【062】少将、人事異動に苛つく
―― 北に帰りたい……ラーネリード少尉たちが羨ましい
キース唯一の副官だったリーツマンは、執務室どころか、中央司令部から逃げ出したかった。
「…………」
理由は上官である、中央司令部で総司令官代理を務めるキースの機嫌。
呼ばれた当初はまあまあ悪かった――だが、この程度はリーツマンも慣れたものだった。
リリエンタールの自宅に電話を掛けたあたりから機嫌が急降下し、史料編纂室室長と昼餐を取ったところで底に到達……と、北方から来た元の部下たちも思っていたのだが、
「…………」
キースの目の前に置かれている一通の人事異動書類。
それに目を通したあと――腕を組んで無言になった。不機嫌さを表すような仕草はなかったのだが、殺気が漏れ出し、
「手続きをしてまいります」
呼び出された事務担当のニールセン少佐も、入室を一瞬躊躇ったが、躊躇っていてもなにも解決しない……と、すぐに気を強く持ち執務室に入り、事情を知って早々に退出した。
中年太り体型そのもののニールセン少佐だったが、その時の動きは往年以上だったかもしれないと、往年の彼を知らないリーツマンは思った。
一人部屋に取り残されたリーツマン――話し掛けたくない気持ちしかないのだが、仕事をしなくてはならない。
気まずさや怖さで黙っていたら、身に危険が迫る。
「次の予定ですが……」
――女性士官を部下にしたくないのは分かるけれど、これほど怒る……ことなんだろう……か? むしろ、現状だと受け入れそうなものなんだけどなあ
隣国フォルズベーグ王国からの要請を受け、ガイドリクスが出兵すると発表され――クローヴィスはガイドリクスの副官からキースの副官へと異動になった。
――任を解かなかった時のほうが、怒りそうなんだが……
ただそれを問うほどの勇気はなかった。
その日、仕事を終えたリーツマンは、まず胃薬を飲んだ。
**********
キースの元に届いた人事異動に関する書類。
その前――アルドバルド子爵に事情説明を求め、やっと時間が合い、司令部の一室で行われた昼餐。
アルドバルド子爵はいつも通り、つかみ所がなかった。
「息子、生かして帰してくれてありがとうね。生きて帰ってくるとは思ってなかったから、びっくりしちゃった」
「自分の官舎で殺すと、後片付けが面倒だからな。まあ、お前の息子一人埋める穴くらい、三十分以内に掘れる自信はあるが」
「司令官閣下にそんなお手数はおかけいたしませんよ。呼んでくれたら、片付けるよ」
にっこりと笑うアルドバルド子爵は、怖ろしいことに、目が本当に笑っている。
「そうか。それで、クローヴィス少尉を城に連れて行った理由は?」
「んー保護目的」
本当の答えは返ってこないとは分かっているが、語る理由のそれらしさに、
「お前が保護な」
キースは気のない返事を返す。
食えない男との会食だが、それを気にするようなキースではないので、料理をしっかりと味わい、
「はい、L抜きの手紙」
アルドバルド子爵からリリエンタールの指令書を受け取る。
手に取ってすぐ乱暴に封を開け――目を通す。そこには「近日、お前が気にしているクローヴィス少尉がサファイア勲章をヴィクトリアから受ける。そこにお前が出向くと、面倒だろうから、欠席するよう整えておいた。授賞式後、ガイドリクスはヴェルナーを伴い、フォルズベーグに出向くので、もうしばらく総司令官を務めよ」と書かれていた。
「殿下になにかあったら、どうするつもりだ?」
ヴィクトリアが退位し、ガイドリクスが即位するという「流れ」を知っているキースは、内乱状態の隣国に何故向かわせるのだと、食後の赤ワインを楽しんでいるアルドバルド子爵に詰問する。
「なんにもないから、大丈夫だって」
「…………」
誰が「大丈夫」と言ったのか?
この話の流れではリリエンタールしかなく、それならば、間違いなく「大丈夫」なことをキースはよく理解している。
「殿下は前線に出ないことは、分かってるでしょう? 実際指揮を執るのはフェルディナンド君だ」
「それなら、ヴェルナーでいいだろう」
「かなりの兵を動かしたいんだって。たしか五千だったかなあ。中佐の彼には、五千の兵は動かせない。その点、殿下は元帥だから、総動員掛けられるじゃない?」
「五千を動かしたいなら、わたしでいいだろう。ヴェルナーとわたしは不仲ではない」
「ゴメン。うちの妹が殿下を襲おうとしてるじゃないか。身を守るために、国から遠ざけることにしたんだ。それが一番確実だって。妹はわたしと同じで、戦争は大の苦手だから。こういうところ、兄妹だよね」
「それで、妹御は本当に殿下の妻の座を狙っているのか?」
「うん。リヒャルトが戻ってきたから、自由に動けなくて、大急ぎで作戦を変えた結果が、この有様。焦ってなにをしでかすか分からないのが、出兵最大の理由」
「そういう理由ならば、仕方ないが。逆に五千も派兵すると、妹御の手の者も入り込みやすくなるだろう。二千がいいところ……殿下が指揮するとなると、五千は必要か…………出兵補給の計画は?」
「リヒャルトがやってくれた」
「あれなら、百万の指揮と補給くらい、一人で苦もなくできるだろう」
連合軍時代、副官としてリリエンタールの近くにいたキースは、脅威の実力を知っている。
「サファイア勲章が授与される当日、議会で出兵と予算の決議が行われるから。出席してね」
キースが授賞式を欠席する理由――だった。
「わたしは、あの男に任せ切りは嫌なのだが」
「分かってる。でもリヒャルトに全権を預けると完璧だよね」
「それはな」
「今回の出兵は、他国の試験販売と重なるから、国はそんなに戦わなくても大丈夫……だって。はいはい、これが資料」
アルドバルド子爵の部下が、食事前に足下に置いていった鞄から、取り出した書類をキースは受け取り目を通す。
「装甲武装蒸気機関車と列車砲を、アディフィンに売ると」
リリエンタールが所有している蒸気機関車工場で、新型の装甲武装蒸気機関車と、武装にあたる列車砲が完成した。
「フォルズベーグ内乱は試しと慣らしには丁度良いんだって。怖いよね、ヴィルヘルム君」
新型兵器。
素人総司令官――異教徒の皇太子スレイマンは、こういった大型の新兵器を「お披露目」などと称して、大事な局面で使いたがるが、普通の指揮官は新型武器を、大事な局面で初使用などしない。
新しい技術を全く取り入れないのは問題だが――武器というのは、信頼性が重要。
大事な局面では、実績のある兵器を用いるほうが確実。
兵器を扱う兵士たちも、大事な一戦で使い慣れない新兵器を渡され、思うように扱えないくらいならば、信頼ある旧型のほうが良い。
エジテージュ二世がカイと手を組み、共産連邦との戦いに、新しい武器を投入しようとしていた理由は、他国の兵士に使わせ、新型兵器の利点や弱点を洗い出し、購入を検討しようとしていたため。
エジテージュ二世は戦いの基本は、しっかりと学び、決して疎かにしないので――徴兵され、自国に碌な武器がない兵士たちに、最新の武器を持たせ……という計画だった。
「共産連邦のスパイが来ているのが前提か」
列車砲の性能がおしげもなく記載された資料に、キースは目を通しながら。
――有効射程距離100km、弾頭速度1,350 m/sか……これが資料通りだとしたら、共産連邦も攻め倦ねるな
「彼らは何処にでもいるからね」
「一番言われたくない相手に、言われているな。……酷い価格だ」
装甲列車と列車砲を合わせた金額は、ロスカネフ王国の国家予算の八割が飛ぶ。これに維持費用や、消耗品費用が追加される――ロスカネフ王国には、購入不可能な兵器。
「適正価格らしいけど。売る時は最大80%引きにするそうだよ」
「試験を兼ねているからか?」
「うん。試験用としてヴィルヘルム君に売るのが80%引き、オトモダチ価格で、試験用以外に弾頭を100ほどおまけしてあげるんだって。アディフィン王国には親族割で30%引き。我が国でも買う? ”頂戴”って頼んだら無料でくれると思うよ」
「あいつに恵んでもらうつもりはない。なにより、こんなものを動かす兵士を育てるほど、余裕はない」
兵器は使いこなせてこそ。使いこなすためには、繰り返し訓練が必要になり、それには膨大な費用がかかる。
「だよね。我が国はフォルズベーグに五千の出兵を行い平定して、我が国も戦えることをヴィルヘルム君の周辺を探っている、共産連邦のスパイ達についでに見せておいて、しばらく時間を稼ぐんだって。納得いかなかったら、あとはリヒャルトに聞いて」
「充分だ」
「資料はあげるよ。わたし、読んでも頭に入ってこないからさ」
アルドバルド子爵とそんなやり取りをしたことを思い出しながら、
――ああ、確かに完璧だな。殿下の出兵に女性士官を伴わず、その士官を中央に不慣れな俺たちの補佐にあてる。どこにも破綻はねえ……だが、なんか気に食わん……いや……
机に広げられていた人事異動の書類を綺麗にたたみ、机の引き出しに放り込んだ。




