【147】中将、情報を収集する
帰国したばかりのクローヴィスの所属は情報局で、任務は補佐武官のまま。
この任を解き、キース直属の部下となる――補佐武官の任を解かれるまでの間、クローヴィスは特に仕事はないが情報局に出向き、書類整理を担当していた。
「寮の食器、新しいものになったの?」
「イヴのお陰でなったよ」
「え、ブルーノのところの?」
「うん」
「キース閣下、本当にブルーノの商会を使ってくれたんだ」
情報局に所属している同期のスイティアラと、話をしながら――
クローヴィスが事務作業を行っている頃、キースはリリエンタールから届けられた書類に目を通し、
「……ツェサレーヴィチめ」
いつもどおりの言葉を呟く。
書類の一枚目は「誕生日を祝いたいので、八月八日を含んだ形で夏期休暇にしてほしい」と書かれていた。
「ウルライヒ」
「はい、閣下」
「クローヴィスの誕生日は、何月何日だ?」
「八月八日です」
「そうか」
八月八日が誰の誕生日なのか触れていなかったので――クローヴィスだろうと、推測はできたが、確実性を求めてクローヴィスの同期の副官に尋ねた。
自分の副官がクローヴィスに好意を持っているのは知っていたので――後に小隊長に就任したユルハイネンに、クローヴィスの誕生日を尋ねてみたところ「存じません」と、明らかに知っていながら「知らない」と返事をし、キースに「面倒くさい男だな。わたしが言えた義理ではないが」と認識された。
彼らの行動はさておき、ツェサレーヴィチが婚約者の誕生日を祝いたいというのは、キースにとって腹立たしいが、クローヴィスは望むだろうということで、キースは親衛隊隊長任命前に、長期休暇の調整を行った。
二枚目の書類は「土地の購入、使用目的など」
――プルシアイネン通りに研究所。研究員はシュレーディンガー博士に、バルツァー博士にゲルラッハ博士……医学系の研究所か。所長をクローヴィスにしたい……か
軍人が民間施設の所長になれるのか? ――給与さえもらわなければ、就くことは可能となっている。
――クローヴィスは所長の給与を欲しがるようなタイプではないしな……金が欲しければ、ロスカネフ軍人なんて辞めるだろうよ
ロスカネフ王国の士官の給与は高めだが、リリエンタールが運営する施設の所長のほうが給与が高いのは、書類に明確な額が書かれていなくても明らか。
もちろんクローヴィスが「そちら」を希望したら、キースは止めることはできないが、幸いクローヴィスは軍人を辞めるという考えは持っていない。
――シュレーディンガーとゲルラッハに許可を出すのはいいが、バルツァーか……手術に関しては優秀だとは聞いているが、アレの親戚ってのがなあ。だがアレの親戚だから、こっちが許可を出さなければ、別ルートで来かねない
バルツァー博士の親戚は、ヴィルヘルム・フォン・バルツァーことリトミシュル辺境伯爵。名門貴族に連なる人物なので、身元は確かで、優秀さはキースも聞いているが、然りとて親戚がリトミシュル辺境伯爵。
キースはバルツァー博士に関して、テサジーク侯爵と話し合って決めることにし、三枚目の書類に目を通す。
そこには「親衛隊隊長の副官にウィルバシー・ヴァン・エクロースを配置したい」と書かれていた。
「…………」
貴族で海軍所属のウィルバシーについて、キースはそれほど詳しくはない。
ウィルバシーは尋問を受け、その調書に目を通したが、彼自身は悪事を働いてはいなかったので、キースはさほどウィルバシーに興味を持たなかった。
もちろん彼の身柄に関しては、厳重な警備をつける必要があると判断し、テサジーク侯爵に任せているが――海軍長官とその取り巻きという名の海軍高官が、揃って処分されたことで、陸軍の最高司令官であるキースが一時的に海軍も取り仕切っている。
「まずは、こいつについてか」
リリエンタールが妃の部下にと推薦するのだから、問題ないのはキースも分かっているが、だからといってそのまま受け入れるわけにもいかない。
キースは「忙しくて死んじゃう、息子たちが」と言っているテサジーク侯爵を呼び出し――例の会員制のレストランで、
「うわ、酷いな」
「殴ると言っていたはずだが」
テサジーク侯爵に紹介されたアンブロシュを、まずは殴った。
「そうなんだけどさ」
給仕は崩れおちたアンブロシュを見ないようにして、テサジーク侯爵とキースの椅子を引き、二人は腰を下ろす。
「いてぇ……」
「大したことはないだろう。さすがに喧嘩慣れしているな」
立ち上がったアンブロシュに、キースは言葉を投げかけて、給仕に椅子を引くよう指示する。
たまに荒事のあるレストランの給仕なので、この位は慣れたもの。
キースにそう言われたアンブロシュは、
――確かに慣れてはいるが、軍人のそれは破落戸のパンチと違って、怖ぇんだよ
……と思いながら、椅子に腰を下ろした。
「ウィルバシーくんのこと?」
こうしてテーブルを囲んだ三人は、乾杯することもなく食前酒に口を付け、運ばれてきた料理を口へと運ぶ。
「ああ。リリエンタール閣下が”人員不足ゆえ”ということで、エクロースの息子を、わたしの親衛隊隊長の副官にと推薦してきた」
当初キースは、クローヴィスの副官にとサーシャが送り込まれてくるのでは? と考えていた。
「そういうこと。たしかに彼は優秀だもんね」
テサジーク侯爵もキースと同じく、そう考えていたので――ウィルバシーの推薦は意外だった。
「わたしとしても、見えないところで飼い殺し厳重警備よりも、見えるところで使い倒すほうがいいだろうということで、採用するつもりだ。なので少し詳しく知りたい」
「ウィルバシーくんの何について、聞きたいのかな?」
「まずは家族構成を」
「分かった。あ、ワインおかわり」
給仕に注がせたワインを一口飲んだテサジーク侯爵は、ウィルバシーの母親について触れた。
「彼女はわたしと同世代。十八歳で結婚して、二十歳前にウィルバシーくんを出産。その後、二回ほど妊娠したけど流産だったね。その二回の流産と義理の母との関係の悪さから、精神を病んじゃった。まあ、良くある話だよ」
キースは食パンをちぎり口へと運びながら聞く。
「なあ、テサジーク」
「フランシスでいいよ」
「誰が呼ぶか」
――強えぇぇ。こいつがメッツァスタヤだって、知ってるんだよな……ライ麦パンのほうが、口に合う。白いパンはどうも口に合わない
「アーダルベルトくんって呼んでいい?」
二人のやり取りを聞きながら、アンブロシュは大人しくワイングラスを傾け、もそもそと白いパンを食べていた。
「好きにしろ。テサジーク、あのな、なぜ貴族はあんなにも大きな邸に住んでいながら、近づいていがみ合うんだ? 性が合わないなら、近づかなければいいだろう」
「そのとおりなんだけど、どうしても近づいてしまうんだよ」
「大邸宅の無駄使いだな」
「そうだね。彼女だけど、精神を病んだので、精神病院に入院してるよ」
病院名を聞いたキースは、
「一度入院したら、死ぬまで退院できないで有名なところだな」
”だろうな”といった表情で、スープを軽くかき混ぜる。
「うん。居心地が良すぎる、高級療養所だからねえ。表向きは」
貴族は体面を気にするので、その精神病院は表向きの名は療養所で、建物は歴史ある古城を改築したもの。
もとは要塞だったこともあり、堅牢な作りで窓も小さく――患者として連れてこられた人が、一人で逃げるのは難しい。
表向きは高級療養所、裏は精神病院……皆に周知されているのだから、そんな小細工など無意味だとキースもアンブロシュも思うが、上流階級の人々にとって、今だにその小細工は大事なこと。
「だが今回はいい方向に作用した……のか?」
「うん。長いこと入院してたし、誰とも面会していないから、今回の事件には一切関わっていないということで、なんの罪にも問われることはなかったよ。ちなみに面会は謝絶。医者の指示だけど、医者は金を貰って指示を出したらしいよ」
「ふーん。それはそれは、名医でいらっしゃる」
「金で動く医者っていいよね」
「医者といえば、リリエンタール閣下が……」
キースはリリエンタールの医学研究所に集められた医学博士たちについて、テサジークに尋ねた。
「医学的な名声については詳しくないけど、ハインリヒ・フォン・シュレーディンガーはリヒャルトの異母兄。とはいっても、愛人の子だから世間的にはリヒャルトの兄ではないね。アイヒベルク伯爵の兄と呼ぶのは大丈夫。世間的には名医だね。診察は凄い。脳に出来た腫瘍ですら、問診で見つけることができる。でも手術をすると、酷いことになるらしい。ああ、嘘か本当か知らないけど、拷問して情報を吐かせようとした人間を、間違って即死させたって、異端審問官のマクシミリアンくんから聞いたことがあるなあ」
数多くの拷問をし、人を殺害してきたアンブロシュだが――異端審問官の拷問と聞き、思わず震えて肩をすくめた。
拷問などについて、アンブロシュは詳しいので、様々な光景が思い浮かぶ。
「それはある意味、救ったんじゃないのか」
「本人はやる気があったらしいよ。それなのに、太ももの大動脈を、間違ってぶすっと」
アンブロシュと同じく、その風景によく接するであろうテサジーク侯爵は、いつもと変わらない。
「頸動脈なら分かるが、大腿動脈を間違って傷つける医者なんていないだろう」
「そうは思うんだけど、マクシミリアンくんが嘘をつくとも、思えないからさ」
テサジーク侯爵はレモンのシャーベットを口へと運ぶ。
「でも名医なんだよな?」
「うん、名医だよ」
「リリエンタール閣下が情報操作して、名医と言うことにした……ということはないのだな?」
「どうだろう? リヒャルトがわざわざ、そんなことするかな? でもしないとも言えないし」
テサジーク侯爵の誤魔化しなのか、本気なのか分からない台詞に、キースは深いため息をついた。




