よそ見ばかり《アルティナ side》
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────これは、レイチェル・アイレ・ターナーとルイス・レオード・オセアンの婚約が発表された日のこと……。
私の婚約者たるヘクター・カルモ・ラードナーは、荒れに荒れていた。
「俺と別れてから半年も経っていないのに、婚約とはどういうことだ!?俺を馬鹿にしているのか!?」
レイチェル様とルイス様の婚約について書かれた新聞を破り捨て、ヘクター様は怒鳴り散らす。
おかげで部屋は散らかっているし、雰囲気も最悪だった。
まあ、彼の自室なのでどうしようと勝手だが……色々と心臓に悪い。
さっさと他の人に乗り換えるのが、気に食わないのはよく分かるわ。
普通、数ヶ月〜半年ほど間隔を空けて婚約に至るから。
でも、私達だって同じことをしているからレイチェル様を責めるのはおかしい……と言ったところで、ヘクター様は納得しないんだろうけど。
「……レイチェル様のことになると、いつもこうよね」
みっともないくらい感情を剥き出しにして暴れる婚約者の姿に、私は悲しさや虚しさを募らせる。
一緒の空間に居るのに……やっと婚約まで漕ぎ着けたのに……『愛している』と言ってくれるのに……彼の目はレイチェル様を見ている。
それが好意じゃないことは分かっているが、それでも……辛い。
大好きな人には、私のことだけ見ていてほしいのに……。
『どうして、よそ見ばかりするの……』と嘆き、私はヘクター様からそっと目を逸らした。
私って、昔からこうよね……愛されているけど、大切にはされない。
欲しかったプレゼントや温かい言葉をくれるだけ……私が欲しいのは中身のある行動と態度なのに。
贅沢な悩みかもしれないけど、『この渇きはいつ癒されるんだろう』と考えると不安になる。
一生、満たされないような気がして……だって────実の親ですら、私を見てくれないんだから。
────今から、十五年前。
私はアルティナ・ローズ・メイラーとして、生を受けた。
と同時に、母親がこの世を去った。
どうやら私を出産した際、出血が止まらなかったらしい。
それで私は早くも片親になったが、寂しくはなかった。
お家にはいつも誰か居て、私の相手をしてくれるから。
でも、私が本当に構ってほしいのは……寄り添ってほしいのは……成長を見守ってほしいのは、父親であるエイベル・アーロン・メイラーだ。
「ねぇ、お父しゃま。今日こそ、ティナと遊んでくれるでしょ?」
わざわざ早起きして父親の朝食へ突撃した私は、ニコニコと笑って愛嬌を振り撒く。
父の膝の上で頬杖をつき、あざとくおねだりすると、皆デレデレ。
だが、一人だけ困ったように笑う人が……。
「すまない、アルティナ。今日も仕事なんだ。いい子で、お留守番していておくれ。今度、新しいドレスを買ってあげるから」
父は悩む素振りすら見せず、私のおねだりを撥ね除けた。
かと思えば、まだ一口も食べていない朝食を放置して立ち上がる。
『それじゃあ、行ってくるよ』と言い残し、父は食堂を出ていった。
相変わらず素っ気ないというか……よそよそしい態度に、私はプクッと頬を膨らませる。
「また断られた……!」
「まあまあ、お嬢様。仕事なら、仕方ありませんよ。また明日、誘いましょう?」
不満を露わにする私を、乳母は優しく宥める。
『いつか、きっと旦那様も折れてくれますわ』と言いながら。
────まあ、そんな日は永遠に来ないのだが……。
だって、知ってしまったから……父が私を避ける理由を。
「やっぱり、旦那様もお辛いんでしょうね……毎日、奥様のお墓参りに通っているくらいだから」
「仕事なんて、必要最低限しかやってないものね」
「そのうち、心労で倒れそうだわ」
たまたま厨房を通り掛かった際、聞こえてきたメイド達の会話……。
あまりの内容に、私は思わず足を止めた。
ドクドクと鳴る心臓が、やけに大きく聞こえる。
厨房に居るメイド達に気づかれるんじゃないか、ってくらい。
……そっか。お父しゃまは、忙しい訳じゃなかったんだ。
ずっと騙されていた事実を目の当たりにし、私はよく分からない感情に支配される。
怒りとも、悲しみとも違う絶望感……強いて言うなら、虚しさに近いだろうか。
何でお父しゃまは、本当のことを話してくれなかったんだろう?
もし、言ってくれたら────ついて行ったのに。
私がほしいのは、お父しゃまと一緒に過ごす時間だから。
『遊びたい』というのは、ただの口実に過ぎない。
ただ傍に居て……私という存在をちゃんと見てほしかった。
『まだ間に合うだろうか』と考えつつ、私は勇気を出して一歩踏み出す。
そして、エントランスホールに居る父の元まで駆け寄ると、思い切り足にしがみついた。
「お父しゃま!私も連れて行って!」
いつものようにあざとくおねだりするのではなく、懇願に近いトーンで頼み込む。
服がシワになるのも気にせず父のズボンを強く掴み、私は意志の強さを主張した。
なりふり構わずといった様子の私を前に、父はもちろん使用人達も驚いている。
「いきなり、どうしたんだ?」
困惑気味に質問を投げ掛けてくる父に、私は迷わずこう答えた。
「あのね!お父しゃまはお母しゃまのお墓参りに毎日行っているって、聞いたの!だから、ティナも……お父しゃま?」
突然表情を曇らせる父に、私はコテンと首を傾げる。
何故、そんなに悲しそうなのか理解出来なかったから。
『子供はお墓参りに行っちゃダメなのかな?』と思案する中、急に強い力で引き剥がされた。
突然のことだったので、どうすることも出来ず……父のズボンから、手が離れる。
「……アルティナ」
いつになく弱々しい声で私の名を呼び、父は苦しげに顔を歪めると────そっぽを向いた。
自分の酷い顔を見せたくなかったのか、それとも私の顔を見たくなかったのか……視線は交わらない。
「情けない父親で、すまない────もう少し待ってくれ」
遠回しにお墓参りの同行を断ると、父はこちらに背を向けた。
そのまま立ち去ろうとする父に、私は思わず手を伸ばすものの……途中で引っ込める。
お父しゃまは『もう少し待ってくれ』って、言った。
『ダメ』とか、『無理』とかは言ってない。
だから、お父しゃまが『いいよ』って言ってくれるまで待とう。
────と自分に言い聞かせ、私は待ち続けた。何年も、何年も……。
でも、結局そんな日は来なかった。




