【090】中将、拒絶された救いについて思うこと
クローヴィスのような部下のみならず、それなりの地位にある人物でも怯えるキースの怒りに対し、
「分かった。それについては、書類にて渡す。それで、お前に見てもらいたいものがあるのだ、キース」
リリエンタールはいつも通り――もちろんキースも、この男が怯えるなど思ってもいなければ、態度が変わらないのも想定内。さらに勝手に話を進めるのも「この男なら仕方ない」と。
「なんでしょうか?」
サーシャがドアを開け、リリエンタールが立ち上がる。
付いて来いとも言わずに部屋を出るリリエンタールに、キースは従い、チャーチも付いて行く。
支配者として生まれたリリエンタールは、息をするかのように人を従え――目的の部屋のドアをサーシャが開け、明かりを灯す。
「娘のドレスだ」
チャーチの部下たちが運んできた、十五着のエンパイアラインドレスが、並べられている部屋へと通された。
どのドレスも光を反射し――シャンデリアよりも眩い光を放っている。
「それで?」
一目で娘が誰か分かるドレス――大柄なキースやリリエンタールでも、着られそうなサイズ。逆に言えば、普通の女性は着用できない。
キースはリリエンタールに従い、トルソーに飾られたドレスの側を通り過ぎ、
「率直な意見を聞きたい」
リリエンタールは大理石の床を、ステッキで叩く。
”率直な意見”と言われ、
「クローヴィスならば、なにを着ても似合うでしょう。ここにあるドレスでいえば、どれを着ても問題ないかと」
軍服姿のクローヴィスしか知らないキースだが、どんな恰好でも、あの美貌でごり押しできる筈だと断言できた。
「そうだな」
「ただこのドレスをデザインした人物は、サイズしか教えられていないのではありませんか?」
キースの台詞に、チャーチは驚いた。
「やはり分かるか」
「当然です。普通の貴婦人向けに作られているので。クローヴィスの着衣には、一粒の宝石も要りませんが、ここに並ぶドレスの宝石、全てを一着に縫いつけても足りない」
並ぶドレスはどれも素晴らしい出来映え。ロスカネフ王国の夜会で着ている者がいれば、誰もがその美しさと共に、生地の上質さ、縫い付けられた宝石の見事さに嫉妬するほどのもの。
だが、ただそれだけ――
「その通りだ、キース。ロイド、聞いていたな。バイエラントで新たに作る娘の衣装には、宝石を惜しむな」
「御意」
リリエンタールとキースが、そこまで言うのだから、並々ならぬ美しさなのだろう……と思うも、ドレスのサイズが一般的な美しさとかけ離れていて、どうしても美しさにチャーチはたどり着けなかった。
「亡国ルースの大舞踏会の際、皇后が身につけた宝石を縫いつけた衣装でも、娘には地味だ。宝石が足りぬのであれば、ハンフリー銀行の金庫を開け、王冠でもなんでもばらせ」
ブリタニアス君主国で最大の貸金庫業を営んでいるハンフリー銀行に、どのような財宝を預けているのか? キースは知らないが、チャーチの表情から、
――歴史的価値のある、宝飾品なんだろうな……
バラさないほうが良い逸品、例えばルース帝国の皇帝や皇后の冠などなのだろうとは、予想がついた。そういったものに、全く興味のないキースだが、歴史的価値というものも知っているので「頑張って維持しろよ」と。むろんキースは協力する気もなければ、協力できるような宝石も持っていないし、伝手もない。
「では、バイエラントへ向かえ」
リリエンタールは「下がれ」と手を動かす。
それが退出の指示なのは分かっているチャーチだが「一目だけ、遠目でいいので、クローヴィス陛下のご尊顔を拝させてください」という気持ちから、足が動かない。
諜報員にあるまじき、気持ちが顔に書かれている状態のチャーチ。だが、リリエンタールは全く意に介さず。
普通の人間ならば傲慢に映る姿だが、支配者として生まれ育った男がとれば「皇帝とは斯くやあらん」と、人々を納得させる。
もっと言えば、くどくどと説明されないのは、チャーチを信頼している証――諜報員とは、支配者からの信頼が全てである以上、聞くに聞けない。
「チャーチ卿」
「なんですかな? キース卿」
他国の諜報トップなど、この場で捕らえて、五発くらい殴ってから口を割らせたいキースだが、今回は見逃すだけでなく、ヒントを与えることにした。
「常人なら動けなくなるような量の宝石を縫い付けても、問題ない」
「……動けると?」
「動けるし、宝石に負けることもない。まあ、精々頑張って、クリフォード殿下の、お心に添うことができるドレスを作ることだな」
もっともそのヒントが、助けになるかどうかは、いささか疑問だが――
結局なにひとつ許可を得られぬまま、リリエンタールの元を辞したチャーチは、廊下を進み、角を曲がったところで、
「ロイドくん。お久しぶりー」
「アルドバルド」
いつの間にか現れた、テサジーク侯爵に声を掛けられ――リリエンタールの側にいた時とは、別種の緊張を持って臨む。
「わたし、テサジーク侯爵になったんだー。あれー、情報届いてなかった?」
テサジーク侯爵は片手に図面の持ち運びに使う筒を持ち、もう片手には薄っぺらい封筒。
「それどころでは、なかったので」
「だよねー。はい、これ」
テサジーク侯爵は最初に、ランパート号の設計図が入った筒を渡す。
「…………」
「もう少し、警備体制を強化したほうがいいんじゃないかなー。そしてコッチの書類は、リヒャルトのお嫁さんについて。教えられることって、ほとんどないんだけどね」
チャーチはその二つを受け取り、ロスカネフ王国をあとにした。
「リヒャルトのお嫁さんのこと、聞いてくれたら、教えたのに」
チャーチの出国をノルバリから聞いたテサジーク侯爵は呟き、
――あなたから、真っ当な情報が得られるなんて、誰も考えませんので。あと情報を得るための努力と、真贋を見極める労力を考えたら…………
ノルバリは黙ってやり過ごした。
**********
チャーチを下がらせてから、
「サーシャ、下がれ」
リリエンタールは、サーシャも下がらせた。
宝石を散りばめた、色とりどりのドレスが飾られている部屋で、二人きりになってから、
「キース」
「はい」
「殺害された婚約者について、いかなるタイミングで説明すべきだろうか?」
おおよその常識ある人間ならば、決してキースに尋ねないことを、事も無げに問う。
「…………あなたらしい」
「お前の中にある”わたし像”が、崩れなくて何よりだ」
ステッキに手を乗せ立っているリリエンタールと正面から向かい合い、
「亡き婚約者のことを、クローヴィスに告げるというのは、誰からかの助言ではありませんか? あなたが、そんなことを考えるなど、到底思えない」
キースは貴人の前での態度としては、不適切な腕を組み、言い返す。
「その通りだ。シャルルが早めに説明を……と、まず最初に事前説明をしてくれたのだ。わたしとしては、それで充分だと思うのだが、シャルルはわたしの口から、わたしがどう思っているのか込みで語れと煩くてな」
「あなたが亡くなられた婚約者に対し、なにか感情を懐いているなど、あり得ない」
「さすがキース。わたしのことを、よく分かっている」
「ふん、あなたを直接知る人間の、ほとんどは分かっていますよ。……シャルル殿下も無茶を言われますな」
「本当にな。シャルルも知っている筈なのだが」
「あなたでなければ、嫌がらせだと判断して、殴り倒しているところですが……はぁ……さすがあなただ、全く感情を感じない」
キースはリリエンタールと私的な話をしたことは、いままで無かった――今回が初めてなのだが、あらゆる意味で難問だった。
「存在した事実と、答えを得られる最適な人選。お前ならば、怒らず答えてくれるであろう? キース」
「はい。本当に、こんな感情のない男に惚れたクローヴィスの、男の趣味の悪さに、頭が痛くなります。相手があなたでなければ、首根っこを掴んで揺すって、上官の権限で別れさせているところです」
「娘には……イヴには優しくしてやって欲しいのだが」
「わたし直属の部下にした時点で、それは無理ですね」
「そうか」
「それではお尋ねしますが、あなたは婚約者の救出のために、赴かれたのですか?」
リリエンタールがシャルルを救出したのは有名な話だが、アナスタシアを助けに行ったのは、知られていない――
「ああ、行った」
「救えなかったのですか?」
「断られた」
「断られ……た?」
**********
リリエンタールへの助言を終えたキースは、退出の許可などとらず、部屋を後にする。
「キース閣下」
キースの外套と、厚い封筒を持ったサーシャが追いかけてきた。
サーシャも外套をしっかりと身につけ――キースは外套を取り、一人で袖を通す。
「馬車はいらん。その封筒は、クローヴィスについての案件だな?」
頷くサーシャを眺めながら、外套のボタンを留める。
「書類を作っているのなら、最初から渡せってんだ」
封筒を寄越せと手差し出したキースに、
「ご自宅まで、同行いたします」
そういう命令なので……と、サーシャは封筒を抱えて礼をする。
「そうか、好きにしろ」
封筒を取り上げても良かったが、そのままにしてキースは、建物を出て帰途につき、翌日、キースに中将昇進の内示が出た。




