第37話 終戦直後
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周囲を曇らせていた戦煙も無くなり、門扉も以前通り開放されているアルトリウス砦。
当然ながらまだ戦は完全に終わったとは言えず、未だ砦の門から出入りするのは戦士や兵士ばかりで、商人や周辺族民の姿は無い。
深夜から始まった戦闘もようやく終結したのが払暁。
そして戦闘の後片付けに半日を費やし、ようやくアルトリウス砦の周囲は落ち着きを取り戻し始めたばかりであるので、それは無理ない事かも知れない。
とは言っても転がっているのは砦から放たれた矢弾と海賊の死体ばかりで、味方の物が無いので気楽と言えば気楽。
今回の戦いでは奇跡的に味方の死者は皆無で負傷者が若干出ただけで終わったのだ。
その中で最も重い怪我を負ったのは、間抜けな事に他ならぬアルトリウス自身である。
自分の事を除けば、正に完全勝利を成し遂げたアルトリウスであった。
アルトリウス隊の兵士達は些か疲れた様子を見せながらも撃ち出した短矢や大矢を回収して篭に入れ、火矢の残り火に土を蹴掛けて消化し、海賊達の死体を2人1組で持ち上げて藪の中に掘られた大きな墓穴へと運び入れる。
墓穴には木材で土台と枠組みが作られていて、兵士達はその枠に収まるようきっちり海賊の死体を納めていく。
その際に武具や持ち物は全て回収している事は言うまでも無い。
何処かで奪われた物に間違いないそれらの物品は、一旦砦の公的保管へと移される。
その後持ち主が分からなければ、所定の手続きを経てアルトリウス隊の物となるのであるが、アルトリウスは遠くから援軍として駆け付けてくれたマッカーレイとファンガスへ人数と負担に応じて分配する事にしていた。
そのほかにもやる事はたくさんある。
今回は防衛戦でアルトリウス隊の生活環境に近い場所での戦闘になったので、土壌の消毒も必要だ。
戦場となった場所のあちこちへ手空きの兵士達が麻袋から粉石灰が散布する。
また早くも死臭を放っている場所の土は、円匙で掬って死体と一緒に墓穴へ放り込む。
ロミリウスはこうした作業にあたった兵士達が疫病に何故かかかり易いことを経験上知っていたので、スカーフを口元まで引き上げさせ、手甲や革手袋を装備させたまま作業をさせている。
兵士達は通常、装備品に死臭が突くのを嫌がって戦場掃除の際は装備品を外してしまうのが普通だ。
徹底している兵士になると上半身丸裸も珍しくない。
しかしロミリウスはこれが原因と考えたのである。
「くどいようだが、決して死体には直に触れるな」
ロミリウスは配下の兵士達が無言で自分の指示に頷くのを見ながら、少し前にアルトリウスとの執務室であった遣り取りを思い出す。
「戦場掃除に従事した兵士達に疫病が流行るのは、死体が放つ瘴気を兵士達が素肌に受けてしまう事が原因と考えます」
「ふむ……なるほど、道理は通っているであるな。許可する」
落ち着いた……と言うよりも雑な造りの執務室。
いつ見てももう少しましにならないかと思うものの、年若い自分の上司でありこの部屋の使用者であるアルトリウスにそうした拘りが無い為か、他の場所では進んでいる内壁張りもこの部屋には一切実施されていなかった。
その部屋の奥に置いてあるこれまた質素な造りの机に掛けていたアルトリウスは、報告書を造る手を止め、ロミリウスの上申を受けて即座に頷いて言う。
アルトリウスもこの現象をかねてから知っており、対策について兵士達に専用の手袋やマスクを着用させる事を考えていたのだが、なにぶん辺境の地。
しかも急な戦闘とあって用意が間に合わなかったのだ。
正にアルトリウスにとってロミリウスの意見具申は渡りに船だったのだ。
「兼ねてから戦いの後、特に激しい戦いや大規模な戦いの戦場掃除に従事した兵士達に疫病罹患者が多いことや、死体漁りの領民や族民が疫病を自分達の村落や街に持ち帰ることはままあったであるからな」
「はい、今までは戦場の、死んだ兵士達の呪いだろうという迷信がありましたが、私はそうではないと思います。これは対策を取れば防げるものです」
アルトリウスの言葉にロミリウスが深く頷いて言うと、アルトリウスも頷き返して言葉を継いだ。
「分かった、意見は採用とする。装備着用命令を出すことを許可しよう。何なら予備の装備を使っても良いである。作業後は砦外で装備を洗浄し、兵士達は身体を洗うこととするのである」
「ありがとうございます」
ロミリウスの簡素ながらも何かの思いを含んだような礼の言葉に、アルトリウスは眉をひそめるものの特に何も言わずに報告書の作成に戻る。
しかし用が済んだにも関わらず、ロミリウスは部屋から立ち去らない。
訝しく思ったアルトリウスが再び報告書を造る手を止めて、目の前の副官的な役目を負う百人隊長である男、ロミリウスを見ると、彼は徐に話し始めた。
「受け入れて下さるのですね?」
「うん?受け入れない理由が無いではないか、ロミリウスの上申は論理的であるし、我も兼ねてからこの現象をどうにかしたいと考えていた、その解決策となるかも知れない提案があった……採用するであろう?」
アルトリウスの言葉に、表情を変えずしばらく考え込んでいたロミリウスだったが、やがて再び言葉を発した。
「以前これを進言した時に臆病者呼ばわりされ、私は隊を追われましたが……」
「ああん?隊長は誰であったか……?」
ロミリウスがいたのはアルトリウスが以前居た西方国境警備隊の一部隊、近隣部隊なら知っているかも知れない。
「カッスス隊長です」
「あ~その隊は西方国境の紛争後、疫病が原因で壊滅したであるなあ……」
「やはりご存じでしたか」
アルトリウスが都市国家エクヴォリスとの紛争で活躍し、悲哀を味わった時に応援として駆け付けてくれた部隊の1つだ。
「ふむ、なるほど……ロミリウスはその部隊の生き残りであるか」
「残念ながら生き残りとは言えません。臆病者として後送されましたので」
それ以前からの経験で意見を上申したロミリウスは、隊長のカッススから命令不服従で懲罰を受け、左遷先となっている近衛隊へ転属させられたのだった。
ロミリウスはそうしてアルトリウスの許可を得た上で、兵士達に対して装備をきっちり着用するよう厳命を下したのである。
「……処理も早く済んだようだな」
ロミリウスがつぶやくと、最後の死体を大きな墓穴に納め終えた兵士がゆっくり斜路を上がってくる。
「最後か?」
「はい」
ロミリウスは自分の確認の問い掛けに答える2人に頷くと、作業をしていた兵士が墓穴に残っていないことを確認させてから簡潔に命じる。
「では、焼け」
「はっ」
海賊の死体で一杯になった墓穴に油と薪が追加され、ロミリウスの命によって火が投じられた。
一瞬深い墓穴に見えなくなった松明だったが、次の瞬間墓穴が火を噴き、次いで勢いよく燃え上がる。
空気吸入用に墓穴には幾つかの横穴が掘られており、酸素も十分。
しかも防戦用の油が撒かれているので勢いよく燃え始める海賊達の死体を前に、ロミリウスは兵士の1人から報告を受けた。
「ロミリウス百人隊長」
「なんだ」
「回収した死体の数ですが……あちこちの墓穴に収容したものを合わせて全部で1000体ほどになります」
数字が記載されている、メモ代わりの木片を持った兵士が報告する。
墓穴はこの周辺に10箇ほど用意されていたが、それでもその全てが埋まってしまったことになる。
もちろん正面からぶつかった時だけのものでは無く、追撃された時のものもある。
それでも望外の戦果である事は間違いない。
ここ100年以上の長きに亘り西方帝国や西方諸国の北岸や北西辺境、果てはセトリア内海西岸にまで至って猖獗を極め、国や都市、部族の民草を恐怖に陥れていた海賊は雲散霧消、壊滅してしまったのだ。
「大戦果だな」
「はあ……確かに援軍が来るまで我々は300足らずでしたから」
「良く撃退できたものだ」
そう言いつつロミリウスの見上げる先には、頼もしげな小さな砦があった。
その砦の壁には打ち込まれた鈎縄の鈎部分や射込まれた矢などが若干残っており、返り血と思しきシミが壁の色を変えている。
また逆茂木は取り払われておらず、矢狭間から弩砲や弩弓の穂先が覗いており、アルトリウス砦は未だ戦闘態勢を崩していない事が分かった。
それでもアルトリウスは兵士の4分の3に現在休憩を取らせ、一時的に戦闘態勢を解除していたりする。
もうしばらくして周辺情勢が落ち着くまで、砦の封鎖と警戒態勢を解くべきで無いとメサリアは進言したが、アルトリウスはこれについては少々強引に意を押し通した。
「海賊は2度とここへ戻って来られまい、今はいつまた発生するやもしれん変事に備えて兵を十分に休ませる事を優先する」
そう言うとアルトリウスは戦場掃除の終わった兵を含め、砦の警備と周辺警戒に必要な最低限の人数を残して全員を休憩させる。
また連日野宿をしていたイヴリン率いる傭兵戦士全員を一旦村々へ返した。
アルトリウスの判断は別段根拠の無いものでは無く、海賊達を追い打ちしたマッカーレイのダレイル戦士団やファンガスのアルクイン戦士団から上がってきている報告があるからこそ出来た判断である。
いわく、海賊達はその大半が海岸や、更にはその先の自分達が得意とする海に逃れる事が出来なかったようだ。
ある海賊は山道で戦士達に攻撃され、またある海賊は山に迷いこんで帰らず、またある海賊は船に乗り込んだは良いものの、海へ出る前に捕捉された挙げ句に焼き討ちされてしまったのだった。
「まあ、ほぼ全滅だろうなあ」
「ご助力有り難し」
帰還した戦士達に死傷者がほとんど無く、戦果は大きい。
マッカーレイの愉快そうな言葉にアルトリウスが礼を述べると、周囲に座って居る主立った者達……ファンガス、レリア、シルヴィア、イヴリン、ロミリウス、カルドゥス、メサリアを眺めつつマッカーレイは首を左右に振った。
「そうじゃあない、あの海賊共はブリガンダインと並ぶこの島の鼻つまみ部族だからな、我々としては機会あらば滅してやろうと狙っていたのだ。今回は滅する事は出来なかったが、大いに勢力を削ぐ事は出来た。しばらく立ち直れやしないだろう」
次いでファンガスが言葉を継ぐ。
「それにお膳立ては全てアルトリウス殿がなさったのだ、我々はそのおこぼれに与ったに過ぎない」
「それは……まあよいのであるが」
一旦は抗弁しようとしたアルトリウスだったが、ここでマッカーレイやファンガスと功績の譲り合いをしても仕方ないと思い直して主張をひく。
西方帝国内部の権力闘争という形をした裏方からの一方的な弾圧。
つまりは自分のしがらみから発生した出来事で本来は全くもって無関係な彼らに迷惑を掛けたのだから、アルトリウスとしては名声という形でその恩を少しでも返したい気持ちがあったのだ
その様子を見てマッカーレイは年若い南の国の極めて優秀な将軍ににやりと笑みを向けて言葉を継ぐ。
「アルトリウス将軍よ、海賊討伐の戦功はともあれ。海賊討伐の戦果や成果はあんたの為だけじゃ無いんだ。それは俺たちアルビオニウスに住む全ての者の為になるんだよ。俺たちは別に謙遜してる訳じゃ無い、間違えてもらっちゃ困るぜ」
「……ふむ、我はこの地で何かを成せたのであるかな?」
マッカーレイの言葉に思わず漏らすアルトリウスに、同席していたファンガスとレリアが呆れたようにため息を吐き、シルヴィアとイヴリンが目を丸くする。
ロミリウスやカルドゥス、それにメサリアは、マッカーレイの言葉の真意を量りかねて互いの顔を見合わせた。
帝国人達の素振りと相反する自分達側アルビオニウス人の反応を見て、マッカーレイは嘆息する。
「おいおい……なんておめでたい奴らだ」
曲がりなりにも今まで西方帝国や西方諸都市国家の派遣した討伐海軍の攻撃を巧みに逃れ、部族戦士の追っ手を海上に逃れては各地を思う存分に荒らし尽くして成長してきた一大蛮族は、アルトリウスの手によって一旦消滅することになったのである。
しかし当人達はその事の大きさを理解し切れていない。
マッカーレイの言葉は、故郷の島の半分を奪い取った西方帝国という存在のこの島に対する無理解や知識不足に対する呆れと怒りが多分に含まれているものだったが、同時に今や地続きの場所に暮らすこの隣人達の力が侮りがたいものになってしまった事への諦めもあった。
「俺の爺さんの代くらいなら追い返せたんだろうがなあ……」
それも無理であろう。
それ程西方帝国の支配と文化は島の南部に深く根ざし、保持する武力は侮りがたい。
それに加えて、アルトリウスのような人材がやって来た。
マッカーレイが見ても、この帝国の将軍に5000ほども西方帝国の精鋭戦士が預けられれば島は一気に西方帝国の色に塗り替えられてしまう事は必定だろう。
しかし幸いなことに上層部とは折り合いが悪い様子。
ここへ来たのは左遷であるとアルトリウス本人や兵士達も公言してはばからないので、マッカーレイが心配する状況にはならないだろう。
しかし彼らは領土よりも価値あるものを手に入れた。
それは信頼と名声。
強い意志と武力を持った兵士に、優れた構造の砦と武具、それを十全に使う司令官。
融和的な政策で交易と交流を促進したのみならず、誰もが嫌悪する海賊を撃破。
これでこのアルトリウス砦の場所と名、それにその部隊を率いたアルトリウスの名はアルビオニウス中に轟き渡ることになるだろう。
「ところで……海賊共の薄汚い船が大量に手に入っちまったんだが……どうしたもんかね?」
「あ~それについては間もなくこちらで使うので融通して貰いたいのである」




