第38話 貴族派の動揺
帝都中央街区、帝国軍総司令部
「……な、何だとっ!」
「はっ?」
報告していた西方帝国軍の伝令司令官は、その悲鳴を聞いて思わず言葉を止める。
その悲鳴を上げたのは、目の前に居る総司令官である事を確認し、納得して頷いた。
「……報告を続けても宜しいでしょうか?」
「はっ……あ、ああ、つ、続けてくれぇ」
どこから声を出しているんだと思いつつも、何も言わずに報告書へと目を落とす伝令指令官。
こんな情けない人の上に立つ資格能力の無い男でも、帝国の大貴族達から支援を受けている最高司令官である。
それこそ“腐っても”って言う事である。
まったく、無能ならまだしも人の足を引っ張ったり人の仕事を邪魔するのは止めて貰いたいものだ、報告の度に素っ頓狂な声を出されていては少しも進まない。
いつも通りの文句を心の中に留め、表情も一切変えること無く伝令司令官は途中まで済んでいた報告を継続する。
「……ガイウス・アルトリウス北西辺境担当司令官は北西海賊3000余りと砦近辺で交戦の上これを撃滅、砦近隣の平定に成功したとのことです。大勝利ですな」
「あう……」
再び妙な声を上げるが、今度は伝令司令官も顔を上げない。
そう何度も報告を途絶させられてはたまらない。
伝令司令官は声を一層強くして報告を継続する。
「またこの際に協力した非同盟部族のダレイル族やアルクイン族との同盟取り付けにも成功したようで、事後承認を求めています」
「はぐぅ」
「また参考ですが、前述各部族との交易協定を結ぶ許可を執政官に求め、執政官はこれを即座に了承しました。早ければ年内にも交易が開始されるでしょう」
「……あぃえ」
「ほ……補充人員は必要ないそうですが、武具矢弾の補充及び食糧供給の再開?を早急にとの但し書きつきで求めてきておりますので、こちらは兵站司令官にも文を回しておきました」
余りの奇声の連続に心が折れそうになるが、何とか堪えて報告を継続する伝令司令官。
しかし総司令官の奇声は止まない
「な、あ、あ」
「さ、再開とは意味が分かりませんな、何を再開するのか……お?あ、その件については多の複雑な案件と合わせてアルトリウス司令官が報告するようです」
「はげ?」
最後の追記を見つけて伝令司令官が言うと、ようやくまとも?な反応が返ってきたが。
……はげって何だ、はげって……
心の中で盛大に突っ込みを入れながらも伝令司令官は言葉を継いだ。
「直接ここ総司令部へ報告に来ると書いてありますが?」
「なんでゅぅあああああああ?」
我慢に我慢を重ね、努めて冷静に振る舞っていた伝令司令官ですらギョッとして顔を上げてしまうような奇声を発するレンドゥス西方帝国総司令官。
顔を上げた伝令司令官の視界に、白目を剥き泡を吹いている総司令官の姿があった。
……何故だ?
「……はっ?い、いかん、総司令官っ!総司令官?」
両腕を脇を締めた形で胸元へ引き付け、ぴくぴくと豪華な椅子の上で痙攣している総司令官の姿に一瞬意味が分からず、呆然とした伝令司令官であったが、そこは軍人、すぐに事態を把握して従兵を呼ぶ。
慌てて駆け込んできた従兵も最初は驚いた顔をしたが、伝令司令官の持つ文書にアルトリウスの名が記されているのを見て、何かを理解したようだ。
しかし秘密文書を覗き見られてしまったと言う事に思い至らないほど、伝令司令官は脱力していた。
「あ~従兵、医務所へ運べ」
「はい」
伝令司令官の指示に従うまでも無く既にその準備に入っていた従兵の動きは速い。
しかも何故か大きな毛布を用意している。
「な……用意良すぎるだろうっ?」
「いつもの事ですので」
伝令司令官の怒声に怯む様子も無く、従兵長が応じる。
「特にアルトリウス司令官のお話を聞かれるといつもこうなってしまいます」
「……そうか」
「従兵長、準備完了です」
従兵長の言葉に脱力した伝令司令官を余所に、従兵がレンドゥス司令官を毛布でくるみ終え、担架に乗せた事を報告してくる。
「うむ、では行こう……伝令司令官、失礼致します」
「ああ……」
脱力している伝令司令官の前を、従兵長が目礼してから先頭となってレンドゥスが担架で運び出されていく。
そして……総司令官の席を何とも言いがたい表情で見つめる伝令司令官。
伝令司令官の目の前にある総司令官の椅子、その上には……
「……臭いな」
この椅子には絶対座りたくない。
心の底から思う伝令司令官であった。
北西辺境属州、州都ルデニウム第10軍団駐屯地、軍団長執務室
「既に伝送石通信は帝都に届いた事だろう」
「手配ありがとう御座います」
面白がるように元となった文面を両手に持って見ながらアルトリウスに伝えるポエヌス第10軍団軍団長。
戦いが終わり、砦の再整備と兵士の休養をしっかり取らせてからアルトリウスは少数の護衛だけで州都まで騎馬でやって来ていた。
もちろん海賊頭ことピラトも一緒である。
「ああ、それと護送の準備も整っているぞ」
「重ね重ねすいません」
「何の……腐り果てた屑共に良いように動かされてしまった罪滅ぼしにはならんだろう」
ポエヌスの次いだ言葉にアルトリウスは黙って頭を左右に振ってから口を開いた。
「仕方ありません、虚報というのは出動して見ねば分かりません……ましてやその情報が総督府から出たものとなれば、従わぬ訳にも行きますまい」
アルトリウスからの応援要請に対し、第10軍団はこのとき総督府からの要請によって別の国境地帯への出動準備に入っており応じられなかったという経緯がある。
これも貴族派貴族に連なる一派の差し金なのだろうが、結果アルトリウスは孤軍奮闘する他無かったのだ。
後日譚であるが、総督府の言う蛮族の出現は無く、ポエヌスはまんまと一杯喰わされた事に気がついた。
ガストルク城塞のレーダーも応援を送ろうとしたが、総督府から制止の命令が届き、更にはアルトリウス砦に押し寄せたのが3000を越える海賊の大軍と聞いて、焼け石に水であることを知って断念した。
万が一アルトリウス砦が陥落した時の代替最前線として、第10軍団帰還までの時間稼ぎをしなければならず、アルトリウスの援軍不要の連絡もあったので援軍を送らなかったのである。
「……まあそれとは別に、少しばかり州都が騒がしくなるでしょうが構いませんかね?」
「ほう……」
悪い笑顔を浮かべたアルトリウスに、ポエヌスも悪い笑顔で応じる。
「良いだろう、都市警備隊の方はこちらで押さえておく、我が軍団は“蛮族の来航情報があったので臨戦準備中”としておく」
「ご配慮忝いであります」
更に悪い笑顔を浮かべたアルトリウスとポエヌスがイッヒッヒと笑い会う。
それを見ていて呆れるメサリア。
「……どっちが悪党か分かりませんよ」
温厚なポエヌスも一歩間違えれば北西辺境の国境を破られた上に、大量の税銀を“西方帝国の”敵対勢力に奪い取られる結果となりかねないような策を取った連中をこのまま野放しにしておくことは出来ないと判断したのだろう。
それにしてもこの2人は見かけや性格はかなり異なるものの、悪戯好きで物事の本質や一線を弁えた行動など、実によく似ている。
ポエヌスに長年使えているが、アルトリウスを通じてこの様な上官の質を改めて知ることになろうとは思わず、メサリアはこめかみに人差し指を当てて下を向く。
これからの任務には注意が必要そうだ。
メサリアが事前に命じられていた準備をするべく部屋から出て行くと、アルトリウスは笑みを即座に消してそっと言う。
「……一時事的に総督職の兼任をお願いします」
「大いにやりたまえ。第11軍団にも話は通しておく」
「了解であります、混乱を起こすのは本意ではありません。ご迷惑をお掛けすることになりますが……さすがに今回は許せないのであります」
同じように笑みを消して重々しく頷いて言うポエヌスに、アルトリウスは珍しく怒りの表情で言葉を継ぐ。
今までは信頼できる上司や内部告発した後の手当を取りようが無かったが、ここにはポエヌスがいる。
「……分かった、任せておけい」
ばんと強くアルトリウスの肩を叩き、ポエヌスは若いこの優秀な後輩の憤りを十分にくみ取るのだった。
数日後、ルデニウム総督府
最辺境の総督府とも思われない豪華な石造りの建物。
西方帝国の最新技術とここルデニウム近辺の最高級品石材を使って建設され、精緻な彫刻や浮き彫りを随所に施された庁舎は、帝都の中央街区にあってもおかしくないほどのものだ。
しかしこれは新庁舎。
かつての庁舎は街の造りに合わせたもっと質素なものだった。
ここ北西辺境の地は元々深い森林であった場所を切り開いたのであるが、現在は大変肥沃な丘陵地帯が広がる豊かな畑作地帯へと成長している。
国家運営の土地が多く、本来であれば皇帝に直接入る税や農産物であるのだが、残念なことにその豊かで質の高い農作物に目を付けた貴族の息の掛かった属州総督によって恣にされているのが実情であった。
それ以外にも錫や鉛、亜鉛と行った鉱物資源も豊富なこの島から産出される。
もちろんそれらの各種資源から上がる利益は、皇帝では無く貴族によってその勢力伸長策に余すこと無く利用されていたのだ。
そうした成果の一環である豪華な行政庁舎、その受付に呼び付けられた総督府の総督補佐官はでっぷりと突き出た腹を揺らし、ぶちぶちと文句を言いつつ廊下を歩いていた。
「全く……何で私が下級将官如きに呼び出されなくてはならんのだっ」
とは言っても軍と出来れば良好な関係を結んでおきたい。
それで無くとも北西属州総督府とこの州都ルデニウムを守る第10軍団は上手くいっていないのだ。
それもこれもポエヌスとか言う元市民派貴族の平民軍団長が堅物過ぎるからである。
賄賂も受け取らないし、当然便宜も図ってくれないので、非常に“色々と”やりづらい。
そんな第10軍団から珍しく連絡事項があると言う事で下級将官がやって来た。
何か良い機会になるかも知れないと考え、貴族派貴族との折衝も時間が押してはいたが高位文官である総督補佐である彼が直に会う事にしたのである。
「お待たせしましたな!」
そう言いつつ部屋に入ると、若い将官ともう1人、それに護衛らしき2人の兵士が立っていた。
片方は華奢で女性と見紛うばかり、もう片方は雲を突くような大男である。
しかし2人とも非常に整った顔立ちをしているが、鎧兜や装備は下級兵士が身に着ける物なので、総督補佐は2人を男と判断した。
次いで将官に目をやり、何故ニヤニヤしているのか分からないまま、しかしアルトリウスが何故こんな所にっ、と思いつつその隣の男に目を移した総督補佐は肝を潰した。
何故こいつらがこんな所にいるんだ!思わず心の中で叫ぶ総督補佐を余所に、アルトリウスはその男へ尋ねる。
「どうであるか?」
「……旦那、あいつだよ」
「ほう、1人目からとは幸先が良いであるな……間違いないか?」
「ああ、あんなデブ、そうそう忘れんさ」
アルトリウスと海賊頭、ピラトの遣り取りにどっと冷や汗を吹き出させる総督補佐。
身分は明かさなかったが、確かにアルトリウスとは税銀の運び込みの際に見届け人として話しもしている。
しかし総督補佐は内心の絶叫をおくびにも出さずに言葉を発した。
「はて、何のことですかな?ふくよかな体型をしている者はこの総督府に数多くおりますぞ?将官殿は……」
「アルトリウスである」
言外にお前とは会ってるよなと臭わせたアルトリウスの言葉に戦慄する総督補佐。
チクショウ、覚えてやがったか。
本当ならとっくに砦ごと土に返っているはずの男と再会するとは思ってもみず、総督補佐の汗の量が増える。
「……あ、アルトリウス殿はふくよかな体型の男性をご所望かね?」
総督補佐が余裕を見せるつもりでそう言いつつ皮肉げな笑みを浮かべるが、その次に発せられたアルトリウスの言葉にとうとう顔を凍り付かせた。
「ああ、我を嵌めようとした総督府のデブを探しているのである、何でもこの海賊頭に我が砦に有るはずも無い税銀があるとウソを吹き込んで攻めさせたそうなのでなあ!」
アルトリウスが意気揚々と怒りと恨みの混ざった凄まじい表情をしているピラトを示しながら言うと、総督補佐の顔色が更に青くなる。
「……よくも嵌めやがったな?俺は見たぞ!砦の倉庫に銀は一粒も無かったぜ!」
「そんな馬鹿な!税銀は確かに……!」
「この島のおれの一族郎党は死んでもお前をゆるさんぞ」
怨嗟の籠もる海賊頭の言葉の意味を知り青くなる総督補佐であった。




