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Eはここにある  作者: 剣崎月
第三章

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118/208

【117】イヴ・クローヴィス・18

 四月初旬の深い森の中なので、朝晩は冷えるが、ロスカネフ王国で厳しい訓練を受けてきたクローヴィスにとって、レンジャー訓練ならば許されないが、他者で暖を取ることができるので、脱線事故に遭遇し、山中で救助を待つ状況も、さほど苦ではなかった。


「クローヴィス大尉、時間だ」


 自分の体温で暖を取らせていたサーシャは、足にしがみついているクローヴィスの肩をそっと揺すった。

 クローヴィスは目を開けるより先に、精緻な口元を綻ばせ、筋肉がついている長い腕を勢いよく伸ばし、的確にサーシャの後頭部を掴み、軽く引き寄せながら起き上がり、


「ん…………おはよ、デニス」


 目を閉じたまま、頬に「おはよう」のキスをする。


――腕を出す速さが、寝起きのそれじゃない……目を開けてなくても、この速さで、的確に人体のポイントを押さえてくるのは、正直言って凄まじい。たしかに、ヒースコートさま級だな


 避けることができなかったサーシャが、内心でそう呟くのも仕方のないこと。

 もちろんそんなことは、おくびにも出さず、勘違いを指摘する。


「残念ながら、大尉の弟ではない」


 見た目のせいで固いイメージを持たれるクローヴィスだが、唇は当たり前だが柔らかい。


「ああ! 済みません! 申し訳ございません、大佐!」


 サーシャの声を聞き、目を開けたクローヴィスは、勘違いに気付き手を離して立ち上がり、深々と礼をしながら謝罪した。


「そこまで、気合いを入れて謝罪しなくてもいい」


 一瞬前まで寝ぼけていたとは思えない動きで立ち上がり、頭を下げたクローヴィスに苦笑いしながら「大佐」はそう言った――事情を知らない随員たちは、全く嫌がっていないどころか、他の随員たちにはない優しさを見せる「大佐」に、クローヴィスのことを、よほど気に入っているのだろうな……そう解釈した。

 サーシャ自身、クローヴィスのことは気に入っているが、彼らが思うような感情ではない。


「ありがとうございます。寝ぼけていて」


 クローヴィスが寝ている間に用意された朝食――バターを塗った黒パンとハムの塊、瓶入りミネラルウォーターを乗せたトレイを召し使いが運んできた。


「ありがとう」


 クローヴィスは軍属の召使いに軽く礼を言ってから、トレイに乗っているミネラルウォーターの瓶を手に取ると、ベルトのバックルに栓を引っかけ、瓶を下に降ろし栓を抜く。

 栓は簡単に抜け、飛び上がった栓をほぼ見ることなく、クローヴィスはキャッチした。

 二人の前にトレイを置いてから、栓を抜こうと思っていた、召使いは驚いたが、クローヴィス自身はなにも気にせず、


「大佐のも」

「いや、栓抜きがあるからいい」

「栓抜き……」


 現状を思い出しレンジャーモードになっていたクローヴィスは、トレイに乗っている栓抜きに気付いた。

 そして固まっている召使いと目が合い、


「ありがとう!」


 大声で誤魔化した――全く誤魔化せてはいないのだが、階級が全ての軍で、陸軍大尉が誤魔化して終わらせるといったら、下の階級の者は大人しく従うまで。

 召使いは栓抜きを置いて、その場から下がった。


「とりあえず座れ、クローヴィス大尉」

「はい、ディートリヒ大佐」


 クローヴィスはすっと座り――シンプルな食事を取りながら、


「何故、弟と勘違いを?」


 サーシャはクローヴィスに尋ねた。

 

「起こされた際、子どもの声が遠くから聞こえていたので、親族でキャンプに来た……と思ってしまったようです」


 レンジャー研修は人気のない山奥で行われ、起こしてくれるものもいなければ、子どもの声がすることもなく、ほぼ単独行動なので人の気配もない。

 対して事故現場(ここ)は、人の気配が多くあり、その気配のほとんどが軍人ではなく、子どもの声までするので、少しだけ気が緩んだのだとクローヴィスは語った。


「なるほどな」

「弟と間違って申し訳ありません」

「気にしなくていい。ところで、どこか痛むところはないか」


 寝起きの話を終えてから、サーシャはまず一番に聞きたかったことを――事故直後には分からなかった打ち身などを、感じる箇所はないか? と。


「痛いところは、どこもありません」


 残り半分になった黒パンを手に、ほとんどの人に「そうだろうな」と納得させる笑顔で、大丈夫ですと告げる――ただし「ほとんどの人」の中に、サーシャは入ってはいない。


「そうか」


 クローヴィスのようなタイプは、多少の不調は口にしないからだ――もっとも、それはサーシャの杞憂でクローヴィスは、打ち身もなにもない。

 事故に遭った際、室内を転がっていたクローヴィスだが、無意識のうちに上手に衝撃を逃がしつつ、ぶつかるのを回避していた。


「大佐はいかがですか?」


 多少の不調を口にしないというのは、サーシャにも該当する。

 クローヴィスと違うのは、サーシャは脱臼した左肩の周囲に、痛みと違和感があること。さとらせることはないが、万全の体調ではなかった。


「問題はない」


 食事を取り終わったあと、サーシャが立てた計画表にクローヴィスとルオノヴァーラが目を通し、幾つかのことを提案し――クローヴィスは計画表通り、手早く銃の整備をして見張りについた。


 クローヴィスに注意を払いながら、サーシャは乗員と、いつ頃救助がくるかなどについて、意見を交わした。

 まずは事故に遭った場所だが、乗員は地図を取りだし、サーシャに「おそらく」といったポイントを指し示す。


(いにしえ)の森の、ど真ん中か】


――駅と駅の間の、森の一番深いところなのが厄介だ


【はい】

【異変を感じてから救助がくるまで、あと二日くらいは見たほうがいいか】

【もっと掛かると思います。事故が領主(女子爵)に上がるのに、二日くらいかかる可能性が】

【駅には女子爵閣下がいたはずだ。一等客室の乗車名簿に載っているだろう】

【ああ! そうでした】


――二日は見る必要があるか……妃殿下なら次の駅まで簡単に、徒歩でたどり着けるだろうが……救助を求めるためにという理由で、駅へ向かってもらうか。そのほうが…………エーベルゴードがあそこまで大怪我していなければ


 助けは呼びに行かなくても来ることは分かっている――クローヴィスは怪我人を置いていけるような性格ではないので、


――救助がくるまで、ここで待機するしかないか。幸い妃殿下は野営にも慣れているから……慣れているというか本物(プロ)だが


 小銃を両手で持ち、哨戒しているクローヴィスを視界の端にとらえながら、サーシャは乗員と他にもいろいろと話し合い、


「他に、持ち出したいものはあるか?」


 救助がくるまでの間、クローヴィスに好きなことをさせるべく、乗員から車両設備の持ち出し許可を取った。

 一等客室の乗客ということもあり、乗員は「お好きなように」と――特にサーシャは支払いもいいが、紹介者付の上客なので、ほとんどの無理が通る。


 見張りが終わったクローヴィスは、飲み水確保のために濾過装置を作りたいので、バケツが欲しいと――


「分かった」


 サーシャとともに濾過装置を作り、エーベルゴードの体調を確認したりし――召使いが作ったビールのスープと、炙りベーコンと黒パンの昼食を取る。

 これらの食材は、食堂車両から提供されたもの。


 クローヴィスたち大尉三人とサーシャは、毎食、食堂車で取っていた。

 ただ食堂車のメニューは高く――三等や二等の乗客は、旅を安くあげるためというのもあるが、単純に資金不足で食料を持参してくるのが一般的。

 一等客室の乗客でもない限り、毎食食堂車を使うことはない。


 本来であればクローヴィスたち三人の大尉は、二等客室での移動だったので、従卒や召使いが、駅近くの店で食料を補給して、部屋で安ワインと黒パンにハムとチーズの食事で、全旅程を乗り切るのだが、キースとリリエンタールの攻防の果てに、補佐武官たちは、毎食食堂車で食事を取ることができることになった。


 その料金は全てリリエンタール持ち――


 リリエンタールは基本料金を前払いで済ませていることもあり、乗員が「お好きなのをお持ちください」と、サーシャたちに食料を提供した。

 その際に調味料などももらい受け、召使いたちは限られた食材の中で、体が温まるものを作った。


「シナモンが薫るビールスープは美味しいし、スープはビールで作れますけれど、やっぱり水が欲しいところです」

「そうだ……誰か来た!」


 向かい合って食事を取っていたサーシャの声に、クローヴィスは足に乗せていた小銃を手に取り、サーシャの視線の方へ銃口を向け、引き金に指をかける。


「助けてくれ!」


 駅に向かった乗客の一人が、逃げ惑った際に枝にひっかかったり、石に躓いたりしたのが一目で分かる姿で戻ってきた。


「大佐。もしかしてここは、(いにしえ)の森ですか」

「そうだ、大尉」


 サーシャの言葉を聞いたクローヴィスは「悪魔的な熊かあ……」と呟いた。


「助けが来るまで、無事に過ごせると思いますか? 大佐」

「さあな。駅に向かったやつらだけで、満足してくれたらいいが」


 クローヴィスを無事に送り届ける任務の難易度が、随分と跳ね上がったな……そうサーシャは思うと共に、クローヴィスが残ると言わず、線路に沿って駅を目指していたら、熊と遭遇したのだと――


「命拾いしたのかも知れない」


 サーシャは一人、呟いた。

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