【128】イヴ・クローヴィス・19
ピヴォヴァロフの指に関する調査の礼として、サーシャはクローヴィスを食事に誘うことにした――調査内容と危険度合いから、肉を奢るだけでは足りないのだが、クローヴィス本人がそれ以上望まなかった。
「あんまり重く考えないでください」
クローヴィスはそういう性格なので、それに甘え、アディフィン王国の郷土料理が食べられる一流レストランで食事をすることで落ち着いた。
家令のグレッグが予約を取り、リリエンタール直筆の紹介状を持ちレストランへ――レストラン側は、封筒を見ただけでサーシャとクローヴィスを通してくれた。
中を検分したら、店員は倒れていたかもしれないが。
「酔ってはいないんですけど」
当初は食後、馬に乗って帰る予定だったが、食後にクローヴィスが「酔って乗馬は」と難色を示したので――サーシャが見てもクローヴィスは全く酔っていないのだが、本人が気にしているならば……ということで、馬車を呼ぶことにした。
馬車で帰るので、もう少し酒を飲みたいということになり、クローヴィスの希望で黒ビールが飲める酒場へ。
アディフィン王国で、黒ビールが飲めない酒場などないが。
「観光名所は楽しめたか?」
「はい。大聖堂の絵画とか、凄かったです。たまたま解放日に訪れることができて、ほんと運が良かったです!」
以前訪れた時には、ほとんど観光できず――リリエンタールに連れ出された際に、市庁舎や裁判所を見て回ったくらいなので、本日は観光客が訪れる場所を重点的に回った。
唯一違うのは、大聖堂。
――解放するよう命じられたのだが……
大聖堂の奥に、歴史的価値があり見る者を圧倒する絵画が飾られているが、基本一般公開は行われていないため、聖職者以外の者はほぼ見ることができない。
多額の寄付をしている者ならば、偶に鑑賞できることもあるというもの。
リリエンタールや執事が伴えば、簡単なのだが、今回の同行はサーシャ。
”妃殿下に見ていただきましょう”
絵画自体は素晴らしいものなので、クローヴィスに見てもらおうと執事が言い、
”お前が言うのならば、鑑賞に堪えうる絵画なのだろうな”
執事の審美眼を信頼しているリリエンタールが同意し――大司教を呼び出し、クローヴィスの存在を一切出すことなく、高圧的に命じ絵画の一般特別公開(有料)が実現された。
ちなみに呼び出された大司教は、アディフィン王国の真の当主にして、検邪聖省のトップを務める枢機卿に呼び出され、目の前で不快そうに肘掛けを人差し指で二度も叩かれ――生きた心地がしなかった。
リリエンタールの前では、大体の人間は生きた心地はしないのだが。
「絵が好きな友達に、見せてやりたかったな」
黒ビールを勢いよく飲みながら、クローヴィスはそう言う。
「いずれ、紹介状を書いてもらえばいいだろう。大尉の友人ならば、喜んで書いてくださるはずだ」
その友人の調査はするが、問題がなければリリエンタールは簡単に紹介状という名目の強制開示命令を認めるだろう。
「…………あ、え、ご迷惑では?」
「そんなことはない」
「いや、でも」
「大尉にとっては大事に思えるだろうが、閣下にとっては些事だから、そこまで心配する必要はない」
「は……はい」
そんな話をし――迎えの馬車がやって来たので乗り込み、帰途についた。
迎えの馬車は最高の品質のもので、衝撃はほどんどない。内装について、クローヴィスは「すごい!」ときょろきょろと見回しては、興奮していた。
ただ向かいに視線があるので――要するにサーシャの前で、あまり子どものようにはしゃぐのは……という感じだったので、サーシャは黙って目を閉じた。
もちろんサーシャはクローヴィスの護衛を任されているので、眠るつもりは微塵もなかったのだが、
「ん……」
厚みのある絹の感触を受け、
「大佐、つきましたよ」
クローヴィスの低い声でそう言われ――目を開いて小窓から風景を確認すると、そこは城の前だった。
「……」
「どうしました? 大佐」
クローヴィスの護衛という大任を前に、しっかりと体調管理をしたはずなのに、途中で居眠りしてしまった事実に、サーシャは思わず顔を覆って俯く。
「具合が悪いのでしたら」
――優しさが痛い。心から労ってくれるのが……
「情けない。護衛任務についていながら、居眠りなんぞ……」
「疲れていたのに、付き合ってくださってありがとうございます」
”無理をさせてしまって申し訳ない”という気持ちが、素直に表れている瞳は、いつもより優しさを湛え輝いており――一緒に旅をし、見慣れたと思っていたサーシャだったが、それが思い違いだったと訂正するほどに美しかった。
「疲れてはいない。充分な睡眠を取っている」
言葉だけではなく、実際しっかり休みを取っていたし、人の気配には鋭く、眠気を覚えたりはしないはずなのだが、
――意外と気を許して……悪意らしい悪意なんてほぼないからな
「今日はごちそうさまでした! そして、居眠りしたので、罰としてまた奢ってください」
「分かった」
サーシャは返事をし――クローヴィスに居眠りしたことを、内緒にして欲しいとは言わなかった。
クローヴィスが吹聴しないことは分かっているので。
もちろん、クローヴィスは言わなかったが、サーシャは後日、リリエンタールに、護衛中に居眠りをしてしまったことを伝えた。
だが責を問われることはなかった。
帰宅後、同僚のルオノヴァーラ大尉から生温い視線と、いらぬ気遣いを受けたクローヴィスは、
――なにもないんだぜ、ルオノヴァーラ大尉。ただひたすら、肉を食って酒を飲んだだけなんだぜ! 色っぽいことはなにもないんだぜ! この大女に色っぽい話を求めても困るんだ! ルオノヴァーラ大尉は紳士だから、そんなこと求めてこないけど!
内心でそんなことを呟いていた。
大量に食べたので、夕食は必要ない……と言ったものの、夜が更けてくると空腹を覚え、
「作ってもらうのも悪いので、台所の片隅でも借りて、簡単なものを作りたいのですが」
自分で料理を作って空腹を満たしたいと――
「分かった。では行くか」
クローヴィスがしたいことは、させるように……との命が下っていることもあるが、クローヴィスの性格上、召使いを呼び出し食事を用意させるのは、あまり好まないだろうことも分かっていた。
――実際、生活に関することなら、なんでも一人で出来るからな
家令から預かった鍵束を取り出し、食料庫へと向かう。
「スコーンとウィンナースープを作ろうかと」
材料を持ち出し、普段は使用人の自炊室として使われている、小ぶりなキッチンへと向かった。
小ぶりといっても、城の規模に見合った使用人が入れ替わりを前提としているとしても、充分足りるほどの広さなので充分大きい。
「夜に冷たい牛乳とか、シャンパンよりも手に入れづらいですよね」
「冷たい牛乳ってなんだ? 大尉」
この時代にそぐわぬことを言ったあと――クローヴィスは慣れた手つきで、材料を刻み、石炭コンロを上手く使いこなし、粉類をふるいに掛け、伸ばしてカットする。
随分と手際よく、手慣れたもので、料理はすぐにできあがった。
「大佐、食べてくださいますか?」
「もらおうか」
料理が完成間近になった頃、王宮から戻ってきたリリエンタールが、聖職者の恰好をしたシャルルと共に、着替えもせずにそのままクローヴィスの元へとやってきた。
「良い香りだな」
「閣下?」
クローヴィスは「閣下が何故ここに?」だが、リリエンタールにしてみれば「なぜイヴがここで調理を?」だった。
――料理など運ばせれば……だが、やりたいようにやらせた結果か。本人も楽しんでいるようだしな
「空腹の大尉に強請ってはいけないのかもしれないが、わたしも大尉が作った料理を食べたいので分けてくれないか?」
事情を聞いたリリエンタールは、クローヴィスが作った料理に興味を持ち、食べさせてくれないかと頼んだ。
食に対して興味が薄いリリエンタールらしからぬ願いに、シャルルは心底驚く。
「もちろん! でもお口に合うかどうか」
クローヴィスはその辺りについては、詳しく知らないので――いつも料理人が作る、美味しい料理を食べているリリエンタールの口に合うとは思わないが、自分が作った料理を食べてもらえるのは嬉しいと、表情を綻ばせる。
それは自然で柔らかな表情なのだが、僅かな隙もなく――完璧と評する以外、許されないと思わせるものだった。
「お待ちくださいね」
その表情を作った当人は、もちろんそんなつもりはなく――家族には毎日のように見せる、当たり前の表情だった。




