【124】中将、依頼を断る
――皆さんが言う通り、室内の匂いとか空気とか……やっぱり女性がいると、違ったなあ。実家じゃ感じたことなかったけど
部屋の主であるキースが腕を組んで椅子に座っている側で、副官のリーツマンはそんなことを思っていた。
彼が言っている皆さんというのは、北方司令部から伴った三名で、彼らは口々に「クローヴィス大尉がいると、空気が違う」と言っていた。
リーツマンもクローヴィスが居ると、キースの空気が少し緩むのは感じていたが、
――良い匂いしてたなあ
クローヴィスがいなくなってから、室内の空気の匂いが変わったことに気付いた。クローヴィスが居た頃は、執務室は仄かに良い香りがしていた。
――元に戻ったってのが、正しいんだろうなあ。クローヴィス中尉……じゃなくて、大尉がいたときは、本当に良い香りだった
部屋に出入りするのが、北方司令部の頃と同じく男だけになったこともあり――クローヴィスが副官を務めていた時は、本人が毎日風呂に入っているのはもちろん、キースにも風呂を勧め、自分の制服はもちろん、キースの着衣一式をこまめにクリーニングに出し、戻ってきたシャツや下着、靴などに、整髪料の香りと喧嘩しない、お手製の微かに薫る程度のアロマミストを吹きかけたり、よれた部分にアイロンをあてて、手直しなどしていた。
それらが全てなくなり――
リーツマンの言う通り、元通りになっただけなのだが――執務室にはキースと副官のリーツマンとウルライヒの他、ヒースコートと彼の部下が三名ほどで、当然ながら全員男性。
「お忙しいなか、ご苦労様です、総司令官閣下」
「……」
「総司令官閣下の声は素敵でずっと聞いていられると、王女は言っていたそうです」
「飽きるほど聞いた台詞だ。独創性のない王女だな」
「王女ですから。独創性などというものは、必要ないのでしょう。リリエンタール閣下も、王族にはそのようなものは必要無い、そう仰っていました」
「リリエンタール閣下な……。あの人はどうでもいいが、あの王女を交えて話すのは、嫌なのだが」
「そうですねえ」
協力要請なのか、亡命希望なのか? キースに一目惚れしてから、セシルは故国について触れることは全くなくなり――キースを見ては、恋する女の顔でうっとりと見つめるだけ。
慣れきっているキースは、相手が王女であろうが無視を決め込んでいるが、優しくしようが冷たくしようが、好かれてしまうのがキース。
キースとしては望んではいないが、セシルは思いを募らせている。
一方的な思慕の対処法は、会わないことが一番なのだが、立場上、会って話をつめなくてはならない。
使い物にならないセシルの代わりに、部下の一人と話すが、その部下も突出した能力があるわけでもなかった。
もちろん王位継承権すら持たないセシルの部下に、目を見張るような能力を持つ人物がいるなど、あるはずないことも分かっているが、キースの正直な気持ちとしては、
「なにより、あいつらに関わりたくねえなあ」
その一言につきた。
ただ関わり合いたくなかろうとも、総司令官としてはそうも言ってはいられない。不穏な情勢の国の王女など、国内から追い出したいが――追い出すにしても、近隣諸国に根回しは必要。
「ルース帝国のような超大国の王族であれば、追い出すのも簡単ですが」
ヒースコートが言っているのは、アレクセイ皇子のこと。
国力が違い過ぎるので、とても匿うことはできない……ということで、メッツァスタヤはリリエンタールに連絡を取り、アレクセイを保護してもらった。
「国力がさほど変わらないと、恩を売っておきたいと考えるやつが多すぎる」
フォルズベーグ王国はルース帝国とは違い、ロスカネフ王国も恐れはせず――故国の平定のために軍を出して欲しいという要求を受けた場合、ロスカネフ王国としては、政治経済がずたずたの状態の国から受け取る報酬としては、領土を受け取るのが、もっとも確実だが、実権を持たないセシルと契約を結んだところで……ということもある。
「まあ、なんと言いますか……小官はリリエンタール閣下ほど、支配できる者かどうかを見分けられるわけではありませんが、あのセシル王女は無理でしょうな」
「それは、誰でも分かるだろう」
「そうですな。ところで、本日のガルデオ主催の晩餐会、ご出席なさるのでしたら、そろそろ準備を始めたほうがよろしいのでは?」
重苦しいとまでは言わないが、殺伐感が漂う室内――原因は、セシルがキースに晩餐会のエスコートを依頼してきたこと。この晩餐会はセシルを労うためのものなので、セシルは当然出席し、キースは付き合いで出席しなくてはならない。
キースは出席するが、エスコートはもちろん断った……が、
「会場入り口前で張っているでしょうね」
「だろうな」
行動の予測はできていた――これが外れることはほぼ無く、今回も予想どおりセシルは待っている。
分かっていても、キースは欠席を選ばなかった。
「ヒースコート、部下を貸せ」
「一小隊で宜しいでしょうか?」
「それでいい。リーツマン、わたしが晩餐会に出席している間に、ヒースコートの部下を連れて、わたしの私物を司令本部へ運び込め」
だが、この先も面倒が続きそうなので、司令本部で寝起きすることにした。
北方司令部からついて来たリーツマンは、キースの私物について詳しいので――
「お前たち。総司令官閣下の私物を盗まれるような、間抜けなことはするなよ」
ヒースコートは伴ってきた部下たちにそのように告げ、リーツマンは一度で、私物全てを無事、司令本部に運び込むことに成功した。
**********
晩餐会の翌日――
「…………」
キースはさらに不機嫌になっていた。
その理由は、やはりセシル。
フォルズベーグ王国の面々は、セシルの保護を申し出てきた。
セシルに国を統治する能力がないのは明らかだが――彼らはセシルが、いかに苦労して生きてきたか? セシルには幸せになって欲しいと……今のセシルの幸せは「アーダルベルト・キース」と共にいること。
「いつもの事ですが総司令官閣下には、なんら関係のないことですな」
別の筋から晩餐会での会話を聞いたヒースコートは、楽しそうに――クローヴィスに言わせれば殴りたくなる笑顔を浮かべながら。
「まったくだ。なぜ王女の幸せのために、わたしが、王女と結婚しなければならないのか……まあ、王女さまとその高貴な部下たちにしてみれば、栄誉だろうということだろうが」
青い血にしてみれば、庶民などそんなもの……と分かってはいるが、だからといってキースが受け入れる訳がない。
「そうですなあ。メッツァスタヤの情報では、王子よりは扱いは悪かったそうですが、そこまで苦しい生活をしていたわけでもないとのこと」
「だろうな」
「寂しい思いをして育った王女は、総司令官閣下に包容力を求めているのでしょう」
「わたしに、そんなものあると思うか?」
そう言うキースだが、年下の女性が自分に「包容力」を求めているのは、理解していた――ただし、キース自身は自分に包容力があるなどとは、思っていない。
「おありでしょう。わたしは存じ上げませんが、女性にはそう見えるのですから、仕方ありません」
「…………はあ。ヒースコート」
「なんでしょう? 総司令官閣下」
「殴らせろ」
「王女とそのご一行の代わりですか?」
「そうだ。それをわたしが殴ると、外交問題になるからな……クローヴィスは殴っても問題にならんが」
ピヴォヴァロフに付いていったクローヴィスを、キースは強めに叩いたが、リリエンタールはそれに関し「イヴが避けなかったのだから、わたしが口を挟む問題ではない」と――
「どちらも総司令官閣下のことを、信頼なさっているのでしょう」
「男の方に信頼されるのは複雑だが、女の方に信頼されるのは、単純に嬉しいものだ」
「男の方はわかりますが、あなたが、女性に対しそのように仰るのは珍しいですな。……さて、小官は黙って殴られる趣味はないので、訓練にお付き合い、で宜しいでしょうか?」
「お前が本気で避けたら、殴れんのだが」
ピヴォヴァロフはもちろん、クローヴィスでも捉えるのが難しいヒースコートは、
「あとで、小官の部下と組み手なり、殴り合いなりご自由に」
「殴られるつもりはない、と?」
「もちろんです」
そう言って、キースの不満解消に付き合った――そうこうしているうちに、フォルズベーグ王国に新勢力が攻め込み、新生ルース帝国が樹立し、
「ナイフ一本は嘘でした。でも、一対一で戦ったのは事実でした。詳細は不明ですが、一対一は確実とのこと」
「クローヴィス!」
ヤンネが持ち帰った正しい情報に、キースは机の天板に拳を落とし――副官二人は顔を見合わせ、予備の執務机の手入れをこっそりと従卒に指示した。




