蠱惑④
宴会――途中で出て来た言葉を借りるのならば祝勝会は続く。
最初はおれを含めても5人だけだったのが、いつの間にか戦場を共にしたと言う同業者たちが集まり、ティステア所属の騎士たちが集まり、飲食店の混雑率は飽和状態に達していた。
そいつらを相手にエルンストが引き込まれるような話術で、おれにはまったく覚えの無い戦場でのおれの活躍とやらを面白おかしく話し聞かせる。
その話を聞いた者たちは手に汗を握りながらも歓声を上げ、口々におれを褒め称える。
その言葉から察するに、おれが無能者であると知った上での言葉だ。
無能者という、神国では奴隷にも劣る畜生の筈のおれを褒め称える。余りにも歪な光景だった。
「で、いよいよゾルバの敵将と一騎打ちに望んだコイツは、激闘の末に討ち破って首を取った。それが決め手となってゾルバの軍隊は潰走して行った訳だ」
周囲から一際大きな、耳を塞いで蹲りたくなるレベルの歓声が響く。
「ま、さすがは俺の弟子と言ったところだな」
エルンストがおれの頭を掴んで、力を入れて押し込みながら無茶苦茶に掻き回す。
それが合図だったかのように、周りの連中が酒を掛けて来たり同じように頭を掴んだり撫でつけて来ようとする。
その押し寄せる群衆に押し潰され、揉みくちゃにされたおれは、這々の体で店の2階に逃げ出し、バルコニーに出る。
「お疲れー。凄い人気だねジン兄」
「実際凄いんだから当然でしょ。ティステアもあの敵将には長年手を焼いていたし、これでお兄が無能者だからって無碍に扱う事もできなくなる。正当に評価される時が来たね」
「……酒臭いぞ、お前ら」
どれだけ飲んだのかは知らないが、顔を紅潮させてアルコールの臭いを発する息を吐き出す妹組が近づいて来る。
「何言ってんの。こんなの余裕だって」
「いざとなったら【血液支配】でアルコールを分解できるしね」
そんな使い方までできるのか。いや、おれが勝手に推測して思い込んでるだけか?
「お兄ももっと飲みなよ」
「ならここまで持って来てくれ。ついでにツマミになる物も。下に降りたらまた面倒な事になりそうだ」
「あっははー、大人気だねジン兄」
「取り敢えずわたしがお酒を持って来るよ。シアちゃんはツマミをお願い。ジェパ酒で良いよね?」
「ああ」
2人が下に降りて行く。
それを見送ってから、バルコニーの柵に背を預ける。
そのまま体重を向こう側に投げ出し、浮遊感に包まれるのを感じながら1回転。飲食店の外に着地する。
『実はヨォ、これが紛れもない理想だってオマエも気付いたんじゃねぇのカ?』
「そんな訳があるかよ」
この状況が、光景が理想だと?
あり得ないな。こんなものが理想の筈が無い。
『ケケケ、口ではいくら言おうがヨ、潜在願望ってのは本人の自覚の外の代物だゼ?』
「無意識下の願望と言いたい訳か。生憎だが、それが本当におれの中に存在しているとしても、この状況とは違うだろうよ。おれはこの状況を、まるで幸福とは感じてない」
『安らぎすらもか?』
「だから、感じてないと――」
『ニンゲンの欲望を突く立場から言わせて貰うとナ、意外と幸福ってのは自覚できねえものダ。何せ具体的な感覚というものが無いからナ。だからニンゲンはそれを感じた時に安らぎとして片付けル。無意識のうちに片付けて何も感じてないかのように振る舞うんだヨ』
「…………」
『大体ヨォ、本当に何も感じてないなラ、どうしてさっさと脱しようとしないんダ?』
「生憎、脱し方が分からないんでな」
自覚してもダメで、何らかの手掛かりすらも得られない。
この分だと、この幻覚は術者がどうにかしない限り絶対に出られない類のものでは無いかと疑ってくる。
『オレに任せろヨ』
ベルが文字通り、悪魔の囁きをしてくる。
『オレに頼めば、こんなもんすぐにでも解除してやル。オマエはただオレに頼んで身を委ねるだけで良イ』
「黙れ。誰がお前に身を委ねるものか。
お前は気付けた筈なんだ。おれの感覚が乗っ取られた事にも、おれに誰かが幻覚を掛けようとしている事にも」
『オイオイ、それは過大評価のし過ぎってもんだゼ。おれだって寝てる時に何かをされれば気付けねェヨ』
「どうだかな」
『信じろヨ。オレはオマエの事をわりかし気に入ってんダ。それにオマエに死なれれバ、オレだって困るんだゼ?』
「なら余計な事はするな。前にも言ったように、お前はただ黙って力だけを寄越していれば良い」
おれの言葉にベルは沈黙する。
その間におれは飲食店から離れ、ひと気のない、眺めの良い高台に登る。
「それで、結果は?」
『……まず現実のオマエとここのオマエの感覚は共有されていなイ。こっちじゃ随分と時間が経ってるガ、向こうじゃ大した時間は経ってネェ。精々が1分程度ダ。
それと同じように動きも同期していないナ』
2つ目のは薄々分かっていた。これだけ動き回っていれば、どこかしらで壁に当たるなり飛び落ちるなりしている筈だからだ。
『ただナ、全く同期していないって訳でもねェゼ。世界はそれぞれ独立しているガ、オマエ自身は共有されているって具合ダ』
「なるほどな」
つまり、おれは今こちらの世界を認識して動いているから、こちらの世界にいるおれだけが動いているという事だ。
仮に現実の世界を認識して動けば、現実のおれがその動きの通りに動くだろう。
もっとも、普通に考えて幻覚に掛かりながら現実の世界を認識するなど不可能だろう。
この能力の術者はかなり腕が立つ。いや、能力が強力なのかもしれないが、ともかくこうして幻覚の世界を調べても違和感がない。要するに重なってる部分がなく、2つの世界は完全に独立しているのだ。
『大人しくオレに任せろッテ。そうすりゃ万事解決だロ』
「やらねえよ」
それは本当の意味で最後の手段だ。まだこんなタイミングで切るような手札ではない。
それにそうと分かれば手の打ちようはある。
ただ闇雲にやったのでは意味がないが、そうと認識した上でやるのならば問題ない。
要は現実を認識できれば良いのだ。
それさえ前提として理解できていれば、現実の認識は可能だ。
「こんなところに居たんだ」
「……アキリア」
いつの間にか、石造りの階段を登ってアキリアが近づいて来る。
「途中で無断で勝手に抜け出すから、みんな心配しているよ。いま手分けして探してる」
「それで、最初に見つけたのがアキリアだと」
「うん。昔から人探しは得意だったからね」
そう言えば確かに、ガキの頃遊んだ時や迷子になった時にいっつも最後に見付け出すのはアキリアだった。
どこに隠れても、どこにはぐれても、アキリアはそれがおれだったりユナだったり、シアだったとしても必ず見付けて連れ帰ってた。
その記憶を元に構成されているのなら、そんな得意分野があっても不思議じゃない。
「……ねえ、アキ姉」
「何かな?」
幼い頃の呼び名が口をついて出て来る。
実に10年以上使った事のない筈の呼び名だが、アキリアは当然のように応対する。どんな世界だここは。
「もし辛い現実があったとして、そこよりも心安らぐ空間があったとして、それがまやかしだと分かっていても閉じこもるのは悪い事なのか?」
「……一概にどうこうとは言えないけど、私は決して悪い事とは思わないかな。誰にだって辛くて苦しいと感じる事はあるし、それから逃げ出したいと思う事はあるよ。それすらも否定されたら、その人は本当に駄目になっちゃうと思う」
「そうか……」
確かに人間なら、そういう面があって当然なのかもしれない。
人間はもとより自分勝手で我が儘な存在なのだから。
「そんな事をいきなり聞いて、どうしたの?」
「別に、ただちょっと哲学ぶってみただけだ」
「そうなんだ。じゃあ正解は無いね」
正解は無いのか、それとも正解が何なのか分からないのか。
この場合はおそらくは後者だろう。
「あっ、エルンストさんだね。おーい、こっちこっち!」
おれの背後に向けて手を振り声を張り上げる。
振り向いて見下ろすと、エルンストらしき人影が猛烈な勢いでこっちに向かって来ていた。軽く怖い。
「こんのクソガキが。何勝手に抜け出してやがる」
階段を使わずに垂直に近い壁を2階程度の跳躍で駆け上がり、おれの頭に拳を落とす。
拳の威力は大した事はなく、軽い痛みが頭頂部に走る程度だった。
「たく、抜け出すなら一言ぐらい伝えとけ。いらん心配させんじゃねえよ」
「……いや、やっぱり違うよな」
エルンストはそんなおれを気遣うような事は言わない……筈だ。多分。
おれを気遣うような軽い拳を振るうなんて事はしない……筈だ。多分。
「あっ、そうだ。エルンスト」
ついでにエルンストにも聞いてみる。
「もし辛い現実があったとして、そこよりも心安らぐまやかしの空間があったとしたら、そこに分かっていても閉じこもるのは悪い事だと思うか?」
「悪い訳ねえだろ」
アキリアとは違い、しかし同じ内容の答えを迷わず即答して来た。
「分かっていて尚も肯定したいってのが、そいつの本音なんだろうが。それが悪い筈がねえだろ」
「……そうか」
今度は哲学では無いな。
正解はあるし、それが分かってる。
エルンストは絶対にそんな事は言わない。
「やっぱり、まやかしはまやかしだよな」
左眼を閉じて、右眼だけで世界を見る。
すると何も無い。何も無い暗闇に色鮮やかな物体が2つだけ浮かび上がる。
ほらね、この通り。
眼を閉じれば消えてしまうだけの泡沫の夢だ。
たとえ本当にこの光景がおれが望んだものであっても。
たとえ本当にこの世界がおれの理想を体現したものであっても。
現実じゃない。
最初から分かってた事だ。
分かっていた事だけど、何故だろう。理由は分からないが、ほんの少しだけ――
「……悲しいのかな」
背中に手を回し、剣の柄を顕現させてしっかりと掴む。
「じゃあね、エルンスト。またな、アキリア。おれは行くよ」
目標は2つある色彩を持った物体のうち、奥にあるもう1つと比べて色の強く大きな物体。
それに向けて大股で距離を詰め、1歩目で半分、もう1歩と同時に剣を引き抜き振り下ろす。
手に伝わって来るのは確かな手応え。と同時に手に、そして顔に暖かなものが付着するのを感じる。
よくやった――そんな声が聞こえた。
おそらくはそれもまやかしだろう。
だが、不愉快にはとても思えなかった。




