奥の手
「仕方ありません……奥の手を使いましょう」
誰に言うでもなくボソリと呟くと、ルイス公子は剣を鞘に収めた。
再び始まったトーマス様の連撃に耐えつつ、手で口元を覆う。
────まるで、人の目から隠すように。
「×××××××」
本来人間では発音出来ない筈の言葉を口にし、ルイス公子はそっと手を下ろした。
その瞬間、一部の空間が歪み────そこから、透き通るような青を身に纏う鹿が現れる。
背中に小さな羽を生やすソレは、間違いなく精霊だった。
────精霊とは、四大元素を司る四人の王の分身。
火、水、土、風いずれかの元素の力を持って生まれ、精霊界と人間界を行き来している。
彼らは幽霊みたいなもので、通常人の目には見えない。
また、個々としての意識もほとんどなかった。
でも、人間と契約することで己の存在を固定することができ、可視化出来るようになる。
驚いたわね。まさか、ルイス公子が精霊師だったなんて。
しかも、プライドが高い水の精霊を従えている。
一体、どうやって契約したのかしら?
などと考えていると、水の精霊が超音波に近い鳴き声を上げた。
その途端、どこからともかく水が湧いてきて─────トーマス様の顔周辺を覆う。
『ゴポゴポゴポ』と息を吐き出す彼は、一瞬ポカンとするものの、気にせず攻撃を続けた。
感覚が麻痺しているせいか、酸欠状態になっていることに気づいていないらしい。
『タフだなぁ……』と思わず感心してしまうが、体を動かすために必要な酸素がなければ、さすがのトーマス様も厳しいようで……一分と経たずに気を失う。
勢いよく後ろに転倒する彼を前に、ルイス公子は水の精霊の背中をポンポンッと軽く撫でた。
すると、トーマス様の顔周辺を覆っていた水の膜が破裂する。
「彼の手当てを」
まだ助かる見込みがあることを匂わせるルイス公子は、『身柄の拘束も忘れずに』と付け加えた。
その瞬間、団員達は白目を剥いて倒れるトーマス様に素早く駆け寄る。
『脈は?』『その前に拘束だろ』と言い合う彼らを他所に、ルイス公子は少し身を屈めた。
そして、水の精霊にお礼を伝えると、召喚を解除する。
煙のようにフワッと消える水の精霊を前に、ルイス公子は団員達へ視線を戻した。
「連れていきなさい」
手当てと拘束が済んだトーマス様を見下ろし、ルイス公子は撤収を言い渡す。
またいつ目を覚まして暴れるか分からないため、早めに檻の中へ入れたかったのだろう。
麻薬の効果だって、まだ続いているかもしれないものね。
賢明な判断だと思うわ。
と理解を示す中、団員達はトーマス様を担いでこの場から離れる。
万が一のことを考えているのか、総出でトーマス様を護送するようだ。
「団長、どうしましたか?」
一歩も動こうとしないルイス公子を不審に思ったのか、団員の一人が声を掛ける。
『早くしないと、馬車が行ってしまいますよ』と述べる彼に、ルイス公子は小さく肩を竦めた。
「私はまだやるべき事が残っていますので、先に行ってください。夕方には、戻ります」
『何かあれば、副団長に指示を仰ぐように』と告げる彼に、団員は了承の意を示した。
かと思えば、直ぐに他の団員達の後を追う。
小走りで去っていく彼の後ろ姿を見送ると、ルイス公子はこちらに目を向けた。
先程までのピリピリした空気が嘘のように柔らかくなる中、彼はそっと眉尻を下げる。
「また私のせいでトラブルに巻き込んでしまい、申し訳ありません。本当はお見合い当日までに片をつける筈だったのですが……ギリギリになってしまいました」
事前にトーマス様の狙いを知っていたようで、ルイス公子は『不甲斐ない』と自分を責める。
私とのお見合いを聞きつけてトーマス様を探った結果麻薬のことがバレたのか、元々麻薬のことを知っていて私のために調査を早めたのかは分からないが、相当無理をしたのは間違いない。
だって、よく見ると目の下に隈が出来ているから。
『不眠不休で働いてくれたんだろうな』と考えながら、私は黄金の瞳を真っ直ぐ見つめ返した。
「いえ。助けていただき、ありがとうございます」
『おかげさまでほぼ無傷です』と言い、私は感謝の意を表す。
暴力沙汰に発展したにも拘わらずケロリとしている私に、ルイス公子は僅かに目を見開いた。
かと思えば、クスリと笑みを漏らす。
『随分と肝が据わっていますね』と零す彼は、なんだか吹っ切れた様子だ。
『とりあえず、元気になって良かった』と安堵する私に、ルイス公子はそっと手を差し伸べる。
「よろしければ、昼食をご一緒して頂けませんか?もちろん、別のお店で。もし既にお済みでしたら、デザートだけでも構いません」
『どうでしょう?』とこちらの反応を窺うルイス公子に、私は────コクリと頷いた。
間違いなく、何か裏が……というか、話があるんだろうが、恩人の厚意は無下に出来ない。
私は差し出された手に自身の手を重ねると、ゆっくり立ち上がる。
「まだ何も食べていないので、フルコースでお願いします」
「分かりました。うんと美味しいものをご馳走しますね」
────という会話を交わし、私達は別の高級レストランへやってきた。
さすがに今回は貸し切りじゃなかったものの、個室を使わせてもらっている。
予約なしの飛び込みなのに。
オセアン大公家の権力って、凄いわね。
半年先まで予約が埋まっている有名店の料理を、こうもあっさり食べられるんだから。
海鮮盛りだくさんの濃厚スープを口に含みながら、私は半ば感心する。
「……美味しい」
「それは良かった」
思わずポロリと本音を零す私に、ルイス公子は笑顔を向けた。
『デザートも素晴らしいですよ』と述べる彼は、会話が途切れないよう料理の豆知識などを話してくれる。
そのおかげで楽しく食事でき、あっという間に食後のティータイムへ。
『デザートも絶品だったなぁ』と思い返す私を前に、ルイス公子はティーカップの縁を撫でる。
まるで、何かを考えるように。
どうやって話を切り出すか、悩んでいるみたいね。
『ここは助け船を出すべきか』と悩む中、ルイス公子はゆっくりと顔を上げた。
「レイチェル嬢」
「はい」
「単刀直入に申し上げます────」
変な駆け引きや誤魔化しはしないと決めたのか、ルイス公子は真っ直ぐにこちらを見据える。
その目は酷く真剣だった。
「────私と結婚してください」




