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第26話 開戦前夜

税銀引渡しから2週間後、アルトリウス砦


 雨粒がぱたぱたと兜を打つ。

 朝から降り始めた雨は時折強くなることもあるが、概ね緩く降り続いていた。

 号令や命令が飛び交い、兵士達が配置に就く。

 砦の外壁にはアルトリウス隊の兵士達が臨戦態勢で弓矢を手に配置に就いており、その傍らには大盾や槍、剣が置かれていた。

 別の兵士達は弩砲台に就き、外を睨み据えている。

 また別の兵士は弩を胸壁に置いて構え、その隣では弩弓を2名の兵士が三脚を立てて据え付けていた。

 その間を補充の矢弾を詰めた箱を持った兵士達が走り回る。


 そんな兵士達の様子を眺めて満足げな笑みを浮かべて歩くのは、この砦の最高司令官であるガイウス・アルトリウス。

 しとしと降る雨の中、アルトリウスは濡れてしまった赤いマントをそれでも誇らしげに翻して砦内を闊歩していた。


「うむ……止まんであるなあ」

「この天気ですと数日は降り続くかも知れません」


 アルトリウスの独り言に後を続いて歩いていたメサリアが答えた。


「火種は絶やす出ないぞ?」

「火は用意してますが……これじゃ使えませんぜ」


アルトリウスが振り返らないまま言うと、同じく後を歩くカルドゥスが天を見上げてから苦虫をかみ潰したような顔で答えた。


「油は一旦屋根のある場所へ収容しておりますが、良かったでしょうか?」

「おう、それは構わんである」


 続いてその後ろに続いていたロミリウスが問うと、アルトリウスはやはり前を向いたまま答えた。


「まあ準備だけはしておくのである、奴ら何時仕掛けてくるか分からんであるからな!」


 そう言うアルトリウスは無言で頷くロミリウスを含めた3人を引き連れ、主郭の屋上へと上がる。

 そして眼下に広がる光景を眺めた。

 そこに広がっているのは辺り一面隙間無く集まっている蛮族戦士達の群れ。

 彼らは集団ごとに思い思いの場所へ陣取り、天幕を張って煮炊きをしている。

 今や海賊達によってアルトリウス砦はすっかり包囲されているのだ。

 海賊船団に乗り込んでいる100艘の海賊船の海賊達は、船番を残してほぼ全員が集結しており、その数は実に3000!

アルトリウス隊の兵士200名の実に15倍である。

 剛胆なカルドゥスや冷静なロミリウスですら息を呑む光景、メサリアは顔を引き攣らせているが、しかしアルトリウスは不敵に笑うと言い放った。


「ふふん、相手にとって不足無し、であるな!」






 これより1週間前、アルトリウス砦


 土まみれの汗まみれ、擦り傷だらけの兵士達が荷馬車を帯同してこけつまろびつ砦へと駆け込んでくる。


「荷馬車は直ぐに奥へ入れるである!隠すである!」


 驚く居残り組の兵士達を余所に、アルトリウスはすぐにそう指示を出した。

 それに慌てて税銀を受け取りに行った兵士達のみならず、居残り組の兵士達も荷馬車を曳いて砦の奥へと向った。

 奥とは言っても南側の外壁の一画に設けられている、今回税銀を保管する為に空けられた倉庫へ入れるだけなのであるが、アルトリウス達の惨憺たる有様に居残り組の兵士達も驚いたのだろう。

 一緒になって荷馬車を曳いていく。

 いきなりの事態と騒ぎを聞付け、メサリアを先頭にしてロミリウスとカルドゥスの3人が主郭から降りてきた。

 そしてアルトリウスらの有様を見て目を見張る。


「アルトリウス司令官っ?」

「おう、役目ご苦労であるなムス隊長、首尾はどうであるかっ?」


 兵士やアルトリウスの様子に驚きの声を上げるメサリア。

 しかしアルトリウスが土と汗で汚れた顔を腕で拭いながら、にかっと男臭い笑みを浮かべて応じるとメサリアは気圧されたように報告を行う。


「あ、あ、そ、その、はいっ、戦備は整え終わっていますけれども、ご裁可頂きたい案件が多数ありますです、はいっ」


 アルトリウス達の酷い姿といつも通りの様子に戸惑ったのか、直前までの恨み節などどこかへ消え去ってしまったようだ。

 あれ程息巻いていたのにとロミリウスはじっとメサリアの後ろ姿を見つめるが、それにも気付かずメサリアはしどろもどろでアルトリウスと話している。


「うむ、戦備に関わる事以外は全て後回しである!」

「は、はいっ」


 メサリアが返事をするが、アルトリウスは答えず後ろを振り返って叫ぶ。


「全員入ったか?入ったならば門を閉めよ!」

「司令官?」


 カルドゥスが訝るのも構わず、北門がしっかりと閉じられ、閂が掛けられたことを確かめてからアルトリウスは胸一杯に息を吸い込んだ。

 そして呆気に取られているカルドゥスやロミリウス、未だ戸惑っているメサリアを余所に砦中に轟くほどの大音声を発した。


「敵襲ううううううううぅぅぅぅうっっ!!」


かんかんかんかんかん!


主郭に設けられた鐘塔にいた兵士がその大音声に驚きつつも早鐘を鳴らした。

 それを聞いた兵士達が迷うこと無く一斉に動き出す。


 いよいよ戦いが始まるのだ。








「さあて……そろそろであるかな?」


 主郭から海賊達を眺めていたアルトリウスがぼそりとつぶやくのを聞き咎め、メサリアが問い掛ける。


「アルトリウス司令官、それは……」

「うむ、そろそろ仕掛けて来るであろう、ということである」


 メサリアの言葉を最後まで聞くこと無くアルトリウスは答えた。

 十分に自分達が優位である事を見せ付け、恐怖心を煽れるだけ煽ってから攻めかかる。

 1週間もの攻囲で守備側の緊張もそろそろ途切れる頃合いだろう。

 海賊の首領達はそう考えているはずだ。


 それに加えてアルトリウスは、彼らが自分達の配下を抑え込むのもそろそろ限界に近づいていると見ていた。

 その証拠に砦へ挑発的な攻撃をする者が増えている。

 散発的に矢を撃ち込んできたり、気勢を上げる程度の他愛ないものだが、アルトリウスが反撃を禁じていることから、大胆にも堀の間際までやって来る者もいる始末。


 攻撃は近いと見て間違いない。

 青ざめているメサリアを余所にアルトリウスは振り返ると、笑みを浮かべて言葉を発する。


「なあに、心配要らんである。我らは奴らが今まで相手にしてきた北方人とは性質が違うのである」

「ど、どのように?」

「まあ有り体に言えば……北方人のような爆発力は無いが、粘り強さにかけては北の民の比ではないのだ。我らは」


 メサリアの問いに、言葉を続けたアルトリウスはそう言うと再度外に視線をやった。

 民族的な性質か、はたまた食べるものの違いか分からないが、クリフォナムやオランの民は瞬発力や戦闘での爆発力は凄まじいものがある一方で、持続力や耐久力に難がある。


 対して帝国人を主体とするセトリア内海人は、攻撃力については体格差もあって北の民であるクリフォナムやオランの民に劣るものの、その粘り強さ、持久力については定評があるのだ。

 その特徴は体力的、身体的なものだけに留まらず、精神的な面でも同じなのである。

 アルトリウスは油断無く外を見据え、弓矢を持ち、弩砲台に就き、弩弓の狙いを定めている配下の兵士達を誇らしげに示しながら言葉を継ぐ。


「であるからして、北方人が焦れる時間であっても我らは未だ緊張の糸を切ることが無いのである」

「まあ、この点についちゃあ間違いねえですぜ、ムス隊長」

「……なるほどです」


 カルドゥスの得意気な言葉も相まって、ようやく納得するメサリア。

 前線勤務とは言え補給隊を指揮することが多く、鍛えているとは言っても実際の戦闘に出ることは多くないメサリア。

 ましてや彼女は女性であり、敵の男は何時も自分より力強い。

 そういった特性に気付かなくとも無理は無い。 


「海賊達は海戦はともかくとして、帝国軍団兵と陸で戦ったことは無いはずです」


次いでロミリウスが言葉を発すると、アルトリウスは大きく頷いて言う。


「我らは敵の情報を海軍やアルビオニウスの民から得ているが、海賊達は我らの事はほとんど知らんのである。そこがまず奴らの齟齬となるであろう」






 アルトリウス砦郊外、海賊達の陣営


 汚い男達が集まっている。


 元々風呂に入る週間の無い北方の民である。

 ましてや長い航海生活を余儀なくされる海賊達に清潔さを求めるのは土台無理があるのだが、それでもやはり汚いものは汚いし、臭いものは臭い。

 自分達の姿を棚に上げ、それぞれが他の海賊達を汚物を見るような目で見ている。

 しかしそれでも話し合いをしないわけには行かない。

 普段は相争うばかりの海賊がこうして集まったのは、それなりの獲物が手に入る目算があるからで、折角集まったのだから協力しない手は無い。


 ただ協力と言えば聞こえは良いが所詮彼らは海賊。


 彼らの中で協力とは互いの力を利用し合い、如何に自分達が多く利を上げるかを考えるということなのである。

 海賊同士は決して仲が良いわけではない。

 たまたま今回は集まった方が都合が良かったと言うだけのことなのだ。

 そもそも税銀が場末の砦に運ばれるという情報が海賊に振り撒かれたのはごく最近のことで、それもどこに届いたのも全く同じ情報だった。

 歴戦の海賊達であれば、きな臭さをすぐ感じる事が出来るもの。


 しかしほとんどの者がその莫大な銀の量を聞いて襲撃への参加を決めた。

 ただし利と損が釣り合わないのでは意味が無い。

 ここに集まった海賊の全員が、危うい情勢になれば真っ先に逃げるつもりでいた。


「……そろそろ攻め時だと思うが、どうだろうか?」


 海賊頭が言うと、その反対側に居た頭が応じる。


「賛成だな、砦の奴らもそろそろ嫌気が差しているだろう」

「ウチの子分共は血気に逸ってイケねえ……抑えるのも限界だぜ?」


 その隣の海賊が言うと、更にその隣の海賊が言う。


「ふん、統率力が足らんだけだろう」

「何だとテメエっ!」

「うっせえ!図星指されて切れてんじゃねえぞクソが!ああ?」

「……殺してやる」


 最初馬鹿にされた方の海賊が胸元から短剣を抜くと、相手の海賊が怒りの形相で剣を抜く。


「小心者が俺に刃物を向けやがった!」

「小心者はテメエだドグサレ野郎が!」


 睨み合う2人を見て周囲の海賊達も殺気立ち、がたがたと席を立つ。

 殺伐とした空気が満ち始めたその時、睨み合いで一瞬静かになったその隙を突いて最初に発言した海賊頭がいきなり机を蹴り飛ばした。

 凄まじい音を立てて机が真っ二つに割れ、音を立てて崩れ落ちる。

 それを見た海賊達が驚いて一斉に海賊頭に向き直った。


「テメエら……相手を間違えてんじゃねえのか?あ?」


 凄みを利かせた低い声に、海賊達が静まりかえる。

 抗議の言葉を吐こうとしていた、馬鹿にされた海賊が息を呑み、怒りで顔を真っ赤にしていた相手の海賊が顔面蒼白となる。


「す、すまねえ」

「あ、ああ俺もやり過ぎた……」


 すごすごと引き下がった2人を見て、海賊達も落ち着きを取り戻した。

 しかし静かな怒気を放っている海賊頭に対して納得のいくものでは無かったようで、相変らず凍り付くような目で周囲を眺め回している。

 全員がその怒気に当てられて冷や汗を流しながら机の消えた椅子へと戻るが、海賊頭は言葉を発しない。

 しばらく沈黙が続いた後、海賊頭が静かに口を開いた。


「おめえら誰の召集でここに来たとおもってんだ?自覚のねえクソは殺すぞ!おお!?」

「あ、あ……す、すまねえっ」

「お、俺が悪かったんだ許してくれっ」


 突如響いた海賊頭の怒号にすっかり小さくなってしまった、諍いを起こした2人の海賊が謝罪する。

 しばらくだらだらと脂汗を流し続けているその2人を冷たく睨み付けていた海賊頭だったが、やがてふっと息を抜いて言葉を継いだ。


「落とし前付けろや……と言いたい所だが、今回の獲物を考えればここで内輪揉めしてる暇も余裕もねえ、テメエら先鋒を務めろや、汚名返上して見ろ」


 その海賊頭の言葉に一も二も無く頷く2人の海賊。

 何度も首を振りたぐっている2人を満足そうに見下ろし、海賊頭が立ち上がる。

 そして静かに口を開いた。


「俺たちゃ海賊だが最低限の連携ぐらいは出来るはずだ……まあ、手下どもが逸る気持ちも分かるから無理は言わねえが、今回のヤマはでけえ。だからこそ連携が要るってもんなんだ」


 一斉に頷く海賊達。


「だから俺の命令には従って貰う……もちろん戦いに口ははさまねえし、分捕りや略取は自分達の裁量でやってイイ」


 再度頷く海賊達。


「おう、じゃあ決まりだ……明日早朝、砦に攻めかかるぜ!」


うおう!


 海賊頭の言葉に野太い承諾の返事が重なる。

 間もなく戦いが始まろうとしていた。


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