第32話 詐術
次々と自分目がけて飛来する矢。
海賊が持っていた丸盾を拾おうとしていたアルトリウスはとうていそれが間に合わないことを悟り、一瞬動きを止めるが、すぐに姿勢を戻して白の聖剣を構え直した。
弩の短矢は威力が強いので、どのみち海賊の持っている簡素な丸盾では防ぎきれない。
残っている体力に不安はあるが、最早手立ては他に無いのだ。
「ぬおうりゃ!」
複数の矢が同時に殺到するその瞬間、アルトリウスは滝のようにかいている汗を顔から半飛ばし、1歩前に出て裂帛の気合いを放ち、凄まじい勢いで白の聖剣を振り切った。
そして目にもとまらぬ早さでためを持たせず刃を戻す。
「ば、馬鹿な!?」
「嘘だろ……!」
「化け物めっ」
周囲を取り囲んでいた海賊達が恐怖の綯い交ぜになった驚きの声を上げた。
なぜならアルトリウスがそのまま凄まじい早さで白の聖剣を振い始め、飛来する矢を叩き切り始めたからである。
目にもとまらぬ剣筋が幾条もの白い光となって奔り、アルトリウスに迫る矢や短矢を弾き飛ばし、切り払い、打ち落としていく。
バラバラにされた短矢が力なく地に落ち、鏃を切り飛ばされた矢が明後日の方向へと飛び、また別の矢は剣の腹で跳ね返された。
それでも全てがそうなった訳ではなく、幾本かは十分な威力を持ってアルトリウスの身体に届くが、その全てが堅牢で柔軟な西方帝国製の鎧や兜に弾かれてしまう。
身に着けている緋色のマントはあっという間に矢で切り裂かれ、みるみる内にずたずたになってしまっているが、それでも一切アルトリウスの身体を傷つけられない。
「うわははははは!やれば出来るものである!」
高笑いと共に放たれたアルトリウスの言葉に矢を放つ海賊達の背筋が凍る。
海賊頭も高みの見物を決め込んでいたが、余りの事に茫然自失。
しかも恐るべき事に……
「あ、あいつ鎧と兜に当たりそうな矢はわざと外してやがるのかっ?」
じっとりと冷や汗を流しつつ凄まじいまでの武技を発揮しているアルトリウスを見ていた海賊頭が思わずこぼすと、それを聞いていた周囲の海賊達が更に怖気を震い、化け物を見るかのような視線でアルトリウスを見つめ直した。
「お、お頭……」
「どうしますんで……?」
固まってしまっている海賊頭を見て周囲の海賊達が心配そうに声を掛けた。
それを聞いてはっと我に返った海賊頭は、自分の発言が失敗であったことに気付く。
「ち……気にすんじゃねえ!アイツも人間だ!どんどん矢を射続けろ!」
自分の不安を吹き飛ばすようにしてそう叫ぶ海賊頭。
冷や汗をかき、背筋の凍る思いをしているが、ここで弱気を見せてはならない。
アルトリウスも大汗をかき、肩で息をしているのが分かる。
いくら化け物でも人間である以上体力の限界というものがあるのは当然だ。
おそらく既に長時間気を張って単騎戦い続けてきたアルトリウスの体力は既に限界なのだろう。
今までであれば包囲の気配を見せただけで素早く移動を繰返していたアルトリウスが、緩慢な動作を心掛けたとは言え海賊達に容易く包囲を許したのもその現れだ。
それでも海賊頭が考えて居たよりも時間が経過している。
体力が切れ始めたとは言え、そこはやはりアルトリウスである。
常人より遥かに体力切れに時間が掛かるのだろう。
海賊頭は未だ自分がアルトリウスを常人に当てはめて考えてしまっていたことに気付いたが既に遅かった。
アルトリウスの美技は海賊達に恐怖心を芽生えさせてしまっている。
しかし体力切れが近いのも事実。
その証拠にアルトリウスの動きには少しずつ変化が現れている。
即ち動作が鈍ってきているのだ。
海賊達が怖気を震ってしまった、もっと言えばアルトリウスが高笑いをすることでそれを誘発したのだが、矢の発射速度が遅くなっているので誤魔化されているが、間違いないだろう。
「おらあ!手を緩めんじゃねえ!相手は疲れ始めてんぞ!!」
海賊頭の檄に、それまでおっかなびっくり様子見をしながら矢を放っていた海賊達の手に力が籠もった。
「うぬ、気付かれたであるか……目端の利くヤツである!」
アルトリウスが少し顔を歪めて言うと同時に、矢の発射速度が回復してしまう。
「ぬお?ナニクソ!」
顔面を狙う矢を弾き返しつつ、気合いを入れ直すアルトリウスだったが、既に限界。
次第に手足の力が緩んでくるのを留められない。
「むむう!これはいかんであるっ」
慌てて白の聖剣を握り直し、流れる汗を首を振って飛ばしつつ矢を切り飛ばす。
「ちっ……しつこい野郎だ!」
なかなか膝を付きそうで付かず、剣を振り続けるアルトリウスに舌打ちする海賊頭。
「埒があかねえぜ!」
業を煮やした海賊頭は危険を顧みずに前へ出ると、手元にあった槍を力一杯アルトリウスへ投げ付けた。
「ぬ?」
それまでの矢と異なり、思わぬ大きな投射兵器の攻撃を受けてアルトリウスが一瞬、ほんの一瞬たじろぐ。
そしてその槍から逃れるべくそれまでとは違う方向へ進んでしまったアルトリウスの左ふくらはぎに、2本の矢が突き立った。
「ぐっ、不覚である!」
「やったぜ!」
「当たったぞう!!」
アルトリウスが呻き、その矢を放った海賊2人が諸手を挙げて歓声を上げる。
その直後に到達した投げ槍を辛うじて弾き返したアルトリウス。
しかし海賊達は手を緩めない。
矢を当てた海賊達に続けと言わんばかりの勢いで、より一層強く勢いのある矢が多数降り注いだ。
左側へと体勢を崩してしまったアルトリウスに、今度は左手と左肩に矢が1本ずつ鈍い音と共に突き刺さり、肉を食い破った。
もう1本は手甲に弾かれたが、更に数本がアルトリウスの身体をかすめて擦傷を作る。
「い、痛いのである……」
素早く剣を振り払ってその後の矢を切り飛ばすアルトリウスだったが、先程までと違って明らかに動きが鈍くなっている。
アルトリウスの額にはそれまでの疲労による大汗だけでなく、脂汗が滲み始めた。
歯を食いしばって立ち上がろうとするが、左にばかり矢を受けてしまったので支えが上手くいかない。
次々に矢が降り注ぎ、大半がアルトリウスの鎧や兜に当たって鈍い音を立てながら弾かれるが、それでも数本が更にその身体へと突き立った。
「むぐわっ?」
それまでのように能動的な方法で矢を防げなくなってしまったアルトリウスの身体のあちこちに次々と矢が刺さり、海賊達はその度に歓声を上げる。
海賊頭も自分の見立てが外れかねないアルトリウスの活躍に冷や汗をかいていたのだが、アルトリウスが執拗に矢を射込まれ、どっと地に倒れ伏したところでようやく大きく息を吐いた。
「全く……最後まで心臓に悪い野郎だぜ」
「うむ、身体が動かん……こともないであるか」
一方仰向けに倒れたアルトリウスは静かに呼吸を整える。
致命傷を防ぐことに専念したので身体の主要部分に矢は刺さっていないが、肩や足は矢だらけだ。
このままでは臓器に損傷がなくとも失血死してしまうだろう。
しかしアルトリウスは恐るべき事に身体に力を込め、鍛え上げられた筋肉で鏃を締め上げて止血していた。
後で矢を抜く時に肉が鏃に絡んで傷が酷くなってしまうかも知れないが、今はこれより他に血を止める方法が無い。
幸いにも矢を受けた場所は手足が大半で、他は肩が数本、尻に2本なので大丈夫。
白の聖剣も確かに未だ手の中にある。
取り敢えず一番痛いのは尻に刺さった2本。
「い、いかんともし難いのであるなっ……!」
顔をしかめてもぞもぞと身体を動かし、そうこぼすアルトリウスへ海賊達が恐る恐る近寄る。
「……おい、死んだかよ」
「残念ながらまだ死んでおらんであるな」
海賊頭の呼びかけにそう応じると、ずさっと音を立てて後退った海賊達を尻目にアルトリウスは上半身を起こす。
しかしその身体の動きはそれまでの凄まじい活躍からは考えられないほど緩慢で、力の無いもので、海賊達も密かに胸をなで下ろす。
これでは最早反撃など適うはずも無いだろう。
白の聖剣を杖代わりにして痛む身体を引き摺り、よっこらせと情けない声を出しながらアルトリウスがようやく片膝を立てた格好で半身を起こす。
「よくやったと言いたい所だが、おめえはやり過ぎたんでな。生かしちゃおけねえ……残念だがな」
海賊頭の言葉にアルトリウスは失血で青くなった顔を上げて皮肉げに口を歪めた。
「ははは、然もありなん」
「……やろうっ」
「ぶっ殺してやる!」
弓矢を構え、剣や槍を燦めかせて海賊達がいきり立つ。
それまではアルトリウスの武威に恐れをなしていたはずの海賊達だったが、アルトリウスの怪我が思ったよりも重く、身動きもままならない状態である事をようやく確認してそれまで溜まっていた怒りを爆発させる。
しかしアルトリウスは海賊達の怒気に当てられても皮肉げな笑みを消さずに、むしろ挑発するかのような態度で言葉を発した。
「ふふん、我が動けなくなったと見るや、であるか?底の知れる下衆な海賊に相応しい振る舞いであるなあ~」
「てめえ!」
「ふざけるな!」
「殺すぞ!」
アルトリウスの挑発に呆気なく乗る海賊達。
その内制止していた海賊頭の目を盗んで槍の柄で小突き、その背中を蹴り始める。
「おい止めろ!」
海賊頭が配下の海賊達を改めて制止するが、海賊達は収まらない。
それで無くとも多くの仲間をアルトリウスたった1人のせいで失っているのだ。
ついに海賊達の怒号は海賊頭へと向かい始める。
「仲間を殺されてるんだぞ!」
「頭!何で止めるんだ!」
「止める理由なんかねえだろう!」
「そうだそうだ!」
「さっさと殺しちまえ!」
「俺にやらせろ!」
血走った目を向け、詰め寄る海賊達に流石の海賊頭も制止しきれず、とうとう声を張り上げる羽目になった。
「落ち着け!こいつは売り飛ばせるんだ!」
必死に海賊達を制止しようとする海賊頭の言葉は配下には通らない。
しかしそれを聞いていた者が1人だけいた。
「……その売り先を聞きたいものであるなあ」
瞬時にアルトリウスの軽薄だった顔が恐ろしいまでに冷徹なものへと変わる。
その雰囲気は周囲でいきり立っていた海賊達へも即座に伝わる。
「……おい、てめえ」
凍り付いたように動きを止めた海賊達を余所に、その言葉の真意を悟った海賊頭が息を飲んだ。
アルトリウスの身体から見えないはずの闘気が立ち上り、その静かで凄まじい気迫は周囲を圧し始める。
身動きできないはずのアルトリウスの気合いに呑まれ、海賊達は仰け反るようにしてアルトリウスから身を離し、1人また1人とその場から後退する。
海賊頭は、ようやくアルトリウスがこの様な危険を冒してまで単騎で自分達の陣営へ突入してきたのかを知った。
「てめえ、まさか……」
「わはははははは!」
普段は快闊なはずの笑い声は底冷えしており、周囲の海賊達は震える手で必死に笑声を上げ続けるアルトリウスへ手持ちの武器を向ける。
「ようやく黒幕を知る者へたどり着いたである」
アルトリウスが思わず怖気を振るいそうな声音で言うと、海賊達は更に一歩下がり、海賊頭は喉から声を絞り出すように言葉を発した。
「やっぱりかっ……」
その言葉にアルトリウスは傷ついた足を庇いつつゆっくりと姿勢を変えると、にいっとえみを浮かべて応える。
「わはは、ちと遅きに失したようであるな、海賊の頭よ。だが気付くとはさすがこれだけの規模の海賊無頼を束ねるだけはある。知恵は十分なようであるな?」
「こんなワナを仕掛けたてめえがそれを言うのかよ……」
アルトリウスの言葉に海賊頭は冷や汗を流しながらも皮肉げに口を歪め、呆れたように答えた。
「砦に籠もって防戦するのは容易いのであるが、まあそれでは面白味もないであるし、何よりただの国境防衛戦で終わってしまう……我の敵はそんな所にはおらんし、我は国境防衛戦のみでこの件を終わらせるつもりも無いのである」
黙り込み、自分の言葉を待つ海賊頭へにじり寄りながらアルトリウスは言葉を継ぐ。
「お主ほどの頭を釣り出すには生半可な活躍ではいかぬであるし、こうやってまみえるには隙を作る他無い……多少の怪我は止む無しである」
「それが止む無しって程度の怪我かよ……死にそうだぜ?」
「何のこれしき……お主を捕らえる為の支払いと考えれば微々たるものである!」
「なにっ?」
驚いて声を上げた海賊頭の喉に、アルトリウスの手が凄まじい勢いと力で掛かった。
「一緒に来て貰うぞ!海賊の頭よ!」




