第33話 名前
「は、離しやがれ!」
「そうはいかん!折角捕まえたのであるからな」
悪態を付いてアルトリウスの手を振り解こうとする海賊頭だったが、がっちりと喉元に食い込んだアルトリウスの手指は緩む気配すら見せない。
海賊頭は必死の形相でアルトリウスの顔面に拳を浴びせ、懐に忍ばせていた短剣を抜いて切り付ける。
拳は顔面に入るが短剣での斬撃は頭を振り兜で受け止める。
「くそ!」
「全く……油断も隙も無いのである」
白の聖剣を顔に突き付けられ、観念したように手を下ろす海賊頭だったが、そのままずるずるとアルトリウスに引き摺られるに至って慌てふためく。
「お、おい」
どこにこの様な力が残っていたのか、とても矢を多数射込まれ大怪我をしているとは思えない。
海賊達も突然の出来事に驚くばかりでずるずると後退るアルトリウスを引き留められない。
「お、おい!何を呆けてんだ!助けろ!」
海賊頭が喉を掴まれたまま擦れた声で助けを配下の海賊に求めると、ようやく海賊達は我に返った。
「お、お頭!」
「殺せ!奴は手負いだ!」
口々にそう言いながら海賊達がどっと捕まっている海賊頭とアルトリウスを囲む。
「むう、相変わらず良く気がつくやらしい奴である」
「てめえに言われたかねえぜっ……」
アルトリウスが痛みとは違う理由で顔をしかめて自分の手に捕まっている海賊頭をみて言うと、海賊頭も悪態を突き返す。
2人がもみ合うようにしていると、海賊の囲みの一角から騒ぎが起こる。
しばらくすると大柄な女戦士が長剣を風車のように振り回して海賊達を切り立てながら包囲の中を抜けてきた。
「アルトリウス!」
「なっ……イヴリンではないか!」
驚くアルトリウスを余所にイヴリンはざっと剣を振り切って構えると、アルトリウスの隣に立った。
「……助けに来た」
「あ~あ~あのなである……」
ぼそりと言うイヴリンにアルトリウスが頭を抱え込みそうな様子で言い掛けると、イヴリンはきっと向き直って強く言い直した。
「助けに来たんだっ」
「あ、ありがとうである」
涙目で睨まれたアルトリウスが矢だらけの身体を震わせて謝ると、納得したのかイヴリンは前を向き、2人の遣り取りを見て呆れていた海賊頭の脳天を長剣の柄で激しく打った。
「がはっ?」
気を失った海賊頭の短剣を取り上げ、その身体を軽々と担ぎ上げるイヴリン。
次いで長剣を腰に治めてアルトリウスに肩を貸す。
矢の刺さった腕を持ち上げられたアルトリウスが思わず声を上げる。
「あん、である」
「……変な声を出すな」
余りにと言えば余りにもなアルトリウスの声に顔をしかめて言うと、イヴリンは更にぐいっとアルトリウスの身体を持ち上げた。
「イヴリンてばとっても逞しいのであるな……イタっ!?」
「心配したのに……随分と余裕があるみたいだな」
ふざけた台詞を吐くアルトリウスを呆れたように見下ろすイヴリン。
「そんな事も無いのである……我は今一杯一杯なのである」
アルトリウスは余裕ある言葉とは裏腹に、頼りない足取りでよたよたとイヴリンに引っ張られてついて行く。
海賊達は海賊頭が完全に気を失ってしまい指示を出せなくなった事と、アルトリウスが油断無く白の聖剣をその海賊頭の首元に突き付けているので動けない。
イヴリンが進む方向は砦の門。
海賊達の輪がその方角だけ割れる。
アルトリウス砦も異変を感じ取ったのか、投射兵器の射撃を止めている。
海賊頭を担ぎ、アルトリウスを引き摺るイヴリンが海賊達を割ってゆっくり、しかし確実に歩みを進める。
「アルトリウス司令官!イヴリンさん!」
「ああ、ムス隊長であるか」
「メサリア!門を開ける用意をしてくれ」
アルトリウス砦の門前にやって来たイヴリン達を、メサリアが矢狭間から顔を覗かせて声を掛けると、アルトリウスとイヴリンが応じる。
その言葉を聞いてメサリアは一旦頭を引っ込めると、しばらくして再び顔を出す。
「準備できました!」
「よし!であるっ」
メサリアの言葉にアルトリウスが会心の笑みを浮かべ、イヴリンが周囲に向かって歯笛を鳴らす。
イヴリンの合図で配下に付けていた傭兵戦士達が森から現れ、アルトリウスの周囲を固めた。
そのまま門にまで進んだアルトリウスとイヴリン達は、メサリアの指示で厳重な警戒の元薄く開かれた門扉から砦の中へと入った。
「ふむ、これで一安心であるな」
傭兵戦士達が全員砦の中に入り、門扉が閉じられてしっかり閂が掛けられると、ようやくアルトリウスは安堵の言葉を吐く。
メサリアも矢傷だらけのアルトリウスの姿を見て顔を引き攣らせるが、何とか笑顔を作って出迎える。
ロミリウスとカルドゥスは未だ部隊を指揮中でこの場に来ていないが、門周辺を固める兵士達もようやく安心したような笑みを浮かべた。
「やれやれ、思った以上に骨が折れたのである」
伝令兵に血止めをされ、その上で肩や腰の矢を抜き取られながらアルトリウスが痛みに顔をしかめつつこぼすのを聞き、メサリアが目を剥いた。
「思った以上にっ、で・は・ありませんっ!」
「おうっ?」
思わず仰け反ったアルトリウスにメサリアが拳を握りしめて再び絶叫する。
「こ、この不良司令官っ!」
ぷっと吹き出すイヴリンをきっと睨み付けてから、メサリアはアルトリウスに向き直るが、アルトリウスは矢だらけの腕を器用に使って鼻くそをほじっていた。
気を失った海賊頭を藁の上に放り投げてから縄を打たせているイヴリンを余所に、鼻の穴に指を突っ込んだまま鼻下を伸ばした間抜けな表情で言うアルトリウス。
「随分であるなあ~ムス隊長。その不良司令官のお陰でこうして海賊の親玉を捕らえる事が出来たのであるぞ~?」
「こ、この……」
余りと言えば余りなその態度に絶句するメサリアの身体が震える。
それを見てイヴリンがぷるぷると肩を揺すって笑いを堪えていた。
自分が間近にいながら散々心配させられたが、今は安心できる状態である事を知っているので笑いがこみ上げてくるのだ。
「は~ん、そろそろ矢を抜くであるかなあ……お、ムス隊長良い所に……けつのを引っ張ってくれである」
「く、く、く……減らず口をっ……!」
今そこに居る事に気がついたような台詞を吐き、ぶりっと矢が2本刺さった尻を突き出すアルトリウスにメサリアがわなわなと拳を振るわせる。
しかし少し考えてからにやりと笑みを浮かべるメサリア。
相変わらずアルトリウスはふりふりと矢の刺さった尻を振りつつメサリアを挑発していて、彼女の顔つきが悪い方に変わった事に気がついていない。
おそらくメサリアの生真面目な性格を読み、矢に手を付ける事は無いと踏んでいるのだろう。
しかしメサリアも優秀さを見込まれて辺境派遣に選抜された西方帝国の将官である。
経験を積んで日々成長しているし、ましてやアルトリウスのような癖のある上司の下へ派遣されてから、彼女は今までとは比較にならない程の経験を積んでいる。
その成長した彼女が取る行動を、アルトリウスは予測すらしていないだろう。
そう考えると、メサリアの笑みは更に深くなり震えは止まった。
次の瞬間、がばっとアルトリウスの尻から生える2本の矢の柄を2本同時に両手で握り込むメサリア。
「……行きますよ」
「あえっ?ちょっと待つのであるっ……あぎゃっ?」
自分に刺さる矢の痛みの具合が微妙に変わった事で、アルトリウスは矢をメサリアに掴まれた事に気付いて慌てるが、意に介さずメサリアはぐっと力を込めた。
「やあ!」
「あふうっ?」
メサリアが気合いを込めて矢を引き抜くと、ぴぴっと血が飛び散りアルトリウスが微妙な悲鳴を上げる。
「ぷふっ」
アルトリウスの悲鳴を聞いたイヴリンが吹き出した。
その後ろで兵士に見張られていた海賊頭がのっそりと上半身を起こす。
「てめえら、随分余裕じゃねえか……」
吐き捨てるように言った海賊頭を振り返り、アルトリウスは鎧の草摺を上げ尻に布を当てがいながら言う。
「おう、目が覚めたであるか」
「こんだけ近くでギャアギャア騒がれりゃ嫌でも目が覚めるぜ」
「まあこれだけやられたのに無事砦へ戻る事が出来たのであるから、騒ぎたくもなるのであるぞ?」
悪態を付く海賊頭に苦笑を返しながらアルトリウスは包帯だらけの腕や肩を見せびらかせて言い返すと、海賊頭は顔を歪める。
「……あんだけ攻撃を集中してそんだけかよ」
「わははは、我の鎧兜は西方帝国で最新技術をもって造られた物だ」
アルトリウスが痛みに顔をしかめつつも拳でその鎧の胸をがんがんと叩いて答えると、海賊頭が額に青筋を立てる。
「鎧兜の事を言ってんじゃねえんだよ!ふざけんな!」
「まあそういきり立つものでは無い」
「うるせえ!てめえに言われたかねえぜっ」
アルトリウスが宥めに掛かると海賊頭は更に吠えるが、アルトリウスが余裕の表情で自分を見下ろしている事に気がついて下を向く。
「結局あんだけの損害を被りながらてめえ1人すら討ち取れなかったんだ……」
そして次の瞬間にはそう言いつつがっくりと肩を落とす。
勢威を奮った海賊頭も最早この敗戦の責任から免れる術は無い。
折角北西辺境の海賊達を曲がりなりにもまとめ上げた海賊頭だったが、海賊の世界は非常に厳しい。
ましてや敵将に捕らわれるなどあってはならない事だ。
たった1回といえども悪評と侮蔑に塗れた敗戦は、すぐこの周囲地域に燎原の火の如く伝わってしまう事だろう。
海賊頭の命脈は尽きたと言っていいだろう。
落ち込むどころの話しでは無いのだが、そんな海賊頭の肩に凋落の元凶たるアルトリウスが馴れ馴れしく手を置く。
肩の手に気付き、気の抜けた顔を上げる海賊頭へアルトリウスはニヤニヤとしながら猫なで声で話しかける。
「海賊頭よ、その方名は何というのであるか?」
アルトリウスの言葉に、海賊頭は虚を突かれたのか一瞬目を見張るが、やがてふて腐れたように再度下を向いて答えた。
「……そんなモノはねえよ」
「ほう、名が無いのであるか?」
海賊頭の答えに、アルトリウスが今度は目を見張る。
しかし次の瞬間にはにんまりと企みをたっぷりと含んだ笑みを浮かべつつ再度海賊頭の肩を叩く。
「何だよ……」
憮然としたまま顔を上げずに言う海賊頭を見て心底楽しそうにアルトリウスが言葉を発する。
「くふふ、お楽しみの前に我が貴様に名を付けてやろう。これもある意味お楽しみである!」
「ふ、ふざけんなっ!何でてめえに名を貰わなくちゃなんねえんだ!」
アルトリウスの下卑た笑いと言葉に海賊頭が食ってかかるが、ふとその言葉の先頭にあったものの内容に思い当たって問いを発する。
「……何だよお楽しみってえのは?」
「お楽しみはお楽しみ……まあ、お主らご執心の物とだけ言っておくであるかな~?」
「アルトリウス司令官?」
「アルトリウス……まだ早いのじゃ無いか?」
アルトリウスの言葉にメサリアが少し驚き、イヴリンは疑問を呈する。
しかしアルトリウスは2人の言葉に黙ったまま首を左右に振る。
そして海賊頭へ先程とは異なる普通の笑みを向けた。
「ふむ、さすがである……が、まずは名前である」
「名前はどうでも良いんだよ!」
「まあまあ、遠慮などするものでは無い」
「してねえ!」
「そうであるなあ……」
「おい、聞けよ!」
海賊頭とアルトリウスがかみ合わない会話を繰り返すのを見て、メサリアとイヴリンが呆れたため息を吐く。
しかしながら兵士からの治療を受けつつ、アルトリウスは思案顔で手を顎下にやって首を捻ると、抜き身のままの白の聖剣をかざして言う。
「よし、お主の名前はピラトである」
「うるせえ!認めねえぞ!」
慌てる海賊頭だったが、無情にも白の聖剣は淡い光を放ち、名の授与が終わってしまう。
「よしピラト、我がお主にとっておきの秘密を教えてやるである!」
海賊頭が唸って身体を激しく揺すり、肩に置かれた手を振り払うが、アルトリウスは意に介した様子も無くその肩を再び抱いて言う。
「ピラトよ、こっちの倉庫へ来るであるっ」
「聞けって言ってんだろうがあ!」




