第30話 劣勢
一方のイヴリン率いる部族傭兵100名は、アルトリウス砦から出された合図を見て密やかに海賊達の居る付近へと移動していた。
少し合図が出るのが早かった気もするが、その辺は砦に残っているアルトリウスを信頼しているイヴリンは疑いを抱かず素直に移動を開始したのだった。
イヴリンは与えられた部族傭兵を率いて森の中を静かに、しかし素早く移動する。
毒虫や毒蛇、毒蜘蛛に悩まされながらも静かに、そして確実に海賊の陣へと迫るイヴリン達。
しばらくして海賊達が陣を張るすぐ側の森と藪が重なる絶好の場所へと進出したイヴリンは、部族傭兵達を一旦止めてその場に潜ませ、2名の斥候を放つ。
海賊の陣が油断しているところを探すのだ。
いくら奇襲とは言え僅か100名足らずの手勢で出来る事は限られている。
それはイヴリンも承知していたし、アルトリウスからも決して無理はしないように言い含められても居る。
アルトリウスがイヴリンに期待しているのは、素早い奇襲と撤収を繰返し、多数の奇襲部隊が周辺に展開していると誤想させること。
そうしたアルトリウスの意図をイヴリンは正しく理解し、そして確実に実行に移そうとしているのである。
周囲が少し騒がしくなったようなのが気になるが、ここは我慢。
しばらく動かずじっとしていると、海賊達の怒号や悲鳴が聞こえて来た。
どうやら砦側の投射攻撃に四苦八苦しているようだ。
アルトリウスの反撃が確実に成功している事を聞き取り、イヴリンは思わず口元に笑みを浮かべる。
得意気に腕組みをし、壁の上から眼下の海賊達を見下ろして高笑いをしているアルトリウスの姿が容易に想像出来たのだ。
「ふふふ……上手くいっているようだ」
思わず小さく言葉と笑みを漏らしてしまうイヴリンであったが、そうこうしている内に斥候へ出した2名の部族傭兵が戻ってきた。
少しばかり興奮しているようで、走ってきた事によるものと相まって息が荒い。
それまでの笑みを消し、周囲の様子を探るイヴリン。
どうやら追跡されている様子はないようだ。
斥候が泳がされて部隊の居場所を突き止められては元も子もないが、その心配がない事を気配で確かめ、イヴリンは斥候の2人へにじり寄った。
「落ち着け」
意気を荒げたまま目の前で膝をついた2人の戦士にイヴリンがそう呼びかけると、戦士達は少し息を整えてから報告を始める。
その様子に不審を感じつつも、2人の言葉を待つイヴリン。
そんな隊長の思いを知ってか知らずしてか、年嵩の部族傭兵が徐に口を開く。
「戦士イヴリン、海賊達の陣で騒ぎが起こっているようです」
「……何?」
滝のように汗を流しながらも顔を上げた部族傭兵の1人が言う言葉に、思わずそう返すイヴリン。
するともう1人、若い部族傭兵がその言葉を継いだ。
「どうっ、す、すいませんっ、どうやら帝国人の将官が1人で海賊達に切り込んでいるようなのです」
「な、なに?」
2人目の報告を聞き、最初は訝しげに顰められていたイヴリンの顔が驚愕に変わる。
帝国人の将官が1人?
海賊のまっただ中に切り込んだ?
砦にいる将官と呼べる帝国人は、アルトリウス、メサリア、ロミリウス、カルドゥスの4人だが、女性であるメサリアはまずそんな事はしないし、第一出来ないだろう。
ロミリウスとカルドゥスも然り、おそらくそんな無謀はすまい。
かちかちと歯車が合わさるかのようにイヴリンの中で思考が重なり合い、結論が出る。
そんな馬鹿な真似をしそうな帝国人将官は……ただ1人しか居ない。
「ま、まさか……?」
思わず潜んでいる事も忘れて立ち上がってしまったイヴリンであったが、既に海賊達は周囲へ気を配る余裕もなくしたようで、その視界に右往左往している様子が入ってきた。
イヴリンに気付くような者は誰も居ない、それが即座に分かるほどの混乱を海賊達は来していたのだ。
目を見開いてその様子を見ているイヴリンに、斥候へと出ていた部族傭兵が言葉を重ねる。
「その……どうやら単身切り込んだのはアルトリウス将軍らしいのですが……」
「!!」
自分が出した結論そのままの回答。
イヴリンは躊躇無く剣を抜くと、配下の部族傭兵達へ指示を出す。
最早猶予はない。
それに敵陣はその帝国人将官、アルトリウスのお陰で大混乱だ。
「アルトリウス将軍に続け!」
短くそう叫ぶように言い、イヴリンは剣を振りかざして森と藪の重なる場所から一気に躍り出る。
それに慌てて続く部族傭兵達。
イヴリンの勢いに乗って森から飛び出し、彼らは喊声を上げながら混乱する海賊の陣のまっただ中に躍り出た。
驚く海賊達に雄叫びを上げて威圧しながら容赦なく襲いかかる部族傭兵。
海賊達は元が戦意を喪失して逃げ惑っているものが多かった事もあり、抵抗する間もなく血祭りに上げられる。
燦めく刃と噴き上がる血飛沫が周囲を地獄へと変え、悲鳴と怒号が重なる。
たちまち周囲は血の海と化す海賊の本陣周辺。
混乱が混乱を呼び、暗闇でいきなり遭遇した海賊同士の同士討ちも始まった。
アルトリウスの撒いた混乱は、イヴリン隊の乱入で更に広がり始めたのだった。
「おう!来たなイヴリン!」
敵である海賊の本陣と思しき場所の背後から躍り出てきたアルビオニウス人の戦士達を見て、アルトリウスは嬉しそうにそう言うと、周囲の海賊達を切り倒す。
先頭を切って飛び出してきた大柄な戦士は間違いなく、部族傭兵を任せたイヴリンだ。
無骨な兜を被り、長い裾の鎖帷子を身に着けたそのイヴリンは、盾を背負ったまま自身の長剣を両手で握って正面にいた海賊へと振りかぶる。
長剣を燦めかせて、驚き慌てふためく海賊達に斬りかかるイヴリン。
その大柄な身体を十分に活かし、体重の乗った勢いある一撃を真正面から見舞われた海賊は、盾や剣で防ぐ事すら出来ないままに斬り捨てられた。
次いでその横にいた海賊と数合切り結んだイヴリンは、今度は一転、思い切り叩き付けてきた海賊の剣を軽やかに躱してから、その首筋へ素早くも鋭い一撃を放ち血を噴き出させる。
「やるではないか!」
聞こえては居ないだろうが、掛かってきた海賊を白の聖剣で真っ二つに切り下ろしつつアルトリウスが称賛の言葉をイヴリンへと贈る。
そのイヴリンの飛び出してきた藪から、続々と部族傭兵がばらばらと飛び出し、周囲の海賊達に襲いかかってゆく。
それを横目にアルトリウスは戦場を駆け抜ける。
砦から飛来する弩砲の矢玉を白の聖剣で弾き、逸らし、自在に周囲へ振り向け、時折地に落ちた剣や槍を拾い上げては周囲へ放ち、手持ちの大矢を鋭く投擲する。
近づく海賊達は敢え無く斬り捨てられ、突き殺されてその身体を蹴り剥がされる。
「うわははははは!」
高笑いと共にアルトリウスは悪鬼のような活躍で海賊達を蹴散らす。
しばらくすると、周囲にイヴリンを始めとする部族傭兵達が集まり始めた。
今また1人、海賊を倒したアルトリウスの後へイヴリンが別の海賊を切りたてつつ回り込むとその背を合わせる。
周囲を固めた部族傭兵達が海賊を追い散らす。
その状況を見て一息つくアルトリウスとイヴリン。
そしてイヴリンは油断無く剣を構えたまま、少し拗ねたように鎖帷子で覆われた後肩でアルトリウスの鎧で覆われた背中を軽く小突いた。
「おう、よく来たであるな!」
「……アルトリウスは無茶苦茶をするな」
「わはは、これは性分なのである!」
ぶすっとした表情で言うイヴリンとは対照的に、アルトリウスは朗らかな笑い声を上げながら応じた。
その様子に懲りたところが少しもない事を察し、イヴリンはため息をつきながら言葉を継ぐ。
「メサリアや砦の兵士達も心配していると思うぞ?」
いくら投射攻撃で優位に戦いを進め、砦を攻め上られる可能性がほぼなくなったとは言えども、最高司令官であるアルトリウスがあっさり砦を飛び出してしまったのだ。
彼らの心労は察するに余りある。
「うん、まあ、であるな……」
出がけに悲鳴を上げていたメサリアの哀れな姿や、矢狭間から弩砲を撃ちつつ驚愕の表情で自分を見ていた兵士達を思い返してアルトリウスが少し苦い顔をすると、イヴリンははっきり今度は拗ねた口調で言葉を継ぐ。
「わ、私だって心配しているんだ」
「うむ、まあ、そうであるな……ありがとう」
その言葉に少し照れくさくなったアルトリウスが、頬をポリポリと掻きながら礼と共に答えると、背後でイヴリンは顔を真っ赤に染めて言葉を継いだ。
「いつも無茶ばかり……少しは周囲の気持ちも考えて欲しいな」
「……返す言葉もないのである」
砦から飛来した弩砲の大矢を弾き、海賊の固まる場所へ飛ばしながらアルトリウスが謝ると、ようやく納得したのかイヴリンは息を大きくはいた。
そして配下の部族傭兵達に集まるよう指示を下してから口を開く。
「取り敢えず、周囲を攪乱してから一旦撤収する。アルトリウスは余り無茶をしないようにして欲しい」
「うむ、心得た……まあもうしばらくこの辺を荒らして回ってやるのであるが……」
アルトリウスが軽い調子で答えると、今度は背後から盛大なため息が聞こえてきた。
「ちっとも懲りていないじゃないか……」
「まあ~そうであるなっ」
鼻くそをほじりながら小馬鹿にしたような態度で答えたアルトリウスに、一瞬青筋を額に浮き出させたイヴリンだったが、すぐに周囲の海賊達の動きが変った事に気付いて顔を引き締める。
「くっ……もう良い、話している時間もそう無さそうだ」
イヴリンがそう言っている間にも、海賊達が組織だった動きをし始めており、早くも一部でアルトリウスらを包囲すべく戦列が作られ始めている。
その様子を見てにやりと笑みを浮かべたアルトリウスだったが、戦列の奥に先程取り逃がしてしまった海賊頭の姿を見て笑みを収める。
「うむ、先程本陣を急襲したのであるが、もう立ち直るとは流石である。海賊とは言えこれだけの者共を束ねるだけの力量は十分に持っている首領がいるようであるな」
鼻歌でも歌いそうな軽い調子で言うアルトリウスに、イヴリンは顔を顰めて言った。
「相変らず無茶苦茶だな、アルトリウスは……」
2人が会話している間に、周囲で混乱に乗じて海賊達を攻め立てていた100名足らずの部族傭兵達が周囲から集まり始めており、今は海賊達と正面から渡り合っている。
しかし海賊が我が未だ混乱から脱し切れていないとは言え、やはり数の差は歴然。
部族傭兵達は次第に押され始めている。
数の差は海賊にも既に知られているようで、攻勢の度合いがきつくなり始めており、そう長い時間保たないのは誰が見ても明らかだった。
しかしアルトリウスはそのイヴリンの呆れと心配を軽く鼻で笑い飛ばすと、ゆっくりと言葉を継ぐ。
「どうやら取り逃がしたのが親玉だったようであるなあ、無念である」
「まあ、そう言う事もあるだろう?」
「うむ、だがあ奴を討たねば海賊共は退くまい」
「どういう意味だ?」
イヴリンが目を細めて疑わしそうにアルトリウスを見る。
その視線を感じつつアルトリウスは獰猛な笑みを顔に浮かべて応えた。
「我がちょっと行って討ち取ってくるのである」
「……本気で言っているのか、それは?」
驚くイヴリンを余所に、アルトリウスはぴたりと海賊頭を見据える。
「イヴリンは頃合いを見て退く事を考えて欲しいのである。後は任せるのである」
「う、分かった」
イヴリンも今のままの状況では自分達が囲まれてしまう事は理解しているので、部族傭兵達に退却の命令を下すと自分もその後に続く。
その途中、振り返ってアルトリウスを見るイヴリン。
アルトリウスは敏感にイヴリンが自分を振り返るのを察知し、その背を見送っていた顔をさっと明後日の方向へと逸らす。
「……待っているから」
「おう」
イヴリンの切なそうな呼びかけにぶっきらぼうな様子で白の聖剣を上げつつ応じるアルトリウス。
ふいっと思い切るようにして踵を返したイヴリンの後を守るかのように、アルトリウスは白の聖剣を眼前に掲げ、海賊達が退いた部族傭兵達を追おうと殺到するのを牽制する。
「テメエは!」
「ふん、貴様がこの無頼共の親玉であるか?」
海賊頭が忌々しげに海賊戦士達の後で舌打ちするのを目敏く見付け、アルトリウスは不敵に笑って言う。
「ああ?どういう事だあ?」
アルトリウスの言葉を聞き咎め、訝しげに問い返す海賊頭。
頭の上に疑問符を浮かべているかのようなその表情を見たアルトリウスは、ぷっと吹き出しつつも答えた。
「さっきここにあった海賊の天幕を襲撃してやったのであるが、1人目端の利いた者がおったらしくてな、逃げられてしまったのであるが……まあ、屁を放き漏らしながら逃げる姿は滑稽であったなあと思い返したまでの事である」
「てんめえ!」
馬鹿にされていると分かった海賊頭は顔を真っ赤にして怒りまくるが、アルトリウスが怖くて前には出てこられない。
「やっちまえ!相手はたった1人だぞ!あいつを殺せば砦は落ちたも同然だ!」
海賊頭の怒りにまかせた号令で、海賊達は一斉にアルトリウスに向って殺気をまき散らしながら駆け出したのだった。




