【046】少将、王族と会う
中央駅の医務室でヒースコートとの会談を終えたキースは、その足で官舎へと向かった。
官舎の場所、諸々の鍵はヒースコートから渡された。
用意されていた馬車二台に分かれて乗り込み――用意された官舎は、庶民からすると立派な門構えの邸だった。
小国で臨時代行ながら一国の総司令官が住むには小さいのだが、キースは代理で一時的に預かるだけという可能性が高い。
馬車に積み込んだキースと副官リーツマンの私物を運び込み――キースは国体変更後の街の変化を見る目的で私服に着替え、中央駅で渡された鍵の一つをズボンのポケットに入れ、護衛の半分を連れて乗ってきた馬車で街へと出た。
国体が変わってすぐの首都――つい先日まで王都と呼ばれていた、ロスカネフ王国の中心市街地は、数ヶ月前キースが訪れたときよりは、やはり不穏の芽が見え隠れするが、先代や先々代の崩御直後もこのような空気だったことをキースはよく覚えている。
”この程度なら、問題なく対処できる……そろそろ指定の店だな”
「あの赤い看板の店の前に停めろ」
キースは馭者に指示を出し、食事が取れる店の前に馬車を停め――馭者に二時間後にここに戻ってくるよう命じ店に入った。
連れてきた護衛も私服姿なので、キースだけがテーブルについて食事を取っていると目立ち過ぎるので護衛全員がテーブルにつき、大皿から料理を取り分けて食事を取る。
もちろん黙々とただ食べるだけでは目立つので会話も――ラーネリード少尉と、これからの予定について話し合いをしながら。
食後、ラーネリード少尉だけを連れて道を挟んだ向かい側にあるバーへ。
「早めに戻ってこい」
伴った他の護衛たちには、先ほどの店と、他の店から副官と邸に残った護衛たちの食事を買ってくるように命じ、一時的に遠ざけた。
キースが待ち時間を潰すと言って入店したのは、元は倉庫だった建物を改築したバーで、やや明かりに乏しいものの――そのほの暗さが、密会には持って来いだった。
「ラーネリード。黙っていろよ」
「はい」
まだ高官の密会になれていない護衛に指示を出してから、キースはカウンターの向こう側にいるバーテンダーにビールを注文し、自分のポケットから剥き出しの紙幣をカウンターに置く。
「ビールを」
注文は普通だが、キースがカウンターに置いた紙幣は、若いラーネリードは見たことがないものだった。
それはヒースコートから渡されたルース帝国紙幣。
バーテンダーは黙ってそれを受け取り、
「裏から取ってきますので」
一度裏へと消え――すぐに戻ってきて、ジョッキにビールをなみなみと注ぎ、カウンターに二つ置いた。
片方のジョッキの取っ手に手を預けるも、動かずそのまま――そうしていると、一人の男性が近づいてくることにラーネリードは気付いた。
護衛として動くべき事柄なのだが、事前に動くなと命じられていたのでそれに従う。ラーネリード少尉は注意深くその人物を観察し、近づいてきた男性が貴族軍人らしいことに気付いた。
「らしい」というのは、貴族軍人とはまた違う雰囲気を感じたため。
長い黒髪を低い位置で一本に結わえたその男性は、キースの前に置かれたもう一つのジョッキを手に取り、目礼をしジョッキに口をつける。
「ビールは苦手でね」
黒髪の男性はそう言い――嫌いなのに口を付けたのか? とラーネリード少尉は不思議に思ったが、間違っても呟いてはいけないことなので、しっかりと口を閉ざす。
「知っておりますよ。今度会うときは、ワインにいたしましょう」
「君は赤が好きだったね」
「ええ。よくご存じで」
「もちろん。長い付き合いじゃないか」
「それほどでも」
短いやり取りが終わり、キースは手にしていたジョッキを空にして、バーを出た。
食料の買い出しを終えた部下たちを、乗ってきた馬車に乗せて帰し、キースはラーネリード少尉だけを伴い、客を降ろしたばかりのタクシー馬車にいきなり乗り込み「すぐに出せ」と馭者に命じ――ラーネリード少尉は馭者が手綱を動かすと同時に、なんとか車体に飛びつき、乗り込むことができた。
「司令官の護衛は、こういうこともある。経験がものをいう行動だな」
「はい」
危険が差し迫っているわけではないので、タクシー馬車に乗り込むことを教えてもよかったのだが、こういった平時に訓練をしてこそ、有事の際に動けるようになる。
帰宅後、キースはまだ食事を取っていないものに許可を出し、ラーネリード少尉を一室に呼び、
「バーの男をどのように感じた?」
先ほどの馬車と同じく、バーでの出来事について知らなくてもいいが、軍に籍を置いている以上、また若くして要人警護を任されるような士官ともなれば、これらのやり取りについて覚える必要がある。
黙っていても優秀な人材が育つなどということはないので、上官として機会を見つけて教え込む。
「貴族軍人のようにお見受けしました」
敬礼し答えるラーネリード少尉の姿に、
「見る目は確かだな」
見所があると推したアーレルスマイアーの目の確かさも実感した。
「ありがとうございます」
「バーで会ったのは、王弟殿下だ」
敬礼したままのラーネリード少尉は、あきらかに驚いたが、声を出したり姿勢が崩れたりはしなかった。
「事情は教えられないが、身の危険があるので、情報局のほうで匿っている。軟禁されている王弟殿下は、いわゆる影武者だ」
「はっ!」
「殿下と影武者の入れ替わりが終わったら、お前にだけは教える。それまでは殿下と呼ばれる人間を庇う必要はない」
「畏まりました」
「もちろん手紙や電報、無線などで事実を伝えるわけにはいかないから、暗号になる」
キースはやり取りの方法や符丁を決め、
「何があろうとも口外するなよ。まあお前は北方に戻ることになるから、ヒースコートに聞かれる可能性はある。その場合は答えてもいい。ヒースコートは今回の件にも関わっているからな」
「御意」
起こる可能性についても教えて部屋から下げ――翌朝、昨晩買った料理を温めた朝食を取り、礼服に着替えて官舎を出て、ヒースコートが事前に予約を入れた理髪店で身だしなみを整えて王宮へ。
「辞令を受ける前というのは、面倒ですね」
司令本部内には早朝から開いている理容室があり、司令官ならば理容師を呼ぶこともできるのだが、キースはまだ辞令を受けていないので、司令本部内の施設を自由に使うことができない――だが辞令を受けるためには、軍礼服を着用し、身だしなみを整える必要がある。
本日キースに「臨時代行」の辞令を交付するのは女王。
陛下の御前に自分で整えただけの姿で出るのは、失礼にあたる。
「そうだな。ただ司令官というのは貴族の役職だから、自宅に理容師がいたり、通いがいたりするものだからな」
仕事が溜まっていることもあり、朝一番の辞令――午前十時に受け取ることになっているので、辞令交付が行われる王宮に九時には到着する必要があった。
となれば理容室へはそれよりも早い時間に、それも護衛も含めてとなると、かなり早くから……ということで、頼んで開店時間を早めてもらったのだ。
「陛下との昼餐のあと、司令本部にて訓示を行い、夜は政府に出向している高官の方々と晩餐となります。晩餐客のリストはこちらに」
王宮へ向かう馬車の中、副官から本日の予定を聞かされたキースは、
「昼餐か……仕事だとは分かっているが」
分かっていることだが、深いため息を吐き出した。
要人として他の要人と会って、交流を深めるのも仕事だとは理解しているが――女王との昼餐は気が重かった。
”興味をなくしてくれているといいんだが”
ヴィクトリアがこんな中年ではなく、若い男に興味が移っていることを期待して式に臨んだが、キースの期待はあえなく潰えた。
辞令を交付するときのヴィクトリアは潤んだ眼差しを向けてきた。それは少女のものではなく、情欲で濡れた雌と表現するのが相応しいもので、辞令交付式の際に女王が浮かべてよい表情ではなかった。
式後、休憩を経て、晴れ渡った秋空が大きな窓から望める食堂で、キースは予定通りヴィクトリアと昼食を取る。
もちろん非礼に当たらないよう、会話もする。
性別も階級も経歴も年齢も、何もかも違う二人なので、会話に花が咲くということはない――もっとも思っているのはキースだけだが。
「キース」
「はい。なんでございましょう、陛下」
「授爵をまた蹴ったと聞いたのですが」
司令官ともなれば授爵されるのが慣例なのだが、キースは拒んでいた。
「はい。わたくしには、貴族は務まりませぬ。まして爵位など」
キースは貴族になりたくはない。有爵貴族になれば、今以上に配偶者が必要となる。
「総司令官ともなれば、伯爵位どころか侯爵位でも授かれるというのに……あなたは無欲ね、キース」
”当てこすられてる……わけでもないようだ。庶民で司令官になった俺が、無欲なわけないだろうが。なにより結婚したくないんだよ、お前さんと”
「光栄です」
授爵してしまうと、女王の配偶者になりかねない。
平民が王配になるのは立憲君主制になったとはいえ無理だが、退位した女王ならば。その相手が伯爵位以上を授かっていれば――
「ところで、そろそろ結婚を考えたほうが、いいのではありませんか?」
ヴィクトリアの発言はおかしいものではない。
一司令部を任される将校ともなれば、結婚していて然るべき――そういう時代だ。
「よく言われますが、今のところは考えておりません」
「そうですか……ねえ、キース」
「はい」
「わたくしが行き場を失ったら、あなたは助けてくれますか?」
ヴィクトリアは憂いを帯びた表情を浮かべたが、瞳が表情と相反する欲を隠しきれておらず、生来の美貌が台無しになってしまった。
「平民の一将校に出来ることなど、ないとは思いますが。戦わねば失われるということでしたら、軍人として陛下のために戦い、その場を守る覚悟はいつでも持ち合わせております」
”ガルデオの息子がいなくなっても、退位しても、殿下がいれば大丈夫だろう。殿下は俺なんかより、ずっと優しいから、行き場を失うなんてことはないだろうに”
キースは礼を失わない会話を続けた――ヴィクトリアに気を持たせる会話をしていたわけではない。二十歳も年下で国内最高位についている女性に対し、失礼がないよう接しているだけ。地位も常識もある大人としては、当然の態度だった。
ただヴィクトリアは、それを正しく受け止めることができなかった。
そのことにキースは気付いているし、周りの大人たちも気付いているのだが、諭したところで、叶わぬ恋に落ちた女性には届くことはなかった。
背後で後押しする者が、ヴィクトリアの身近にいつもいるために――なによりも欲しい言葉を囁いてくれる者たちが。




