【140】イヴ・クローヴィス・22
リリエンタールはサーシャの容態を確認しに向かうと、運良く着替えた服を持ったクローヴィスと会うことができた。
サーシャに声をかけ――リリエンタールは部下に声を掛けることは滅多にないので、サーシャが如何に特別かというのが分かる。
クローヴィスはリリエンタールが、命令すら口にしないとは知らないし、負傷者に声を掛けるのも、クローヴィスにとっては当たり前のことなので――自分の常識とリリエンタールの普段の乖離を、まだよく知らないクローヴィスは深く考えずにその光景を眺めることになった。
サーシャが休んでいる部屋から出て、
「そのメイドに、大佐が脱いだ服を渡すといい」
控えていたメイドに着替えを渡すように指示する。
「よろしく、頼みます……と、アディフィン語でどのように言えばいいのでしょう?」
城内のメイドはロスカネフ語は使えないと、クローヴィスは執事から聞いていたので――ロスカネフ軍人たちの接待を、執事が率先して受け持ってくれていたのだが、執事の身分を知るクローヴィスは「閣下の執事というのなら分かるけど、わたしたち庶民が使用人として扱える身分の人じゃないですよね」と、サーシャに「メイドでいいんですが」と頼んだところ「城内のメイドは、アディフィン語しか使えない」と返され――納得して諦め、執事の接待を受けていた。
「頼むか……言わずとも良いのだが、言いたいのであれば、わたしが代わり伝えておこう【任せた】――伝えたよ、イヴ」
「…………あ、ありがとうございます」
アディフィン語に明るくないクローヴィスだが、リリエンタールの口から出た、聞き覚えのない単語――意味は分からないが、とても依頼しているようには聞こえなかった。だが、
――もしかしたら、閣下が言うと、なんでも命じているように聞こえてしまうのかも知れない! だって、閣下は支配者階級の出身だから!
恋をしているから、敢えてその口調も良く取ったのだが、それは正解でもあった。
そんなやり取りのあと、リリエンタールは執事が「用意しておいた」と言っていたテラスへクローヴィスを伴った。
城の中でも特にプライベートが確立された一角――使用人は全員下げられ、護衛もできる限り遠ざけられた空間。
それでも一応注意を払い、二人は向かい合って座る形に。この城の主で人嫌いとされているリリエンタールと、離れていても輝かんばかりの美貌を持つクローヴィスが隣合って座っている姿を、万が一、事情を知らない者に見られてしまうと、その者を殺害しなくてはならなくなるので。
彼らにとって殺害そのものはどうでもいい――
クローヴィスが知らない者ならば簡単だが、いまは城内にクローヴィスの知り合いが大勢いるので、彼らが見かけると事情説明から、いろいろとしなくてはならなくなるので――
そのような事情で、二人掛けではなく各自に用意されていた椅子は、装飾品として作られた象牙製のもので、鑑賞用としては文句の付けようがないほど素晴らしいが、ほとんどの人間にとって座りづらい高さのものだった――だがクローヴィスの体格には合っていて、普通の人が一般的なデザインの椅子に座っているかのよう。
クローヴィスも椅子が大きくて、派手な装飾が施されているなと感じたが、テーブルを挟んで向かい側に座ったリリエンタールも、同じような大きさで、クローヴィスの感覚では「装飾過多の中でも特に過多」な椅子に座っているので、そういうものなのだろうと納得した――ただ象牙製だとは気付いていない。あまりにも大きすぎて、クローヴィスの頭にある「象牙製品」に結びつかなかったのだ。
二人が椅子に腰を下ろしたのを確認した執事が室内の明かりを消し――テーブルの上に置かれたランタンの明かりだけで、二人は夜空を眺め、話をする。政治や軍事など全く関係のない、二人に関する話題で。
まだ共通の話題が少なく、花を咲かせると表現できるほどではないが――恋人同士になって日の浅い二人らしい雰囲気に包まれた。
テーブルに乗せていたリリエンタールの手に、クローヴィスがそっと手を重ねる。
その表情は「こういうことする柄というか、体格じゃないんですけど」――気恥ずかしさで溢れていたが、それと共に「こうしたいのです!」という強い意志も現れていた。
嬉しそうで恥ずかしそうなそれは、クローヴィスが家族に向けることがない表情――好きな相手にしか向けないもの。
両者とも手袋越しで――クローヴィスは少し笑ってから夜空を見上げ、遅れてリリエンタールも夜空を見上げた。
それはなんの変哲もない夜空――大洋の上で、山の頂で、砂漠で、これ以上の絶景をいくつも見てきたリリエンタールだが、それを絶景だと感じたことは一度もなかったが、
――もしかしたら、イヴが喜ぶかもしれない……連れて行きたいものだ。そして、あの光景をイヴと共に見たならば、あれ達が言っていた感動というものを、わたしも感じることができるかもしれない
同行者が絶景と言っていた景色を見ても何も感じることのなかった、人生に倦いていたリリエンタールが、クローヴィスと共に見たいと願った。
――願うなど……誰に願ったのだ? イヴさえ頷いてくれれば、すぐに連れて行くことができるというのに
ランタンの明かりと手のぬくもり、そして夜空を見上げ、たまに視線をリリエンタールに向け微笑むクローヴィス。
その全てに包まれ、リリエンタールは思い願う――この時が何時までも続けばいいのにと。どれも、これも自身の力で叶えられるにもかかわらず。
――これが多分、幸せなのだな
このよく分からない願いがわき上がるも、不快ではない感覚を、リリエンタールは幸せだと解釈した。シャルルに告げれば「解釈するもんじゃないんだけどね」と――実際に告げたらそう言われ、笑われた。
夜が更け――いいところで執事が部屋に明かりを灯し、クローヴィスの手がそっと離れる。
「また一緒に夜空を見ていただけますか? 閣下」
「喜んで。大尉……いや、イヴ」
「は、はい」
「わたしはいろいろな国に行って、さまざまな景色を見てきた。それをイヴと一緒にもう一度見に行きたいのだが」
「楽しみです」
その笑顔は隙なく完璧に、いつもどおり美しかったが、それ以上に恋する女性の可愛らしさに溢れていた――クローヴィスを見送ったリリエンタールは、
【あまりのことに、可愛いと言いそびれてしまった】
「お休み、イヴ」としか言えなかったことを、深く反省しながら椅子に座ったまま――クローヴィスを部屋まで案内してから戻ってきた執事が、
【妃殿下はお部屋に戻りました。寝ずの番にフリオをつけてきました。そうそう、イワンは帰りましたよ。ヴィルヘルムとアウグストは、勝手に城のレオミュールを賞品にして、ポーカー始めましたけど…………妃殿下との語らい、楽しかった?】
【楽しいというよりは……幸せだった】
【そう……じゃあ、今日は許してやりますよ】
【なにかしたか?】
【サーシャをあんな目に遭わせた罰として、アウグストとヴィルヘルムの二人と、一晩語り合わせようとおもったんですけど、さすがに妃殿下との一時を過ごして、幸せを感じているあんたを、地獄にたたき落とすなんて出来ませんからね。あの二人の相手は、わたしがしてきます。あんたはさっさと休みなさい。グレッグ、あとは任せましたよ】
執事は少し離れたところにいた家令のグレッグを、手を叩いて呼ぶ。
リリエンタールは立ち上がり、グレッグが椅子とテーブルを室内に運び込む――執事はこういった力仕事はしないし、誰もさせない。
運び込む力がない……とも言い切れないが、生まれが高貴なので、誰もさせようとは思わないのだ。
【シャルル】
【なんですか?】
【とても幸せな一時だった】
【……本当に良かった】
グレッグとリリエンタールを見送って、夜空を少し眺めてから、執事も室内へと戻った。




