【151】室長、休暇を勧められる
リリエンタールに呼ばれたテサジーク侯爵が、呼び出し場所である城を訪れると――
「リヒャル……なにしてるの?」
「来たか、フランシス。なにをしているかという質問についてだが、練習をしている」
「君がわざわざ練習するってことは、クローヴィス大尉を抱き上げる用意をしている? ってことでいいのかな?」
家令の案内で部屋に通されたテサジーク侯爵の目に飛び込んできたのは、リリエンタールがいつもどおりの不機嫌な表情で、執事をプリンセスホールドしている姿。
抱き上げられている執事は、少し怯えたような表情をしている。
――原因は、あそこに転がってるヒューバート君だよね。きっとリヒャルトが、投げ捨てた? 気にせず乱暴に置いた? とにかく、まあ……やる事なす事、専制君主だよねぇ
「そうだ」
「そうなんだ」
リリエンタールは大股で壁際のソファーに執事を転がすようにして置いてから、何ごともなかったかのように振り返り、
「ベルナルド、ヒューバート、行くぞ。付いて来い、フランシス」
目的の部屋へ向かうと――テサジーク侯爵が連れて来られたのは、謁見の間。ドアが開けられ、
「……うわぁ。久しぶりに見た。もう二度と見なくていいと思ったのに」
一歩足を踏み入れたテサジーク侯爵は、突如現れたルース皇帝の玉座の間を前に、そう呟いた。
「お前の目からみても、ルース皇帝の玉座の間で間違いないな?」
「わたしに聞かなくても、君なら分かるでしょ?」
「確実を期すためにな」
リリエンタールはそう言い玉座の脇を通り抜けて消え、執事が後を追う。
「フランシスならば、細部まで覚えているであろう……と」
残ったハクスリー公爵は、室内を面白そうに見回しているテサジーク侯爵に、謁見の間を再現した理由を伝える。
「そういうこと。まあ、クローヴィス大尉絡みじゃない限り、リヒャルトは謁見受けたりしないもんね」
「そうだと思います」
「それにしても、久しぶりだなあ」
テサジーク侯爵はそう言いながら玉座へと近づき、躊躇うことなく腰を下ろした。ハクスリー公爵は驚いたが、
「ルース玉座は持ち出したって聞いてたけど、本当だったんだね。懐かしいなあ。ウラジミール宮殿に潜入する都度、腰掛けたものだよ」
「…………」
――さすがメッツァスタヤ……
いつもの害がない笑顔で肘掛けを摩るテサジーク侯爵を前に、なぜリリエンタールが彼を呼んだのかを理解した。
「どうだ? フランシス」
リリエンタールは、謁見用の軍服に着替えて戻ってきた。
「それ、仕立てたの?」
テサジーク侯爵は玉座に腰を下ろしたまま、ルース帝国の軍服に白テンの毛皮で作ったマント。もちろんマントの紋章はルース帝国のもの。
「そうだ。完璧であろう?」
リリエンタールがこのデザインの軍服を最後に着用したのは、もう二十年近く昔のこと。王族らしく軍服は残っていたが、十代後半の頃に比べて随分と手足が伸びており、とても着用できるものではなかった――体格が変わっていなかったとしても、リリエンタールは新調を命じたであろうが。
ルース帝国の紋章をあしらわれたマントは、この短期間で作るのは難しかったので、かつて皇帝たちが即位の際に着用したものを使用することに。
白テンの毛皮そのものは、大量の在庫があるのだが、それはクローヴィス用なので使わなかった――
「うん、完璧にルース皇帝だね」
テサジーク侯爵はそう言い、玉座から立ち上がって席を譲り、リリエンタールはそこに腰を下ろし、ハクスリー公爵が近づき、マントの裾を広げる。
「座り心地はどうだった?」
「昔と変わらないね」
「そうか。わたしは、座ったことがないのでな」
「持ってるけど、座らなかったんだ」
「わたしが倉庫にわざわざ足を運んで、座ると?」
「君はそんなことしないね」
「そう言えば、フランシス。お前が今まで座った玉座の中で、一番座り心地が良かったのは、どの国の玉座だ?」
リリエンタールは頬杖をついて尋ねる。
「どこもそんなに変わりはないね。一番座り心地が悪かったのは、異教徒の帝国の皇帝の椅子だね。純金製で宝石が埋め込まれてるの。もちろんクッションを敷いて座るものだけど、あれは座り心地悪いね」
「なるほどな。機会があるから、座ってみるとするか」
「機会、あるんだ」
「滅ぼすのだから、当然あるだろう。財宝を持ち逃げる暇など与えぬ」
「へー。でも財宝を持たせないってことは、殺しちゃうの?」
「皇太子は殺す。皇帝は野に放つが共産連邦の、おそらくわたしの狗に殺害されるであろう」
「そこまで決まってるんだ」
テサジーク侯爵はリリエンタールの側を三回ほど回り、
「うん。どの角度から見ても、間違いなく宮殿で謁見を受けてやる、ルース皇帝だよ」
太鼓判を押した――記録上は、一度もルース皇帝に会ったことなどないテサジーク侯爵の意見を、
「そうか」
謁見を一度も受けたことのない、十八代ルース皇帝は採用した。
「君と彼らの謁見、面白そうだから、観に来てもいい?」
「構わぬが」
「やった。それでさ、リヒャルト。さっきの練習についてなんだけどさ――」
テサジーク侯爵に聞かれたリリエンタールは――はクローヴィスの誕生日にしたいことを、ヒースコートに告げ、
「”それは練習なさったほうが、よろしいでしょうな”と言われたのだ。あれの女性に関する助言は無視できぬのでな」
そういう流れになったのだと語った。
「なるほどねえ。じゃあ、レイモンド君に教えを請うたら良かったんじゃないの? 君は臣下に教えを請うのも、厭わないだろう?」
単に今まで、教えを請う出来事がなかっただけで、必要であれば気にはしない――リリエンタールはそこら辺は無頓着だった。
「レイモンドに教えろと言ったのだが、あれ曰く”小官は女性を口説くこと、エスコートすること悦ばせることは、習わずとも出来たので。リリエンタール閣下の軍略と同じようなものですよ。いや、もしかしたら、それ以上かもしれませんな”……と、断られた」
「ああ。そうだね、ヒースコート君はその辺りも天性だもんねえ。ヒースコート君からしたら、女性を満足に抱き上げることができないって、謎だろうね」
「おそらく。なので、地道に練習してみようと思ったのだが……こう、つまらんのだ。というか”わたしは何をしているのだろう”という、虚無感に襲われた」
「あー」
男性ではなく女性を練習台にすべきだとか、なんなら女性を貸すよ……そうテサジーク侯爵も言いたいところなのだが、残念ながらテサジーク侯爵の部下に、クローヴィスのような体型の女性はいなかった。
――シャルル君はもちろん、少しは鍛えているヒューバート君でも、練習台にならないくらいの体格だもんねえ。皇妃と体格が似ている人……陛下がもっとも近いけど……
王家の影を統べる男として、国王を練習台にしてみたらなどとは、言ってはいけないのだが、
「クローヴィス大尉と体格がもっとも近いのは、うちの陛下だと思うよ」
テサジーク侯爵フランシスが、言わないはずがなかった。
「ガイドリクスか」
「陛下は良い人だから、引き受けてくれると思うよ」
「たしかに、あれは事情を話せば引き受けるであろうが」
――わたしを床に転がしていいから、それはおやめ下さい
ハクスリー公爵は一人、ひっそりと悶絶していた――ちなみに執事は「それ、いいかも」と思っていた。
「そうそう、ついでだから、報告しちゃうね。フロゲッセルのことなんだけどさ」
リリエンタールに言われていた、フロゲッセル領近辺の調査について、
「……っていう感じ。君の予想どおりだったね、リヒャルト。いつもの事だけどね」
答え合わせは全問正解だったよと報告した。
「それほど難しいことではないからな」
「かなり難しいんだけどね」
「そうか。ところで、フランシス。忙しいか?」
玉座で頬杖をつき、足を組んで話すリリエンタールの姿は、テサジーク侯爵が見たことのある皇帝たちよりも、遙かに皇帝だった。
「忙しいよ。ほら親衛隊の身辺調査とかも振られてさあ」
「そうか。では休んでいいぞ」
「え? どうしたの?」
「金さえ貰えばなんでもすると、豪語していたゲイルが、金を積んだのにもかかわらず、断ってきたのだ」
「へえ……ちなみに、どんな仕事を追加しようとしたの?」
ヒューズ・ゲイルのことはテサジーク侯爵も知っている。
豪語するだけあって、才能はある――
「イワンが入手しようとしている、ダイヤモンド鉱山を、わたしが手中に収めて開発することにしたので、開発準備に取りかかれと命じたのだ」
「彼ってアバローブ大陸の、リヒャルト所有のダイヤモンド鉱山採掘の、責任者だよね」
「そうだ。ノウハウを持っているから、出来るだろうと思ったのだが、たかが一大陸でダイヤモンド鉱山開発一つに、都市計画一つ程度で音を上げた」
ただ世の中には上には上がいる……その「上」の頂点のようなリリエンタール。
彼は金さえ払えば、自分と同じくらい出来るのだろうと仕事を振ったのだが、残念ながら彼の才能はリリエンタールほどではなかった。
「そうなんだ」
「そうだ。それでベルナルドに、たしかに忙しすぎる、休暇を与えてやれ……と言われた。で、フランシス。お前とゲイルを比較すれば、お前のほうが遙かに忙しい。お前自身、忙しいと言っていた。だから休むか? と聞いたのだ」
リリエンタールは頬杖を止め、足を組み直した。
「何時だって暇で、休憩で外出するとなかなか帰ってこないけど、特に問題ないのが史料編纂室の室長だよ」
忙しいと思う?――と言われ、
「そうか。では――」
忙しいとは思っていなかったリリエンタールは、次の一手の先の先――その更に先について、準備をするよう指示した。




