【154】慈悲、痕跡を残して消える
無事にマンハイムの男と、副司令官用の邦領君主を連れて、教皇領へと引き返すプラチドと、
<大使殺害って……ヤバイやつじゃん>
フィオレンツァは、車中で再び情報交換を行っていた。
<普通は宣戦布告だな。でも、今回は串刺しの大使の死体を前にしても見送るって>
帰りの車中での話題は、リリエンタールによる大使殺害。
<……シシリアーナ枢機卿が?>
フィオレンツァは軍事に関して、明るくないが、大使殺害が宣戦布告になることは知っている。
<どこぞの外務大臣と、そこら辺の軍務大臣もそう言ってたな>
<ふ……ん。その三人が言うなら……共産連邦って意外と弱腰なんだね>
<弱腰なのかどうかは分からないが、軍務大臣が言うには”共産連邦はそろそろ軍事的挑発しようとしたら、アントンから本気の宣戦布告食らって、慌てるだろうな”と……そういうことらしい>
<”いろいろ細けえ仕込みしてんだろうなあ。わたしたちと違って、戦争して勝つ奴等って、ほんと細かいよなあ>
フィオレンツァはリリエンタールの金で買った高級チョコレートを一粒口へ放り込む。
チョコレート特有の苦みと甘さが口に広がり――
<あのさ、大使の死体を乗せた蒸気機関車は、爆発させないの? シシリアーナ枢機卿って、よく爆発させるよね>
話を反芻して、ふと気になったことを尋ねた。
<爆破はしないそうだ>
<へえ、珍しい>
戦争にはあまり興味がないフィオレンツァは、リリエンタールといえば「大爆破」というイメージがあった。
<義弟が蒸気機関車好きだからだってさ>
そのイメージは間違いではないが――ロスカネフ王国に偽大使がやって来た際、蒸気機関車を見学するために、朝早くに出勤し、見事にクローヴィスを特別列車に乗せたデニス。
将来の義弟がそこまで気に入っているのであれば、壊さないでおこう――フィオレンツァは二粒目のチョコレートをつまんだまま、硬直する。
<……あ、ああ。そう言えば女子爵閣下が、嫁の弟は蒸気機関車に詳しいって言ってたな>
<あの人が詳しいって言うなら、相当なもんだろう。とにかく、そういう理由で爆破はしなかったそうだ>
フィオレンツァは二粒目のチョコレートを口へと放り込み、冷えたシャンパンを一気に飲み干し、
<シシリアーナ枢機卿でも、配慮ってするんだなあ。嫁、すげえ……げぷっ!>
蒸気機関車を爆破しなかった理由に謎の感動を覚えながら、炭酸を含んだ空気を豪快に吐き出す。
<おい、修道女>
<気にすんな!>
仕立ての良い服を着て、一等客室に乗り、高級品を口へと運びながら、ひたすら情報交換を続けた。
**********
晩餐会の会場は、宮殿の奥まった小食堂――こういった厳選された小規模な晩餐会に招待されるのは、貴族や要人にとって、とても誇らしいものであった。
【揃っておりますね!】
そんな晩餐会に現れたのは、アディフィン王国でリトミシュル辺境伯爵とともに、リリエンタールの蒸気機関車を奪い走り去り、その蒸気機関車を途中で乗り捨て、リトミシュル辺境伯爵と別れ、寄り道を経て帰国したフォルクヴァルツ選帝侯。
同じときアディフィン王国にいたノークス大司教は、とっくの昔に帰国している。
【ああ、フォルクヴァルツ。無事で何よりだ】
神聖皇帝は席から立ち上がり、無事の帰国を喜ぶ。同じ食卓に着いていた、要人たちも立ち上がり――皇帝夫妻主催の晩餐会の最中にいきなり訪れるという、礼を失した行為を働いているのだが、それをとやかく言う者はいなかった。
本当に突然の訪問だが、神聖皇帝はフォルクヴァルツ選帝侯のことをまあまあ知っているので、今回の晩餐会も席を用意しており――給仕たちは慣れた手つきで料理を用意し、フォルクヴァルツ選帝侯は何ごともなかったかのように、晩餐会を楽しんだ。
【陛下。明日大事な話がありますので、時間をいただきたい】
【分かった。朝一番で】
神聖皇帝としては、今すぐ聞きたかったが、フォルクヴァルツ選帝侯が燕尾服の裾を翻して、去ったので――皇帝が退場してから、招待客が去るのが普通なのだが、これも神聖皇帝は許している。
颯爽と、そして楽しげに立ち去るフォルクヴァルツ選帝侯の後ろ姿を見送った神聖皇帝は、
【気になって寝られぬ】
明日の大事な話が気になって本当に寝付けず――昼寝をすることにきめて、寝ずに夜を明かした。
神聖皇帝の眠りを妨げた張本人は、慣れた足取りで、馬車が待機するポーチへと向かう。
その後から、かけ足と分かる足音が響いてくる。
そのやや重めな足音を聞きながら、フォルクヴァルツ選帝侯は馬車に乗り込み、ドアを閉めようとした召使いを止める。
年の頃が中老の二人の一人、首相が肩で息をしながら、
【はあ、はあ……同乗させてもらっていいだろうか?】
同乗を頼む。
【どうぞ、お待ちしておりました!】
フォルクヴァルツ選帝侯は、二人――晩餐会に出席していた首相と内務大臣ゼークトに声を乗せて、馭者に馬車を出すよう命じた。
馬車に乗り込んだ二人は、息を整えてから、
【国際会議に出席していた、共産連邦の特命全権大使スヴィーニンが死んだ……と言っているのだが】
フォルクヴァルツ選帝侯が不在時に捕らえた共産連邦スパイの自白、その真偽について尋ねた。
【そのスヴィーニンは、間違いなく死にました。この目でしっかりと確かめておりますよ】
【スパイは死亡したことは知っていたが、詳しいことは知らなかったのだが】
厳めしい表情の内務大臣の問いに、
【わたしとヴィルヘルムとアントンでやりました。直接手を下したのはアントン・フォン・バイエラントです】
外務大臣は笑顔で答えた。
【バイエラント大公がか……】
拷問死した共産連邦のスパイよりも、大使殺害に関して詳しいことを知りたかった首相だが、この答えを聞いて隣に座った内務大臣に視線を向けると、首を振られ――リリエンタールが考えていることなど、分かりはしないので、聞いたところで無駄だと無言で諭された。
【外務大臣ではない、ということですな】
【殺す現場にはいましたし、大使の随行員数名を部下に命じて殺害しましたが、スヴィーニンには手を出しておりませんよ。アントンの剣技は、見事なものでした。スヴィーニンは自分が死んだことすら分からぬまま、死にました。あの時のヤツの表情は、そうとしか表現できないものでしたな】
【然様ですか】
馬車内の会話はそれで途切れた――
翌日、フォルクヴァルツ選帝侯はフロックコート姿で、宮殿に上がる。
徹夜開けの神聖皇帝はソファーに横になり、テーブルにはフルーツが盛られていた。フォルクヴァルツ選帝侯は給仕にオレンジの皮を剥くように命じ、身を起こした神聖皇帝は、既に皮が剥かれて皿に美しく飾られていたレモンを口へと運ぶ。
レモンの酸味で眠気を飛ばし――それほど上手くはいかなかったが、座る気力は戻ったので、話を聞く体勢になり、
【……というわけなので、気にしないで下さい】
教皇に迷惑を掛けているケッセルリング公爵を、少しだけ外に出すと告げられた。
【それならば、見逃してくれるだろうな】
ケッセルリングを外に出すなと命令されていた神聖皇帝だが、この特例は認めてもらえることは確信していた。
【はい】
ケッセルリング公爵が逃走する騒ぎが起こるが、心配しなくていいと告げ――フォルクヴァルツ選帝侯が帰ったあと、神聖皇帝はパジャマに着替え、自らの寝室で安らかな睡眠を貪った。
【怪我はできるだけさせないように、注意しろよ】
”殺さないように”と言われているので、安全第一で逃亡劇を行うよう部下に指示を出したフォルクヴァルツ選帝侯の元に、ノークス大司教が直々にやって来たのは、帰国して四日目のことだった。
【ボナヴェントゥーラ枢機卿から、急ぎの親書が】
心当たりがなかったフォルクヴァルツ選帝侯は、やや訝しげに親書を開く。内容はレアンドルが何者かに唆されて居なくなったので、注意していただきたいと――彼が以前起こした事件については、フォルクヴァルツ選帝侯も知っている。
【もう教皇領から出さないと言っていたはずだが】
親書を渡されて目を通したノークス大司教も、レアンドルがどんな人間なのか知っているので、困惑を隠せなかった。
【相当、腕がいいのに連れ出されたようですね】
賢さには自信のあるフォルクヴァルツ選帝侯だが、レアンドルがどんな目的で誰に連れ出されたのか、見当がつかなかった。
【一応、首都周辺を探らせますので、教会のほうに口添えを】
【分かった】
念のために国内を調査すると言ったものの、
――神聖帝国じゃないだろうなあ
自国には足を踏み入れていないことを、なんとなく感じていた。
**********
【閣下! リトミシュル辺境伯爵閣下!】
【辺境伯爵って、あの伯爵閣下か?!】
【閣下! お助けください!】
【昔、閣下の元で戦っていた兵でございます。お助けくださいませ!】
フォルクヴァルツ選帝侯と別れたリトミシュル辺境伯爵は、馬車に揺られて目的地へと向かう途中、目的地から走ってきたと思われる一団と遭遇した。
彼らは馬車から顔をのぞかせたリトミシュル辺境伯爵を見て足を止め――想定していなかった大歓迎を受けた。
【青ざめ震え、股間を濡らして涙を流す野郎共から、歓迎を受けることになるとは】
【一体なにが……】
同乗していた同行していたクサーヴァーは、状況が飲み込めず――彼らが危険な武器などを持っていないかを、確認するくらいしかできなかった。
【どうした?】
リトミシュル辺境伯爵は、彼らに事情を尋ねると、
【人が死んでる! 人がぁ!】
【いっぱい! 刺さってるのもぉ!】
【首ががぁぁ!】
目的地でもあった君主の邸を指差しながら、不穏な単語を絶叫する。
【分かった、わたしが見てくる。お前たちはここで待機していろ。怖いのならば、家に帰っても大丈夫だ。あとで話を聞きに行くかもしれないが。おい、四騎で先行しろ】
護衛の騎兵の半数を先行させ、彼らをその場に残して再び進み、この邦領の君主の邸へと到着した。
【窓ガラスに斬新なオブジェだな】
馬車を降りたリトミシュル辺境伯爵は、玄関上の大きな窓を見上げる。
ステンドグラスがはめ込まれた美しい窓は無惨に割られ、足を外に出した状態で串刺しになっていた。
腰の辺りにカラスがたむろし――
【クサーヴァー、発砲しろ】
死体の検分のためにカラスを追い払う。
銃声を聞いて、先行していた四騎のうち、邸内調査に入っていた二名が急ぎ戻ってきて、邸内が死体で溢れていると報告してきた。
【これは、村人も驚くな】
拳銃を手に邸内に足を踏み入れたリトミシュル辺境伯爵は、リリエンタールから金を貰っているはずなのに、随分と貧相なホールに転がる四つの死体を見て呟いた。
ホールには全身があらぬ方向を向いている、死体が四つほど転がっていた――背中側に顔が、バレリーノでもなさそうなのに、踵が反対側の耳につくほど足が開いていたり。
クサーヴァーや騎兵は驚いているが、リトミシュル辺境伯爵は驚くことなく、ホール正面の階段を登り、窓からはみ出しているついばまれた死体の元へ。
【髪を掴まれ、ここに叩きつけられたようだな。それも片手で】
ガラスに突き刺さっている死体の頭皮の一部は禿げ、死体の髪と思しき一塊の頭髪が側に落ちている。
その頭髪よりも目を引いたのは、死体が握っているメモ帳。
側には鉛筆が落ちていた。
リトミシュル辺境伯爵は死体の手からメモ帳を抜き取り、目を通す。
【……おお! お前だったのかパルシャコフ! 久しぶりだな!】
メモ帳の署名を見て声を上げ、死体の頭部を持ち上げ、
【んー。確かにお前のような気がするな。頭髪の色がお前っぽいから、多分お前だろうな。生きて居たら酷い目に遭わせようとおもったが、まあまあ酷い目に遭ったようだな】
変色しきった顔を眺めてから、
【死体を回収しろ】
死体回収を命じて、メモ帳を読み始めた。
メモ帳はパルシャコフの絶筆――ガラスに串刺しになっても、しばらくの間意識があったので、断末魔を書き記したものだった。
そこに書かれていたのは、殺害されたのは全て共産連邦の工作員で、マチュヒナに裏切られたとも。
そして自分を殺害したのは――
【オディロ……で息絶えたか。オディロ、オディロ……オディロンか。噂には聞いていたが……戦闘員ではないとはいえ、一通り護身術を身につけている工作員十五名を、一人で殺害するとはなあ。進む道を間違ったとしか言いようがないな】
事故で一族が死に絶えた、アレクセイの婚約者の実家、マイトアンバッハ家の後始末にやってきたリトミシュル辺境伯爵は、想像もしていなかった事態に遭遇した。
この時、従僕のペーターは一族の墓に隠れ難を逃れたつもりだったが、マチュヒナによって入り口に細工され、ドアが開けられなくなり餓死寸前の状態になっていた。




