【152】教皇軍総司令官シャルル、最高軍事顧問に現状を聞く
「作戦は順調なんですか?」
クローヴィスの誕生日に関する準備が一段落した執事は、喫煙室でリリエンタールにそう尋ねた。
「とくに問題はない」
リリエンタールは煙草は吸わず、ウィスキーに口をつけていた。
「総司令官のわたしに分かるよう、現状を説明して」
執事が総司令官を務めるのは教皇軍――遠征軍の下準備がどうなっているのか? と、リリエンタールに尋ねたのだ。
「カイ・モルゲンロートが上手に小麦を売りさばいている」
「…………戦費にするために、外貨を稼いでいるってこと?」
戦争の話をしているのだから、戦争に関することなのは執事にも分かる。
カイ・モルゲンロートが異教徒の帝国で、皇帝の寵愛を一身に受ける皇太子スレイマンの元にいるのも知っている。
そして異教徒の帝国が小麦の一大産地で、余剰分は外貨を稼ぐために輸出していることも――
「スレイマンが潜水艦で味を占めて、最新の武器を揃えたがったので、父親が小麦の輸出量を増やした」
スレイマンの国は最新の武器を作れる工場はないので、欲しければ外国製品を輸入するしかない。
息子のスレイマンが欲しがる武器を全て購入するために、小麦をいつもより多く売りさばくよう命じると、
「……もしかして、人工的飢饉?」
国内で飢饉が発生する――戦争に目が眩み、徴発や無謀な外貨獲得で、国民を飢えさせたことがない王など、まずいない。
「皇帝とスレイマンだけならばそうなったであろうが、カイ・モルゲンロートがいるので上手く回避した。用意した小麦を闇で通常よりも、かなり高値で売って武器購入の代金を用立て、余剰分の小麦を国内に戻した」
「や、やみ? どこのやみが小麦を高値で買ってくれるんですか?」
”闇”と聞いた執事は、非合法組織を真っ先に思い浮かべ――そのような組織が、小麦を高値で買うのか? と。
「共産連邦」
「…………ああっ! 大規模作戦は、どこかで繋がってるって知ってるけど! ここも繋がってたのかあ! ……そこを詳しく教えなさい」
以前執事が概要を聞いた際には「共産連邦と教皇軍が戦火を交えることはない」と聞かされていた。そうなることを執事は疑っていないが、準備段階で入り交じることまでは、想定していなかった。
「共産連邦の元帥は名将だということだ」
「だーかーらー! わたしのような素人には、それじゃあ分からないって言ってるんだよ!」
「……マルチェミヤーノフとヤンヴァリョフ、共産連邦の両元帥は、非常に優れた軍略家であり、戦略家である」
「なるほど、マルチェミヤーノフとヤンヴァリョフね…………これほど人をバカにしている台詞もない! その二人、戦争であんたにどれほどボッコボッコにされたと思ってるの!」
執事がいう「ボッコボッコ」とは、リリエンタールが連合軍を率いた時のこと。その時以外、リリエンタールはこの二人と戦ったことはない。
執事は連合軍に司祭として従軍し両元帥――当時は少将だった二人が、行く先々で軍を壊滅させられているのを、目の当たりにしていた。
「マルチェミヤーノフは軽く右頬を一度叩いた程度、ヤンヴァリョフは脛を一回強打したくらいのものだ」
リリエンタールは二人と戦ってみて全体の作戦上、ヤンヴァリョフのほうを、少し強めに叩いた。
キースをして「あの当時の追い詰められたヤンヴァリョフなら、死神とリリエンタールどちらと戦うか選べと言われたら、迷わず笑顔で死神を選ぶ」というほどに追い詰めたのだが、リリエンタールにとっては、脛を一回強打した程度くらいの認識しかない。
「あれで!! あれが!! あれが!! 素人のわたしからしたら…………ま、まあいいや。それで?」
リトミシュル辺境伯爵やフォルクヴァルツ選帝侯が「セリョージェニカが地獄を見ている姿が、面白くて仕方ない」と――この二人にとっても、ヤンヴァリョフは確かに地獄を見ていたのだが、リリエンタールにとってはそうでもなかったのが、二十年目にして初めて明らかになった。
「共産連邦はどこかの国を爆破し、混乱に陥れんがために、気付かれぬよう、涙ぐましい努力をしながら侵略の準備を国外で行っている」
「努力が全く報われてないけど、それで?」
「軍隊を国家外で動かすためには、食糧が必要だ。無能な将であれば、現地調達しろと命じるところだが、マルチェミヤーノフとヤンヴァリョフは名将ゆえ、そのような指示では、敵に気取られてしまうことを熟知しているので、補給には細心の注意を払う」
ここまで聞けば執事も分かった。
軍隊が国外で「隠れて」行動するために必要な食糧を、出来るだけ人目に付かずに調達する必要がある。大陸内の小麦はリリエンタールに知られると考え、異教徒が売り出した小麦に目をつけた。
カイ・モルゲンロートは、小麦を全部売るような真似はしたくなかったので、共産連邦に口止め料込みということで、高値で売った。
「――っていうことだよね?」
「そうだ」
両勢力はリリエンタールの目を欺くべく、必死にやり取りしている――そう、しているのだが、何故か執事の向かい側に座り、六十年物のウィスキーを飲んでいる「彼らが欺きたい相手」は全て知っていた。
「敵の敵は味方って……やつ? かな? 共産連邦って、あんたの敵だったっけ?」
「共産連邦にとって、わたしは人民最大の敵のようだ。わたしは敵だと思ったことはない。味方だと思ったこともないが」
「あ、うん……そうだな。カイが余剰分は国内に再流通させたのはどうして? あいつの性格なら、売り飛ばすんじゃないの?」
カイ・モルゲンロートは、人々が餓死したところで、何の痛痒を感じるような男ではない――が、
「民が死ねば兵士が減る。兵士がいなければ、カイ自身の身の安全が守れないからだ」
今回は兵力が落ちると困るので、餓死者が出ないよう手を回した。
「…………カイが恐れているのは、あんたですよね」
「そのようだ」
「うん、まあ、マルチェミヤーノフとヤンヴァリョフとカイの共通の敵ではあるんだね、あんた」
「クシノフやリヴィンスキーにとっても敵のようだが」
「共産連邦人民最大の敵だもんね。それにしても、異教徒の皇帝は、ほんと息子に甘いね。亡き寵妃の面影を残した息子って、そんなに甘くなる…………実子にもの凄く甘くなりそうなのが、目の前にいた」
執事は手酌でスパークリングワインを注ぎ、喉へと流し込む。
「わたしか? …………全く想像が付かんな。わたしはイヴにしか、興味を持てないような気がするのだが」
いままで何ごとにも興味を持ったことがなかったリリエンタールは、まだ見ぬ「実子」について話題を振られ――実子を甘やかすというのが、どういうことなのか、理解できなかった。
「そういうこともあるけど、実子が可愛かった場合は、甘やかし過ぎては駄目ですよ」
「分かった。まあ、生まれるかどうかは分からぬがな……血が濁り過ぎて、イヴに子を与えられぬかもしれぬ」
近親婚の果ての生まれとも言えるリリエンタールにとって、これだけはどうすることもできなかった。
「あ……まあ、そこはわたしがお祈りしておくな」
同じような近親婚の末裔である執事も、それしか言えない――
リリエンタールは飲み干したグラスをサイドテーブルに置き、紙巻き煙草を一本取り出し火を付けた。
「祈りで思い出したのだが、もしかしたら、お前は遠征を行う際に、司令官の座を降りている可能性もある」
「ん? あまりに司令官らしくないから、下ろすの? それはそれでいいけど」
リリエンタールは煙を吐き出し、軽く首を振る。
「下ろすというより、下りるだ。わたしが庶民と結婚するので、お前も庶民と結婚する可能性が出てきたから、前向きにな! ……とイヴァーノから速達が届いた」
教皇軍の総司令官は、聖籍が必要――結婚する場合は、それを失うので、当然ながら司令官の職から退かなくてはならない。
「速達の無駄使いだろ、それ」
「イヴァーノだからな。ただわたしも、そこまでは考えていなかった」
「わたし自身、全く予定はないけれど……わたしの身になにかあった場合も、考慮しておくべきだよね」
幸せな結婚のような慶事で還俗するだけではなく、神の国へ招き入れられることも考えなくてはならない。
「そうだな。ちなみに次の総司令官はアマデオ・オンディビエラになる」
教皇軍の総司令官は、成り立ちから王族が務めるのが慣わし。リリエンタール、執事が教会から離れれば、次はアマデオ・オンディビエラ――グロリアの二十人目の婚約者がその職務を引き継ぐことになる。
「それは、絶対わたし以下! それだけは断言できる! わたしになにかあったら、アマデオは殺してくださいよ! さすがに、それは最悪だ!」
「イヴァーノもそのつもりだ」
「聖職者として、それでいいのか? と思うけど……アマデオだからなあ。ベネディクトを総司令官にするのは?」
ベネディクトとはリリエンタールの兄、ノークス大司教のこと。彼はアマデオより血筋もよく、地位もあり、変なことはしなさそうなので――複数の役職を兼務しても問題はない。
「ブリタニアスが遠征軍に協力しない可能性が出てくる」
「海軍が?」
「そうだな」
執事が聞いた作戦の概要では、ブリタニアス君主国の精強な海軍も使う予定だが――総司令官がブリタニアス君主国にとって、憎いカールの子孫にして後継者問題を複雑化させた原因の孫となれば、議会の動きが悪くなるのは目に見えている。
「相変わらず、王族問題って尾を引くね。となれば、コルネリアスやゲオルグも駄目か。たしかにアマデオは小国の王子で、カールの血は引いていないね……アマデオを亡き者にしたら、次は誰?」
執事の言うコルネリアスやゲオルグとは、フォルクヴァルツ選帝侯の親戚筋――ブリタニアス君主国の王を殺害したカール直系子孫の一族なので、ベネディクトよりも強固に嫌われる。
「適任がいないので、どこかの貧乏邦領君主を買って、司令官の座にそえるのはどうだろうか? という案が届いた」
「速達で?」
「速達だな」
「…………ま、まあ。わたしが結婚するかどうかも、分からないからね」
執事も手元のシガレットケースから葉巻を取り出し、火を付けた。
「まあな」
二人とも無言で煙草を薫らせ――手紙に書かれてはいないがボナヴェントゥーラ枢機卿が、その方向で既に話を進めているのは明らかだった。
「人って、誘惑に抗えないですよね」
「そうかもな」
自分やオンディビエラよりは、遙かにましな総司令官を選べる――その誘惑に勝つのは、難しいものである。




