第25話 税銀搬送
公務船が小舟を収容してから海域を離れると、その周囲で油断無く警戒を続けていた帝国海軍の戦艦達もゆっくりと引き上げて行く。
「親分!帝国海軍が引き上げて行きやすぜっ!」
「ほう?」
見張りについている子分からの報告で沖合に顔を向ける海賊船長の目に、帝国海軍に所属する事を示す旗を掲げた4隻の戦艦が反転している姿が入ってきた。
それを見て安堵のため息を漏らす海賊達。
今頃この場に集まっいる他の海賊船でも同様の遣り取りが行われていることだろう。
射程距離の長い弩砲を多数備えている帝国の海軍艦艇は、北西辺境の海賊達にとっては分の悪い相手であるのだ。
そもそも積み荷や船そのものを奪う為に近接戦闘を主眼にしている海賊達に対し、とにかく敵を撃滅することが目的の帝国海軍。
自ずと兵器や戦闘方法に差異が出るのは当たり前のことなのだ。
近接戦闘が得意な彼ら蛮族主体の海賊に応じて近接戦闘を繰り広げた所で、帝国海軍が得られる物は少なく、一方で危険度や犠牲は馬鹿にならない。
それならば相手の手の届かない所から投射兵器で撃沈してしまうのが一番安全で効率的だという発想へ自然と行き着き、重兵器を小型化して戦艦に多数登載しているのだ。
因みにこれは西方諸国に共通した戦術思想で、西方諸都市国家も西方帝国と同じような戦艦を備えているので、海賊達はやはり苦手としている。
その海賊達が苦手としている戦艦がいなくなった。
「……税銀を積んだ馬車はどうだ?」
「へい、既に山中へ分け入ったようですぜ!」
砦側からやって来た馬車の群れは既にその発出元である砦を目指したようだ。
砦側からも食糧や水と思しき大量の物資が公務船や戦艦に運ばれていたので、思ったよりも揚陸作業に時間が掛かっている。
しかしながらその時間は戦艦が周囲を警戒していて仕掛けることが出来なかったので、余り海賊達に有利には働いていない。
「……ふん、そろそろ仕掛けるか。久々の陸戦だな」
「へい、早速上陸の用意をさせときやす!」
海賊船長の言葉に、手下の1人が嬉しそうにそう言って走り出す。
最近は帝国海軍の動きが活発化していて、南の大陸や海に繰り出す機会が激減していた所へ、突然降って沸いたように銀を満載した船が辺境にやって来るとの情報が入った。
周囲の村落を目当てに略奪を繰返すしか無かった海賊達は、帝国からという事でその情報源の怪しさを訝ったが、背に腹はかえられない。
ルデニウムに居る海賊仲間から、そこに帝国の公務船がいるという情報が取れた。
しかも向ったのは北西辺境で、その情報の正しさ裏付けていた。
加えて税銀が運ばれるという砦の様子は、その開けっ広げな守将の性格と方針もあってか比較的正確に伝わっており、わずか200名の守備兵しかいない新造の砦であると分かっている。
情報の出てきた理由は帝国内部の情勢に関わっており、疑ってかかる方が良さそうだったが、正確さについては疑う余地が無く銀の搬送は間違いない。
海賊達はそう判断して銀を奪うことを目的として連絡を取り合い、この北西辺境の沖合に集結したのだった。
海賊とは言っても何も海の上だけで活動するわけでは無い。
もちろん商船や帝国の戦艦であっても隙を見せれば襲うが、移動手段が船舶を用いると言うだけで、陸に上がっての略奪や隊商の襲撃も行うのがアルビオニウス諸島の海賊達。
出身部族は様々であるものの、山賊部族のブリガンダインと並んでアルビオニウス人のもう一つの部族と言っても過言では無いだろう。
「よし、では行くぞ」
「へい!」
海賊船長が命じるのと同じくして周囲の海賊船が一斉に陸地目指して動き出す。
ある海賊船では早くも剣を掲げ、気勢を上げている者がおり、また別の海賊船では櫂を漕ぐ時の銅鑼や太鼓をがんがんと打ち鳴らしていた。
「うおー!漕げ漕げえ!」
海賊船長は自らも雄叫びを上げながら周囲の手下達を鼓舞し、船足を速めさせるのだった。
税銀受け取りの海岸から少し内陸に行った場所でも、海賊達の気勢を上げる声や銅鑼、太鼓の音が聞こえてきた。
アルトリウスは一瞬後ろを振り返ると、きっと前を向く。
「急げ急げ急ぐのである!」
「ははっ!」
アルトリウスの号令に急かされて兵士達が歯を食いしばり、汗みずくで駆ける。
珍しく焦った様子を見せる自分達の司令官の姿に兵士達は最初戸惑っていたが、次第にその事態の急迫勢を理解し、雰囲気を切羽詰まったものへと変えていく。
それはアルトリウスが急かす理由が程なく分かったからでもある。
公務船や海軍戦艦がアルトリウスに税銀の引き渡しを終えて引き上げると、すぐに海賊船団が近寄って来たのだ。
ざっと見ただけでもその数は大小取り混ぜて実に100艘以上。
大型の西方諸国風の櫂船や丸木舟を拡大したかのようなアルビオニウス風の蛮船、果ては漁船のような小さな船もあるが、それぞれに海賊達を満載しており、それらの海賊船が一斉にアルトリウス達の居る岸辺目掛けて動き出したのである。
後方から聞こえてきた物音は最早間違えようも無い、海賊達が近づいているのだ。
その狙いは言葉にするまでも無い。
アルトリウス達が引き渡しを受けた西方辺境属州で集められた税銀であろう。
その税銀を満載した荷馬車や荷車を押し、曳きつつ道無き道をアルトリウス隊の兵士達が走った。
アルトリウスは最後尾で指揮を執りつつ兵士達を急かす。
「訓練で培った力を出すである!ここで出さずして何の為の訓練かっ!」
「りょ、了解ッ!!」
「脱落するな!脱落は許さんである!」
「分かりましたっ」
行き足の鈍った荷馬車があれば後から力一杯押し上げ、溝に嵌まった荷車を兵士達と共に引き上げるアルトリウス。
たちまち鎧は泥にまみれ、マントは土汚れで茶色く色を変えた。
兜の下からはまるで滝のように汗が流れ落ち、アルトリウスの襟元はあっという間に絞れるほどの水分を含む。
周囲の兵士達も似たり寄ったりの有様であり、誰もその姿を顧みる余裕は無い。
「押せええいっ!!」
「うおー!」
アルトリウスの号令で大石に車輪の行き足を阻まれた荷馬車を押し上げる兵士達。
海岸へ向う時と違って道は上り坂で、しかも満載した荷物は重い。
この大石も行きは難無く乗り越える事が出来たのだが、今や直近で最大の障害物となっていた。
行きはそれ程障害にならなかった物も今は立派な障害物となって立ちはだかってくるのである。
どうりゃあああああ!!
渾身の気合いと力を込めて兵士達とアルトリウスが押し上げた荷馬車は、深く埋まっていた大石をガッタンと大きな音をさせながら乗り越える。
支えを失ってどっと一斉に前のめりに転んでしまった兵士達は、直ぐさま立ち上がると大石の排除に取りかかった。
杭を大石の脇へ打ち込み、梃子の原理で掘り起こすのだ。
凄まじいまでの素早さで打ち込まれた杭に兵士達が群がると、すかさずアルトリウスが号令した。
「今である!」
でええええい!
兵士達が息を合わせ、渾身の力を再び込めて杭を押して引く。
ぼっこりと土の崩れる音と共に大石が持ち上がり、周囲で待機していた兵士達が別の杭や木の棒を次々とその下に差し込んだ。
差し込まれた棒の幾本かは勢い余った兵士達の力に耐えきれずに折れ飛び、周囲の兵士達がひっくり返るが、残った杭や棒がたわみ、大石を押し上げる。
そのまま道筋の端へ転がされた大石はごろごろと沢へ落ちていった。
「埋めるである!」
大石の後に開いた大穴を埋めるべく、兵士達が山側の斜面から土を削って穴を埋め、その上に小さな石を置き、更にその上へ板を渡した。
「急げ、進めである!」
整地が終わると見るや、アルトリウスは休憩する事無く兵士達を先行させる。
幾ら急いでも急ぎ過ぎるということは絶対に無いのだ。
身軽な海賊達はアルトリウスが整地した道を辿ってやって来る。
思い荷馬車を抱え、やむを得ず最低限の整地をしながら進まなければならないアルトリウス達とは負担も早さも段違いなものなのである。
最初は往路で整地をしておけばよいとはアルトリウスも思ったが、荷物を先に海岸へ上げられてしまっては困るのでどうしても公務船の到着前に海岸線に行かなければならず、復路で最低限の整地を行うという形になってしまったのだ。
ただ往路を急いだお陰で時間的な余裕が生じ、公務船の船長と会うことも出来た。
そして策を実行することに協力して貰えることにもなったのだ。
しかしながらそのツケは復路に集中してしまうこととなり、今正にアルトリウス達は追い付かれるか否かというギリギリの勝負をしているのである。
一息ついて立ち止まり、車列を先行させたアルトリウス。
ふうっとアルトリウスが安堵のため息を吐いた所で、今先行したばかりの荷馬車の1台で騒ぎが持ち上がった。
「ああっ?」
急な曲線に急いでいた荷馬車がぐらつき、均衡を崩して片側の車輪が浮き上がったのだ。
伴走していた兵士達が慌てて荷馬車を引き、馬を励まし、側面から押して転倒しないように抑え込もうとするが果たせず、荷馬車は益々傾きを強める。
「退くである!」
アルトリウスも慌てて駆け寄るが、鈴生りになった兵士達が邪魔で荷馬車に触れられない。
アルトリウスが兵士達をかき分けようとするものの、その間にも傾きは益々酷くなる。
周囲の兵士達が絶望感も露わに悲鳴とも呻き声ともつかない声を上げ、巻き添えを避けようとしてわらわらとその荷馬車の周囲から離れた。
「あっ!?」
今正に荷馬車が倒れるその瞬間、驚く兵士達をかき分けて走り、遂にアルトリウスは非常手段に出た。
「ふんがっ!」
どかん!
素早く荷馬車の側面へ回り込んだアルトリウス。
そのアルトリウスによって思い切り側面を蹴り飛ばされた荷馬車が一瞬動きを止め、大きく振動する。
アルトリウスは顔を顰めつつ体制を即座に立て直し、次いでもう一発。
渾身の力の籠もった一撃がその身体から繰り出された。
「どうっ!」
ばこおっ!
荷台に嵌められていた側板へ大きなひびが入ったものの、荷馬車はアルトリウスの体当たりを受けて元の位置へと復した。
派手な音を上げて激しく左右に揺れ動く荷馬車は、それでも辛うじて車軸を折ること無く粗末な道路へと復帰する。
ぱんぱんと身体に付着した土埃を落しつつ、荷馬車の転倒を驚くべき方法で阻止したアルトリウスが周囲を見回して顔を顰めた。
他に異常は無いようなのに、車列が止まっているのだ。
それというのも、兵士達全員がアルトリウスの方を見て驚きで身を固めているからである。
呆気に取られてぽかんと口を開き、目を丸くしてその恐るべき光景を見ていた兵士達に対してアルトリウスの口から怒声が迸り出た。
「さっさと進まんであるかああああああっ!」
その怒声で我に返った兵士達が慌てて荷馬車に取り付き始める。
曳き馬との連結綱を確認し、車軸を点検しつつ車輪の状態を確かめる兵士達。
素早く点検を全て終えた荷馬車が進み始めると、後方で滞留していた兵士達もほっと一息付いた。
後方からでもアルトリウスの活躍を余すこと無く眺めることが出来たので、その成果か兵士達の動きは鋭く、非常に正確になっている。
「急ぐのである!」
今日もう何度目か分からないほど掛けた言葉であるが、アルトリウスの檄に兵士達が口々に応える。
アルトリウスの計画を上手く発動させるには、何はともあれ海賊達を砦に引付けなければならない。
途中で海賊達の足が鈍るような事があってはならないのだ。
しかし引き連れてきた荷馬車や荷車が1台でも捕まってしまえばこの計画は破綻する可能性がある。
今の所姿が見えるほどにまで追い付かれては居ないが、この調子で進めばギリギリ砦に到着する寸前ぐらいに海賊達が追いすがってくるだろう。
一戦交えるならば、アルトリウスに策がある。
それなりに犠牲も出るだろうが、この道無き道の中でも更に険しい隘路で待ち伏せて迎撃してしまえば良いのだ。
如何に相手が海賊達の船団で、自分達の100名に対して10倍以上の数が居るとしても特段怖いことは無い。
しかし税銀という重荷を背負ったことになっている以上、アルトリウスにはどうしても砦に敵を引付ける必要があるのだ。
もちろん砦で迎撃した方が敵により大きな痛手を与えられるという理由もある。
海賊達も砦が新たに造営されていることぐらいは知っているだろうが、良くも悪くもそれ以上の情報は無いはず。
最新鋭の投射兵器や、規定より遥かに多く設けられている弩砲や弩弓の事は知らないだろうし、それを率いているのがアルトリウスであることも、海賊にとっては無用の情報である上に、そもそもが伝わっていないだろう。
南方の勝利者の功績を知り、配備されている兵器や兵士達の情報を知れば海賊達も攻め方を少し考えたかも知れないが、アルトリウスが持ち込んだ税銀の魅力を失わしめるような情報は、そもそも存在しないにせよ彼らは得ていないのだ。
「急げである!」
アルトリウスの絶叫が原野に再度響いた。




