7. 縮まった差
暫くして骨が折れる音が聞こえなくなった後に大蛇が崩れ落ち、その中からひしゃげた体のリザードマンが現れました。一応警戒しながら近付いてみると、大蛇は既に息絶えていましたが、リザードマンはまだ僅かに生きていました。
けれども、全身の骨は既に折れ、顔も潰れていました。骨が体から飛び出している場所もありました。
終わった。私はそれを見てそう思い、そのリザードマンを食べる事にしました。腹は大して減っていませんが、智獣を食べる事に関しては私はかなり興味があったのです。
コボルトが来た時も、人間が来た時も、ワイバーンが儀式に勝って敗者である智獣を食べる所は何故かとても美味しそうに感じられたのです。
リザードマンを大蛇のとぐろから引きずり出し、僅かな装備品を剥ぎ取ります。
そんなものまで食べる趣味は私にはありません。
「やめて……くれ」
振り絞った声が聞こえましたが、止める訳ありません。単にここに来ただけの旅人とかなら少しは考えるでしょうが、盗人を助ける訳ないでしょう。
私は初めて食べる智獣に、戦う前とは違う楽しい緊張を覚えながら、足で体を抑えつけ、尻尾を使って上半身を持ち上げて、頭から齧り付きました。
首を引き千切り、頭蓋ごと噛み砕いてみます。
ばきばき、ごきゅり。
……味は普通でした。肉は大蛇に少し似た味ですが特別美味しい、という訳でもありません。首から噴き出る血も飲んでみますが、普通の血の味です。けれども、どちらも体に入れると力が漲るような、そんな感じがしました。
何故でしょうか。私はその答を知っているような気がしましたが、気がするだけでした。もしかしたら、何かきっかけがあれば思い出せるのかもしれません。
しかしながら全身を食らえば強くなれる、という妙に確信めいた記憶と本能はあり、それに従って私はそのリザードマンを胃が許す限り食べました。何故か、胴を食べ始めると、もう私は止まりませんでした。
特別美味しくないのに、何故か止められない。そんな食事は初めてでした。
夕方に鹿を食べてからさほど時間が経っておらず、リザードマンを一人食べ終えた所で私は満腹になってしまいました。
けれども、満腹なのにも関わらず私の体は軽くなったような感覚がしていました。
何となく、一旦私は跳躍してみました。飛ぶ能力も併せるとワイバーンはふわりと浮くようにに跳べるのですが、今の私は鳥の羽のようにふわふわとした感じで跳ぶ事が出来ました。
もしかして、無意識の魔法が強化されている? 着地してから、そんな風に私は思えました。
智獣を食べると、強くなれる。それは、私の中の記憶が当たりだ、と言うかのようにしっくり来る推測でした。
けれども、理由までは流石に分かりません。
何故、普通の獣を食べてもそんな特別強くなれないのか、その相違点を今の私は知りませんでした。
私は始末したもう二匹のリザードマンの様子を見ました。まだ、死んではいませんでしたが、その内死ぬような感じでした。
さて、どうしようか。
持って帰って他の皆に食べて貰うか、ここに放置してしまうか。それとも、どこかに隠して明日食べるか。
少し悩んだ後に、私は隠して明日食べる事にしました。もっと強くなりたい、という自分の願望を叶える事にしたのです。
念の為、首を折って殺してから少し遠くの木の上に置き、それから帰りました。
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川を越えた辺りで、前から複数のワイバーンがやって来たのが見えました。
もしかして、試練に干渉したとでも思われてしまったのでしょうか? そう思い、私は嫌な気持ちになりました。
私は一旦着地し、そのワイバーン達と対面しました。
ワイバーン達は全て本当に成獣したワイバーンでした。その中には私の母も居ました。私の目の前に全員降り立つと、私の周りを囲み、ふんふんと私の臭いを嗅ぎ始めました。口の中も開かせられて嗅がれました。
「ヴル?」
一匹のワイバーンが試練が行われている場所を翼腕で指し示し、私に疑問を投げかけました。
試練に干渉したか、という事でしょう。もし、干渉したと示したら私は最悪殺されるかもしれないと思い、一瞬体が震えました。
「ラルルッ」
していないと半ば身振りも交えて必死に答えると、ワイバーン達は何やら身振りで話し始めました。
「ヴル?」
「ヴゥ」
「ラルルルッ」
暫くすると、私の母以外が飛び上がり、森の方へと飛んで行きました。きっと、私から智獣の血の臭いを嗅ぎ取ったのでしょう。
私が殺した智獣の証拠を見つけに行くのでしょうか。それとも、もしかしたら盗人は他にも居る可能性があるのでしょうか。
「ウルルル」
私が飛んで行くのをそう物思いに耽りながら眺めていると、母が呼びました。
はっ、と私は振り返ります。
母は私に向って姿勢を低くしていました。それはどう見ても戦う姿勢でした。……私は、怒られるような事をしたのでしょうか?
……いや、違う。
智獣を食えば強くなれる。その事は母も含め、ワイバーンの大半が知っているのでしょう。本当に私が智獣を食べたのか、私が強くなったのか、それを確かめるつもりです。
リザードマンと戦う前のような緊張が一気に私を襲いました。
どく、どく、と私の心臓の音は強く響き始め、直接耳に届きます。
本当に成獣したワイバーンと戦うのは今までありませんでした。アカ、それとイ、ロ、ハ以外と戦った事すらもまだ殆どありません。
「ヴルルッ」
早くしろ。母はそう言っていました。
私は大きく息を吸い込み、それからゆっくりと吐きました。
そして、戦う姿勢に入りました。
いきなり母は空を飛びました。
そして私の方を見たと思ったらすぐに急降下して更に火球を吐いてきました。
私は前に走り火球を避け、少ない毒針を上に向けて全て放ちます。火球が地面に炸裂し、その直後にどすん、と後で母が着地した振動が私に伝わりました。
振り返り、母は既に私に向って走って来ています。後ろでは枯草が燃えていて、その光で私が放った毒針が落ちて行くのが見えました。残念ながら母には当たらなかったようです。
私は母よりも姿勢を低くし、翼腕を地面に付けて待ちかまえました。
「ヴルアッ!」
母は口を大きく開けていますが、尾が翼腕の下にこっそりと私に向けられているのが見えました。
音も無く、毒針が私の顔目掛けて飛んで来ました。同時に母の牙が私を捕えようともしています。
私は少しだけ体を回し、そして母の牙と毒針を翼腕で受け止めました。
毒針が私の皮翼に切り傷を付けて後ろへ飛んで行き、ぎちぎちと私の翼腕が噛まれています。とても痛いですが私は構わず母の首に噛みつきにいきます。
母の翼腕が私を殴りつけますが、私が怯まずに首へ牙をそのまま向けようとすると、その瞬間母は私から離れ、距離を取りました。
……速い。母の戦い方は、私に息を吐かせてくれる時間も思考させてくれる時間も与えてくれません。
そして、やっぱり強いです。母は無傷でしたが、私は毒針を身に受けてしまい、翼腕からは血がぼたぼたと垂れていました。怯まなかったとは言え頭に受けた衝撃も強く、ガンガンと頭が痛んでいます。けれども、私は確実にその動きに付いていけていました。それは私に元からそのポテンシャルがあった、という訳ではありません。それは確実に言えます。
元々がきっと智獣だったからでしょうか、私は思考出来ない内に攻められると劣勢になる事が多かったのです。しかし、母はいきなり私に猛攻を仕掛けて来たのにも関わらず、戦えていました。
智獣の肉体は私の体、そして本能をも確実に強化させていました。
ただ、毒針を受けてしまった以上、私には時間がありませんでした。血が余り通っていない皮翼に掠めただけですが、体の動きは確実に制限されます。
毒が体に回ったら、確実に負けます。
私は母に向って姿勢を低くしたまま走りました。母は私を待ち構え、毒針をまた私に向けて飛ばしました。
それを私は体を起こし、跳んで躱すと同時に母に向って蹴りを放ちます。母はそれを肩で受け止め、同時に肩を突き出す事によって私のバランスを上手く崩しました。
しかし、私もただでは転び落ちません。母の後ろへ崩れ落ちる時に母の首に尻尾を巻きつける事に成功しました。
「ア゛ヴッ」
半ば頭から地面に落ちながら、母の無理矢理体を起こされて苦しそうな声が聞こえます。
私は翼腕を前に突き出し、何とか頭から地面に激突する事は避けられました。勿論、尻尾は緩めていません。
私の体重は上手く母の首に掛けられていました。
「ヴヴッ、ヴヴ」
このまま締め続けられれば勝てる。今、私の中には倒そうとしているのが私の母である、という事は勿論ありましたが、それはもうどうでも良い事として処理されていました。
勝ち負けは血縁とか恩とかよりも重いものなのです。
母の尻尾が動いたのが感じられました。尻尾の先に毒針がまだ沢山ある状態でそれをそのまま突き刺されたら、ワイバーンであってもほんの僅かな時間で動けなくなります。
私は何故、それを放置していたと悔やみながら一瞬の間逡巡し、結局尻尾を放して母から離れました。
それを止められる自信はありませんでした。
しかし、母に体勢を立て直す余裕は与えません。私は一旦離れた後、振り向こうとする母にすぐにまた接近し、攻撃を仕掛けようとしました。
それを見てか母は前に前転し、同時に尾を大きく回転させました。
そのタイミングは正確で、私はそれを避けられずに、毒針の先が私の腹から顎に掛けて切り傷を付けました。
「ア゛……」
しまった。思わず声を上げましたが、そう思った時にはもう遅いものです。母が前転を終え、私に振り返る頃には、私の中に毒は回っていました。
皮翼に付けられた毒は私を未だに妨げてはいませんでしたが、その広範囲に渡って受けた切り傷は私の全身をすぐに駆け回ってしまいました。
必死に私は毒に抗おうとしますが、もう、立っているだけで精一杯でした。そして、母が近付いて来て私を軽く押しました。
それだけで私は呆気なく、受け身も取れずに倒れてしまいました。
「ヴルルッ」
母も息はまだ荒く、倒れた私を暫く見下ろした後に、隣に座りました。
……ああ。私は負けた悔しさにを噛み締めながら、自分の焦りを後悔していました。
敗因は、私が相手に余裕を与えないのと、焦って攻撃を仕掛けるのを同じと見ていたからでした。背中を見せていた母を見て、私は勝てると半ば確信していたのです。それが焦りの原因でもありました。
「……ヴゥ」
私は痺れる体で少しだけ声を出しました。善戦は出来たのでしょうか。母の体は、月だけの明かりで見る限り、傷は何もありませんでした。
それに比べ私の片方の翼腕は血に塗れ、腹から顎に掛けても鋭い切り傷が走っています。
私は本当に成獣したワイバーンと比べると、まだまだひよっ子なのでしょうか。
「ヴル」
短く、納得したかのようなその母の声は、強くなったな、と言っていました。
私はそれを聞いて何となくほっとし、夜空を見上げました。
確実に、本当の成獣したワイバーンに近付いている。智獣を食らって、更に近付く事が出来た。
その事が確認出来たのでした。負けて悔しかったですが、達成感が私の中を占めていました。




