【122】首脳、頭を痛める
アディフィン王国首都にあるリリエンタールの城。内装や外壁はもちろん、細部にいたるまで、手入れが行き届いた美しい庭で、
【もっとスピードを出さないと、倒れるぞ】
リトミシュル辺境伯爵が手を叩き、
【そこの、シャルルの自転車を押して走ってやれ】
フォルクヴァルツ選帝侯が、リトミシュル辺境伯爵の部下に指示を出す。
――ド・パレが乗っている自転車に触るなんて、そんな怖ろしいこと! でも手出ししないと、どう転ぶか分からない! へ、へた過ぎる!
部下を怯えさせる指示――彼らがやれば良いのだが、フォルクヴァルツ選帝侯はさきほどシャルルの自転車を容赦なく押して、自転車ごと噴水に落としかけたので、シャルルから「手を離せ! 押すなぁぁ!」と拒絶された。
リトミシュル辺境伯爵だが、フォルクヴァルツ選帝侯より前に、芝生を抉る勢いでシャルルが乗った自転車を引っ張り、後向きに走らせるなどし「わたしを殺す気ですか!」とシャルルに叫ばせ――二人とも触るな! ということになった。
部下たちは「そうなるよな」と分かっていたが、国家の重鎮と王族の遊びに、口だしすることなどできず。
【ああああああ! たおれっ!】
指名されたクサーヴァーは、蛇行運転を続けるシャルルの自転車に併走していたのだが、遂に倒れそうになり――
【殿下! 自転車を押さえさせていただきます!】
叫んで許可を求めながら、倒れかかった自転車を支え、戻してからゆっくりと押し――季節になれば、薔薇が美しく咲き誇る生け垣の前を、小走りで通り抜ける。
【いいぞ、クサーヴァー】
【頑張れ、頑張れ、シャルル!】
【なんで、わたし、自転車に、乗ってみるって、言っちゃったんだろう!】
――本当に。なぜ、そんなことを仰ったのですかぁぁぁ!! 自転車なんて、乗れなくてもいいじゃないですか! ド・パレ!
クサーヴァーとフォルズベーグ王国から無事に脱出できたハーゲンの二人が交代で、必死にシャルルが乗る自転車を押したが、
【股関節が痛くなっただけだった】
乗り慣れない自転車に翻弄されて終わった。
この新しい乗り物に乗ってみようとシャルルが思い立った理由だが、王族シャルルと平民軍人クローヴィスでは、共通の話題が乏しいので――少し軍に近づこうと考え、最近、各国の軍で採用されている自転車について詳しくなったらどうか? と、リトミシュル辺境伯爵が提案し、自転車も用意してくれたので、乗ってみることにした……わけだが、結果は散々だった。
【マッサージしてやろうか?】
【嫌です!】
【氷風呂に入って冷やすか?】
【死ぬから! 氷風呂とか死ぬから! 寒さが危険なことは、ロスカネフ王国の冬で学んだから!】
クサーヴァーがひっそりと同意する――冬は大軍の侵略を抑えることができるほど、ロスカネフ王国の冬は寒い。
【それは良かったな】
【ああ、でも、足が震えるているから、肩を貸しなさい、ヴィルヘルム、アウグスト】
【分かった。わたしが足な。アウグストは頭側な】
【了解した。脇の下に腕を通して】
【肩を貸せて言った! やめろ! 運ぶなー!】
シャルルが”やめろ”と叫んでも――叫べば叫ぶほど、面白がる人種である二人は、シャルルを大きく振りながら、城へと入っていった。
――絵面が……自分の国の要人が、犯罪者にしか見えん
クサーヴァーは叫びながら運ばれてゆくシャルルを見送り、ハーゲンは捨て置かれた自転車を引き起こした。
【自転車、整備しようぜ】
【ああ】
【ところでクサーヴァー、お前、自転車乗れるか?】
【多分、無理】
この世界のこの時代では、自転車はあまり普及していない。
アディフィン王国の治外法権城で、貴人たちが好き勝手に過ごしていた頃――
【やはり、来るか】
アディフィン王国の政治を預かる大統領は、アブスブルゴル帝国政府から「皇女がそちらへ向かった」という報告を受けた。
アディフィン王妃とアブスブルゴル皇女は血縁関係。
親戚の家を訪問するのだと言われたら、政府はなにも言えない――普段であれば、言わないが、
【ド・パレがいらっしゃる時に来られるのは……】
皇女の訪問の連絡を受け、大統領執務室で話し合いが行われていた。
上記の台詞を述べたのは運輸大臣。他に室内には、王侯貴族の式典を司る典礼局長、紋章を管理する紋章院の長官、外務大臣に内務大臣に、アブスブルゴル帝国の大使がいる。
大使は今回、この情報を大統領に届けるために足を運んだ。
普段であれば、わざわざ足を運ばないのだが――いまアディフィン王国には、シャルルが滞在している。
シャルルが滞在している時には、来て欲しくはない。
シャルルが滞在していない時でも、来て欲しくはないというのが、アディフィン上層部全員の本音ではあるが。
【そんなことを言っても、どうにもならんだろう。皇女の目的はド・パレなのだから】
だが訪問目的がシャルルなのは、誰もが理解している――かといって、前述のとおり、親戚の家を訪れるだけなので、政府としては口を挟めない。
正確には口を挟むことはできるが、口を挟んだが最後、両国間の間に亀裂が入る可能性があり、国境を接している国家の首脳陣としては、関係悪化は避けなくてはならない――
【そうですね、大統領。ド・パレに退去命令を出すわけにもいきませんし】
【ド・パレにそんな命を出すくらいなら、アブスブルゴル皇帝に皇女を送りつけるぞ、外務大臣】
シャルルが居なければ、この問題は解決だが「リリエンタールが伴ってきたシャルル」に、強制退去など命じられるはずもない。
【その際は、我が国の政府も全面的に協力いたします】
アブスブルゴル帝国の大使までもが、そう言う――
【ところで、ド・パレがお越しになった理由は?】
【聞いていない。知りたいのなら、ド・パレに直接、聞きに行ってくるといいぞ、運輸大臣】
もちろん大統領は事情を知っているが、説明するわけにはいかない――許可が下りる前にクローヴィスのことを話そうものなら、内閣が物理的に総辞職することになりかねない。
【滅相もない。軍務大臣閣下はご存じなのでしょうか?】
【軍務大臣閣下はフォン・ヴュルテンベルクに、直に聞いただろうからな。軍務大臣閣下に聞くか?】
軍務大臣に尋ねて、聞いてはいけない場合は、消される――大統領どころか、アブスブルゴル帝国の大使でも、免れることはできない。
【大統領もお人が悪い】
【人の良い大統領なんて、居るはずないだろう……それで、典礼局長、招待状は?】
【こちらに】
大統領に声を掛けられた、儀礼を司る局の長が、恭しく招待状を載せた箱を差し出す――彼は、この会話の間、ずっと箱を持って立っていた。
大統領はその招待状を手に取り開き、全員で内容に不備がないかどうかを確認し、
【紋章院よ、紋章に間違いはないな?】
【ございません】
【よし。内務大臣、なにかあった時は、任せたぞ】
室内にいた他の面々を連れ、大統領は招待状を届けにリリエンタールの城へと向かう。
彼らは「王宮へいらしてください」という招待状を、シャルルに届ける――もちろん来て欲しくはないのだが「王宮に招待している」という形が必要なのだ。
これにより、王宮に滞在するアブスブルゴル帝国の皇女に対して「ド・パレは招待状を受け取ってくださったので、王宮にお越しになると思います。王宮でお待ちください」と足止めすることができ、アブスブルゴル帝国の皇女がリリエンタールの城に不法侵入する可能性を大きく減らすことができる。
リリエンタールの城に皇女が不法侵入しようものなら、城の持ち主がアディフィン王国とアブスブルゴル帝国に、同時に攻撃を仕掛けかねない。
【大統領閣下】
さあ、行こう! というところで、主席秘書官がドアをノックし――余程の相手でもない限り、取り次ぐなと指示を出していたのにもかかわらず、秘書官がやってきたことに、大統領は嫌な予感がした。
【……ロスカネフ王家の紋章だな】
仕方無しにドアを開ける許可を出し――大統領に大至急面会したいとやってきた、男性が差し出した紹介状には、ロスカネフ王家の紋章が描かれていた。
【王家の紹介を受けた、美術商だと名乗っているのですが】
――まさか、フランシスの息子?! いや、まさか、あいつ等が来るようなことは、なにもなかったはず。なにより、あいつ等は接触してこない。いつの間にか情報を抜き出して去って行くのが、あいつ等の……
テサジーク侯爵の息子の一人が、美術商を隠れ蓑にしていると弟から聞いていた大統領は、一瞬、その存在を考えたが、彼らがわざわざ大統領の下へやってくるとは思えなかった。だが、ロスカネフ王家の紋章は本物だと、紋章院の長官が証言したので、
【よし、少し待て】
こちらの雑事をまず片付けようと、美術商に会うことにした。
【初めまして】
【初めてかどうかは、知らないが。わたしたちは、急ぎの用がある】
【分かりました。名前に信憑性がないので、名乗らないでおきます。こちらの案件の回答をいただけたら、すぐに去ります】
”名前に信憑性がない”と名乗ったことで、
――情報収集ではなく、メッセンジャーとして? メッツァスタヤが?
想定していなかった組織・メッツァスタヤの一人がやってきたことに驚きつつ、封筒にも入っていない二つ折りにされただけの、そっけない便箋を開き――大統領の目に飛び込んできたのは「クローヴィス大尉。グリズリーと格闘して勝利」「クローヴィス大尉、ナイフ一本でグリズリーを討ったもよう。ただしクローヴィス大尉は意識不明」と報告を受けたがこれは本当か? と。
便箋にはキースと弟のサインも入っていた。
キースのサインが正しいかどうか? 大統領は見分ける自信はないが、弟のサインはよく見ているので、これが本当の秘密の問い合わせであることを確証、そして絶望した。
【その報告は虚偽ですか? 虚偽ならば、ちょっと問題なのですが】
【え……あ……そんな報告はしていない……はずだが】
【悪意のない誤報……でよろしいか?】
【誤報……おそらく誤報。招待状を届けるから、付いてくるといい】
いきなりやってきた、謎の人物を同行させると大統領が言い出したので、高官たちは驚いたが、
【ド・パレ絡みだ】
触ってはいけないところかと、すぐに引き――リリエンタールの城へと向かった。
シャルルは直接彼らから招待状は受け取らなかったが、謎の美術商ことヤンネが持ってきた便箋は受け取り、目を通して、
【ヴィルヘルム! あなたね! キースにこんな情報届けたら、大変なことになるの、分かってるでしょう!】
【そんな情報は送ってないぞ。途中で誤変換が起きただけだ。ナイフ一本でも勝てたは、送った記憶はあるが】
【どうして、そういう余計な情報を入れるの!】
【楽しいからだ】
伝える途中で間違いが起きただけだと、
【信じて欲しい。あと件の貴人は、無事だ。怪我は一切していないそうだ】
クサーヴァーが送った暗号を書き記した書類をヤンネに見せた。
【無事なら、いいんです。無事なら】
暗号を書き記した書類を借り受け、ヤンネはその日のうちに、帰途についた。
***********
他国の情報、それも一地方の事故情報など届かないのが当たり前――という時代にしては、クローヴィスが乗った列車の事故に関する情報は、信じられないほど大量に届いた。
【……本当か?】
【はい、何度翻訳しても、こうなります】
暗号無線を受け取り、翻訳している配達人から「クローヴィス大尉、ナイフ一本でグリズリーを討ったもよう。ただしクローヴィス大尉は意識不明」と伝えられたヘラクレスは、何度も聞き返し……覚悟を決めてキースに報告に向かった。
「閣下。新しい情報が届いたそうです」
クローヴィスが事故に遭ったらしいという情報を聞かされた、ウルライヒは日々、クローヴィスの無事を祈っていた――この時代では、事故現場に向かうのは、難しいことだった。
それこそ、リリエンタールのような権力でもなければ。
「いい情報か? アーリンゲ」
ウルライヒの許可を得て、キースの執務室に入ったヘラクレスは、喋らずにそっと書類をキースの前に置き――その書類を手に取り、目を通したキースは、三回ほど読み直し、座ったまま机の天板を蹴り上げた。
高級品で重厚な作りの机が、僅かながら跳ね上がり、
「これは、本当のことか!」
椅子から立ち上がり、怒鳴りつける。
「おそらく。情報錯綜もあるかもしれない。第一報は”クローヴィス大尉。グリズリーと格闘して勝利”だったが」
「格闘だと!」
ヘラクレスはまったく悪くないのだが、ヘラクレス自身、キースが情報を持ってきた人物に、怒鳴りたい気持ちは分かるので、理不尽だとも思わず「落ち着け、落ち着け」と――
「ウルライヒ! テサジークに、大至急出頭命令を出せ」
「はい!」
ウルライヒは駆け出し、キースは椅子に腰を下ろし、自分が蹴り上げた天板を人差し指でコツコツと叩く。
「誤報は許すが、アレの冗談なら、許さねえぞ」
「いや、そんなことは、ないと……思う。さすがに。あの人も、そこは弁えているというか……」
「弁えてたか? 弁えるとかいう言葉と、もっとも縁遠い男だろうが。神聖帝国のあれと、弁えないを競っているようなヤツだろう」
「…………生死が関わることは、茶化したりしないはずだ」
「なら、意識不明ってことか? ……ちっ! 熊と戦って、意識不明って、どういう状況だ。っとに……民間人を守って戦いそうなのが」
キースとクローヴィスの付き合いは短いが、そのキースでも、クローヴィスは他人を守るために、戦うことに躊躇いのない性格だとはっきりと分かる。
「自分一人だけ、逃げるタイプじゃないからな」
ウルライヒと同じように、クローヴィスが無事であることを、祈っているキースの元に、
「おい、キース!」
ヴェルナーが、全くの別件であまり良くない情報を持ってやってきた。




