【148】永遠、共生する
「主席宰相閣下は、クローヴィスの妊娠に前向きなのか?」
「欲しいとは仰っていましたが」
クローヴィスを交え、結婚後も軍に女性士官を残すためについての話し合い――その合間にキースは「進展らしい進展が見当たらない部下」に、二人の関係はどうなっているのか、直接的に尋ねた。
聞かれたクローヴィスは「セクハラですよ! パワハラですよ! いいけど!」など内心で叫んでいるが、キースからすると「遠回しに聞いても、理解しないだろうから、出来る限り直接的に」――キースの言い分は尤もであった。
キースが尋ねて返ってくるクローヴィスの返答……のリリエンタールとのやり取り。省略せず、会話をそのまま正直に答えているのがはっきりと分かる。
――ツェサレーヴィチもクローヴィスに、迂遠だったり華美だったりする表現を使うと通じないことは分かっているようだな
クローヴィスの前に出ると、あまり頭が働かないリリエンタールだが、その辺りは分かっていた――普段の怜悧な頭脳の95%くらいは稼働停止しているが、残り5%でも大凡の人間は太刀打ちできないので。
「女でもいいだろう。むしろ主席宰相閣下は、お前に似た娘が欲しいんだろうよ」
「わたしは運良くリリエンタール閣下に優しくしてもらえましたが……リリエンタール閣下のような方が、そうそういるとは思えないので」
クローヴィスは照れつつも、幸せを滲ませながら微笑む。
その表情は幸せな恋愛を語るに相応しい、輝かしく優しいものだった。
自分の娘のような年齢の部下が、幸せを感じている姿はキースとしても喜ばしいものだった――相手がリリエンタールであっても。
惚気にあてられるほどではない、初々しい話しぶりを微笑ましく眺めていたキースは、そのクローヴィスよりも、はるかに自分との付き合いが長いヴェルナーの表情を見て悟った。
水差しに手を伸ばし――クローヴィスは驚くほどに優秀だった。
「お前の反射神経には驚かされる、クローヴィス」
――額の傷は、ツェサレーヴィチを庇ってだったな。疑っていたわけではないが、見事なものだ
美しい緑色の瞳が、キースに対して「いきなり何をなさるのですか!」という感情を込めた視線を向ける。
それは先ほどまで、恥じらいと共に幸せを浮かべていた、ふんわりとした瞳と同じとは到底思えない――次に備えて周囲をうかがう、軍人の眼差しだった。
キースは空になった水差しをテーブルに置いて、クローヴィスを伴って部屋を出て、事情が分からず、そわそわしているクローヴィスを帰した。
「ツェサレーヴィチすら陥落させるようなヤツだ。驚きはしないが」
キースは今日の朝に提出された、クローヴィスの入寮届けを眺める。
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キースに水を掛けられそうになった所をクローヴィスに庇われ、一人掛けのソファーごと倒れ、放置された形になったヴェルナーは、二人が部屋を出てすぐに起き上がり、書類をまとめて部屋を出た。
「オクサラ」
書類を鍵がかかる自分の机の引き出しに入れ、
「はい」
「俺は明日休む」
「うぇ? あ、はい!」
おかしな声を上げたオクサラに何も言うことなく、司令本部をあとにする。
ヴェルナーにとって眠る為と荷物置き場でしかない官舎に戻り、ソファーに腰を下ろして、業者に手配して整えている庭を眺めた。
「あ…………」
ヴェルナーは喉に触れ――何故か声が出てこなかった。
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ヴェルナーに水を掛けた翌日、司令本部で寝泊まりしているキースは、早めに起きて身支度を調え、司令官用の備品室からコーヒー豆を一袋持ち出し、登庁したウルライヒに、医務室から氷嚢一つとタオルを数枚持ってくるよう命じた。
何をするのだろう? と思いながら氷嚢を持ってきてキースに渡すと、
「わたしは今日一日休みだ。フェルディナント・ヴェルナーの官舎に行く」
本日の予定変更を告げられた。
「お供いたします」
「要らん。リーツマンと共に、今日の潰れた予定の調整をしろ」
キースはコーヒー豆と氷嚢を鞄に入れて、登庁してくる部下たちが足を止めて頭を下げる間を抜け、司令本部を出た。
合い鍵を持ってきたキースだが、ヴェルナーの官舎のドアノブに触れると――玄関ドアは施錠されておらず、すんなりと開いた。
「フェル」
遠慮など一切せず家へと上がり、キッチンに鞄を置き軍服のままソファーに座っていたヴェルナーの襟首を掴み、引きずるようにしてキッチンへと連行して、シンクに頭を押しつけるようにして蛇口から水を浴びせかけた。
キースが手を離しても、ヴェルナーはそのまま水を浴び続け――キースはヴェルナーの官舎に置きっ放しにしている私服に着替えた。
靴まで履き替えてからキッチンへと戻ると、上半身がしどどに濡れたヴェルナーが髪をかき上げていた。
キースは持ってきたタオルを一枚掴み手渡す。
ヴェルナーはそれを受け取り、自室へと戻り水を吸った軍服から着替えた。
タオルで髪を拭きながらキースが来た時に居た部屋へと向かうと、テーブルには無造作に開けられたコーヒー豆の袋と水の入ったコップが二つ、向かい合っておかれていた。
「来たか」
キースがコーヒー豆を噛む。
「挽けよ」
テーブルの足下には鞄――キースは新しいタオルを取り出し、濡れたタオルを放り投げる。
「面倒だ」
キースの向かい側に腰を下ろしたヴェルナーも、コーヒー豆に手を伸ばし、一粒口へと運ぶ。かみ砕くと飲むのとはまた違う苦みが口に広がる。
「これの原産国はアイツの支配下だがな」
キースはコーヒー豆の袋に書かれている業者を指差す。
「そうだったな。もっとも、世界中を見渡して、アイツが関与していないものなんてないだろう」
「ああ、そうだ。そんなアイツが欲しがるくらいだ。掛け値無しにいい女だろう」
「別にアイツが欲しがらなくても、いい女だったがな」
「今更言うな」
キースはコーヒー豆をもう一粒噛み、ヴェルナーは乾いたタオルを顔にあてた。
「お前との付き合いは長いが、お前がそんなに静かに泣くとは知らなかったな、フェル」
「自分でも驚いている」
その通る声は、タオル越しでもくぐもるようなことはなく――
キースは自分の小指に嵌めている指輪に、視線を落とし、そして外しテーブルに置いた。
「目の前にいるのに遠いな。死んだほうが、まだ近い」
キースにとってクローヴィスは部下なので、結婚しようが距離は変わらない。クローヴィスにとってヴェルナーは上官なので、結婚しようが距離は変わらない――
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翌朝ヴェルナーはコーヒーの香りで目を覚ました。
小指に指輪を嵌めたキースが豆を挽き、淹れたコーヒーを一杯飲み、
「人前に出せない顔だな」
キースはそう言うとヴェルナーの顔――目の周辺を拳で殴った。
眼球が飛び出すほどではなく、眼底を骨折することもない、だが人目をひく痣ができるくらいの力で。
「痛ぇ……」
ヴェルナーも殴られるのは分かっていたので、足下がふらつくようなことはなかった。
そうしていると、玄関ドアをノックする音が響き、
「クローヴィス大尉です。立ち入り許可をお願いいたします」
クローヴィスが来訪を告げた。
ヴェルナーは黙って自室へと戻り、キースが出迎える。
その室内の殺風景さに「うわ、キース中将の官舎と良い勝負」と思いながら、クローヴィスはキースの後についてゆく。
そして言われたとおり、ヴェルナーの部屋の前へと行きドアをノックした。
キースはヴェルナーがクローヴィスに対して、何を言うかは聞いてはいない。
ただ本心は決して言わないことだけは分かっていた。
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キースと共にクローヴィスが官舎を去り――ヴェルナーは部屋から出て、クローヴィスが持参した、庶民の家庭料理らしいサンドイッチを口へと運んだ。
「目の周りが痛ぇ……」
扉越しにクローヴィスに告げた、本心を少しだけ混ぜた気持ち。
自分が知るクローヴィスならば、素直に受け取り、そこに好意を見つけることはない――ヴェルナーの予想どおり、クローヴィスは気付かなかった。
ヴェルナーは隠し通せたことに安堵すると共に、クローヴィスが「自分の知るクローヴィス」から変わっていないことに、ささやかな幸せと同じくらいの痛みを覚え――クローヴィスはずっとヴェルナーの教え子のまま。
ヴェルナーは終生、その幸福と痛みと共生することになった。




