【190】総司令官誘拐阻止戦・後処理1
「大佐。こいつを何処に……」
無害化したレアンドル――聖職者なので、何処へ運べば良いかを、クローヴィスはサーシャに尋ねたのだが、司令本部へ近づいて来る、馬蹄の音に、途中で言葉を止めた。
クローヴィスには”何となく”、馬を駆り近づいてくる一団が、軍人ではないと――確信に近いものがあった。
その勘は的中し、深夜の司令本部に正装した異端審問官の一団が現れ、レアンドルの身柄の引き渡しを要求し――クローヴィスはサーシャの指示を仰ぎ、身柄を引き渡した。
――二度と逃がさないで下さいよ、スパーダさま。また逃がそうものなら、妃殿下は地の果てまで追いかけかねません……いや、追いかけます
――シシリアーナ枢機卿に今回の一件を報告するのは、気が重い……アンジェロ、あなたもでしょうが。ああ、絶対に逃がさないから安心してください。わたしは知っています。もしもオディロンを逃がしてしまったら、シシリアーナ枢機卿の守護天使が、追うことは分かっています。あの目にはわたしも覚えがありますから
二人は一瞬視線を交わし、絶対にレアンドルを逃がさないと誓い合い――異端審問官たちは去っていった。
異端審問官たちが去ったあと、クローヴィスが「不本意だけど、仕方ないよね」という表情をしていることに気付いたサーシャは、
――妃殿下が望めば閣下はオディロンから全ての特権をはぎ取って、ロスカネフに引き渡すけどなあ
そのことを教えようかと思ったが、後日、閣下が直接持ちかけるかも知れないと考えて言わないことにした。
「ユルハイネン、負傷者を軍病院へ。お前たちも全員ユルハイネンについていって、診察を受けるように」
仕事に関しては切り替えの早いクローヴィスは、異端審問官に引き渡したレアンドルのことなど、もう忘れたとばかりに、矢継ぎ早に指示を出す。
もちろん口頭だけではなく、文字でも――受け付けからノートと筆記用具を持って来させて、指令書を書く。
まず最初に呼んだのは、当直の軍医と衛生兵たち。
呼び出された彼らは、正面入り口までやってきて、その惨状に驚きながらも、ハインミュラーの骨折した足に添え木をあてるなど、応急処置を開始する。
「トロイ中尉を呼んで来い。五人編成隊でだ」
「はい、大尉! いくぞ!」
クローヴィスたちの戦いを黙って見ていることしかできなかった伍長は、突き出された命令書を受け取り、戦いの凄まじさに、いまだ恐怖に囚われている状態の部下を次々と殴り、蹴って正気を取り戻させてから走り出した。
「ユルハイネン。一応指令書だ」
ユルハイネンは、部下たちを病院へ連れていくために、まずは応急処置を施し、いまはもっとも重傷の骨折したウィルバシーの腕に添え木を当てて、自分のベルトで固定していた。
「ポケットに突っ込んでいただければ」
「分かった」
クローヴィスがユルハイネンの胸ポケットに指令書をねじ込んでいると、数名の部下を連れたトロイ中尉が、走ってやってきた。
「トロイ中尉。東と北の棟責任者に事態の説明を。何ごともないかと思うが、隊を組織していけ」
到着したばかりのトロイ中尉に口頭での命令とともに、数枚の指令書を書いて渡す。その指令書は五枚ほどで、東と北の棟責任者に対するものもあった。
「はっ! 大尉」
命令を受けたトロイ中尉は、自分が連れてきた部下たちと、自分を呼びに来た伍長たち一隊を連れて、再び建物の中へと戻った。
襲撃者が去り、事後処理特有の音や声が上がり始め――
「大佐、どうします?」
人が入り乱れ、この場から逃れやすくなったところで、クローヴィスはサーシャに声を掛けた。
「増援がくるまで、大尉と一緒にいるさ。……正直、大尉の護衛と名乗るのは、恥ずかしいのだが、つかせて貰っていいか?」
「はい。でもご無理なさらないでくださいね」
美しく煌めく緑色の瞳を、少しだけ開き、小首を傾げかけるクローヴィス。
――些細な嫌がらせから守るのはできるかもしれないが、戦闘になろうものなら、普通の人間の手には負えない…………レアンドルなら……だがレアンドルも結局は負けた訳だから……ヒースコート閣下をつけ…………あの人はなあ
敵が現れたら逃げないどころか、誰よりも早くに距離をつめて攻撃するだろうクローヴィスを前に、警護体勢の見直しを図る必要があるなと、サーシャは深く溜息をついた。
護衛殺しなクローヴィスは、そんなことに気付くこともなく、門の前で援軍を待った――司令本部にやってくるまでの間に、サーシャからレアンドルは単独犯だということを聞いていたクローヴィスは、さほど戦闘に優れていない兵士たちだけで隊を組んで、歩き回っても問題ないだろうと……思っていたのだが、
「規律違反の負傷者発見。その他問題あり。指示を仰ぎたいので、ご足労願いたい……か」
援軍が到着する前に、司令本部内で問題が発生したとの連絡が届いた。雑にちぎったノートのページに、かなり急いで書いたのが見てとれる文字。このメモを書いたのは、クローヴィスの四歳年上で、一年後輩の士官。
「軍医の手配は?」
正面入り口でハインミュラーたちの応急処置を行っていた軍医は、重傷者を乗せた馬車に乗り込み軍病院へと向かったが、司令本部の宿直軍医は、まだ五名ほどいる。
「小官がメモを届けるために部屋を出るより前に、軍医の元に人を送っていました」
「そうか」
ただの負傷者ならば救助だけで済むが、規律違反の上に負傷。さらに問題が発生――現在司令本部は緊急事態に伴い、クローヴィスがトップ。
そのトップをわざわざ呼び出す理由とは何だろう? と――実際はこれ以上ないほど「ろくでもない」ことなのだが、呼ばれた後「指示を仰ぎたくなるよな」とも思った。
そんなろくでもない現場へ向かうクローヴィスは、正面入り口を守っている兵士の中で、もっとも階級が高い者に、援軍が来る・もしくは自分が戻って来る迄の間を任せることにした。
「ヴェルナー大佐が援軍を率いてくる。ヴェルナー大佐以外が援軍を率いてやってくることはない。それ以外の高官が部隊を率いてきたら、問答無用で撃ち殺せ。銃を乱射しても構わん」
「ヴェルナー大佐だけ?」
「そうだ。ヴェルナー大佐以外が、援軍を率いて来ることはない」
「総司令官閣下は?」
「絶対に来ない。責任と立場を分かっておられる方だ。安全と判断される前に顔を出すような真似はしないはずだ。なによりヴェルナー大佐が許さない」
キースに対してはまだ部下になって日が浅いこともあり、憶測が混じると自身でも思っているが、ヴェルナーの動きに関しては自信があった。
「大佐のことは、少しは分かるんだ」
避難した司令官が本部に戻ってくるためには、さまざまな手順がある。それを知らないキースではないことを、クローヴィスは分かっているが、同時に自分がここに居るのでキースがやって来ようとする可能性も捨てきれない。
分かっているので、早くにこの場を去ったほうがいいのだが、いま司令本部でもっとも地位があるのはクローヴィス。とくにクローヴィスは親衛隊隊長という分かりやすく、権限がはっきりとしている地位に就いているので、命令系統が混乱しない。
だがクローヴィスがこの場を去れば、間違いなく混乱する。だからこの場を去ることはできない。そして去らないことをキースも分かっているとクローヴィスは分かっている。
だからキースが司令本部に戻って来ようとする可能性もあるが、ヴェルナーが決して許さないことを、クローヴィスは知っている。
複雑な感情などはなく、ただシンプルに。この瞬間、クローヴィスはキースよりもヴェルナーのことを信頼している。
「はい、大尉」
”例え総司令官であろうとも、通すなよ”と難しい命令を下された兵士に正面を任せ、クローヴィスは呼びに来た部下の案内で司令本部へと入り――到着したのは司令官の仮眠室だった。
貴族司令官用の仮眠室前にいた兵士が敬礼し、
「どうした?」
足を一歩踏み入れたクローヴィスは、血となにかが混じった嗅いだことのない嫌な匂いに眉をひそめ、ぐるりと室内を見回す。
かつて貴族司令官が、軍費で整えた、海外製の壁紙にシャンデリアに、絨毯にベッドを含む家具。
シャンデリアが吊されても、充分な空間がある、天井の高い室内。そのシャンデリアに明かりが入り、室内が明るく照らされているのだが、同時に不自然な影も落ちていた――飛び散った血がシャンデリアにこびりついていた。
手が込んだ天板が目をひくベッドに覆い被さるように処置をしている軍医以外は、全員クローヴィスに敬礼をしたが、全員の表情は曇っていた。
その曇り具合は「悲惨な場面に遭遇した」と言うより、蔑みが入っているようにクローヴィスは感じられた。
「軍医……これは?」
軍医の背後からベッドをのぞき込んだクローヴィスの目に飛び込んできたのは、どうやら下半身に何も身につけていない少尉。
はっきりと分からないのは、軍医が股間の辺りを毛布で覆い手で押さえているため。逆にそんなに必死に隠しているので「下半身が完全に無防備なのだな」とクローヴィスも分かったが、初老の軍医は若い女性士官の目にさらすものではないと、隠したのだ。
「背骨を折られたようです」
「一撃で?」
「はい。痣が一箇所にしかありません」
司令官ではない男が、司令官室のベッドで下半身を露出したまま、負傷により動けないでいる。
”たしかに指示を仰ぐ案件だろうな”とクローヴィスは思ったが、
「それで、わたしを呼んだ理由は?」
これだけが理由で、呼ばれたのではないことも分かった。
「こちらを」
治療の為にベッドから降ろされた掛け布団……だと思っていたクローヴィスは、捲られた掛け布団の中から現れた惨たらしい死体に、少しだけ口元を歪めた――口元を隠すような仕草をしなかったのは「その仕草は弱く見られるからするな」と教えられていたからである。
その歪められた口元だが、クローヴィスの美をなんら損なわず、また他者の目には歪んだとは映らなかったが。
「若い女です。おそらく娼婦かと」
「要するに、当直の士官が本部に娼婦を招き入れ、司令官の仮眠室で性行為をしていたところ、襲われたと……軍医、少尉は話せる状態か?」
「先ほど麻酔を投与したので、いまは無理です」
「分かった。規律違反も甚だしいが、せめて自分が招いた娼婦くらい襲撃犯から守れ。本当に情けない…………まあ、コイツの実力では無理か。少尉の着衣を全て脱がせてから運び出せ。少尉の着衣に、なにかの証拠が有る可能性があるからな。カメラを二三台持ってこい。証拠写真を撮影する」
軍医によって担架に固定され、衛生兵に運び出される少尉――クローヴィスはレックバリ少尉を横目で見送った。
もちろん敬礼はせずに。




