

 懐かしそうに笑う。


 ええ、まあ、軽いトラウマになってるので、本気で怒った朱里には近付きたくないけどね。

 

 料理がテーブルに並び終わった頃に、親父達が戻って来た。

 リビングに朱里の姿を見て、ほっとしたような顔をしていた。

 本家と有力な一部の分家を回ってきたようだが、やはり、簡単には行かないようだ。


「簡単にいかないのはわかっている事だ。だが、もう諦めたりはせん」


 親父達は何度も通って一族と交渉するつもりらしい。

 豪一郎の事を聞くと、本家の説得を継続するために澤田祥子と共に本家に残ったようだ。

   

 親父達が自分の席に座ると、すっきりしたような表情の美希がリビングに戻ってきた。

 その後ろには顔面を腫らした大地がふらふらとついて来ている。

 ただ、美希と大地が手を繋いでいるところをみると、仲直りは出来たようだ。

 大地も苦労するだろうな。美希の世話はお前くらいしか出来ないと思う。

 

 両家族が揃った所で、親父達の声と共に食事が始まる。

 食事が終わったところで、俺はみんなに声をかけた。


「俺と朱里のことだけど――」


 俺と朱里は姿勢を正して、家族に頭を下げた。

 今回の騒動で心配をかけたことを謝った。


 その上で俺は朱里との間で話し合い、婚約解消を取り消して欲しい事を告げた。

 要は、俺達は俺達二人の意志で婚約すると訴えたのだ。

 親父達は俺達をみて、うんうんと頷き、お袋達は手を取り合って喜んだ。

 美希と大地も嬉しそうな表情をした。


 反対するものなど誰もおらず、こうして俺と朱里はまた婚約者となった。


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