15 いっかいしっぱいしてもつぎはちゃんとできます
午後の仕事の時間だとハイドンをさっさと追い出した。このためにここを選んだんだ。いつまでもぐだぐだととりとめのないことを言い連ねていたからやはり正解だった。
護衛が待つ馬車回しのところまで送る廊下で、ぴょこぴょこと跳ねるように横で歩くアビゲイルには特に機嫌の悪さや落ち込んでるような素振りは見られない。いや普段からそういうこと自体ほとんどないが。牛と羊を比べて選べなかった時くらいか……。
「旦那様」
「ん?」
不意に見上げてきた金色が……なんかいいこと思いついたってあれだこれ。
「治癒魔法の見学、次のお仕事のときにできますか」
「う、うーん。一応見学は申し込んでおくが……。訓練での軽傷は日常だからタイミングさえ合えば見学はできるだろうけど、ちょうどその時にけが人がいるかどうかわからんぞ?」
「けがはしてなくていいです。見るだけですので」
「発動だけでも見られればいいってことか?」
「はい!私は一度見たらできると思います!……もう人間ですのでっ」
言ってる途中でこれはここで言ってはいけないことだと気がついたようで、つま先立って背伸びしながらひそめた声は楽し気だ。そうか、そういういいことか。
ハイドンの言い草は大げさだが、適性が必要なため治癒魔法使いは多くない。修めた分野や練度によって治癒師、治療師と呼称は変わっていくが、常に医務院に詰めているのは軽傷を癒せるくらいの治癒魔法使いだ。見習いだしハイドンよりマシという程度だから、まかり間違ってアビゲイルが習得してしまったとしても、体に負担がかかるほどでもない。俺がそばで見ていればどうとでもなるだろう。
馬車に乗り込み細く開いていた窓から顔を出そうとするところで、額を軽く押さえて留めた。その窓の桟に置いた指もしまいなさい。挟むから。
「治癒魔法できたら、私も軍に入れますし遠征にも一緒に行けます!」
「――っ、いや、いや待て。あー、か、帰ったらな、話そうな」
「はい!」
小さく手を振るアビゲイルに手を振り返しながら馬車を見送った。いいことはそっちだったかー。さっきハイドンも遠征に行くと聞いたからか?
「主、わかりますけど顔すっごいことになってますよー」
「どうしてくれようかと思うよな……」
「どうもこうも入隊なんて無茶なんだから諦めてもらうしかないでしょ」
「そうだけどな?そうじゃないだろう!?」
あんなに閃いたって可愛い顔してたんだぞ!駄目だなんて言ったらがっかりするだろうあれは!
元々俺は次男だし継ぐ領地もない。侯爵家がもつ下位の爵位をもらって後継である兄を支えるものだと育てられてきた。
それがほんの少しばかり面白くなく妙な意地もあって軍に入り子爵位も自力でとったわけだが、だからといって侯爵家に貢献すること自体に不満はない。事業の手伝いもしている。軍での経歴は領の私兵をまとめるのにも役に立つし、いずれ退役した後は兄の手伝いに専念するつもりでもいた。
近隣の国との小競り合いなどはまだあれど、今現在この国は公式に戦争状態にはない。
今度の遠征は西側にある同盟国との共同演習だ。その同盟国の北、ロングハーストの森を挟んだ向こう側に位置する隣国と、このウォーレイ国は数年前に停戦している。共同演習は隣国への牽制を兼ねたものでもある。
「ちょっとまだ辞められる時期でもないし予定でもないんだよな……」
「主は手柄も立てちゃってますしねぇ」
それに国の動向や情勢を押さえられる今の地位は、アビゲイルのことを隠しておくのに最適でもある。
昼間、引き出しにしまった手紙を出して胸元にしまった。現にこうして第四王子から情報も得られるわけだし。
「というか遠征行きたくないからって何を算段しようとしてんですか……はいはい、現実逃避してないで帰りますよ!もー!」
「お、おう」
跳ねながら駆け寄ってくる出迎えも、夕食を料理長がどう調理していたか囀る様子も、いつもとまるで変わりはなかった。
アビゲイルは基本的に食べ物をくれていない人間に対してはひどく無頓着だ。正確には食べ物をくれるかどうかで好意の有無を認識している。いやそれもどうかと思うし、タバサも隙あらば言い聞かせているようだけれども。
そのアビゲイルが食べ物どころか明らかに好意を向けてきていない人間に対して自ら近寄っていくなど、今まで見せたことのない行動にはどうしたものかと静観するしかなかった。魔王時代におそらくは唯一仲が良かったであろう人間に執着するのは、たとえそれがあんなのでも無理からぬことではあるわけだし。
「旦那様!ごらんください!」
日課にしている寝酒の時間。ソファに座る俺の足の間に落ち着いたアビゲイルが、得意げに差し出した小さな両手のひらには赤子の靴下がちんまりと載っている。
「この間はぐるぐるで失敗しちゃいましたけど!今日はばっちりです!」
ステラ義姉上の出産祝いを準備すると言い出したのは、先週のことだ。生まれる子ども用の靴下を編むというのは、どうもあのリックマンとの会話の中で得た知識だったらしい。それも聞き取れなかったとロドニーが悔しがっていた。当然俺もいつそんなやりとりがあったのかわからなかった。というかぐるぐるで失敗ってなんだ。俺の小鳥は器用なんだかそうじゃないんだか振れ幅が大きすぎて予測が全くつかない。仕上がった靴下をつまみ上げれば、綺麗に編み目の揃った立派なものに思える。
「すごいじゃないか。今日帰って来てから仕上げたのか?」
「はい!これは可愛いですか?」
「うん。可愛いなー」
丁寧に靴下を重ねているのも、次は手袋を習うのだとはずむ声も可愛いぞ。
つむじを見下ろしながら気分よくグラスに口をつけていると、ふと思い出したようにアビゲイルの手が止まった。
「私が近くで見たことある一番ちっちゃい人間はサミュエル様なのですけど、赤子はもっとちっちゃいのですね。タバサに教えてもらってびっくりしました。お会いしたときには、踏んでしまわないように気をつけなくてはなりません」
「――っ、そ、そうだな」
あまりにも神妙な声にむせかけた。
「タバサはまだまだだって言うのですけど、遠征に行って帰って来てからドリューウェットに行くのでも間に合いますか。赤子の足はそのときもまだこのくらいちっちゃいでしょうか」
「……まだ生まれてもいないから大丈夫だ、けど、なあ、アビー」
「はい」
遠征は一緒に行くってもう思ってるよなーこれなー……。
「昼に言っていた入隊のことなんだけどな?」
「お任せください!私はきっと治癒魔法できます!治癒魔法使いは後ろの方にいるって聞いたので、ちゃんと旦那様の後ろにいる約束も守れます!」
「いや、あのな」
「はい!」
「軍には入隊資格ってのがあってな」
まっすぐに見上げてくる金色から思わず目をそらした。
「……身長百六十五センチ以上ないと駄目なんだ」
「にゅうたいしかく!?」
これまでで一番わき腹が痛かった。







