逆恨み
「このクソ女……!よくも、部屋に閉じ込めてくれたな……!」
苛立たしげな口調で恨み言を吐くトーマス様は、『絶対に許さない!』と目を吊り上げる。
もはや紳士の矜恃など忘れてしまったのか、左拳を振り上げた。
怒りに支配される彼を前に、私は少しだけ眉を顰める。
その瞬間、
「────エラルド令息、そこまでです」
と、聞き覚えのある声が鼓膜を揺らした。
弾かれたように視線を上げると────廊下の曲がり角から、ルイス公子が現れる。何人もの皇国騎士を引き連れて。
今回は皇国騎士団団長として来たらしく、胸元に帝国の国旗が入った団服を身に纏っている。
団長にしか着用を許されない青いマントを羽織り、腰に剣を差す彼は普段と違う気迫……というか、オーラがあった。
仕事モードだからか、ピリピリしているわね。
などと呑気に分析する私を他所に、トーマス様は髪の毛から手を離す。
どうやら、皇国騎士団を前にして戦意喪失したらしい────というのは、単なる勘違いだった。
何故なら、彼は……
「ルイス・レオード・オセアン!またお前か!」
と、先程より大きな声で喚き散らしたから。
こちらなど目もくれずにルイス公子を凝視し、トーマス様は苛立たしげに自身の髪を掻き毟る。
『クソクソクソクソ……!』と、呪文のように呟きながら。
ルイス公子関連の人間だとは思っていたけど、これは一体……?
それに『また』って、どういうこと?
意味が分からず首を傾げていると、トーマス様が物凄い力で壁を殴る。
「お前さえ……お前さえ、居なければ────僕はあのまま、侯爵家を継げたのに!何で出来損ないの弟なんかに、譲らないといけないんだよ!」
鋭い目付きでルイス公子を睨みつけ、トーマス様は憎々しげに吐き捨てた。
かと思えば、壁に叩きつけた拳を血が出るほど強く握り締める。
「ちょっとカジノで儲けていただけじゃないか!確かに皇室に出店の許可は取ってなかったが、わざわざ騒ぎ立てるほどのことじゃない!あれくらい、誰でもやっている!なのに、何で僕だけ……!」
トーマス様はまるで駄々っ子のような言い分を振り翳し、『理不尽だ!』と喚いた。
辛い現実を……己の非を認めたくない様子の彼に、私は思わず呆れてしまう。
要するに違法カジノをルイス公子に摘発されて、次期当主の座から外されたって訳ね。
自業自得じゃない。
どんな言葉で取り繕ったって、その行為は正当化出来ないわよ。
『その上、ルイス公子に逆恨みって……』と頭を振り、私は小さく息を吐いた。
思ったよりくだらないトーマス様の事情に辟易しつつ、怒りに染まった彼の横顔を見つめる。
でも、これでようやくトーマス様の狙いが分かった。
恐らく、彼は復讐のために私を娶りたかったのね。
第二公子の恋人(と思われている私)を奪えば、ルイス公子が苦しむと思って。
『結婚後の人生設計がなかったのは、そのせいか』と合点が行き、やれやれと肩を竦める。
ルイス公子関連で何かあるとは分かっていたが、ここまでどうしようもない理由だとは思わなかった。
『色んな意味でダメだ、この人……』と肩を落とす中、ルイス公子はコツコツとこちらへ歩み寄ってくる。
氷のように冷たい視線をトーマス様に向けながら。
「私を恨むのは結構ですが、何の関係もない人間を巻き込まれては困ります」
平坦な声でご尤もな意見を述べるルイス公子に対し、トーマス様は一瞬言葉に詰まった。
────が、直ぐに言い返す。
「う、うるさい……!お前には、関係ないだろ!これは俺達の問題だ!」
「確かにそうですね。では、その話は一旦置いておいて本題に移りましょうか」
思ったよりあっさりと話題を変えたルイス公子は、傍に居た騎士から書類を受け取る。
そして、『本題……?』と疑問に思う私達にソレを見せた。
「トーマス・ペラン・エラルド、貴方を────違法麻薬の培養及び密売の罪で、拘束します」
声高らかに捕縛を宣言し、ルイス公子はカチャリと眼鏡を押し上げる。
これまでのおかしな言動は全て麻薬のせいだった、と判明したところで────トーマス様はスッと無表情になった。
かと思えば、ポケットに手を突っ込む。
『武器でも隠し持っているのか?』と誰もが警戒する中、彼は折り畳まれた紙のようなものを取り出した。
「いつも……いつも、こうだ……僕ばかり酷い目に遭う……やっと、麻薬事業も軌道に乗ってきたのに……それもこれも全部────お前のせいだ」
暗く静かな声で己の境遇を嘆き、トーマス様は一筋の涙を流す。
ギャーギャー喚いた時とはまた違う……いや、それよりもっと異様な雰囲気を放ち、手に持った紙を────口に含んだ。
ギョッとする我々を他所に、彼はほとんど噛まずにソレを飲み込む。
「僕の人生はどうせ、もう終わっているんだ……なら、最高に狂って全部ぶち壊してやる」
「!?────総員戦闘準備!」
ルイス公子はトーマス様の言わんとしていることを理解したのか、直ぐさま抜刀した。
すると、他の団員達も急いで剣を抜く。
この場に物々しい空気が流れる中、トーマス様は文字通り狂った。
「いひひひひひひ……!」
気持ち悪い笑い声を零し、焦点の合わない目で前を見るトーマス様は口端から涎を垂らす。
そして、壁へ叩きつけた手に少し力を加えた。
その瞬間、壁にヒビが入る。
ポロリと床に落ちる壁の破片を前に、ルイス公子はスッと目を細めた。
「相手は恐らく────肉体強化の効果がある麻薬を使用しています。痛覚も麻痺しているかもしれません。皆さん、警戒を」
至って冷静に指示を出すルイス公子に、団員達は『はい!』と返事する。
さすがは皇国騎士団とでも言うべきか、麻薬の使用に取り乱す者は居なかった。
エリート騎士達の頼もしい姿を前に、私は『あの紙に麻薬が入っていたのか』と考える。
────と、ここでトーマス様が動きを見せた。
麻薬に蝕まれた状態でも本人の意志や感情が作用するのか、彼は迷わずルイス公子の元へ向かう。
『執念って、恐ろしいな』と心底思っていると、彼はおもむろに拳を上げた。
かと思えば、ルイス公子に殴り掛かる。
……速すぎて、動きを目で追えなかった。
感知出来たのは風の音だけで、気づいたら彼の拳が空を切っていた。
どうやら、避けられてしまったらしい。
ルイス公子の無事を確認してホッとしたのも束の間────今度は連続で攻撃を繰り出す。
その影響か、物凄い風が巻き起こった。
それでも、ルイス公子は無傷……ヘクター様の決闘で只者じゃないのは分かっていたけど、ここまでとは。
風に煽られる髪を押さえつつ、私は『何でアレを捌けるのよ』と内心苦笑する。
もはや同じ人間であるかも怪しいルイス公子の身体能力に微妙な反応を示す中、彼は反撃に出た。
まずトーマス様の背後に素早く回り、首の裏目掛けて剣の柄を叩きつける。
所謂、峰打ちというやつだ。
でも、相手は倒れない。
「腕力だけでなく、耐久力まで上がっているとは……厄介ですね」
出来るだけ殺害は避けたいのか、悩ましげな様子を見せる。
ルイス公子の予見通り痛覚も麻痺しているため、痛みのショックで気絶……というのも、難しそうだった。
残る方法は、出血多量による失神くらいか。
『血生臭い現場はあまり見たくないのだけど』と思案する中、ルイス公子は一つ息を吐く。
「仕方ありません……奥の手を使いましょう」




