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【集会所と電話】

 それからまもなくして、雨が降り出した。

「天気予報、雨じゃなかったよね?」という光莉の嘆きも天には届かず。山の天気は変わりやすいの言葉通り、最初小降りだった雨は、僕らを嘲笑うかの如くどんどん雨脚を強くしていった。

 真っ暗になった空。

 地震のように大地を揺るがす雷鳴。


「キャアッ」


 威嚇するように次々と稲妻が閃くと、涼子が頭を抱え怯えた。

「雨宿りをするなら、最適な場所を知っている」という女性の声に導かれ、神社を出て坂を下った場所にある、事務所然とした建物に僕たちは転がり込んだ。

「こんなに綺麗な建物もあるんですね」という真人の問いに、その女性は「ここは、村人たちがかつて使っていた集会所。悠久の木を管理している人たちが、今でも時々小休止に利用しているからね」と教えてくれた。


 引き戸の玄関を開けると、正面に会議室のような部屋が見えた。建物の内部には細い廊下が一本走っており、いくつか扉が供えられている。

 もちろん多少の埃や壁の汚れはあるが、廃村にある建物として見れば、存外に中は綺麗だ。

「随分と詳しいんですね」と訝しげな声を涼子が出すと、「これでも昔は、ジャーナリストだったものでね。この村のことも調べたことがある」と女性が答えた。


「ああ、そうそう。私の名前、藤原だから」


 思い出したように自己紹介を済ませた女性に、僕は尋ねた。

 電話って、あるんですかねえ、と。


「あー、どうだろう? あ、あったよ。そこの廊下の突き当り」


 藤原さんが指差した先。右手側に伸びた廊下の途中に、レトロな形状の黒い電話が置いてある。


「使えますかね」

「さあ、そこまでは。電気はたぶん大丈夫だと思うけど、電話回線が健在かまでは保証できない」

「普通に考えたら、廃村にある集会所に、電気がきていること自体驚きなんですけどね」


 受話器を取ってみると、ツーと音がした。どうやら使えそうだ。


「まあね。でもほら、ここは一応観光地だし。廃村であっても、主要な施設の保守作業を行うため、電気や電話回線を残していることがあるんだよ。ようするにここも、そういう場所だってこと」


「十年くらい前まで、お土産屋さんもあったし」と藤原さんが補足すると、真人が目を丸くした。


「えっ、ほんとに?」

「ほんとだよ。この廃村には悠久の木という重要な保守対象があるから、市の直轄管理になってるの。だからそんな昔話を、父さんから聞いたことがある」と涼子が指を立てた。

「あ、でも。電話だったら、私がスマートフォン持っていたのに」


 ここに来る直前、藤原さんに、警察への連絡をお願いした。

 事件性はないよと夏南も言っていたので、特に問題ないだろうとも思うのだが、崩落現場の下に傘が落ちていたことを一応伝えてもらったのだ。遅くとも、明日の午前中には現地を視察してみるよ、と警察は約束してくれたらしい。


「そういえば、そうでしたね。まあ、電話ができればどっちでもいいのですが。この雨だと、家の者が心配するかもしれませんし、一応、連絡を入れたほうがいいかなと」


 降り続いている強い雨で、窓から見える外界の景色は真っ暗だ。傘も雨がっぱも持っていない僕たちが、この雨の中歩いて帰るのは自殺行為だ。

 崩落が起きていたことからもわかるように、途中の道は地盤があまりよくなかったのだし。

「確かにねえ」と藤原さんが雨に濡れた窓ガラスを睨むと、思い出したように涼子が不安げな顔になる。


「あ、不味いかも。私、今日中に帰れないなんて話、家に伝えてないよ」


「ああ、そっか」と涼子同様渋い顔になったのは真人だ。


「俺らはキャンプに行くって名目で家を出てきたから、帰宅が明日になってもどうってことないけど、涼子の家は厳しいもんなあ」

「笑いごとじゃないよお」

「しっかしまあ、本当に泊まることになりそうだなこりゃ。全然雨が止む気配がない。寝袋は一応持ってきてたけど、こんな場所があって本当に良かったよ」

「僕はこの集会所知ってたけどね」と口にすると、真人の顔色がゆでダコみたいに真っ赤になっていく。

「なんだよ! 都! 知ってたなら、もっと早く教えてくれよ!」

「ごめんごめん。雨宿りの場所に困るようなら言おうと思ってたんだけど、僕より先に、藤原さんが案内を始めたもんだから」


 言う必要がなくなったんだ、と話を締めくくった。

 うーん……と散々悩んだ末に、涼子が自宅に電話をかける。要領のいい嘘が浮かばなかったのか、真っ正直に今の状況を伝え、案の定、父親にたっぷり絞られた。

 しゅん、と萎れた花のように項垂れた涼子を、光莉が傍らで慰めていた。

 そんな一幕が展開される間に、藤原さんは集会所の中をあれこれと家探ししていた。


「さすがにガスは切れてるねえ。でも、新しめのカセットコンロがあるから、お湯くらいは沸かせそう。あと、電気はどの部屋も問題なく点くね。せんべい布団みたいなもんだけど、寝具も何組か揃ってんよ」


 寝泊り可能な和室はふたつある。ひとつを藤原さんが使うとするなら、必然的に僕らは全員相部屋だ。別に構わないっしょ? とあっけらかんと言う真人に涼子が眉をひそめたが、やがて不承不承頷いた。

 背に腹は代えられない、ってやつだ。これといって気にしてなさそうな光莉は、もっと警戒心を持つべきだとも思うけど。

 次第に雨の勢いは弱まってくる。しかし時刻はもう十六時過ぎなのだし、いまから下山するのは危険だ。やはりここで一泊するべきという結論に僕らは至った。

 集会所に風呂は無い。

 手持ち無沙汰になった僕らがやることと言えば、睡眠か食事だ。時間も時間なのだしと、夕食の準備に入る。

 とはいっても、たいした食材はない。会議室の畳の上に輪になって座り、手持ちの弁当やらを食べることにした。

 僕たちはコンビニで買ってきた弁当があったのでそれらを分け合いながら。

 藤原さんは、荷物の中からサンドイッチを取り出して摘まんでいた。即席の味噌汁があるよ、と提案されたので、お湯を沸かして台所にある器でごちそうになった。インスタントとはいえちゃんとした味だったし、具も結構美味しかった。


「ほら、これでも食うかい」


 藤原さんが差し出してきたのは、チョコレート菓子だ。


「えっと、これは?」

「疲れているときにはね。甘い物を食べると元気でるんだよ」

「ああ、なんか聞いたことあります」

「甘い物を食べるとホッとしたり幸せを感じたりするのは、脳内で『セロトニン』という物質が出ているからなんだよ。でも、食べすぎは禁物」

「そうなんですか?」

「そう。甘い物を一度に摂りすぎると血糖値が急激に上がって、血糖値を抑制するためにインスリンが大量に分泌される。それにより今度は血糖値の低下が起こり、集中力がなくなったり疲れを感じることもあるんだ」

「何事も、ほどほどが大事ってことですね」

「そうそう、そういうこと。それはそうと」


 藤原さんの視線が、隅っこでひとりちびちび食事を続けていた光莉に向いた。


「あんたも食べんさい」


 そう言って、小袋入りのマドレーヌを光莉に差し出した。


「わ、私ですか」

「当たり前さね。しっかり食べてないんだろ? だからそんなに青っちろくなっちまうんだ。丈夫な赤ちゃん産めんぞ?」


 確かに光莉は体も強くないし、肌だって色白だ。しかし相手が女性とはいえセクハラめいたその発言に、光莉のみならず隣の真人までもが微妙な顔になる。


「ほらほら」


 執拗に勧められると、無下に断ることもできない。結局「いただきます」と言って光莉は受け取った。


「よろしい」


 満足そうに腕組みをしてうんうんと頷いた藤原さんを横目に、「実際のところ」とぽつり光莉が呟いた。


「どうして、木が枯れたんだと思いますか?」

「ふむ?」


 腕組みの体勢を維持したまま、彼女は黙考した。沈黙が静かに横たわる。


「木の病気ってことはないんだよね?」

「それは断じてないです」


 反応して真人が答えた。


「寿命かもしれない、なんてさっきは言いましたけど、おそらくそれもない。そもそも、銀杏は広葉樹なのだから時期がきたら枯れるものです。そういう意味で言うと、今までが異常だったのだとも」


 そうだねえ、と静かに藤原さんが話し始める。


「この島に、いつ悠久の木が誕生したのか、どの文献でも具体的になってはいない。だが、どの年代の資料を読んでも、あの木は枯らすことなく黄金色の葉をつけていたと書いてあるんだ。ただひとつ。三十年前の出来事を除けば」

「そういえば、かつてそんなことがあったらしいですね。その時と、同じことが今も起きている、と?」と真人が首を傾げる。

「そこまではわからない。可能性は、あるけどね。なにせ、神が宿るなんて言われている木のことなのだし、ジャーナリストの私では門外漢だよ」

「そこは霊媒師の領分ですかね」

「さあ、どちら様なんかねえ」

「その神様が、『心の病』だと言っているとしたら、どうでしょう」


 茫然と中空を見据えたまま言うと、みんなの視線が集まったのを感じる。よせやい、穴が開いちまう。


「神様? あんた何言ってるんだい? 気でも触れちまったのかい?」

「まあ、それが普通の反応でしょうね。でも僕には、木に宿っている神様の声が聞こえたんですよ。彼女いわく、『木が枯れているのは、心の病のせい』だって」


 突飛な話だと思ったのか、藤原さんの目の色が変わった。

「それって、どういう意味なんだよ?」とこちらは真人。二人とも、視線が強くて痛い。


「なんてな。冗談ですよ」


 手をひらひらさせて立ち上がり、「ちょっとトイレ」と告げて会議室を出た。

 もっともそれは方便であり、実際は尿意なんてもよおしていない。気まずくなった空気が霧消するまで、時間を潰そうという魂胆だ。

 廊下から窓の外を見ていると、会議室を出てきた人物がもう一人いた。


「ちょっとだけ話せる?」


 隣にやって来たのは涼子だ。

 真剣な目だと思った。有無を言わせない、力強さを感じた。


「ん、別にいいけど。ここで?」

「うん。なんせ、光莉には聞かせられない内容だから」

「なるほど。了解」


 決意の色を感じ取り、僕は頷いた。


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