37 だんなさまはもしかしたらすこしだけこわがりなのかもしれません
屋敷の西側、鶏小屋の隣に馬小屋があります。そしてその向こうには馬番たちが休憩する小屋や庭師のための納屋、それから使用人たちが家族で住む別棟。別棟にはもう誰も住んでいないと聞いています。住み込みの使用人はみんな通いに切り替えたからだそうです。伯爵家が没落したときに解雇されて、王都から来た文官たちを世話するために雇いなおされたとかなんとか言っていました。
「こっちですこっち」
鶏小屋と馬小屋の間の隙間を抜けて、裏の繁みもかき分けて、納屋の裏をぐるっと回って別棟まで旦那様とロドニーと護衛たちをご案内します。別棟の玄関にたどり着いて振り向くと、みなさん頭や服に葉っぱや枝があちこち刺さっていて、私たちが出てきた方角とは別のほうに続く小道を半目で見ていました。
「……アビー。母屋とこの別棟までを繋ぐ道じゃないかこれ」
「私はその道を通ったことがなかったので!」
「お、おう」
扉を開けようと手を伸ばすと、旦那様に腰を掴まえられました。どうしたのかと見上げると、旦那様は私ごと後ろに下がって、ロドニーに目配せをします。扉にはやはり鍵がかかっていたのですが、ロドニーがなにやらちょちょいってするとカチリと鍵の開いた音がしました。今何を。
「この中にいるんだな?建物のどのあたりにいるかわかるか?」
「地下にいます。隅っこで、んっと、十、十二匹くらい固まってます」
「多くないです!?」
「でもカガミニセドリ弱いですよ。それに」
扉を開けかけた手を引っ込めてロドニーが叫びましたけど、地下にいるカガミニセドリはぎゅうぎゅうに固まっているのがわかります。部屋に閉じ込められてるんじゃないでしょうか。
カガミニセドリは森の魔物の中でも弱いほうです。卵から孵るとき近くの生き物の真似をして油断させるのだって弱いからです。自分より強い魔物を食べると、ちょっとだけ強くなれますから、もしかしたら逆に食べられちゃうかもしれなくても卵を巣に忍ばせるのです。
そのくらい弱い魔物だから。
いてはおかしいところにいるのに、こんなちかくにいたのに、きがつかなかった。
――ああ、また。
「それに、今、九匹になりました」
「……おいでアビー。お前たち、人間の方を警戒しろ」
旦那様は私を後ろ手に抱いて、護衛たちを先に進ませます。別棟の中は月明かりも入らない暗さでしたから、ロドニーが"照らせ灯れ"と唱えて、手のひらに明かりをつけました。エントランスホールから左右に伸びる廊下、二階へ上がる階段と、護衛たちが様子を窺っては戻ってきます。私はここに入ったことがないので、どこに地下へ続く階段があるのかわかりません。
「やはり人間はいないみたいですねー。まあ、大体こういうところの間取りってのは決まってるんですよー」
報告を聞いたロドニーは、ふむ、と辺りを見回して右の廊下へと進みます。
小さめの厨房を通り過ぎた奥にある木の扉をあけると地下へ続く階段がありました。すごい!ロドニーすごい!
先に階段の下を確認しにいった護衛たちの、驚きを押さえつけたような小さなうめき声が、暗がりの奥から響いてきました。一人が戻ってきて「奥様にはちょっと……」と言葉を濁します。灯火で暗がりに浮かぶようだからでしょうか。顔色悪いです。
「旦那様」
「……手を離さないように」
「大丈夫です。私がついています」
旦那様と手を繋いで狭い階段を降りていくと、足元から忍びあがってくるひどい腐臭がどんどん濃くなっていきます。降りた階段の先にある扉の中は倉庫を兼ねていたのでしょうか。広い一間に木製の棚がいくつも並んでいて、奥の石壁の方から弱々しく甲高い鳴き声が途切れ途切れに聞こえてきます。今はもう七匹、いえ、六匹になりました。
黒い鉄扉が細く開いた隙間から伸びる明かりは、ゆらゆらと揺れています。先に入っている護衛がランプに火を灯してくれていました。
部屋に据えられた背の高い檻の天板は木製で、鉄格子が四方にはまっています。
隣の旦那様が息を呑み、ロドニーがぐぅっと喉を鳴らしました。
こちらからできるだけ距離をとろうとしているのか、向こう端の鉄格子に背を押し付けるようにしながらキュピキュピと頼りなく震えている魔物。
大部分はにんげんの形ですが、片腕や膝から下が鳥の翼や三本指の足であったり、顔が馬のようなものもいます。
どの子も白目のない金瞳でした。
なんびきも、ゆかにたおれていて、はんぶんくさりかけている
きゅー、きゅぴ、とないてるこも、ほねとかわとはねしかない
どうして
「旦那様」
「駄目だ」
繋いだ手を離してはもらえませんでした。仕方ありません。そのまま手を引いて檻に近寄ります。
「キュー!」
どこにそんな力が残っていたのでしょうか。
一匹が私に向かって飛びかかってきましたけれど、鉄格子に防がれてべたりと落ちて、そのこはそのまましにました。
「おまえたち、どうしてこっちにきたのですか」
きゅ、とないて、のこりのこたちもしにました。
◆◆◆
悪趣味な芸術家が手慰みで作りかけて放置したような、人間と動物をモザイクにしたこれがカガミニセドリだという。まだ声をあげているそれらの体は汚物にまみれ、腐敗した死体と排泄物が踏み散らかされていた。
人間の子どもの姿を擬態して油断を誘い襲い掛かる悍ましい魔物が、こんなにも哀れに見えるのは、部分なりとも人間の姿をしているからだろうか。
「おまえたち、どうしてこっちにきたのですか」
それともアビゲイルが檻の手前で膝をつき、あの表情をすとんとなくした顔で、抑揚のない声で、呟いたからだろうか。
「アビー、そこは冷えるから、な?」
最後のカガミニセドリが一鳴きして息絶えてから、ぴたりと動こうとしないアビゲイルに声をかけると大人しく抱き上げられてくれた。
「君が望むなら、この、カガミニセドリたちを森に還してやることもできるが」
アビゲイルはあまり人間の価値観に馴染んではいないから、それに意味があるかどうかはわからないけれど、とりあえずはしてやれることとして思いついたものを告げると、ぱちりと瞬いて俺の目をとらえた。
「――何故ですか?もうお肉です」
「あー、いや、うん。本来森にいたはずだったんだろう?君が還してやりたいと思うかもしれないと」
「なるほど!思わなかったです!」
「お、おう」
悲しんでほしくはないと思うのに俺にはきっとわかりえないところにアビゲイルの思いがある気がして、それに胸が痛むのはひどく身勝手な人間そのままなんだろう。
抱き上げたままその肩口に顔を埋めると、とんとんと背を叩かれた。ほんとそれ気に入ってるんだな……。
ふぅと息をついたのと、見張りに残した護衛から敵襲を告げる調子はずれの指笛が響いたのは同時だった。







