【150】子爵、勅命を依頼する
「あー疲れた」
リリエンタールが「イヴだけのデビュタント」を目論んでいるなど知らない執事は、クローヴィスの誕生祝いの準備に注力し、やっと一段落ついたので、手近なドローイングルーム――天井高13メートル、吊り下げられているシャンデリアのクリスタルは二千個、異教徒の国で作られた高級絨毯が敷かれ、名だたる芸術家の手による絵画が壁を埋め尽くしている部屋へと入り、この部屋でもっとも歴史があり高価なソファーに腰を下ろして、背伸びをした。
「ほんとにもう、疲れた」
疲れた疲れたと言っている執事だが、その声は弾み表情は柔らかく、この準備を楽しんでいるのは明らかだった。
なにより執事自身楽しく――疲れたと口にするのは、リリエンタールの幸せに浮かれている自分に対しての、照れ隠しだと分かっていた。
リリエンタールほどではないが、執事もクローヴィスの存在に心を躍らせ、この状況を楽しんでいた。
執事がソファーに凭れていると、従僕が側のテーブルに焼き菓子を載せた皿を置き、白ワインをグラスに注ぐ。
――わたしたちの口には合うんですけど、妃殿下のお口に合うかどうか。ご家族のお口に合うワインを探る機会が欲しいなあ
執事は白ワインを口に含み、ロスカネフ王国の中産階級にはあまり馴染みのない、ワインについて深く考えていた。
「ん? 誰ですか?」
そうしていると、ドアがノックされ――
「失礼いたします、殿下」
ヒースコートが顔を出し――執事は”入っていいですよ”と手招きをする。
「あの人に会いに来たんですよね」
ヒースコートは部下を二名伴っていた。
「はい」
「分かりました。案内しますね」
案内すると言った執事は従僕に持ってこさせたレターセットに、流れるように宮廷語で「レイモンドが会いに来たから、大人しく部屋で待ってろ」と認め、城内伝令係に持たせた。
「連絡が来るまでの間、なにか飲みますか?」
リリエンタールがどこにいるのか? 執事は知らない――もちろんこの城の主であるリリエンタールは、一々誰かに「何処へ行く」などとは言わないので、伝令係は上級使用人たちに聞いて、居場所を捜さなくてはならない。
「では殿下が飲まれているワインを」
この城は実に広大なので――リリエンタールがいる区画は大体決まっているが、それでも往復には時間がかかるため、
「わかりました」
こうやって持てなす。たとえ前触れがなかろうとも――相手によってではあるが。
ちなみに執事は城内でも単独行動、及び、行き先を告げずに歩くことは推奨されていない。
使い終わったレターセットを載せたトレイを持っていた従僕は、一礼して部屋を出ていく。
「そこの二人。その節は、世話になりましたね」
執事はヒースコートの二名の部下――ネクルチェンコ少尉とカムスキー軍曹に声を掛けた。
その節とは、冬にサーシャの元へ向かう途中、メッツァスタヤに取り囲まれたあげく、ピヴォヴァロフに誘拐されそうになった一件のこと。
執事を助けたのはヒースコートだが、その後サーシャの元へついて来てくれたのが、この二人。
直立不動の二人は会釈をするだけ。
「なにか贈ろうか?」
護衛が口を開かないことは知っているので、執事も気にすることはなく、ヒースコートに尋ねる。
「必要はありませんよ」
「そう言われるとは思いましたけどね」
「頼みはありますが」
「ふーん」
先ほどの従僕が、他に一名の従僕を連れ戻ってきた。
もう一名の従僕は立食用のテーブルを運んできた。
そこにワインを注いだグラス、チーズの生ハムの盛り合わせを配膳して壁側へ。
ヒースコートは立ったままワインを口に含み、高級ワインの名を挙げる。
「そうですよ。あなたなら、分かって当然ですけれど」
「わたしや殿下の口には合いますが、もう少しフルーティーなほうが宜しいのでは?」
ワインの味を楽しんだヒースコートの提案に対し、執事も”誰”とは聞かない。
「そう?」
「ええ」
「じゃあ、そっち方面も、あたらせてみますね」
「試飲会には、是非ともお呼びください」
「もちろん。心の底からいいますよ。あなたが頼りです、レイモンド」
「ご期待に添えることを、断言いたします」
「お前のそういうところ嫌いじゃないよ。ところで、わたしに頼みってなに?」
「二人の跪拝する姿を見て、おかしなところがあったら、直してやって欲しいのです。わたしも確認いたしましたが、ここはやはり殿下に確認していただくのがいいと思いまして」
「そんなことでいいの? いいですよ。今すぐにでもどうぞ」
二人は「軽い!」と思ったが、すぐに気を取り直して礼を取り、細かいところを幾つか指導され――そうしていると、リリエンタールから「図書室」との連絡が届いたので、そちらへと移動した。
従僕は図書室前で待機。
リリエンタールは稀覯本が並ぶ図書室のソファーに座り、紅茶を飲みながら本のページをめくっていた。
「来たか。それで?」
リリエンタールは本から視線をあげ――
「このギルベルト・ネクルチェンコを、妃殿下の護衛隊長に推薦いたします」
ヒースコートは一歩下がり、ネクルチェンコ少尉を前へと押し出す。
リリエンタールは本を閉じ書見台に置き、ネクルチェンコ少尉を眺める。
「お前が推薦するのだから、これ以上は、いないのであろう?」
「そうですね」
「良かろう」
ヒースコートはネクルチェンコ少尉の肩に手を乗せ、下がるように軽く力を込め、続いてカムスキー軍曹をネクルチェンコ少尉の補佐として推薦した。
「まあ良かろう」
「あとの八名ほどですが、採用試験を突破しないことには選べませんので、まずはこの二名を、ご覧に入れようと思いまして」
「この二人は採用試験を確実に突破できる……ということか」
「その見立てです。まあ、採用試験がどのようなものなのか、全く分からないので、断言はできませんが」
「お前でも予想できないのか? レイモンド」
「総司令官閣下にお尋ねしたところ”親衛隊隊長の初仕事として、採用試験の全裁量を与えた”とのこと。厳しいことだけは分かりますが、どういう試験を持ってくるかまでは分からないですね」
ヒースコートの思わぬ一言に”イヴはどんな試験を考えるのであろう。あの娘のことだから、きっと……”とリリエンタールは思考を巡らせた――ちなみにクローヴィスは自分の体力を軸に試験を考えたため、四回ほどヴェルナーに「バカか! 誰も突破できねえぞ、こんなもん! 選ぶ気ねえのか! クローヴィス!」叱られ試験の練り直しを命じられていた。
元鬼教官の慈悲が入った試験だが、受験者にとって人生でもっともハードだったのは言うまでもない。
当然、この若い少尉と軍曹にとっても。
「そうか」
リリエンタールはちらりと二人を見て――あとは何も言わなかった。
「訪問した理由はもう一つ。妃殿下を護衛する十名の拝謁を受けて下さいませんか?」
「拝謁?」
リリエンタールは頼まれて拝謁を受けるような性格ではないが、
「はい。護衛に必要なのは、誰を護衛しているのか? どのような人物を護衛しているのか、はっきりと分からせるのが重要であります。妃殿下は自分が皇后であるという自覚はございませんし、なくて結構。持つ必要はございません。ですが護衛たちには教え込む必要があります」
「ふむ」
「自分たちは皇帝の唯一を守ることを命じられたということを、皇帝自ら護衛たちに語り、命じていただきたい」
「良かろう。で、レイモンド。わたしは世界でもっとも数多くの”皇帝”の称号を所有しているのだが……それたちに命じる時は、どの皇帝となればよいのだ?」
クローヴィスの護衛への訓示ならば、謁見の間で平民に直接声を掛けるのは――厭わないどころか、自らの妃だと語れることに、喜び”らしき”ものを感じていた。
「これは失念しておりました。もちろんルース皇帝です。なにせこれたち、そして残り八名もルース人ですので」
「わたしはルース皇帝の称号は所有していないが」
「皇帝はすでに亡く、後継者の称号をお持ちなのですから、名乗っても問題ないかと。なによりこの世界で、あなたをルース皇帝と認めていない者などおりません」
「いるではないか。アレクセイ然り、イワン然り」
「認めていないとは聞いておりません。アレクセイがルース皇帝を名乗ったとは聞きましたが、自称皇帝など、飲み屋や娼館などには大勢おりますので、その類いのものでしょう」
ヒースコートが言うとおり、アレクセイはどこでも「自称・ルース皇帝」としか思われていない。ルース帝国が滅びるのを消極的に望み、傍観した彼らだったが――ルース帝国はなくなっても、ルース皇帝は絶対者として存在していた。
「…………ふっ。キースには黙っているのだぞ。ベルナルド、謁見の間をルース仕様に変更せよ」
一つの城の謁見の間の仕様が変わるなど、通常であれば城を外敵に落とされでもしない限りあり得ないことなのだが、この城の持ち主であるリリエンタールは、確固たるあり得ない存在だった。
「分かりました。ネクルチェンコとカムスキー、礼儀作法は教えますから、気軽にここに訪れなさい……といっても、不自然ですよね。レイモンド、しばらくここに泊まりなさい」
「もちろん、そのつもりでおりました」
「そうですか。では晩餐の時間になったら人を遣りますから。あんた、レイモンドに妃殿下とのデートプランを語って、手直ししてもらいなさい」
「手直し前提なのか? ベルナルド」
「もちろん」
執事はそう言って、
「二人とも、殿下に従え」
レイモンドの命を受けた二人とともに、図書室を後にした。




