第27話 開戦
翌日深夜、アルトリウス砦北側
「……そろそろ動くであるかな?」
普段よりはるかに早く起き出し、鎧兜を身に着けたアルトリウスは自慢の深紅のマントを留針で留め、白の聖剣を手にして質素な部屋の外へ出るとつぶやく。
何となく戦場に漂う気配を感じ取り、戦機が熟してきた気がしたのだ。
アルトリウスは驚く不寝番の伝令兵に人差し指を口元に立てて声を出さないように合図すると、その伝令兵が慌てて自分の口元を両手で押さえるのを微笑ましげに眺めてから、少し顔を引き締めて命令を下す。
「全員を“静かに”起こして回るのである。なるべく音は立てず、弓、弩、弩砲は何時でも発射出来るよう矢弾を装填せよ」
「は、はい」
慌てて、しかしアルトリウスの指示を守ってそっと闇の中へ駆け出す伝令兵。
そしてアルトリウスは主郭の屋上に上る。
不寝番の伝令から起こされて驚きながら、しかし静かに駆け上がってきたメサリアを見てからアルトリウスは薄靄のかかっている砦の外周を眺めた。
「どうしたのですか?」
「静かに話すのである」
普段通りの声を出してしまったメサリ。
アルトリウスは普段とは違う厳しい様子でメサリアに注意し、彼女が慌てて口を押さえるのを見てから静かに、そして低い声で言葉を継ぐ。
「ロミリウスとカルドゥスは?」
「……準備の確認をしています」
有能な百人隊長である2人は自分達の役割を十分以上に理解し、そして実行しているようだ。
「うむ、よし」
メサリアの報告に気分良い様子で返事を返し、アルトリウスは自分が手がけ、部下達が完成させた砦の備えを確認する。
砦は造営時に設けられた空堀に水を満たし、その内側に土塁と逆茂木が立てられて敵の侵入を阻んでいる。
更にその内側には人の背丈の3倍ほどある丸太製の外壁が控えているのだ。
簡素な砦とは言え、他に類を見ない堅固な造りであり、攻城兵器を持たない海賊達にとっては厄介極まりない造りであるはずなのだが……
「おそらく間もなく攻め寄せて来るであろう」
「今までは動きを見せていませんでしたけれども……」
アルトリウスの言葉に早朝叩き起こされてしまったメサリアは半信半疑。
それを聞いたアルトリウスは、悪戯が成功した悪戯坊主のような笑顔で答える。
「ふふふ、ムス隊長がそう考えるのであれば、他の兵士達も同様に考えるに違いないのである、我が海賊の頭ならそこを突くであるな」
「え?しかし、ただの海賊ではありませんか?」
アルトリウスが意外と敵である海賊達を高く評価していることにメサリアが疑問を口にするが、アルトリウスはにやりと笑ってからその答えを口にした。
「これ程の人数とそれに乗る船舶を一応の統制の元に置いているのであるから、まあそれなりに腕か弁の立つ実力者が率いているのは間違いないのである」
「……まさか」
「うむ、ただの海賊と侮って事を起こした者達をこういった戦法で油断を誘い、屠って勢力を伸ばしたのであろう?」
絶句するメサリアから視線を外し、眼下に広がる海賊達を眺め回しつつアルトリウスは愉快そうに言う。
公務船の船長と情報交換をした際に思ったことだが、海賊達は明らかに統制が行き届いているのだ。
公務船船長の話によれば、いくら海軍戦艦が護衛に付いているとは言え、アルトリウスに税銀を引き渡す場所まで抜け駆けや勇み足の類いの突出や攻撃は一切無く、じっと距離を置いて海賊達は追跡し続けるだけだったのだという。
本来無法者で無頼の類いである海賊達をそこまで押え込めるというのは並大抵のことではない。
「……まさか、今まで手段無きが故の包囲という形は油断を誘う為の擬態ですか?」
絶句していたメサリアがようやくその言葉を口にすると、アルトリウスは顔を戻さずに頷いてから答える。
「であろうかなあ……ましてや攻める側である海賊達は一廉の者が率いている、そう想定すれば我が考えるような行動を取るであろう」
その言葉と同時に不寝番の伝令兵が戻ってきた。
戦闘準備が完了したとの報告を小さな声で行う伝令兵に黙って頷き、その兵士が去って行くのを見送るアルトリウス。
「いよいよである……」
メサリアには聞かれないよう小さな小さな声でつぶやくアルトリウスの声色は、緊張と不安の入り交じったものであった。
その海賊達は、アルトリウスの予想した通りの行動を取りつつあった。
「音をたてんじゃねえ……」
「わかってまさあ」
頭の声に小さな声で応える海賊。
その様子と周囲に広がる光景を見て、海賊頭は気分良く頷く。
「おい、その槍、泥が取れかけてるぜえ?」
「おっと、すまねえな」
「あんまりしゃべんじゃねえよ」
「分かってるって」
海賊達は眠い目を擦りながら暗闇と靄に紛れ、取れかけた泥を抜き身の剣や槍の穂先に塗りたくり、密かに砦の堀近くまで移動していたのである。
そしてこれまた密かに造った丸太を束ねた粗末な橋を堀に差し渡す。
微かな軋みを漏らしつつも橋は大した妨害も無く堀を越えた。
「うっし」
「好い加減な橋でも役に立つもんだ……」
「うるせえっ」
橋を造った海賊が腕を上げて自慢げに振り返ると、それを見ていた別の海賊が感心して言う。
しかし褒めているのか貶しているのか分からないその感想に、橋を造った海賊が小さな声で毒づいた。
あちこちで堀に橋が渡されて行く。
中にはただの丸太を縦に割っただけの物もあるが、とにかくその橋が渡された場所は1カ所だけでは無かった。
砦のありとあらゆる場所に同じような光景が広がっていたのだ。
燦めきを放ちかねない槍の穂先は泥で汚され、剣のほとんどは未だ鞘の中。
咳や呼吸音すら聞こえさせない海賊達は、足音を殺し丸太の橋を渡る。
極めて静粛に海賊達は砦へと迫っていたのだった。
そして堀を越えた海賊達は、補修用の頑丈な帆布の中に短い板を幾つも縫い込んだ物を逆茂木の上に渡しかけている。
堀と違って鋭い鋒を持つ逆茂木は、山のように盛り上がっており、形状に沿わない板を差し渡すだけでは越えられない。
板を縫い込んだ帆布を投げ込むことで音を殺し、形状に沿った道筋を造ることが出来るのだ。
そうやって苦労して堀と逆茂木を乗り越え、砦の手前の土塁に取り付いて外壁を見上げる海賊達。
彼らは次いで船で使う鈎縄や鈎付きの縄梯子を取り出すと、ゆっくりと投げ縄の要領で回転させながら、その外壁に向って静かに音を鳴るべく立てないよう投擲し始めた。
軽やかな音と共に外壁に引っ掛かる鈎。
そしてそれを投げた海賊達は、何度か縄を引いてしっかりと鈎が刺さったことを確かめると周囲に向って合図を送る。
手下達が滞りなく砦に取り付き、鈎縄をかけ終えた合図を出し始めたのを見て、海賊頭は満足そうな、それでいて残忍な笑みを浮かべた。
「くくくく、まあ、俺たちが能なしの海賊風情だと思い込んでんならそれで良い、行動でそれを覆してやるだけだ……」
そう言いつつ自分も護衛役の手下達と共に堀端へと歩み寄る海賊頭は、一旦言葉を切ってから未だ静まり返っているアルトリウス砦の黒々としたシルエットを見上げながら言葉を継いだ。
「……尤も、自分達の思い込みが過ちだったと分かった頃には、全員くたばっちまっているだろうがなあ!」
海賊であっても陸戦が不得意なわけでは無い。
それどころか身軽さを常時要求される海上における戦いの技術は、攻城戦で生かすことが出来るのだ。
今使用した技術や技は、全て海戦における物や技術を使用したものである。
「くくく、度肝を抜かすが良いぜ」
海賊頭は銛状の槍をしごきつつ愉快そうに笑い、身体を揺すり上げた。
こつこつと何かが刺さるような音が外壁からするのを聞いたアルトリウス隊の兵士達。
そっと矢狭間から外を覗くと、海賊達が鈎縄を回しながら外壁の上目掛けて投擲しているのが見えた。
「おい……本当に来やがった」
「隊長の言う通りだったな」
「ああ、まさかと思ったが……アルトリウス隊長の言う通りだった」
弩砲台の配置に就いている兵士達が互いの顔を見てから囁くように言葉を交わす。
鈎縄はかなりの数が用意されているようで、外壁には次々と外へと繋がる縄の道が出来ていってしまう。
しかし未だアルトリウスからの命令は無い。
最初に伝令兵達から静かに、しかし激しく叩き起こされたアルトリウス達の兵士達は、その伝令兵の伝えたアルトリウスからの命令に半信半疑で配置に就いたのだったが、これを見てはその慧眼に恐れ入るしか無い。
不寝番の兵士達も見落としたその兆候。
何故アルトリウス隊長は気付く事が出来たのだろうか?
それこそ弩砲に矢弾を装填するような切迫した状況になるとは思っておらず、全員がその命令に首を傾げたが命令は命令。
攻城兵器の無い海賊達から目立った攻撃も無く、そろそろ包囲されていることにも慣れてしまっていた兵士達。
最初の緊張感は既に失われて久しく、今回はその気持ちを取り戻す為の臨場感溢れる訓練だろうとさえ思っていた兵士達も居るのである。
しかしそれは大きな間違いであったのだ。
ただ北方人とは違って粘り強くまた我慢強い帝国人の兵士達は、それでも規律が緩んだり、気持ちを切ってしまって怠惰になるような事は無かったので、命令には素直にしかも素早く応じる。
普段からの弛まない訓練と民族特性が上手く作用し、思いがけない敵の攻撃を想定した命令にも即応することが出来たのだ。
「よおし……やってやろうじゃないかっ」
「帝国製の鉄弾の威力を思い知るが良い」
「おっとこの弩の威力ある短矢も忘れて貰っちゃ困る」
そして彼らは熟練の兵士で、しかもあのアルトリウスの訓練や指示を直に下されているアルトリウス隊の兵士達である。
たちまち静かに闘志を漲らせ、音を立てずに身構える。
あとはアルトリウスの号令を待つばかりである。
兵士達はその命令がいつ下っても良いように、あらゆる事態を想定して準備を進めるのであった。
主郭の屋上から砦の周囲を見回すアルトリウス。
その視線の先には未だ夜の闇と靄があるばかりであったが、それでもアルトリウスには敵である海賊達の動きが手に取るように分かった。
恐らく即席の橋を堀に渡し、逆茂木を布か何かで覆ってから乗り越えてきているに違いない、自分ならばそうする。
未だ姿を直接見た事のない、敵の海賊達を率いる頭目の思考を読み取るべくアルトリウスはしばし目を瞑る。
闇と靄。
海からの湿った空気が入り込み、山間を抜けてくるとこの地に達する。
海賊の頭目は海に生きる者達とは言え、元来はこのアルビオニウス諸島の出身者達で構成されている。
当然地理や気候にも通じていることだろう。
この好機を見逃すとは思えない。
当然アルトリウスがこの地に砦を築いたことは、アルトリウスに敵対する帝国側の者から得ていたのだろうが、道に迷うこと無く追跡をしてきたことでも知れた。
そして海賊達は身軽だ。
海上の戦いに長けていると言うことは、陸の戦いにおいて劣っているとは言えない。
一面的には、確かに武器防具が軽めに造られており、防御力や攻撃力に劣るとか、陸上の戦術になれていないとかがあるだろうが、重装歩兵と正面切って戦うような野戦ならいざ知らず、今回のような攻城戦においてはそれ程不利に働く要素では無いのだ。
敵は味方の15倍、装備戦技とも他の蛮族と遜色ない海賊達。
勝ち目が薄い、いやむしろ負けるのが当然である事は全員心のどこかで考えている。
しかしそれでも隊長であるアルトリウスは、本気で勝つつもりでいる。
引き分けの意味合いが強い撃退では無く、紛う方なき勝利である。
その心意気が周囲に伝わり、兵士や将官の気持ちを高め、心を支えているのだ。
不安そうに自分を見つめているメサリアに笑顔を向け、アルトリウスは言った。
「ではそろそろ幕を開くであるかな?」
アルトリウスへ言葉を返そうとしたメサリアを遮るようにして、伝令兵が息せき切って飛び込んできた。
「伝令っ、海賊共が外壁に取り付いている様子ですっ」
驚きの表情を隠そうともしないメサリアににっと再び笑みを向け、アルトリウスは口を開いた。
「では、我らの力をとくと北の地に知らしめてくれようぞ……反撃開始!」
アルトリウスの号令を聞いた伝令兵が飛ぶようにかけて行く。
しばらくして砦のあちこちに篝火が一斉に焚かれ、鬨の声が上がる。
鈎縄の綱を手に持ち、外壁を昇り掛けていた海賊達へ一斉に矢弾が降り注いだ。
手斧を持つ兵士達が外壁に掛かる鈎縄を切り落とし、絶叫しながら何人もの海賊が転落していく。
戦いが始まったのだ。




