12 おじいはまごのげんきがないときにはくっきーをあげるそうです
私は森の周りを中心としてロングハースト領全部くらいの地形はちゃんと覚えていますけど、地図はそれほど詳しいものではないので川の支流や土地の傾斜を書き加える作業をしています。でもやっぱり紙の地図と、私の頭の中の地図はぴったり同じになりません。だから意識を領に向けながら指でなぞっていました。文官は一人が資料を見ながら知りたい場所を指で示す役で、もう一人が書き加える役です。
「え、え、えぇぇ……?ハイドン様と、ですか……」
ローテーブルに広げた地図の一点を人差し指で押さえる文官は、目の前の私と執務机についている旦那様を交互に何度も見つめます。
「ふふ夫人、だだだ大丈夫な、なんですか」
「大丈夫です。ロドニーはちゃんとシェパーズ・パイを上手にあたためてくれます」
今日はこのお仕事の後でウェンディとお昼ごはんを食べることをお話しすると、なんだかとても驚かれてしまいました。地図を押さえる指はどんどんずれていきます。この執務室の隣のお部屋には小さいキッチンもついてますし、ロドニーだって大丈夫って言ってましたからばっちりですのに。
「……ああ、リックマン嬢はあれを知っているのか」
「ははははい、い、家同士の、取引があった、のでむむ昔から」
「なるほど。まあ、俺が同席するから問題ないが――気遣いに感謝する」
旦那様はペンを置いて、席に着いたままですが胸に片手をあてます。パイの話じゃなかった。リックマンはもっとびっくりしたように両手を素早く上げたり下げたりしはじめたので、地図がちょっとずれました。
「い、いえ!その!かかかかか彼女、は、そ、その、あまり会話、になならない、の、で!わわわ私が言う、のも、なんですが!」
「――んんっ、それは、確かにな」
もう一人の文官は肩を震わせてから、よれた地図をぴっと直しました。目が合うと頷かれたので、また指をさっきと同じところに置きます。
ここは領都に一番近く、森を囲む岩山の隙間から流れ出る川のそばにある村です。
魔王が生きていた頃は、岩山が森を囲んではいなかったのでもう少し川幅がありました。今は岩山に遮られて細くなっていた川が、ここ最近ずっと続いた大雨で氾濫したために村は飲み込まれたそうです。だから私が指差したところは、村があった場所。もうありません。意識を向けてみると、前よりもわかりやすくなっていますし多分全部流れてなくなったのでしょう。にんげんが住むところはそうじゃないところよりもちょっとだけ見えにくい。
文官のペンは私の指先を囲むように、ぐるっと線を引きます。ちょうど村を囲む畑だったところくらいの範囲。領都も昔はこのくらいの広さだったと思います。多分ですけども。
「わ、私はっ、こう、つい思ったことを、つい、言ってしまって。もももう社交とか、全然っ無理ななのですが、ささ幸い、す、好きなことを仕事に、できまして、あのっ」
夫人、と呼ばれたので顔をあげると、リックマンが私をまっすぐに見つめていました。
「夫人は、こここんなに優秀で、さ、才能がおありなのに、仕事にさ、されないのは惜しいと、そのっ勝手にな、なんですけど思ってしまいまして」
だから先日はつい色々と不躾に聞いてしまって申し訳なかったと言われたのですけど、ちょっとわかりませんでした。怒られたそうなんですが、でも。
「私は子爵夫人のお仕事をしています」
「あ、はい、そ、そう、そうですよね。はい。はい。本当にもも申し訳なく」
「気にしてません」
「――はい」
リックマンは両肩をぎゅっと縮めて小さくなってしまいましたので、私は旦那様のそばに行って引き出しから虹色の飴を出してもらいます。旦那様は私の口にひとついれてくれようとしたのですが違います。いえ、いれてもらいますけども、もうひとつ出してもらって、リックマンにあげました。
旦那様は「アビゲイルが……っ」と口を開けたまま動かなくなってしまったので、そこにもひとついれてあげます。今日はいちごのシロップが入ってました。美味しい。
「ふふふふふ夫人!」
がばっと立ち上がったリックマンに、両手をがっしりとつかまれます。びっくりした。
「ハイドン様って妙に会話が通じなくて何を言ってもご自分が言いたいことばっかりを言い続けるのですが夫人なら彼女などものともせずにあしらえるはずですノエル様にこんなにも大切にされていますし何を言われてもお気になさる必要なんてひとつもありませんから夫人の圧勝ですから大丈夫ですから!!」
わあ、すごい勢いでいっぱいしゃべりました!すごい!一回も息を吸わなかった!
その代わりのように旦那様のぶふぉって吹き出した音が後ろからしました。ロドニーは咳ばらいを続けています。
私の手を包んだまま上下に力強く振る手はちょっとかさかさしてるけど、タバサみたいにあたたかかったです。







