【011】閣下、旅立つ
リリエンタールはロスカネフ王国を去るのだが、彼と共に王国を出る荷物は少ない ―― ものに執着や愛着を持たないため、国を変えるときいつもリリエンタールは身一つで去ってゆく。
天文学的な価値のある芸術品や家具などは、あとから使用人たちとともに彼を追いかける。
追いつき新たな邸をまた飾ったとしても、リリエンタールになんら感動を与えることはできず、顧みられることもないが、それでも側におかれる。
オースルンドが訪れた翌日、イヴ・クローヴィスの同行の手はずが整ったことを報告しに、ヒースコートは再びリリエンタールのもとへと足を運んだ。
東洋製の黒檀の机に座り、革表紙に羊皮紙製の本を捲っているリリエンタールは、顔を上げることなく報告を聞き終え ―― 報告を受けても無言が多い彼には珍しく口を開いた。
「いきなり同行させると聞かされ、クローヴィス少尉は不思議に思っているであろうな」
「軍人ですので、平気かと」
「つい先日、ガイドリクスの身辺を探れと命じた」
「国から去るのを決めてからですか?」
「そうだ」
「本人は快諾しましたか」
「した」
「わたしが聞く分には、諜報などには全く長けていない娘のようですが」
「無理だな」
「では何故そのようなご命令を?」
「クローヴィス少尉はなにか知っている」
リリエンタールは視線を上げ ――
「リリエンタール閣下が知らないことを知っている……と閣下は判断なさったのですか」
「何かを知っているが、何を知っているのかをクローヴィス少尉自身、完全に理解していない。だがクローヴィス少尉は核心に近いものを知っている。その核心に近づくためには、ガイドリクスを探らせるのがもっとも効率的だと判断した」
リリエンタールはクローヴィスがこの世界の未来の一部分を知っているなどは、当然ながら知らない。
だがクローヴィスが何かを知っていることは、会って話したときにはっきりと分かった。
それがガイドリクスに関わっていることも ―― ガイドリクスとリリエンタールが話しているときの仕草。そして呼び出し会話を交わした際に必死に「隠し」つつ、リリエンタールに向けた期待の眼差し。
クローヴィスがリリエンタールに求める期待は、金でも権力でも政治でも軍事力でもない。求めていたのは”未来”――クローヴィス自身が願う未来をリリエンタールに期待している。
明るい未来を無責任に期待されるのは、リリエンタールにとっていつものことだが、クローヴィスは自らが期待している未来ではないものを、何故か知っているのが引っかかった。
「相変わらず、あなたはなにも語っておりませんが、それが完璧な答えなのでしょうな」
その未来が破滅であることも ――
「単純に表現するならば、クローヴィスは知っていた、だ」
「……知っていることを探らせるのですか?」
クローヴィスは経歴といい現状といい、将来を悲観する要素はなにもない ―― クローヴィスのエメラルド色をした美しい瞳は破滅を見ているが、望んではいない。
「知っているが知らないことだ。おそらく知っているが知り得なかった部分がある」
リリエンタールならば破滅を見ることも可能だが、なぜあの前途有望な若い軍人が訪れてもいなければ、希望もしていない破滅を見ているのか?
「リリエンタール閣下に良くある、天才故の理論の飛躍というものですか?」
破滅を乗り越えるのではなく、回避しようとしているのか?
「わたしが天才かどうかは知らぬが、クローヴィスの思考回路は些か変わっているな」
それを尋ねたところで答えてくれぬことも ―― 伏魔殿育ちの王族リリエンタールにとってクローヴィスの言動はあまりにも分かり易く、故に分からない部分は腹の底を見せない人間よりも謎は深い。
「女性で士官を目指すくらいですので、凡人の思考回路とは違うというのは納得できます。ところでリリエンタール閣下、随分と古めかしい本ですが」
「黒魔術に関する著書だ」
リリエンタールのような男と黒魔術というのは、一見何の繋がりもなさそうに見えるが、この時代の為政者は魔術師・占星術師・予言者などをアドバイザーに抱えているのは珍しいことではない。
「ほぉー。全く興味がないので、自分から振っておきながらですが、どうでもいいですな」
リリエンタールは聖職者ということもあり、魔術師を抱えることはしていないが、知識そのものは魔術師のレベルにある。
「お前らしいな。ところでレイモンド」
「はい」
「わたしに付いてくるつもりか」
リリエンタールは若いころから自分に従っているヒースコートに、今度も付いてくるのかと尋ねた。
「もちろんです」
「そうか。レイモンド、少し思うところがある。兵を潜ませろ」
リリエンタールは兵の配置場所などを書き付けて、その紙を人差し指でコツコツと叩く。
「思う所ですか。あなたは一体どれほど”思う所”があるのやら」
ヒースコートが肩をすくめると、
「そのポイントの地名と由来、わたしの霊名の一つと相性が悪い。くどくどしく説明はせぬが、黒魔術師が”わたしを殺せるポイント”として名を挙げる場所だ」
黒魔術関連の本を手にしているリリエンタールは、淡々と答える。霊名とは洗礼を受けた時に授かるものだが、なにぶん高額なものゆえ、庶民は自らの名前で洗礼を受け、加護や祝福があるとされる霊名を授かることは滅多にない。
霊名を授かった場合、霊名の元となった聖人の誕生日を祝い、寄付もしなくてはならず ―― 庶民の財力では到底維持できない。
逆に金がある者は複数の霊名を持ち、複数の祝福を受けられるようにする。
リリエンタールは家族に全く顧みられることのない待望の後継者であり、裕福な王家の生まれのため、四つの霊名を所有している。
その霊名の一つと人里離れた通過ポイントの地名の相性が悪かった ―― リリエンタールもそんな逸話や祝福は信用していないが、信用している者にとっては攻撃を仕掛ける最良の場所になる。
「今まで何度もそこを通られましたよね」
リリエンタールはずっとロスカネフ国内にいたわけではなく ―― むしろ頻繁に様々な国へと足を運んでいたが、今まで一度もそこで襲撃されたことはないのでは? とヒースコートが尋ねる。
「今回は通過時間が明確に分かるので、襲撃しやすい。なにより最後の機会だ」
リリエンタールがロスカネフ王国を出てしまえば、次にそこを通るのは何時になるのか分からない。
リリエンタールが机に載せていた地図を開き、ポイントを指さすと、ヒースコートは嘲笑った。
「リリエンタール閣下ともなれば、暗殺理由に事欠かないでしょうが、一軍人としては、襲撃ポイントには選ばない場所ですが。これを持ちかけられて許可を出すのは、余程の天才かバカかのどちらかとしか言えませんな」
暗殺を目論み黒魔術師を雇っている人間にとって、この好機を逃すわけにはいかない。
「奇を衒う、或いは奇策と言えば、雇い主のプライドを擽ることができる」
「依頼しそうな人間の見当は付いているのですかな?」
「ああ」
「さすが」
ヒースコートはそれ以上は聞かなかった。
リリエンタールは暗殺者を放つ身内を殺すようなことはしないので、聞いたところで無駄なのだ。
リリエンタールが彼らを殺さないのは慈悲ではなく、生かしておいたほうが世界がゆるりとだが確実に蝕まれるから。
人々が理由も分からず果てなき息苦しさにもがきながら、朽ちる世界を作るには、このような人材は生かしておいたほうが良い。
ヒースコートはリリエンタールが先ほど書いたメモを手に取り、
「それでは先に行って待っております」
有爵貴族らしく一礼して退出した。
そのヒースコートを見送るでもなく、リリエンタールは再び本のページを捲る。
生きることに倦み疲れているのならば、黙って殺されてしまえばいい ―― だが刺激も感動もない、飽和した息苦しさを生まれた時から抱えてきたリリエンタールは、死にすら希望を持つことはできなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
リリエンタールはロスカネフ王国を旅立つにあたり、礼拝堂で主に祈りを捧げた。
光の差し込まぬステンドグラスに向かい、礼拝堂に響き渡る大きな声で。
その声が主に届かぬことは知っている。届けようと思う気持ちもない。それはリリエンタールにとって唯の発声練習の一環でしかなかった。
「お時間です」
ベルナルドに声を掛けられたリリエンタールは祭壇に背を向け ―― 誰に挨拶をすることもなくロスカネフ王国を出立した。




