【138】双頭の鷲、廃臣に最後の言葉をかける・1
新生ルース帝国に関しての会議当日――
【会議が終わったあと、アントンの家で食う飯が楽しみだ】
フロックコート姿で、朝早くから議場入りしロビーのソファーに陣取ったフォルクヴァルツ選帝侯は、周囲にいる高官たちにそんなことを言いながら、白ワインを飲む。
――招待されていませんよね……
招待状もないのに……と考える高官がいれば、
――いつものことですが……
慣れている高官もいる。
ただどちらも「今日はリリエンタールの所で、晩餐を取る」のが決定事項であることは理解した。
【ところで、事前調整はどうなった?】
神聖帝国の閣僚で、誰よりも早くアディフィン王国入りしたフォルクヴァルツ選帝侯だが、事前調整の場にほとんど出てくることがなかった。
ただし――リリエンタールの城や王宮に出入りしていたのは、高官たちも知っているので、自分たちの身分では及ばない、王侯たちの話し合いを調整していたのだろうと解釈していた。
王族の血筋に関する出来事は、出来るだけ触れないよう、視線を合わせないようにするのが、王侯の出ではない高官たちにできる、唯一でもある。
【閣下のご命令どおりに動きました】
【そうか】
【おい、アウグスト】
議場の入り口が騒がしくなり――主催国であるアディフィン王国の大統領と共に、リトミシュル辺境伯爵が現れた。
【二人とも、来たか!】
フォルクヴァルツ選帝侯が、少し白ワインが残っているグラスを掲げる。
大統領の一団――というべきか、リトミシュル辺境伯爵の一団と表現するのが正しいのか、悩ましいところだが、大統領と軍務大臣の二人はフォルクヴァルツ選帝侯の元へ。
二人はテーブルを挟んだ向かい側のソファーに腰を下ろし、
【冷えたシャンパンを】
リトミシュル辺境伯爵は給仕に命じた。
大統領はというと――今日の会議終了後に、共産連邦の大使が殺されると知っているので、朝から食欲がなかったこともあり、水を頼むに留まった。
【ヴィルヘルムもアントンの城に、晩飯食いにいくだろう?】
【そうだな。きっとイワンの野郎もいるだろう。二人でイワンをボコボコにしようぜ】
【リンチか! リンチか! いいな】
どうしようもないほどに頭の悪そうな会話をしている二人だが――実行する能力があるので、止める力のない周囲の高官たちは視線を漂わせたり、目を瞑ったりと、各々現実逃避する。
【ほどほどに】
大統領に言えるのは、それだけだった――議長を務める大統領はすぐに席をたち、その場に残った二人はもう一杯酒を注文し、
【乾杯!】
【乾杯!】
リリエンタールの妃に会えることを喜び、乾杯したあと議場入りした――要人の入場にしては早すぎるのだが、止められる者もいない。
席の用意をしている職員たちは、急いで二人の席に不備がないかを確認して、着席するまで頭を下げる。
――今日はヴュルテンベルク公が出席なさるからな
――今日はバイエラント大公が出席なさるものなあ
貴種らしからぬはしゃぎぶりだが、リリエンタール絡みなのだろうと――誰も疑問に思わなかった。普段の彼らの無軌道ぶりがうかがえるというものである。
議場入りした二人だが「アントンが連れてくる妃が、問題なく見えるかどうか?」を座って確認するなどし、万全の体勢を整えた。
この二人はリリエンタール以上に、会議などどうでもよかった――
<これは、これは、軍務大臣閣下>
フォルクヴァルツ選帝侯同様、リトミシュル辺境伯爵も事前調整の場にあまり姿を現さなかったので、良い機会だとばかりに、各国の大使が早めに議場入りして、この会議に関することや、それ以外について話し掛けてくる。
もちろんフォルクヴァルツ選帝侯も、さまざまな国の大使に囲まれている。
二人はそれらに適当に答え――出席者が次々と議場入りし、あちらこちらで情報のやり取りが行われていた。
議場が八割方埋まったころ、議場入り口ドアの一箇所が、静まり返った。
話し掛けられていたリトミシュル辺境伯爵とフォルクヴァルツ選帝侯は「黙れ」とばかりに手を上げ、ドアへと視線を向ける。
それは伝播し、着席していた者のほとんどが立ち上がり――グリップ部分に双頭の鷲の像がついたステッキを持ったリリエンタールと、
――これか
――へえ、これなぁ
身長が高いリリエンタールと同じかそれ以上の背の高さを持つ、ロスカネフ王国陸軍大尉の制服を着用した、彫刻のような人物がリリエンタールの斜め後に現れた。
――大男……か。クサーヴァーがそう報告したのも仕方ないが、これはどう見ても女だな
リトミシュル辺境伯爵は、まだ若いクサーヴァーが見破れなかったのは仕方ないと。
――大女だが、大男な。なるほどなあ……だが、こんな男はいない
フォルクヴァルツ選帝侯も初見で「女性」と見破ったが、大男と見間違う人の気持ちも分かった。
議場よりも美術館での特別展示室に飾られていたほうが、よほど違和感がないと誰もが思う美貌の持ち主クローヴィスだが、本人は議場に危険はないか? と細心の注意を払う。
――アントン、ご満悦だな
――アントンのあの顔!
二人は視線で会話をし――そして会議が始まった。
その美しさとリリエンタールの隣にいるということで、多くの視線を集めているクローヴィスだが、この美しさで二十三年過ごしてきたので、この種類の視線には極めて疎い。
人の不躾な視線に反応していては、精神が疲弊してしまう――往々にして慣れもあるのだろうが、クローヴィスは自身の美貌に見惚れている人間の視線は、ほぼ感じない。
そんなクローヴィスの美貌を充分堪能した二人は、次は実力はどうか? とばかりに、殺気を向ける。
――ほう、動かんな
――的確な判断だ
リトミシュル辺境伯爵がクローヴィスに殺気を向けたが、首を傾げる程度。次に――クローヴィスの視線が、リリエンタールに殺気を向けたフォルクヴァルツ選帝侯の方を”うかがう”と共に、そちら側に反応できるよう、体の重心を少し動かす。その重心移動は、注視していない限り分からないほど。
フォルクヴァルツ選帝侯は殺気を収め――リリエンタールから虫けらを見るような視線を向けられた。
**********
<レイモンドが認めるだけのことはあるな>
燕尾服に着替えたフォルクヴァルツ選帝侯が、赤ワインが注がれたグラスを持ちながら、リリエンタールの隣を歩く。
<認めてはいるが、あれはあの通りの男だからな>
リリエンタールは磨かれたエナメル靴で歩くのに相応しい、青い絨毯が敷かれた通路を進む。
<レイモンドのことだ。”わたしには、劣りますが”だろう>
二人と同じく燕尾服を着用しているリトミシュル辺境伯爵は、ルッツと並んで二人の前を歩いている――
<そうだ。まあ、あれが言っているのは正しいが>
三人の後に従うのは、憲兵長官とシュレーディンガー。
<あれが別格なのは同意する。それにしても、アントンの妃でなければ、わたしが育てたいな。アントンの妃でも>
クローヴィスにはまだまだ伸びしろがあり――リトミシュル辺境伯爵は、一廉の軍人に育て上げたいと、純粋に思った。
<却下。イヴを軍人として育てる権利があるのは、キースとヴェルナーだけだ>
<アントンは、人を育てるのには、向かないからな。とくに軍人として育てるなんて、無理だな>
<お前もな、アウグスト>
先頭を歩いていたルッツが足をとめ――一等客室のドアをノックする。
のぞき窓の室内側のカーテンが開き、ルッツを確認したハーゲンがドアを開けた。双頭の鷲の大きな旗が客室の壁に貼られ、室内にいた六名中五名が頭を下げる。
頭を下げなかった一人は、手首と手足をまとめて縛られ、動くことができない――共産連邦の全権大使エヴゲーニー・スヴィーニンが、通路と同じく青い絨毯が敷かれた床に、猿ぐつわをされて座っていた。
リトミシュル辺境伯爵が、憲兵長官に猿ぐつわを外すよう指示し、
{どういうつもりだ!}
口が自由になったスヴィーニンが叫ぶ。
<大使なら、大使らしく、ノーセロート語を使ったらどうだ>
リトミシュル辺境伯爵はそう言い――昨日、大統領から「大使殺害の見届け人になってくれ」と依頼された憲兵長官は「本当に殺害するのか」と恐怖で一気に口の中が乾く。
<きさ……わたしになにかあったら、本国が黙っていないぞ>
全権大使に何かあれば、最悪戦争にまで発展する。
<誰に向かって物を言っているのだ? 朕が知らぬとでも? 随分と馬鹿にされたものだ>
リリエンタールは見下ろしながら”知っている”と――スヴィーニンはその失望もなにも感じさせない視線に戦く。
<誰でも知ってると思うが>
まだ赤ワインが三分の一ほど残っているグラスを持ったまま、双頭の鷲の旗の前でフォルクヴァルツ選帝侯が両手を広げる。
<開戦するにしても、大使殺害以外の方法のほうが>
スヴィーニンの命乞いに耳を貸すことなく、リリエンタールはルッツに拘束を解くよう指示し――大使の動きを制限していた縄が一刀両断される。
殺されると思ったスヴィーニンは手足が自由になったことに惚け――ルッツは佩いていたレイピアを抜いて、スヴィーニンの前に放り投げ、出入り口のドアの前に立ち、退路を塞ぐ。
<勝負しようではないか。勝てたら、生きたまま帰っていいぞ>
リリエンタールはグリップに双頭の鷲の像がついているステッキを回し――レイピアが姿を現す。
<総騎士団団長の技が見られるのか>
<レイピアを手に取れよ、スヴィーニン>
スヴィーニンはなぜこのような状況になっているのか、全く分からなかったが、目の前にいる皇帝が、死ねと言っているのだけは理解した。
だが彼は死にたくないので、レイピアのグリップを握り立ち上がる。
縛られていたので、少しふらついたが――リリエンタールは攻撃してこなかった。
<それほど緊張しなくてもよい。なにせ朕は幼年学校に裏口で入った程度の実力だからな>
リリエンタールのそれに、二人は手を叩いて笑い――スヴィーニンもその話の経緯を知っている。それ以外にも、さまざまな強さについて知っている。
スヴィーニンは深呼吸し、構えてレイピアを突き出した。
{うあぁ…………}
<自分が死んだことに、気付かなかったでしょうね>
スヴィーニンが大声を上げてレイピアを突き出したとき、リリエンタールのレイピアの先は眉間に突き刺さっていた。
レイピアはそのままスヴィーニンの頭蓋骨を突き抜け、旗の後にはベッドが立てかけられていたので、その床板に深々と突き刺さり、双頭の鷲に留められた。
リリエンタールの強さを間近で見たことがなかったハーゲンは、
――リリエンタールの燕尾服の裾は、燕の尾じゃなくて、双頭の鷲の頭だと聞いたことはあったが……
レイピアを突き出す速さと、舞い上がった裾の動きを見て納得した。
【間違いなく死んでおります】
シュレーディンガーが死亡を確認し、
<そうか>
リリエンタールはもう興味はないと、刺し貫いたスヴィーニンに背を向け、ルッツがドアを開けて道を譲り、部屋を出ていった。
【ハーゲン、任せたぞ】
ハーゲンはスヴィーニン一行の死体が乗った蒸気機関車を、リトミシュル辺境伯爵領まで運び、その後、アイヒベルク伯爵の下について「アントンが何をしようとしているのか」を見てくるよう命じられた。
【はい、閣下】
【データ収集と解析、楽しみにしてるぞ、ハインリヒ】
シュレーディンガーはこの死体が積み込まれた蒸気機関車に乗り込み、死体の腐敗について調べる――話を聞いたとき、シュレーディンガーは「せっかくの実験材料」と、リリエンタールに頼み込み、許可をもらったのだ。
――死体満載の蒸気機関車で移動するのは、怖くはないが、死体を観察する医者と一緒に移動するのは怖ぇ
憲兵長官も部屋を出ていき――
【間違っても、シュレーディンガー博士に外科的治療をしてもらおうとは思うなよ】
ルッツもこの蒸気機関車で移動し、アイヒベルク伯爵の下にはいって、共産連邦の首都近くまで向かうことになっていた。
いまだ痙攣しているスヴィーニンの遺体を、注意深く観察しているシュレーディンガーを横目に、
【分かった】
頷き――死体が積まれた蒸気機関車は、リリエンタールたちが下車するとすぐに走り出した。




