再会
その後の話。
広い洞窟の中から、外を眺めていた。
転生したこの体は、それだけでも中々楽しめる。眼下に広がる森が透けて魂の形が見え、獣の営みが全て見える。
それはいつまで経っても、飽きが来ないものだった。
「とは言え、なぁ」
空を眺めて何とはなしに呟いた。目はそんな、魂が見えるという力を持っている。
成長すれば、翼が無くとも空を飛べるようになる。体自体も魔獣だった時とは比べものにならない程に強くなる。
けれども、一番欲しいものはそれじゃなかった。
頭の良さでも、体の強さでも無かった。特殊な能力でも無かった。
新しい親の庇護の元から出られるのはいつ頃になるんだろうか。後一年後? それとも十年後?
言葉も覚えた。魔法の使い方も覚えた。魔獣の時とは比べものにならない程の、はっきりとした知識を得た。でも、まだ僕がここから出る事は許されていない。
こっそり出ようと思っても、すぐに見つかって引き戻される。
それだけ大切にしてくれるのは、とても嬉しい事でもあったけど、僕にとって新しい親よりも近くに居て欲しい存在は別に居た。……面と向かってそんな事、親には言えないけど。
灰色の彼が僕と同じように転生しているのはもう知っている。
どう言う理由でか分からないけれど、ハジゾメ・ウォツと言う麒麟が僕と彼を転生させてくれた。父がそう教えてくれた。
いつになったら僕はここから出られるのだろう。いつになったら僕は彼に出会えるのだろう。いつになったら、僕と彼を転生させてくれたハジゾメに礼を言えるのだろう。
待ち遠しくて堪らなかった。胸に溜まって行くその我慢を、一刻も早く解き放ちたかった。
もう一度、下を眺めた。
何も変わらず、営みが見えるだけだった。幻獣は、どこを見ても居なかった。
彼の方が僕より先に死んだ。僕もその一年後に耐えられなくて悲しくて死んだけれど、彼の方が早く転生しているのは確かだ。
僕より先に親から離れられる。
そうならば、僕を真先に探す。それは確実だった。僕にとって彼は、番よりも大切だったのだから。そして彼にとってもそれは同じだ。
断言出来る。
番が死ぬ事になろうとも、僕はあそこまで泣かなかったと思う。彼が死ぬ事になったから僕はとにかく、涙が枯れようとも泣いた。彼も僕を大切に思っていたから、泣く僕を放ったりはしなかった。
「早く、来ないかな」
何度呟いたか分からない。百、いや、千は確実に越えている。
でも、呟かずにはいられなかった。
-*-*-*-
目を開いて、何を思うよりも先に私はふるふると体を震わせ、体に付いた水分を飛ばそうとしました。
それから、意識が鮮明になってくるにつれ、私は辺りを見回しました。
隣に、母らしき、私と同じ四足の麒麟が居ました。
……麒麟?
麒麟という種族を知っていた事に私はまず驚き、いや、それ以前に私は何故こうやって生まれたばかりなのにも関わらず、こうして自分を言語化出来ているのか分かりませんでした。
その母らしき麒麟は私と目を合わせて言いました。
「お疲れ様」
お疲れ様? どうしてそんな言葉を掛けられるのか、私には分かりませんでした。
けれども、どうしてか、私の中には謎の途轍もない安堵がありました。
どういう理由でそんな言葉を投げかけられたのか、そしてどうして私はこう安堵しているのか、その答を私は知っている気がしましたが、考えてもその答は出てきませんでした。
「……あ、あう」
「無理して喋ろうとしなくていいわ。ゆっくり休みなさい」
父は? と聞こうとしたのですが。辺りを見回しても居ませんでした。
けれどもそれもやはり、知っている気がしました。何故ここに居ないのかも。
母が私を藁の上に魔法で乗せ、寝かせました。
「ゆっくり、ゆっくり、休みなさい」
私は、その言葉に何故か、生まれたばかりだと言うのに涙していました。
本当に、本当に途轍もない量の堰き止められていた水が一気に流れ出るような、いや、それ以上のものでした。
言葉を喋れる口ですが、生まれたばかりでは喋る事は出来ません。けれども、今は喋る必要何てありません。
ただただ、私は喉が許す限り、声を上げて泣きました。私の何故かある記憶が、そうさせていました。
終わったんだと、私は思いました。何が終わったのかは分かりませんが、とても困難な事を私は成し遂げたのだとだけは分かりました。
-*-*-*-
「……よお」
その幻獣、フェンリルは唐突にやって来た。隣には、初めて見る麒麟という幻獣が居た。フェンリルも初めてだったけれど、父からその外見について教わっていたから、そう区別出来た。
「…………えっと、あの」
今、僕にはコハク・ココノツという名前があった。でも、ワイバーンの時は勿論名前が無かった。彼の事を、どう呼べば良いのか、分からなかった。だから、咄嗟には思いつかなかったけれど、彼だと分かる質問をした。
「灰色、だよね?」
「勿論」
即答だった。
再会した時、僕は泣くだろうとか思っていたけど、涙までは出て来なかった。
困惑してしまったからだ。もう。
「名前、ある?」
「ああ。ウスズミ・サラン。お前は?」
「コハク・ココノツ」
でもまあ、こんな再会も悪くない、と思う。
「しっかし、まあ、可愛い姿になっちゃってなぁ」
歩いて来て、ニヤニヤしながら僕よりでかい体の前足で頭を叩かれた。
「うるさいなぁ。お前だって、大狼と外見は殆ど変わらない姿じゃないか。僕みたいに他の魔獣とか智獣とかと全く違う外見は無い訳?」
複数の尻尾でその前足を払った。
「いや、まあ、それは、色が違う位しかないかな……」
白色の毛皮に、燃えるような赤が混じっている。その程度か、とちょっと見返せた。
「それは置いておいて、また、会えたな」
「……うん」
その一言で、胸から込み上げて来るものがあった。言葉で意志疎通するのは初めてだったけれど、ウスズミ、灰色と喋るこの感覚はとても懐かしく、やはり楽しいものだった。
麒麟、ハジゾメの方を向いて、礼を言う。
「……ありがとう。本当に、ありがとう」
「単なる次いでだ」
どういう事? 聞こうとすると、ウスズミが遮った。
「色々と変な事情が俺達がワイバーンの時にあってな。俺が後で話そう」
そう言って、ハジゾメの方を向いてまた、礼を言った。
本当に感謝しきれない。またこうしてウスズミと会える何て、本当に夢みたいだった。
「じゃあ、俺は行く」
そう言って、さっさとハジゾメは去って行った。
見えなくなってから、ぽつぽつと喋り始めた。僕達がワイバーンの時の事も。そしてウスズミが先に死んでからの事。転生してからの事。
喋りながら、驚きながら、懐かしみながら、何となく思う。
これからワイバーンの時とは比べものにならない程に、僕とウスズミは生きられる。
いつか別れが来るのは同じだ。でも、それはきっと悲しくない。悲しいとしても、あの時、ワイバーンの時のように僕は泣かないだろう。
あの時のような、受け入れられない感情を押し殺してまで我慢しなければいけないという事にはならない。
喋りながら、涙を流している自分に気付いた。
今更、流れて来たのか。前足で拭うと、ウスズミがそれに気付いた。
「泣き虫だな、相変わらず」
「……うん。でも、良いじゃないか。これだけ幸せな事何て、僕は知らないよ」
「まあ、な。俺達は、とても幸運だ」
「うん。その内また、喧嘩、する?」
「それは止めておこう。規模が違い過ぎる」
「確かに」
そうして、僕は笑った。
-*-*-*-
「……ここ、は」
俯きながら不安そうな顔をして私の顔を偶に眺める不死鳥は、どうしてか私を引っ張ってどこかへと連れて行こうとしていました。
呟いた、私のその一言は、その不死鳥の顔を少し明るくさせました。
「何か、思い出した?」
「いえ、見覚えがあるような、そんな感じがするだけです」
「……そう」
特に変哲のない山脈が私の記憶のどこかを刺激していました。詰められて、詰められて、全ての記憶が脈絡のないものとなっているバラバラな記憶のどこかが、その景色に反応していました。
きっと、この不死鳥は前世か何かで私と関係のあった知り合いなのでしょうが。
まだ、……いや、私は思い出せるのでしょうか。
ただ一回、転生した他の幻獣とは違い、私は何度となく転生しています。他の幻獣達は前世の事を殆ど覚えていますが、私は殆ど何も覚えていないのです。
幾度となく助けてくれたハジゾメ、私の大昔の番だった大狼の事も思い出せたとは言え、それは幾度となく会っていたからです。
何千年と生きられるこの体は何事も無く、その魂の中に眠っていた膨大な記憶を受け止めてくれました。しかし、その中に前世の記憶は無かったのです。
今も尚、少しずつ記憶が引き出されていますが、前世の記憶は未だにほぼ何も思い出していないのです。
魂を食らい、幻獣に転生する条件を満たした。満足して死んだ。その位しか、思い出せていません。
歩き続け、不死鳥は私の背中に止まり、言いました。
「この道をずっと歩き続けて、山頂まで行って」
そんな時、空を数匹のワイバーンが飛んで来ました。
「……あ、れ?」
「こんな近くにも居たのか……知らなかった」
私と不死鳥の近くを旋回しながら、眺めています。
そうやって飛んでいる姿を見るのは初めてではありません。けれども、私の中でこうして飛んでいる姿がまた、記憶のどこかを刺激しました。
「私は、前世で、ワイバーンだった?」
不死鳥は、答えませんでした。
ただ「とにかく、先まで行ってみて」と私の頭を軽く突きました。
ワイバーンは去り、山を登っている最中、その先に違う幻獣が居るのに気付きました。近付いて行くと、それは猫又でした。
「誰?」
不死鳥が聞くと、その猫又は言いました。
「……ここに縁があるのか?」
「……あなたも?」
猫又は少し時間を置いてから、躊躇うように言いました。
「いや、この先で生まれたが、生まれて一年程度で、馬鹿な事をして逃げた。帰らず、すぐあそこで新しく群れを作った」
「…………」
不死鳥は、答えませんでした。私はそれを聞いて、どうしてか、確信しました。
「私の一つ前の生は、ワイバーンだった。そして、ここ辺りで生きていた」
猫又は驚いたように近付いてきました。
「不死鳥、お前はそうらしかったが、麒麟、お前も転生して生まれたタチか。……俺程、智獣も魔獣も食った奴、俺の群れの中でもそうは居なかった気がするが……。いや、何でお前は俺とかと違って転生したのに記憶が無いんだ?」
それを聞くと不死鳥が私の背から離れて、猫又に近付いて、私から少し離れて何やらぼそぼそと話しました。
暫くすると、猫又が不死鳥から飛び退きました。悪態を吐いているようで、単純にそうでもなさそうな複雑な感情を持った罵倒を不死鳥にしていました。不死鳥も猫又に罵倒していました。
どうやら、あの二匹は前世で知り合いだったようです。余り、仲は良さそうではありませんでしたが。
不死鳥が、猫又に罵りながらもまた、私に言いました。
「おい、麒麟! リエン!
さっさとその山頂の先に行ってそこから先の光景を見て来い。
それでも私が分からなければ、もう諦める。私が知っている事を延々と話しても思い出すより、ただ記憶を書き換える事になりそうだしな。
さっさと行って来い。私の親友!」
戸惑いながらも、それに従う事にしました。
歩こうとすると、猫又も私に向けて言いました。
「転生しそうな奴なら、俺も群れの中以外なら一匹だけ居る。
まあ、可能性は低いだろうが、さっさと思い出して来い!」
そんな単純に思い出せるとは思えないのですが、押されるようにして私は先へ行く事にしました。
とく、とく、と心臓が静かになっていました。
雪が降るこの場所、私はここを知っていました。何をしたか、それは思い出せませんが。
そして後ほんの少し歩けば、その先の光景を見る事が出来ました。思い出すのか、思い出さないのか。
私は少しではありますが、緊張していました。
さく、さく、と雪を踏んで、そして私はその先の光景を見ました。
雲は一つも無く、山の下には森が広がり、その森とその先を分けるように川が横切り、そしてその先には草原、穴だらけの崖がありました。
沢山の、黄色と灰色のワイバーンが飛んでいたり、喧嘩していたりしました。
懐かしさが、確かにそこにありました。変わっていない、と無意識に思いました。ワイバーンの時、毎日のように眺めていた光景がそこにありました。
詰められて、詰められて、ばらばらになっていた前世の記憶が、一本になって私の頭の中に流れ込んできました。
私は、口に出して、叫んでいました。
「……ああ、ああ。ああ?
私は、確かあの一番上の一番大きい穴で長く暮らしていた。そうだ。子供も沢山産んだ。沢山死んだ。
族長と、私は番になった。そうだ。そうだった。
沢山、交尾した。私は泣いていた。えっと、えっと。
ああ。私以外、兄も姉も全員死んだ。そうだ。どうしてだっけ。
ああ、姉は、私が殺したんだ」
どうして、忘れていたのか疑問に思う程に、記憶が流れ出てきました。
本当にどうして、私は忘れていたのでしょう。
長年後悔し続けた、あの夜の記憶。長年、族長の一匹の番として子を産み、育てた記憶。
忘れようとも、思い続けた、そして身に受け続けたそれは頭だけではなく、魂にも確かに刻まれている記憶でした。
死ぬ時の事のような刹那の記憶は思い出せなくとも、生きている間に連綿と続けて来た全ては魂に確固として刻まれていました。
「ああ、ああ、そうか。そうなのか。
不死鳥、ハクエは、アカか。そうだ。それしかない。
そして猫又は、……ロか。そうか。ああ」
私は笑いながら、そして泣いていました。
ロの事も思い出せました。会った事はとても少ないとは言え、私の世代で数少ない生き残りで、そして友だったのですから。老い始めた頃に戦った記憶も残っていました。
それは、私が衰える前の最後の全力での戦いだったのですから。何度も思い出し、反芻を何度も繰り返し、楽しんでいました。
族長は転生しているのでしょうか。色違いの族長も一緒に転生して、今も仲良くやっている事を私は望みました。
そうして笑って泣いていると、アカ、ハクエとロ、猫又がやって来ました。
「思い出した?」
「ええ。
ハクエ……私の番の次の、あの群れの族長。そして、私の親友」
そう言うと、ハクエは喜んで私の頭を軽く突きました。
「俺の事は?」
「猫又」
「ああ、今の名前はヴィオラな」
「ヴィオラ……」
まあ、ちょっとだけ意地悪をしても良いんじゃないか、と私は思いました。
「ハクエに角を折られて気絶させられて、逃げたワイバーン」
「くそがっ」
悪態を吐きながらも、続いて聞いてきました。
「でも何でお前まで転生してるんだ? 族長でも無かっただろうし、智獣を進んで食ってそうな奴でも無かったと思うんだが」
「それはまあ、色々とあって」
「色々とリエンには、私も知らなかった事情があったんだよ。
後で教えてやるから。
それとまあ、お前もどう生きていたか教えてよ。私がぶちのめしてからどこに行って、どうしていたのか」
「本当に……まあ、俺もあれからずっとあの時の事後悔し続けて来たんだけどさ……。
流石に転生した今でも何度も抉られるのは嫌なんだけど……。
まあ、今は良かったよ。お前が思い出してくれて。
俺は他の奴等みたいに、先代の族長とかとは全く関わりが無いし、転生した幻獣の中では生前の繋がり何て今まで無かったんだ」
そう言うと、ハクエも流石にそれ以上おちょくるのはやめました。
ふぅ、と私は息を吐きました。
流石に、前世の記憶が流れ込んで来た影響か、私の頭は疲れていました。数百年の時を経てハジゾメと再会した時の程ではありませんが。
それを察し、ハクエが「じゃあ、どこかで休もう」と提案してきました。
「ここで良いじゃないですか。この位の寒さ、別に何とも無いでしょう?」
そうして、私達は座りました。
沢山の事を話しながらも、私はずっと、前世で生きていたそのワイバーンの群れを見ていました。
こうして、死ねる体となった今は、死ねなかった前世までの事を別のものとして、懐かしむ事が出来るものとして見ていました。
全ての事を思い出す事は出来ません。しかし、強く印象に残った事はかなり思い出していました。
悲しかった事も、そして、嬉しかった事も。
その、ワイバーンとしての生は、ハジゾメと再会して思い出した全ての生を含めても一番楽しいものでした。充実しているものでした。
何故でしょうか。思い出したくない事さえも思い出してしまったのに。
前世の、ワイバーンの私はその理由を分かっている気がしました。それはやはり、その時でなければ、ワイバーンの身として、その記憶全てが無ければ分からないものだったからでしょう。
そして、この幻獣の身としての生は、そのワイバーンとしての生よりも楽しめる事も無いでしょう。
それは決して後ろ向きなものではありません。
ワイバーンとしての生が特別だった、とまでは行かなくとも、とても幸運なものだった事は確かだからです。
振り向いて、私はハクエとヴィオラの方を見ました。
姿形が変わっても、前世の友がここに居る。それも幸運な事でした。
「お? 誰かまた来たようだな」
ヴィオラが振り返るのにつられて、私とハクエも振り向きました。群れを見て懐かしむような目をした二匹がそこに居ました。
「……ああ」
私は、今はもう、不幸の欠片も感じる事はありませんでした。
最後に設定またちょこちょこ書いておしまい。
気が向いたら、またちょこっと番外編とか書くと思う。
気が向いたら。




