9話 現状の把握
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「え……?」
呆気に取られた僕に、タマモは告白した。
「違和感はあったのですが、一晩かけて、気付くことができました。どうやら私には、覚えていないことが多くあるようです。――少なくとも、自分が覚えていないことにすぐには気付けないくらいには」
「それは……」
確かに――ほぼ記憶を全損している僕は、自分がなにを覚えていないのかすらわからない。
そこまでではないにしても、タマモも似たところがあるということだろうか。
「でも、どうして?」
「多分、いまの私が万全ではないからかと思われます」
タマモがくるりとうしろを向いた。
民族衣装めいた単衣をとめる帯の下。
かたちの良いお尻を包む服のすそから、彼女の立派な尻尾がのぞいている。
3本の尻尾が。
「力の源でもある私の尻尾は、もともと、9本ありました」
「あ……!」
そういえば、昨日、彼女を見て違和感を覚えたことがあった。
その原因は、これだったのだ。
僕は『万魔の王の記憶』で、わたしを慕う過去の彼女を見ている。
バッサバッサと揺れる尻尾。
その数は、確かに9本あった。
だけど、いまは3本だ。
それだけじゃない。
「それに、確か私の髪の色は黄金色だったはずなのです。いまは、色素が抜けてしまっておりますが」
「ああ。そういえば、そうだったかも……」
「いまの私は完全ではありません。もっとも、転生した主様に付き従い、このようなよくわからない世界にきたことを考えれば、これくらいは当たり前かもしれませんが。どれだけ長いこと岩になって眠っていたのかもわかりませんし」
思案げに吐息をついてから、不意にタマモは表情を普段の明るいものに戻した。
「ま。それは別にいいのですが」
「い、いいの?」
軽い。
ちょっとあっけに取られてしまった。
不安がられて泣き出されたりしてしまえば、それはそれで困るのだけれど、こうも軽いと困惑してしまう。
「記憶喪失になってるっていうのは、もっとなんていうかこう、大きいことなんじゃないの?」
「確かに残念ではあります。主様との思い出は、わたしにとって宝物ですので」
タマモはうなずき、けれど、こう続けた。
「しかし、忘れているなら、いずれ思い出すこともあるでしょう。それに……」
胸に手を置いて自分を示し、目の前の僕を見つめて断言する。
「大事なのは私が私であり、主様が主様であり、ともにあるということです」
「タマモ……」
浮かぶ笑顔はたおやかなものなのに、どこか力強さも感じる。
それこそ、自分のなかで大事なものがはっきりしているから口にできる台詞だろう。
「……タマモは、すごいんだな」
僕がそういうと、タマモはにっこりした。
「ありがとうございます。ですが、主様ほどではございませんとも」
「それはどうかなあ」
苦笑をこぼした僕に、タマモは続けた。
「ただ、主様の質問に答えられないことは無念ではあります。それに、力もかなり失ってしまっておりますし。かつて率いていた千の眷属たちも召喚できません」
タマモはため息をつき、肩を落とした。
「いずれ力は取り戻せるとしても、零落したいまの自分には失望を禁じえません」
「……十分に強かったと思うんだけど」
「グレンの話だと、オーガを文字通りに一蹴したんじゃなかったっけ?」
エステルが疑問を口にする。
僕も気持ちは同じだった。
弱体化?
あれで?
僕たちが見つめる先、当のタマモがこちらを見た。
「これは、主様もですよ」
「僕が?」
「主様ご本人の記憶が欠けていることもそうですが、万魔殿にも不具合があるようです」
……不具合?
「だけど、僕は逆鉾の君を呼び出せたよね?」
「ええ。ですが、それは不完全なものです」
タマモが、いまもひとり立っている逆鉾の君へと視線を向けた。
僕の手に入れた力。
滅びの獣のひと柱。
「なにかが変だと思っていたのですけれど……これ、空っぽです」
「空っぽ……?」
「逆鉾様は、こんな人形みたいじゃなくて、もっと普通に喋ったはずなのです。確かそのはずです。記憶があいまいですけれど」
そういえば……逆鉾の君についても、違和感があった。
まるでなかになにも入っていないようだと感じていた。
本当に、なにも入っていないのか。
「オーガは比較対象として弱過ぎたのでわからなかったのですが、私自身が弱体化していることがわかったので、確信が持てました」
豊かな胸に当てた手を握り、タマモは断言する。
「昨日、私、逆鉾様にお胸を飛ばされそうになったでしょう? あやうく避けましたけれど。逆鉾様が昔の通りなら、弱体化している私のお胸は今頃、真っ平らになっているはずですもの」
「判断基準が物騒過ぎない……?」
「互いに弱っていて助かりました」
ちょっとひいてしまった僕に対して、タマモはさばさばしたものだった。
「どうやらここにいる逆鉾様は、万魔殿にあった力だけの存在で、核のところが抜けているようです。本来の性能を発揮できておりません。一応、自律してはいるようですが、これは万魔殿内の力に残留した意志の、そのまた一部だけが引き出されているのでしょう」
「だから、こんな人形みたいなわけだ」
「はい。ただ、これでも多分、マシなほうだと思います」
タマモが思案げに首を傾げた。
「主様は、逆鉾様以外の力をいま引き出せないと思います。感覚的なことなので説明がしづらいのですが、滅びの獣の他の兄様方も姉様方も、万魔殿にいないように感じますので。その力を引き出すことはできないでしょう。こうしてここにいる私の力は、そのうち引き出せるようになると思いますが」
「そっか……まあ、いまの逆鉾の君でも十分なんだけどね」
力はあるに越したことはないけれど、現状、冒険者を続けていくうえで不足は感じていない。
というか、いきなり最高位冒険者に声をかけられたりして、とまどっているくらいだ。
別段、不便はない。
ただ、あえていうなら……。
「……他のみんなに会えないのは、少しさみしいかな」
ぽつりと声が出た。
不思議だ。
ちゃんと覚えているわけではないのに、なぜだか胸の奥のほうが痛む。
思い出したタマモの過去と、今朝見た黒髪の彼女。
他のまだ思い出せない彼や彼女たち。
きっと、大事な存在だったはずだ。
「もう一度、会いたいな」
その言葉は自然と口からこぼれ落ちた。
「……私としても、兄様や姉様がいたほうが安心はできます」
そんな僕を見て、タマモはうなずいた。
その琥珀色の瞳が、じっと見つめてくる。
「でしたら、主様。兄様や姉様方を探してみるというのはいかがでしょうか?」




