2 こっちはちゃんとぴしゅってできました
もう一回ってお願いしたのに、ロドニーはしゃがみこんでしまってボールを投げてくれませんでした。どうして左手が出てしまったのでしょう。確かめられないまま馬車に乗って出発しました。
枯れ葉や落ち葉が吹き溜まったところにあったちょうどよい枝はタバサにとりあげられてしまったので、持ってるつもりで練習しています。旦那様には向かいの座席に座ってもらいました。きっと次はちゃんとできるので、休憩のときにまたボールを投げてもらうのです。
「あー、君、運動神経いいのに不思議と道具を使うのは苦手だよな……」
「そんなことないです。できます」
旦那様の隣に移って、窓の外を見張るために靴を脱ぎました。
イメージはもう完璧ですし、ちょっと息が切れてきましたし。
「もう練習はいいのか?」
「ばっちりなので!」
「お、おう」
今日の空は薄曇りで、きっと私たちが領を出るころくらいに雨が降り出すことでしょう。
旦那様が私の後ろ髪を指でくるくると遊ぶので、ちょっと引っ張られる感触が馬車の揺れと相まって心地よいです。
「なあ、アビゲイル」
「はい」
白いおなかをした小さな鳥が群れを成して森の方へと飛んでいきました。あれは魔物じゃないけど、森でも多分暮らしていけます。自分より強いものに食べられちゃうのは森じゃなくても同じなので。
「持って帰るのは桑の木だけで、ミズナラとか他はよかったのか?」
「みんな森に帰るみたいだからいいです」
「あー帰るのか……そっか。やっぱりそうか」
どんぐりも全部森に飛んでいきましたし、ちょうどよかったと思います。
旦那様は私を膝に乗せて、ぎゅうっとしました。
最初の休憩場所でロドニーがいれてくれたハーブティをいただいていると、後から到着した第四王子がよそ見しながら近寄ってきました。ロドニーたちが使っている馬車をすごく見ています。馬車というか、普段従僕が立って乗ってるところ。
「ねえ、あのランブルのとこに干してるのってきのこ……?」
そう、ランブルです。あそこに乗ってみたいって前にお願いしたのですけど駄目って言われました。そこに紐でくくられたきのこがぶら下がっていて、第四王子はそれが気になったようです。森で拾ってきたきのこですけど、きのこを見たことないのでしょうか。
「あれはイーサンにあげるお土産なので駄目です」
「いや、欲しくはないんだけどさ。え、なんでびっくりするの」
とてもぴかぴかだから欲しいのかと思いました。違った。旦那様が小さく舌打ちしてからおすましで答えます。
「妻が土産にと採ってきたものです。屋敷までもたせないといけないので干しただけですよ」
「んんー!聞きたいのは干してることじゃなくて光ってることなんだけどな!」
「きのこは数千種類あるそうですから」
「え、そうなの?」
旦那様やロドニー、タバサも一緒に頷いて見せると、そうなんだ……?って第四王子は納得したみたいです。
私は気がつきました。もしかして王都のきのこは光らない。それはきっと珍しいものってことです。イーサンは喜ぶに違いありません。やりました。
◆◆◆
一息ついた後にアビゲイルはまたロドニーにボールを投げてもらい始めたけれど、案の定枝に当てるのではなく手で受け止めている。本人もやる度に首を傾げているが、見てるこっちもよくわからない。何故だ。
「アビー、もう汗かいてるだろう。また今度にしなさい」
「……」
納得がいかないのか、きゅっと口角に力を入れながらも大人しくタバサに額の汗を拭かせる姿が可愛いなと思っていると、何食わぬ顔でずっと同席していたドミニク殿下が隣で深く息を吐いた。
「休憩のはずなのに腹筋が疲れたよ……」
「鍛錬のいい機会になったようで何よりかと」
「僕だって一応」
「毎日でなくては鍛錬とは言えません」
「だってさー、何あのずさんな資料管理!身体動かす時間や気力が湧くわけないじゃない!」
一応滞在中に色々と調べようとしていたのは知っている。死んだ文官たちが系統立ててまとめ直した痕跡はあれど、それでも追いついてはいなかったらしい。第四王子という地位を持ちながらも部下だけに任せず、自ら足を運んで目を通す気概を認めてもいいとは思うが。
タバサにうなじや髪の根本をタオルで拭かれるアビゲイルの頭がぐらぐらしてきている。そうか。眠くなってきたか。運動したからな。
「僕もさぁ、そのうち臣下に降るわけじゃない。色々とね、こう、自分の立ち位置とか基盤とかそういったものを安定させたいわけですよ」
「はあ」
座ったままで両手を広げれば、ちょっとふらつく足取りの小鳥が寄ってきた。
「先輩だって次男で、普通は長男の補佐に入るけど、それだけじゃなく自分の力で足場を固めたわけでしょ」
「まあそうですね」
領主館には先行してきていた騎士と今回連れてきた従者を一部残したらしい。迂闊に領民を立ち入らせないよう警戒しつつ、新たに派遣する文官たちが到着するまでのつなぎとしたそうだ。普通は地元をよくわかっている縁者なりを使うものだが、あそこならそれが妥当だろう。全くあてにならんし人死にまで出ているのだから。
「僕は継承権低いしさ、それでもそれなりに上手くやってるし可愛がってもらえてる。父上だっていいように計らったつもりでのここなのはわかってるから、僕も期待に応えたいと思ってたんだよね。でもなーここなーきっびしいよねえ」
眠気で目をとろりとさせて、アビゲイルがティーテーブルを囲む俺とドミニク殿下の間に立った。
俺の肩にもたれた赤髪のつむじがほかほかじゃないか。どんだけ汗かいたんだ……。
「ねぇ、だからさー先輩聞いてます?もう連れてきたりしないから、帰ったらもうちょっとだけ夫人にって、え!?」
殿下の鼻先すれすれに、アビゲイルの左腕がひゅっと薙ぐように空を切る。
ゆるく握られた小さな手が、そのままおもむろに王子に突き出され……あー。
「えっ、何?どうしたの夫人」
「どうぞ」
戸惑いながらも、両手で包むようにそれを受け取った殿下が悲鳴をあげた。
「何!?何これ!ぶんぶんいってる!何これ怖い!」
「バッタモドキです」
「えっ、えっ、なんで!?なんで!?」
「さあ、アビー。馬車に戻ろうな」
「待って!待って!これどうしたらいいの!」
「妻が風邪をひくといけないので失礼します」
あれだな。この飛んでるものを掴む癖のせいでボールも掴むんだな。そういえばそうだった。そうだった。







