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第24話 帝都と北西辺境

 税銀の揚陸が一段落付き、立ち会いをしていた高官も船酔いでダウンして宛がわれた船室で唸っている。

 うるさい監視役がいなくなり、また無事に勤めを果たした事で公務船の船長はふうっと大きなため息をついて椅子に腰を下ろした。

 幸いにも揚陸中の襲撃は無く、このまま明日出帆してしまえばこの厄介できな臭い任務も終わりだ。

 そう思って久々にゆったりした気持ちでいる船長の下へ、足音が近づいてくる。


 程なくしてドアが叩かれた。


「入れ」


 嫌な予感がしつつも応対する船長に、少し緊張した声が掛かる。


「失礼します船長、アルトリウス司令官が差しで話をしたいと言っていますが……」


 どうやらただでは帰れないようだ。

 しかし小舟に乗ってわざわざこの船にまでやって来るとは思わなかった。

 アルトリウス司令官とは相当活動的な性格のようである。


「構わないぞ」

「ではこちらへ通します」


 自分の返事に一礼を残して部下の海軍兵士が下がると、程なくして1人の帝国軍将官が船長室へと入ってきた。


「わざわざこの様な最辺境の土地までお役目ご苦労様である。我が北西辺境担当司令官のアルトリウスである」

「これは司令官、ご丁寧に痛み入ります。私はこの公務船の船長の……」


 アルトリウスの自己紹介に続いて船長が立ち上がって自己紹介をしようとしたが、アルトリウスはそれを手で制した。


「済まぬが船長の名は聞かぬ方が良いな」

「……そうですか」


 薄々その意図を察して言葉を濁す船長。

 船長の様子にアルトリウスは薄い笑みを浮かべて言葉を継ぐ。


「うむ、つまらぬ謀略に巻き込んでしまって申し訳ないのに、これ以上迷惑を掛けるのは忍びないのである」

「それは……あくまでここに来たのは公務ですので」


 船長が答えると、アルトリウスは笑みを深めた。


「そうであるか、ではその職務に忠実な船長に1つ頼みがあるのである。実は、であるな……」


 その後小さな声で船長に用件を伝えるアルトリウス。

 周囲に漏れ聞こえないぐらいの声であったが、船長ははっきりとその意図を知り、次第にその顔が渋いものから驚愕に、そして最後は呆れへと変わった。


「それは本気で仰られていますか?」

「無論、本気であるっ。幸い今はうるさい密告者もおらぬ事であるし、事はすぐに終わるであろう?」

「……」

「まあ、受けるか受けぬかはお主次第であるが……あくまで付帯命令であるからな」


 依頼の内容に悩む船長へアルトリウスが言う。

 確かにここでアルトリウスの依頼を受ける義務は無い。

 しかし船長も最近の貴族のやり方には強い反発を覚える優秀な平民出身者である。

 それにここまでその貴族に阿る形でやって来てしまっているという負い目もあった。


「……分かりました」

「済まんであるな」


 とうとう首を縦に振った船長。

 アルトリウスは満面の笑みで礼を述べると、固く船長の手を握る。

 その手は厚くまた熱い。

 彼の熱意がまるで伝わるかのようである。


「……では早急に事を為しましょう」

「そうであるな、重ね重ね済まんである」


 その手の熱を身心に感じながら船長がいうと、アルトリウスは笑みを浮かべて答えるのだった。






 西方帝国帝都、貴族街ルシーリウス邸



 皇帝宮殿のある小さな丘の麓に位置する白亜のルシーリウス邸。

 この場所は帝都外部から皇帝宮殿へ進むにあたって必ず通過しなければならない場所であることから、皇帝宮殿を守るにあたっても攻めるにあたっても必ず押さえなければならない場所である。

 まだ西方帝国が成立したばかりの頃、大貴族の反乱や近隣諸国からの侵攻を受けた事もある帝都において当時の皇帝から比類無き忠誠と武勇を讃えられ、絶大な信頼と共に許可が下り、この位置に邸宅を建造したのはその皇帝の懐刀として辣腕を振るったアウグスト・エルト・ルシーリウス卿。


 壁や邸宅には真っ白な大理石が使用されており、装飾も美術品と遜色の無い文化の誉れ高い帝都に相応しい見事な物、決して無骨では無い。

 しかしその造りはあくまでも厳めしい。

 純白ながら城塞のように分厚い胸壁付きの壁。

 優美な装飾が施されている、随所に設けられた矢狭間や弓射塔。

 写実的な彫刻の施された厚みある青銅製の門扉。

 優雅さの中に確かに存在する実用的な防御設備。

 それらはどれを取ってもこの邸宅が建設された当時は戦乱が絶えず、帝都が実際に危機に陥った事もある事を物語っていた。


ただし今の帝都ではいささか古くさい時代遅れの造りである。


 それでもこの邸宅に代々すまう住人達は今風に改修などをせず、この場所に邸宅を保持し続けてきた事を誇りとなし、またこの邸宅にて皇帝を、皇族をそして帝国そのものをその身を挺して守ってきたという自負と共にあり続けた。

 当時の雰囲気を今に伝えるまるで城塞のような分厚い壁や邸宅の中では、今、かつての輝かしい栄光と気高い誇りを失いつつある者達が集っている。

 そしてその先祖の功績を台無しにするような卑屈で誇りの無い企みを練り込んでいた。




「……北西辺境属州の税銀は計画通り砦に運び込まれました」


 奥まった場所にある密談用の部屋。

 今でこそ密談用に使用されているが、かつては皇族を匿う為に設えられたその部屋は華美では無いものの落ち延びた皇族を迎えるに相応しい威厳ある造りをしている。

 その部屋の隅に立つ若い貴族の1人が報告すると、本来皇帝用に置かれた立派な造りの椅子に大きな身体でふんぞり返る邸宅の主、当代のルシーリウス卿が鼻を鳴らして問い掛けた。


「ふん、それで……海賊達の動きはどうなのだ?」

「既にケダモノどもは銀の臭いを嗅ぎ付けております……公務船の後をずっと追跡してきたそうですから、今奴らが欲している銀の山は件の砦にある事も知っているはずです」

「周辺の海賊達にも連絡が入ったらしく、砦の沖合には続々と蛮船が集まってきているようですなあ」


 軍人らしく鎧を身に纏った貴族の1人が答えると、長く白い顎髭をしごきながら老齢の貴族が言葉を足す。

 それに頷く当代のルシーリウス卿が、次いで傍らにいた軍総司令官のレンドゥスにもの問いたげな目を向けた。


「あっ……第10軍団には隣接する蛮族の警戒に対応させるという名目で援護出来ないように移動させています、はい」

「ガストルク城塞への補給は意図的に遅らせた。これでその先にあるあの砦の補給も滞ることでしょうなあ……ま、心配要りません。奴に味方はいない」


 すかさずその意図を汲み、卑屈な愛想笑いを浮かべながら言葉を発したレンドゥスに、含み笑いつつ老齢の貴族が先程と同じように言葉を足した。

 配下の者達の報告に満足そうな笑みを浮かべる当代のルシーリウス卿。

 そしてゆっくりと席から立ち上がると言葉を発する。


「うむ、目障りな奴はこれで終わりだな……英雄などこの国には不要だ。ましてや平民の英雄など……」


 西方帝国は制度と素直で優秀な市民によって保たれている国。

 その市民を導く貴族ならともかく、導かれる立場であるはずの市民から英雄が生まれてしまっては、貴族の存在意義が無くなってしまう。

 いずれ力を付けた市民は自らの中から更に優秀な市民を選出して国の指導者と無し、貴族や皇族を排除にかかるだろう。

 今まで莫大な資産や領地を占有してきた皇族や貴族だが、西方帝国の規模が大きくなるにつれて相対的にその力は落ちてきている。

 かつては貴族が軍事政治を問わず指導者層を輩出し、優秀な市民がその手足となって指示を確実に実行する事でこの国は強さを保ってきたのだ。


 皇帝という存在はその2つの階層を繋ぐ役目を負ってきたが、ここに来て皇族に、そして市民に貴族の力を弱めようとする動きが出始めている。

 長年にわたって貴族だけが指導者層を輩出してきたが、この時代になって決して貴族が突出して優秀では無いと彼らは感じ始めたからだ。

 かつては戦いで最前線に赴く若い貴族達が注目され、卓越した政治能力を持った貴族の当主が尊敬を集めていた者だが、政治制度と法律、更には官僚制度が整い政治の場は貴族だけの物では無くなった。


 市民から官吏や政務長官が出るようになってきたのだ。


 更に軍制改革によって装備自弁の市民軍から帝国が費用を負担し、給与を支払う形の常備軍が創出された事が決定的だった。

 帝国軍に参加するには市民権が必要であるが、それまで無産市民や極貧市民であったものがこぞって軍兵となったのである。

 これによって軍は多数の優秀で忠実な市民による兵士を確保する事が出来たが、貴族より市民の数が圧倒的になり、軍内での貴族の発言権が低下し、その影響力も次第に限定的なものとなっていった。

 やがて軍は軍として独り立ちし、次第に貴族のコントロールを離れて軍閥や軍独自の派閥を形成し始めている。


 加えて軍からの給与によって無産市民や極貧市民達が子弟に教育を施し、十分な衣食住を確保出来るようになった事で、それまで参加出来なかった選挙や政治集会に参加出来る市民が増加し、また政治に興味を持つ市民も一気に増えた。

 原則的には貴族平民平等の直接選挙の行われている帝国において、無学を理由に選挙や政治参加を放棄せざるを得なかった市民がいなくなり、元老院においても貴族は劣勢となりつつあったのだ。


 この点については政務官選挙と元老院を分離し、元老院は貴族階級や功績のあった市民だけに開放することとして自分達の牙城を守ったルシーリウス卿達であったが、その代わりに政務官はこれ以降平民にほぼ独占される事となる。

いずれにしても強大であると思われていた帝国貴族達も自分達の力が確実に削ぎ落とされている事実を受け止め、何とかその流れを押し止めようと市民に迎合する事を止め、孤高を保とうと四苦八苦しているのだ。


「手始めに平民の英雄などという大仰な通り名を恥ずかしげも無く名乗っている、あのアルトリウスとかいう平民を血祭りに上げてやろう!」


 ルシーリウス卿はそう言うと、配下の貴族達を従えて部屋を出る。

 これから元老院が始まるのだ。


「まずは皇帝の後継者について我々の意見を容れて貰わなくてはなるまいな」


 マグヌスを皇帝に据えるなどとんでもない事だ。

 その様な事態にならぬよう万全を尽くさなければならない。

 そしてその次こそ自分達の要求、皇帝を皇族に限らず元老院に拠る選出によって選ぶという案件を皇帝に呑ませなければならない。


 アルトリウスなど小物中の小物。


 平民から大いなる人気を博し、反貴族を鮮明に打ち出している若く優秀な皇族マグヌスと懇意である上に、軍事的な才能にいささか恵まれているというのが厄介なだけである。

 それももう間もなく終わる。

 市民はアルトリウスの死によって希望を抱く事を諦め、マグヌスは将来の軍事顧問を失って意気消沈する事だろう。

 そして貴族は大いに栄えるのだ。





 アルトリウス砦



 アルトリウス砦ではアルトリウスが砦から出た後も休み無く戦いの準備が進められており、今日もまた忙しく兵士達が右往左往していた。

うんざりするほどやるべき事は多く、人手は圧倒的に足りない。

 そしてその指揮を執るのはメサリア・ムス補給隊長である。

 メサリアの元へはひっきりなしに報告や指示を仰ぐ伝令がやって来ていた。


「ムス隊長!近くの村から買い付けた麦はどちらへ保管しますか?」

「ムス隊長!アルクイン族から槍と矢が届きました!」

「ムス隊長!東と西の門の前に居る蛮族どもが退去を拒んでいます!」

「ムス隊長!油壺が足りません!」

「ムス隊長!商人の方々の避難は終わりましたが、荷物はどうしますか?」

「ムス隊長!ガストルク城塞から応援要請について問い合わせが来ております!」


「ムス隊長!昼飯です!」


 最後にやって来た従兵を睨み付けてからメサリアは矢継ぎ早に指示を下す。


「麦は袋詰め?なら良いわ、そのまま糧秣庫へ保管して。矢と槍は弩砲台の近くへ箱に詰めておきなさい、但し帝国製の物とは分けて目印を付けておく事。門の周囲の人は危険を説明して説得を続けて!油壺は余っている屎尿壺を転用して良いわ……商人達の荷物はそのまま建物で保管しなさい。ガストルク城塞への報告は後で私が書簡を書きます」


 それでも何とか準備が進んでいるのは、メサリアの的確な指示と兵士達の超人的な頑張りのお陰であった。

従兵の持ってきたパンをひったくるように掴むとそのまま口に運ぶメサリア。

 そして自分の指示を受けて散って行く兵士達の後ろ姿を眺めてから、ガストルク城塞へ事の顛末を報告する為の書簡の作成に取りかかる。

 もしゃもしゃと固いアルビオニウス人の村で焼かれたパンを咀嚼しながら書簡を手早く作成すると、昼食を持ってきた従兵に手渡す。


「この書簡をガストルク城塞に届けて」

「はっ!」


 従兵が飛ぶようにでていくのを見送ってから、メサリアは大きなため息を吐いた。

 たまった疲労から来る頭痛を軽減しようとこめかみをもみながら、メサリアは自分をこの境遇に追い込んだ臨時上司の顔を思い浮かべた。

 想像の中でも彼はマントを翻し、腕を組んで高笑いをしている。

 メサリアのこめかみにそれまで無かった青筋が浮かんだ。


「……アルトリウス司令官、この恨みは必ず晴らして見せますよっ」


そう言うとだんっと両手を執務机に叩き付け、メサリアは準備の進捗状況を確認すべく視察に出かけるのだった。

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