【194】総司令官誘拐阻止戦・後処理5
自宅に戻ったクローヴィスは、家族に心配を掛けたことを気にしながら、眠りに落ちた。
その枕元にはクローヴィスの継母ライラが椅子に座って、寝顔を眺めている。
継母は薄くなってきたクローヴィスの額の傷に指を伸ばし、優しく触れる。人の気配に敏感なクローヴィスだが、深い愛情を持った手は、クローヴィスの眠りを妨げることはない。
ライラはクローヴィスが軍人になることを、当初は反対していた――裕福な中産階級の家庭の母親にとって、娘の進学先に士官学校など最初から存在しない。
進学したいのならば、大学に進んでもいいと思っていたし、クローヴィスは女性に門戸が開かれている学科ならば、どこへでも進学ができるほど優秀だった。
「カリナ」
「ねね、ねね!」
カリナが一歳頃に、親戚たちと一緒にピクニックに出かけた。
その日は、青空が美しい晴れの日だった。
まだ幼いカリナはライラが抱き、走り回る親戚の子どもたちと、本人は全く本気を出していないが、誰にも捕まらないクローヴィス。デニスは早々に捕まって、草原に転がっていた。
強い風が吹いた。
カリナに被せていた帽子が飛びそうになったので、ライラは押さえ――運悪く紐が解けていたライラの麦わら帽子は風に飛ばされた。
ぐんぐん遠ざかる、淡い緑色のリボンがアクセントの麦わら帽子。
ライラが「あ……」と思ったその時、クローヴィスが麦わら帽子を捕まえた。青空に広がる金髪、そしてまるで飛んでいるかのようなクローヴィス。
それは有り触れた表現だが、一枚の絵画だった。
帽子を捕まえ着地したクローヴィスは、また他の子どもたちから逃げながら、
「はい。継母さん!」
ライラに麦わら帽子を渡して去って行く――ライラのところに近づくと分かって、待機していた子どもたちを華麗に笑顔で避けながら。
クローヴィスと同い年、少し年上の年代も混ざり、クローヴィスを追いかけるがクローヴィスを捕まえることはできなかった。
その走る姿がとても美しかった
他の誰とも違う、完璧な美しいフォーム。娘が美しいことなど、ライラは知っているが、青空のもと、笑顔で走り飛び、ロングスカートの裾を僅かにはためかせながら、空中でくるりと回るその躍動感溢れる美しさ――それはカリナを幸せそうに眺めているのとも、デニスと会話している時とも違う、動的なクローヴィスの美しさ。
このまま、体を動かすことなど一切ない、普通の進路を選ばせてはいけない気がして――ライラは進学を許した。
クローヴィスが額に大きな傷を負って帰ってきたときは、進学を許したことを後悔したが、
「草原を走るクローヴィス嬢は美しい。あの躍動感ある美しさは、たとえ容姿が今のように世界で最も美しくなくとも、わたしを魅せ、こうしてご両親に語ってることだろう」
クローヴィスの結婚相手は、クローヴィスの美しさをよく知っていた。クローヴィスは元気に動き回っている時が、もっとも美しい。
ライラはクローヴィスの額にキスをする。心配は尽きないし後悔することもあるが、決断は間違っていなかったとも。
「もう登庁するの?」
昼過ぎに帰って来た翌日、クローヴィスはいつも通りに起床し、登庁の準備を整えた。青痣だらけの体だが、それを見ていなければ、分からないほどいつものクローヴィスで、背筋はまっすぐで、動きがぎこちないということもない。
「うん。何があったか知りたくて」
一般的な軍服とは違う、親衛隊の軍服に袖を通し、隊長を示す腕章を左腕に通す。
「カリナがやってあげる」
腕章が落ちないように裏側についている紐を。制服についているボタンにひっかける。
「ありがとう、カリナ」
「姉ちゃん、恰好いい」
「カリナにそう言ってもらえると嬉しいな」
登庁準備を終えたクローヴィスは、
「行ってきます!」
「行ってくる」
「もしかしたら、遅くなるかもしれないけど、心配し……ちゃんと連絡入れるようにするから、うん」
「そうだよ、姉ちゃん!」
「そうはいっても、親衛隊ってそういうものらしいよ」
「兄ちゃん、軍人さんのこと、知らないでしょ」
「まあね!」
デニスとカリナと共に家を出た――カリナを真ん中にして家を遠ざかる三人を、ライラは見えなくなるまで眺めていた。
「さあ、ライラ。二晩も休んでいないのだから、休みなさい」
「あなた」
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司令本部から脱出し、異端審問官たちとのやり取りを終え、安全が確保されている部屋に入ったキースは、すぐに外部と連絡を取り、連絡手段を手に入れてから各方面へ――
「今のところ分かっていることだ」
ベルバリアス宮殿に集まった政府や軍の高官たちや大臣たちに、分かっていることを書面にして伝える。
書き起こすという行為は一見面倒くさそうだが、示し合わせた集合ではなく、次々と人が集まる状態なので、一々説明するより、書面にしたほうが、事実を伝えやすい。
街中、そして司令本部で暴れたのは、枢機卿の私生児……この記述が目に入ってきた時点で、ほとんどの高官は事件の隠蔽について考えを巡らせた。
そうしていると、今度はヒースコートから「レアンドルを匿っていたクルンペンハウエル邸の使用人が全て殺害されている」との連絡が届き、
「知らなかったのでは」
高官が呟いたが、
「枢機卿の愛息は、今回が初めてではない。クルンペンハウエルがただの庶民ならば、騙されたも通じるが、貴族ならば知っていなければならないことだ」
財務大臣のモント伯爵は、普段の温厚さからは考えられないような冷たい口調で吐き捨てた。
「その枢機卿の愛息こと、オディロン・レアンドルに対して、ロスカネフ王国はどうするか? わたしの意見は、なかったことにしてもらうだ。他に意見があるのならば言ってくれ」
全員キースの意見に同意――ゾンネフェルト大佐もその場にいたが、キースと同意見だった。
一国家としてそれ以外の選択はない。
処罰などできない相手なので、これに関してはすんなりと決まった。
全てをなかったことにする――各新聞社などに対し、今回の一件に関して一切触れぬよう命令を下す。
もっとも重要な方針を確認してから、司令本部で殺害された軍人たちを二階級特進させるかどうか? などについて話し合い――事件そのものが「なかったこと」扱いなので、これに関しては意見が割れた。
存在しない犯人を鑑みて、特進はさせないが、退職金などの額を二階級特進の階級に合わせて支払うなど議論が交わされる。
そんな話し合いが行われ、昼が近くなった頃、
「会議お疲れ」
キースが直々に使者を立てたというのに、会議にやってこなかった官房長官ことテサジーク侯爵がやっと姿を現した。
今頃……と思う面々もいたが、
「アーダルベルト君……じゃなくて、総司令官閣下。リヒャルトとの面会、セッティングしてきたよ」
この一言で、キース以外の者たちは、許さざるを得なかった。
「リリエンタール閣下が会ってくださると?」
「今回はシシリアーナ枢機卿だね。聖職者の代表として会ってくれるって」
「それは、それは」
「政府側の代表は一名だけ。誰を代表にする?」
”お前が行け、テサジーク”と喉まで出かかったキースだが、もちろん、そんな事は言わなかった。
なにより、
――クローヴィスに会いたいから、面会を受けて下さったのは明白だ
リリエンタールにとって今回の出来事は些事にも満たないもの。わざわざ時間を取ってくれる理由など、クローヴィスに会いたい以外ない。
無理なくクローヴィスをリリエンタールの元へと連れていけるのは、当然ながらキースのみ。
「誰にする?」
テサジーク侯爵は、隈ができ、髪も乱れて、髭もまばらに生え始めている、疲労困憊な彼らをぐるりと見回す――大臣たちは全員、視線を逸らさなかった。
国体が変わったばかり、過渡期の政治家なので、全員性根が据わっている。
「ここは一つ、くじ引きでどう?」
全員が代表になってもいいと――ということで、テサジーク侯爵が「早々に決めよう」と案を出し、全員が合意してくじを引いた結果、
「なにか細工などはしていないだろうな? テサジーク」
「ええー。もしも細工していたら、総司令官閣下には引かせないよ。ダニエルとかヘンリクにするよ。細工して総司令官閣下に引かせるとか、あり得ないよ」
キースが代表者に選ばれた。
そこで一端休憩となり――キースは短時間で風呂に入り、身支度を調え直し、待っていたテサジーク侯爵と遅めの昼食を取った。
「もちろんくじは細工したんだけどね」
「わざわざ言わなくていい。あの人が、会いたいのだろう?」
そんなのは、聞かないでも分かっていると――一口大のサンドイッチを口に放り込みながら返す。
「うん」
「あいつも会いたいだろうからな。そうだ、テサジーク」
「なに?」
「誰を少佐に推薦するか、考えておけ」
「総司令官閣下のお好きなように」
「まったく」
サンドイッチを食べ終え、濃いめのコーヒーを一気に飲み干し、少しソファーに横になり――夕方の四時から、再び会議が始まった。




