36 わたしはおんなしゅじんだからタバサをほめられたらわたしがありがとうをします
大きなパイ皿は分厚い陶器でできていて、保温のための木の蓋をタバサが開けると、ビスケットの優しい匂いと桑の実の甘酸っぱい匂いが湯気と一緒に混じってふわっと広がりました。夜ごはんの後のデザートです。コブラーはタバサのお得意なお菓子だって聞きました。コフィ家では昔からよく食べてたって。私は初めて食べます。
第四王子は旦那様にたくさんおねだりして一緒の食卓につくことができました。口づけはしてなかったです。でも厨房から戻ってきたタバサは王子を見て一瞬動揺してました。私にはわかります。ロドニーの分がなくならないように私がしっかり見張るから大丈夫。
「まだもう一皿ありますから大丈夫でございますよ」
私のお皿にサーブしながら、こそっとタバサが耳打ちしてくれました。よかった。
パイ皿からサーバースプーンですくったコブラーに生クリームが添えられます。真っ黒な桑の実の形は崩れていないけど、真っ赤な果汁がとろりとしたソースになって、ころころとしたビスケットの下に広がっていました。スプーンを入れると、さくっとした手ごたえ。ビスケットのかけら、それから実とソースをちょっとずつすくって口に運びます。熱くはなくて、ほかほかのいい感じ!
ビスケットの表面はさくっとしているけど、ソースを吸い上げた下の方はじゅわっと口の中で柔らかく溶けました。ぷつりと桑の実の歯ごたえとちょっとだけ残る酸味、とろみのあるソースは甘くて……なんで果汁がとろっとしたのかはわかりませんけど、美味しい!生クリームも一緒に食べると滑らかさが加わります。美味しい!
「へえ!この桑の実って野生なんだ?美味しいね。これ」
「タバサはすごいのです」
「お口汚しで恐縮ですが」
慌ててナプキンで口を拭ったらやっぱり赤くなりました。いけません。お行儀悪かった!赤くなったところを折って隠しました。第四王子はごふって小さく咳込みましたが、そんなに急いでもおかわりはあげません。ロドニーの分なので!
最後の一口が溶けた余韻を味わっていましたら、ノエル夫人、と第四王子が身体を私の方へ向きなおしてきりりとしました。
「まるで巻き上げるようにこの領を王領にしたのを聞いてはいた。ただ、どんな経緯であっても管理を任された以上は、領民の生活に僕は責任を持たなきゃいけないから、いや、言い訳はよくないね。どんな大義名分があっても、協力を要請するならもっとやり方があったはずだ」
はあ、と第四王子は大きく息をつきました。桑の実のちっちゃな種が歯に挟まってる気がします。
「さっき、ここの使用人たちの尋も……事情聴取に立ち会ったんだ。そんなわずかな時間であっても、夫人にとってどれだけここがいい場所ではなかったのかがうかがい知れた。僕は、報告書の字面だけしか見ていなかったんだと思う。――すまなかった」
第四王子はぴたりと私に合わせていた目線を下げました。コブラーの味が消えてしまったので、ロドニーの淹れてくれたハーブティを口に含みます。いつもの味です。いつも美味しい。種も消えました。
「気にしてないです」
その報告書?も読んでないし、なんで第四王子が謝ってる感じなのかもわかりません。伏せていた視線をあげた第四王子はどこかしょんぼりした顔をしていますが、私の隣にいる旦那様のほうから舌打ちが聞こえました。旦那様はご存知なのでしょうか。そう思って見上げましたら「俺が気にしておくからアビーはそれでいい」って旦那様がおっしゃったので、いいんだと思います。
だからそれはそれでいいんですけど。
第四王子は軽く頭を振ってから、にかっと笑顔をつくりました。
「――夫人は寛容だね!天使のように可愛らしい印象だったけど、女神様みたいだよ!ねぇ!」
「あ"あ"?俺の妻ですが?」
「えっ、そうくるの!?」
私はちょっと他に気になることができてたんですけど、王子の言葉にもちょっと気になりました。
「会ったことありますか?」
「会ったこと?」
「神様はいないですけど、殿下が会ったことあるなら女神様はいるのでしょうか」
「あ、あー……僕ほら一応国教がある国の王子だしねぇ、会ったことはないけど」
やっぱりそうですよね。そうだと思いました。神様というものは人間になってから本で読んで知ったのですけれど、魔王のときも、人間になる前も、会ったことはありません。
魔王は魂だけになっても森にいました。そこにいることしか知らなかったので、外に出ていこうとは思いもしなかったのです。どのくらいいたのかはふわふわした記憶なのでわかりませんけど、結構長い間だった気がするのに魂になっても会えてなかったのならやっぱりいないと思います。あれ?って思ったらアビゲイルになっていましたし。
「神様は空想の物語だからいないです。本当のこととは違います」
「あ、うん。僕ってあんまりそう公言できないんだけどねぇ、それはそうかな」
「はい。ご存知ならよいのです」
旦那様も勇者の本で元気がなくなりましたし、ちゃんと教えてあげないといけないと思いました。頷いてあげたら頷きが返ってきましたから、これでお話は終わりです。お見送りのために立ち上がりましたら、首を傾げられました。……何か間違えたでしょうか。
「あれ、僕今追い出されるところ?」
「ぶふっ――間違えてないぞアビー。さあ殿下、新婚夫婦の部屋に長居するのはいかがなものでしょうねってことです」
「扱い雑っ!まあ、うん、色々と手を借りてしまうけれど、明日からもよろしくってことでね。デザートも美味しかったよ。ありがとう」
「どういたしまして!」
「――っ、愛らしいねぇってほんと先輩このくらいで威嚇しないでってば!」
もおーって笑いながら第四王子は退室しました。
これでさっきからちょっと気になっていたことを旦那様にお知らせできます。
あのこたちはわりとよわいのでなかなかきづけなかった。
「旦那様」
「うん?」
「なんか変なとこ、この屋敷の近くにカガミニセドリいます。いっぱい」
「んん!?」
私はちゃんと言っちゃいけないときに言わない約束を守れるのです!







