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私を置いていった最愛の竜を探しています。俺だよと追ってくる白虎がいますが、違います

作者: 日室千種


 この世に動物神は、十二柱。

 レテは十二歳で、十二柱の一、竜の神の世話係となった。


 世話係は家族から離れ、神の側で暮らすことになる。

 初めは泣き暮らす子も多いそうだ。だがレテの家は子沢山で、読み書きを習うだけの学校を終えれば、働きに出るはずだった。だから、選ばれた時から仕事のようなものだと割り切っていた。


 竜の神は無口で穏やかで、岩蜥蜴に似た姿に翼と牙と角はあるが、幼児めいたまるい形と大きさで、怖くない。

 竜の神は、レテが食事時を忘れて遅れても怒らない。体を洗うときも爪と牙を隠すようにじっとしている。レテが怖がるだろうからと、レテが来ると決まった時に体を小さくしたのだと、神官たちは言う。

 竜の神はいつも、レテの隣にいた。

 レテがたまに足で押しのけても、懲りずにいつも隣にいた。


「鼠の神さまも兎の神さまもふわふわ。神の王白虎さまの美しい縞々の毛皮も、もふもふ。なのにわたしの神さまはゴツゴツ固い。どうしてかしら」


 レテは不満を言うが、十二の神域で奉仕してまわる神官がひそひそと話す噂は知っている。

 猿の神さまは乱暴で、世話係の怪我が絶えないらしい。羊の神さまは世話係をたくさん選ぶので、まるで野放しの幼児院のようだという。


 竜の神さまの世話係はレテ一人だ。辛いことなど何もない。神様のことを学ぶ時間もあり、退屈とも無縁だ。

 もふもふではなくても、深い緋色できらめく輝きを閉じ込めた額の角は、とても綺麗だと思う。


「それに世話係は普通にお母さんになったり、好きな土地に住んだり、できないものね。自由がないのは、ちょっと残念」


 けれどそれだって、何もかも禁止されているわけではない。竜の神は、レテが趣味を楽しんでもきっと怒らない。

 実家にいた時だって弟妹の世話や家事で忙しく、自由な時間なんてなかった。

 だから、これはただの夢。

 幼い娘がお姫様を夢想するようなもの。


 そのはずだったのに。

 竜の神はまもなく目を閉じたまま動かなくなった。


 レテのせいだという神官がいたが、レテは信じられない。レテはただの世話係。神さまの何を傷つけることができるだろう。

 竜の神が弱っていく理由は誰にもわからない。

 竜の神は無口で、こんな時でも、黙ってレテを見つめてくるだけだから。

 それに、理由が判ろうが、神さまが抗えないことにほかの誰も抗えるはずがない、とレテは思った。


 だから、レテはただ、胸が絞られるように寂しかった。


「いなくなってしまうの?」


 物心ついてから、レテはずっと満たされなかった。

 頼れる姉であること、孝行娘であること以外、どんなに親しい家族でもレテ自身を見てもらえている気がしなかった。

 ここに来ても、レテは世話係でしかなかった。神官たちは、代々の世話係にしてきた待遇を与えてくれるだけ。レテ、と名を呼んでもらったこともない。


 けれど竜の神がレテだけを見て、いつもレテの隣にいた。会話もなく、温もりもなくても、少しずつ心の杯が満ちてきたのだ。だからこそ、もっと触れ合うことのできる柔らかな体の神がうらやましかった。


「わたしの神さま」


 レテは世話をする以外で初めて、ゴツゴツした背中を撫でた。


 暁に、竜の神は溶けるように消えてしまった。

 レテに緋色の角を残して。


 自由を、くれたのだろうか。だが自由になっても、したいことなど何もない。

 レテは毎晩、角に縋って眠った。







 竜の神域を出たところで、見知らぬ若者が、レテの前を塞いだ。


「そなたが竜角を賜りし乙女か。まだ残っている竜角を持参金にするならば、妻として遇してもよいぞ」


 見当違いなことを言ってくる。

 こんな手合いが、実はこれまでにも多くいた。

 だからレテは慣れていて、緋色の髪と目を揺らしもしなかった。


「もう、竜の角はありません」


 平坦な答えに、毎回、相手は激高する。


「嘘をつくな! なんと欲の深い。どうせ懐に隠しているのだろう」

「国中の人の薬にしたんです。もう欠片だってないわ」


 冷静に返し続けてようやく、本当のことを言っていると気がつくらしい。そうしてまた、怒り出す。


「な、竜の神の贈り物を、本当にすべて失ったと? 貴族ならまだしも、民草など多少減ってもまた増えるというのに? 正気か?」


 喚く若者をじっと見つめたまま、レテは右手を意識した。あの日、最後に、ゴツゴツとした鱗に触れた手だ。

 レテが竜の神から何かを贈られたとしたら、それは角ではなく、あの触れ合いだ。今も、そこに残る鱗の強さが、レテを励ます。


「贈り物をいただいた私が決めたのです。あなたに責められるいわれはありません」

「……なんと口の減らない愚かな女だ。竜の神に角を贈られた以外何の価値もないくせに」


 口が減らないのは本当だ。そのせいで、大切なものを失った。だから、レテはもう余計なことと、嘘は言わないと決めた。

 愚かな女だというのも本当だ。大事なものを、みすみす失ったのだから。

 それに、価値がないのも本当だ。もう、竜の神の世話係ではないし、角もないのだから。


 今は亡き、レテの竜の神。

 本当は、とても大事な存在だった。


 緋色の角を抱きしめても、それは竜の神ではない。

 竜の神と過ごした日々を思い返していて、ようやく、レテは竜の神に、あなたが大事だと言ったことがないのに気がついた。

 どころか、大事な存在に、ずっと否定するようなことを言っていた。何故、そんなことを言ったのか。

 無口だって、こちらの言葉はすべてわかってると知っていたのに。


 神は強いから傷ついていない。今でもレテはそう思う。

 でもその上で、本当に傷ついていないといいなとも思う。だってレテは、今傷ついていて、とても痛い。


 結局、消えてしまった神の心は、いくら考えてもわからなかった。緋色の角以外は、ひとことだって残してもらえなかったからだ。




 竜の神が失われて、半月ほど経った頃。

 猛烈な死病が流行った。


 病が流行っていると知った時、レテには竜の角を使うことなど、思いもよらなかった。

 世話係となってから神のことを学んでいたので、竜角が万病を癒すという知識はあった。

 けれどいよいよ本当に、竜の角しか解決策がないのだと知ったのは、神の王白虎が、主を失った神域を見舞ってくれたときだった。


「人は手を尽くしている。けれど万策尽きようとしている。皆を救えるのは、竜の角のみ。だが、その角はそなたのもの。そなただけのものだ」


 今思えば、多くの者たちの前で伝えられたこの言葉に、レテは護られた。レテが決断を下すまで、煩わしい声はあっても、強制されることはなかったのだ。


 きらきらと光を抱く深緋の角。

 レテにとっては、ただ一つの、竜の神とのつながりが夢ではなかった確かな証だ。竜の神との日々のすべてが、角に触れているだけでいくらでも思い出せる、かけがえのないもの。

 けれど、これが多くの人の病を癒やす唯一の手段ならば。


 考え続けるレテを、いくつもの声が引っ掻いた。


「竜の神が消えたもうたのは世話係が心ないからだ」

「その竜の角を正しく使うために王家に入るべきである」

「いや、神が再びお出ましになるまでは神域にて祀りたてまつるべし」

「いやいや、神の王にお託しもうしあげるべきである」


 竜の神がいなくなって、神域に雑念が入りやすいのだろうか。表層だけとはいえ、ちりちりとした敵意や欲望にさらされて、体まで重くなる。

 それでも、レテは考えることをやめなかった。


 そしてふと、気がついたのだ。

 レテの竜の神は失われた。だからレテは、迷子になった気がしていた。

 けれど神官たちが言っているではないか。竜の神は、再び現れると。だから彼らは竜の神を惜しんでも、嘆き悲しんだりはしない。

 動物の神は、再生する。

 これは、世話係として学んだので、真実であろう。神は時折この世から離れることがあるが、その根源の存在、御霊は、いつか再びこの世に還るのだという。

 ならば、レテはもう一度、竜の神に会えるのかもしれない。


 その日が来ると信じたら、角への未練を断ち切ることができそうだった。

 レテの竜の神は、角を薬にしてしまったことを怒ったりはしない。あとはレテが、自分が空っぽになりそうな喪失感を、なんとかするだけだ。

 なんとか、してみせよう。

 それが竜の神との再会に繋がるなら。


 もともと、思い切りがよい気質だ。それに、長く悩んでいては、また手放せなくなってしまうかもしれない。

 レテはすぐさま白虎を訪れ、竜の角を薬にして皆を助けるようにと託した。


「その代わり、竜の神さまがまたこの世に現れたら、どんなに年老いていても、私を世話係に……いえ、世話係の候補に入れてもらえますか?」

「候補? 候補でよいのか?」

「はい、十分です。もしかすると、そのときは竜の神は違う子がいいと思うかもしれません。それなら世話係は諦めます。……ただ一言、伝えたいだけなんです。感謝とか」


 背を撫でた時の、思いとか。

 竜の神は、何か話してくれるだろうか。あの時、何を思っていたのか、少しでも。


 望みは受け入れられた。

 あやふやな、叶うかどうかわからない再会と引き換えにするのは、とても恐ろしかったけれど、そうして、竜の角は消えたのだ。






 全世界に薬を届けるという途方もない業は、神たちと神官たちにより、公平に滞りなく完遂された。


 竜の神も角も無くなり、レテは神域に滞在する理由を失った。神域から旅立とうと外へと踏み出したところを先の傲慢な若者に捕まったのだった。


 邪魔されていなければ、勢いのまま、神域の入り口の長い階を駆け下りていただろう。

 薬となった竜の角は、各地の動物神の神域を拠点に人々に配られたらしい。その神域をすべて巡りたい。竜の神に繋がっていたいからだ。

 レテの希望を神の王も後押ししてくれたので、旅立ちの朝のレテは、使命感に満ち、高揚していた。


「では失礼します」


 それにしても、不満を隠さない若者の横をすり抜けて行こうとしたのは、無防備だっただろう。神域で育ったレテは、陰湿は知っていても、暴力を伴う悪意には疎かった。


 すれ違いざまに、若者がレテを突き飛ばした。レテの倒れ込んだ先が階の方向だったことには一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに素知らぬ顔をした。


「レテ!」


 そのとき名を呼んで、強い力で引き寄せてくれたのは。


「誰?」


 背の高い誰かは、しっかりとレテの体を起こすと、慌ただしく無事を確かめた。ワタワタと動く手足が長い。


「うわあああ、驚いた! 落ちそうになってるんだもん。人間はそれで死んじゃうこともあるだろう? 気をつけなきゃ! 良かったよ間に合って!」


 レテは賑やかなその人を、ぼんやりと見上げた。

 背の高い、大変な美少年だ。


 氷青の目と硬質な顔立ちは一見冷たそうなのに、さきほどからずっとニコニコとしている。白銀の猫毛の頭上にはふかふかとした白い丸耳、ゆらゆら揺れる長い白尾には、墨のような濃淡のある縞模様が入っている。わずかに覗く鋭い牙。

 不思議なほど人の姿に似ているのに、まったくもって、人では無い。


 それを察知したのかどうか、傲慢な若者はいつの間にか消えていた。

 周囲を伺っていたレテの顔が、ぐいっと、少年の方へと向きを戻された。


「こっち見て」

「え、何、強引。っと、神さま?」

「そう、神さま。今は白虎の眷属だ。すごいだろ、もふもふなんだ」

「はあ、どうも。あの、白虎様、お知り合いですか?」


 レテは少年におざなりな愛想笑いをすると、その向こうにいつの間にか在った神の王、白虎に話を向けた。


 何度か会ってはいたが、これほど間近に寄ったのは初めてだ。神の王の威容は凄まじい。体は神域の立派な門ほどに大きく、前肢は門柱より太い。頭だけで、レテの背丈ほどあるだろう。

 だが今日は、いつもの威厳はどこへやら、白虎は青い神眼をレテから逸らし、ヒゲをもごもごと動かした。下から見上げる顎周りも、柔らかそうにもこもこと動いた。


「うむ、そう、だ。昨日、生まれたばかりの眷属でな」

「レテ、わかるだろ。おれだおれ」

「オレダオレさま」

「ははは、ちがうぞ、『——』だ」


 風が、耳元で吹いたようだった。

 緋色が一瞬、視界を塞いだような。瞬きをすれば、いつも通りの黒髪に見えたが。


 白虎が、またもぐもぐと口を動かした。


「あー、レテ。念のため聞くが、今聞き取れたか?」

「え? 何をですか? オレダオレ?」

「いや、彼の名前は……ダレオだ。ダレオにしよう。そして、君の旅の道連れだ。彼も事情があって、各地の神域を巡らなければならなくてね。だがこの通り、少し落ち着きが無くて心配だ。できれば、共に行ってくれると、両者の安全について私は大いに安心できるんだが」


 奇妙に早口で伝えられた申し出を、レテはしっかりと考えてみた。

 確かに、娘一人の旅は不安もある。けれど、大きな問題ではない。


「あの、断ってはいけませんか? 不安はあっても、この旅は自由が一番です。困った時は各地の神官を頼っていいとのことでしたし」

「む、そ、そうか。いや、待ってくれ。断られると困る。それは困る。だが無理も言えないな」


 ヒゲを垂れさせて悩む白虎を見て、レテは少し考えを変えた。

 旅の同伴者とは建前で、おそらく白虎が気を利かせて護衛を手配してくれたようなものだろう。その厚遇は、レテが竜の神の世話係であった故だ。間接的に、竜の神の恩恵ともいえる。

 そう考えると、無碍にはできない。


「それほどお困りになるなら、ご一緒します。あの、でも、私は気ままに旅をしようと思っているので」

「いいな、自由な旅! いつ、どの道を曲がってもいいってことだろう? そんな旅をしよう! 楽しみだ!」


 会話に飛び込んできたダレオ少年は、悩みがなさそうだ。

 首から覗く胸元の、白と黒に輝く毛皮が美しい。ふと、その毛皮に埋もれて、見慣れた黒緋の輝きが見えた気がしたが、気のせいだろう。

 きっと、首飾りか何かだ。


「レテと同じ美味しいものを食してみたいな。馬車やら舟やらにも乗ってみたい。好きな土地に少し長めに滞在してみたり、それから、いろんな美しいものを見てみたい! 海か、山か、湖か、北の方の輝く空か、南の地底水晶窟か。二人一緒に、どこから行こうか!」


 騒がしい。だが心から楽しそうだ。

 レテの身の回りにいなかった明るい人柄に、レテは自然と、笑みを浮かべて、


「あの、私はあなたの世話係ではなく、同胞でもなく、ただの道連れですから。それぞれしたいことをしましょう」


 ばさりと切った。


「んんっ、レテ、受け入れてもらい感謝する。少し、言い聞かせる時間をおくれ」


 きちんと断りを入れた白虎は、レテに夢中な少年の首根っこを咥えて離れたところは引き摺った。

 囁きながら、自分の前肢ほどの少年に、怒気をぶつける。


「角を贈り、自分の色にまで染めて、相手の好みに合わせるために私の神気を練り込んでまで姿を変えて会いに行くような相手に、名を捧げてない、だと?」

「……」

「急に無口になるな、ꘐꗝꔫ」

「急に真名を呼ぶなよ」

「誰も聞き取れん。お主が染めたあの子の髪の色が、ただ人には見えないのと同じように」


 あの色似合うよな、と、「ダレオ」少年はやに下がった顔でまたレテを見た。礼儀正しく少し離れたところで、二人の話が終わるのを待っている。

 その髪の色は、輝く緋色。人には過ぎたる力を秘めた色だ。

 竜の神の中でも歴代最強と動物神たちが認める、今代の竜の神の色。


「おい、わかってるのか。勝手をしまくったお主は、お主の本来の姿を取り戻さなければならない。薬となって世界中に散った角の分の神気をだ。人々の命には変えられんが、全く面倒なことにしてくれた」

「そのうち自然と還ってくるさ」


 呑気な態度に、白虎の琥珀の瞳に向けて血が走り、鼻の上には獰猛な深い筋が刻まれた。


「ほーう、そうか。見事な覚悟だ。惚れた娘が側にいても情を交わすのは我慢するということか。さすがだ竜の。気が長い」

「えっ?」

「え、ではない。お主はいま、混じり物だ。徐々に無色の神気を取り込み正しく竜の神に戻れば、混じった私の神気は抜けるだけだ。だが、お主、調子に乗ってどれほど取り込んだ? なんだその姿と脳天気さは。まるっきり一族の赤子ではないか。それほど混ぜていると、抜けるのに時間がかかるし、影響も受ける。だがな、お主がどれほどあの娘とじゃれついても——お主、聞いてるのか?」


「ダレオ」少年は黙って神妙な顔はしているが、その口元は緩んでいる。

 どうせ、竜の姿ではできなかったレテとのあれやこれやの触れ合いを想像しているのだろう。

 自分の首を絞めることになるだろうに。と、白虎は半目となって一声、呆れた様に唸った。


「絶対に、一線は越えるなよ。神の世話係は神気を巡らせ増幅させる存在だ。今のお前が情でも交わしてみろ、一気に竜と虎の神気が食い合い暴れて、——堕神へと一直線だ」


 そうなった神は救えない。

 滅する以外に、道は無い。


「お主が正しく竜の神として戻る、のみならずあの娘を得たいのであれば、神気を着々と取り戻しながら、最後まで名乗らないまま心を通わせて、だが決して襲わず、彼女の寿命のあるうちにお前の本性を見抜いてもらわなければならないわけか……。何という難問よ」


 一瞬だけ、「ダレオ」少年は真顔になったが、すぐにレテの方をそわそわと伺いはじめた。


「わかったから、もういい? 問題ないって」

「お主……今し方盛大に拒否されていただろうが」

「いいんだ、俺はツンツンしたレテも好きだ。隣に居られればそれでいい。今俺はもふもふだし、気が向いたら撫でてくれるかもしれない」


 そわそわ、わくわくと、明らかに話半分だ。

 この神は、相談も無く存在を昇華させて周囲を混乱させ、勝手に王の地位にいる白虎の神気を使い放題にして悪びれず、徹頭徹尾自分の恋にばかり夢中な、ろくでもない奴だ。

 ろくでもない離れ業に流石に時間がかかったのか、昨日、ようやく無理矢理生まれ直したばかり。

 だというのに、レテが神域巡りをするという話を聞きつけてから、ずっとこの調子だ。


 どうせ、すべての旅の目的は二の次で、好きで好きでたまらない唯一の娘と、普通なら決して許されない二人きりの自由な旅を共にできることに、只々わくわくしているのだろう。


 あまりに勝手すぎるので、鷹揚な白虎とて心中は穏やかでは無い。それでも!数少ない神の仲間だ。旅の便宜くらいははかるつもりだ。

 そして同時に王として、いざというとき、この世が壊れないように堕神を滅する算段もつけるだろう。


 だが、願わくば。

 白虎は、世のため己のため、彼らの旅の目的が果たされることを切に願って、二人を見送ったのだった。







 レテにとってダレオとの旅は、はじめ少し居心地が悪かった。


 歩く速度が合わず、ダレオが先に進んでしまっては戻って来たり、食事の用意はほとんどできないのにレテには調理できない巨大な猪を狩ってきたりしたせいもある。

 数日のうちに、こまめに振り返って確認してくれるようになったし、動物ではなく木の実や果実を採ってくれるようになり、夜は集落の廟の軒下を借りて、食事は金銭で購ったりしてくれるようになったので、これは解決を見た。


 けれどダレオは、行動がいくら変わろうとも、しゃべり続けるところは変わらなかった。

 レテは、実家の弟妹がひっきりなしに話しかけてくる生活をつい思い出した。

 世話係になってからしばらくは、沈黙の方が不安だったのに。今は、耳に届く音が途切れないことが、苦痛でたまらない。


 道中ずっと話しかけられても、耳が拒否するかのように、言葉を聞き取ることができない。

 はじめのころは聞き返したりして、律儀に返事をしていたが、やがて疲れてしまって、返事をしなくなった。


 よくわからないことを言われたのも、大きな理由だ。


「あのさ、おれ、レテの神さまだよ」

「私の?」

「そう! 戻ってきたんだ」

「……私の神さまは、あなたじゃないです」

「いや、そうなんだよ、おれ、元はりゅ……」


 その時、焚き火に放り込んだ木が爆ぜるような音がして、ダレオは何故か胸を押さえて、ちょっとごめんと離れていった。具合が悪くなったのかと少し心配したが、その後は元気なので問題なかったのだろう。

 レテの胸の底には、もやもやと何かが溜まったけれど。


 だから、少し腹立ちも込めて、一生懸命に歩いている最中は、返事をしないことにしたのだ。

 ダレオは、返事がないことに少し不思議そうな顔をして、けれどすぐに何か納得したような顔で、レテの分までしゃべり続け始めた。

 つらい。「少し静かにしてください」と言っても、効果があるのは十歩分の時間だけ。


 レテは、道中を一層急ぎ始めた。早く、次の宿に着いて、別の部屋に入りたい。一人の時間が欲しい。

 無理をした。

 そのせいで、ある朝、宿の寝台から起き上がることができなくなった。


 親切なおかみさんが呼んでくれたその土地の神官に、疲れのせいだと、よく眠れる薬を処方された。旅で出会う多くの人が、レテを竜角を差し出してくれた恩人として、丁寧に扱ってくれる。


 診断を受け、薬を飲むレテの様子を、ダレオはさすがに静かに、枕元で見ていた。


「……最近、すごく無理してたもんな。無理をすると、人ってこんなに弱るんだな。でも、どうして無理をしたんだ? ゆっくり行こうと忠告したのに、聞き入れなかったのはなぜ?」


 そっと尋ねられて、レテは黙った。

 どうしてかを正直に言えば、ダレオの話は右から左で聞いていなかった。何故聞いていなかったかを説明すると、ダレオを責めることになる。

 ただ相性が悪いだけかもしれない。相手を責めるようにしてまで伝えるべきかわからず、躊躇った。


「……レテの神にだったら、何でも話した?」

「っわからない。何かを尋ねられたことはなかった」

「なかったっけ?」

「なかった。話をしたことだって、あったかな。初めて会ったときに、名前を呼ばれたくらいかな。四年一緒にいて、それだから、声なんて思い出せないよ」


 気が弱っているせいで、口調に気も使えない。話すうちに声が湿って、一層悲しくなった。


「りゅ、レテの神は、話さなくても、レテのことが大事だったよ」

「知ってる。でも、私も大事に思っていることを、竜の神さまは知らなかったかも。言わなかったから」

「そんなことはない!」


 ダレオは拳を握って主張した。


「だって、だってレテに、竜の角を残したろう?」

「もしかして、竜の求婚だと思ってる?」

「きゅ、きゅ、うこんだとオモッてる!」


 神から見てもそうなのだ、とレテは感心した。

 神官の誰かが言っていた。竜は角を捧げて求婚するのだと。

 消えてしまった竜の神に、本当にその意図があったかわからないが、だからこそ、角を贈られたレテは神域でも尊重され続けたのだ。


「でも、きっと違う。だって、何も言わないで消えてしまったもの。何も。私、もしもそのまま求婚をしてもらっていたら、すぐ頷いたわ。もふもふでなくて、固くて、ゴツゴツしてる竜の神さまが、一番大事だった」

「え……」

「でも私も、何も言わないままお別れしたの。だから、できれば私が生きてるうちに、もう一度だけ会いたいなって思ってる。たとえ新しい竜の神さまが、私の神さまとは違う存在だとしても」


 この旅の目的は、竜の神さまに再び会うこと。白虎にもそう言ったけれど。本当は、「私の竜の神」にはもう会えないのだと、どこかで思っている。

 誰にも話したことがなかった、レテの絶望。


「だ、大丈夫だ。絶対に会える」

「……そう?」

「絶対だ。——でも、そうか。初めからそう確信してるのは、俺だけだった。俺は、本当に自分のことしか見てなかったんだ」


 熱が上がって朦朧としていたレテは、ダレオが呟いた中身は聞き取れなかった。

 しばらく俯いていたダレオだが、ゆっくりと顔を上げた時には、いつもの笑顔だった。


「ちょっとだけ、手を握っていい?」


 手を伸ばされて、レテは咄嗟に右手を隠した。その手は、誰にも上書きをされたくない。

 ダレオは、一瞬動きを止めたけれど、すぐに「じゃあこっち」と反対の手を握った。

 温かくて、大きな手だ。

 だが感想より先に、その手が小さく丸く、ふわふわになった。


「えっ、ダレオ?」


 おぼつかない足取りでレテの枕元に登ってきたのは、小さな白虎だった。まだ赤子と言っていい。

 大きな丸い頭が重たげにぐらりと揺れ、ぽわぽわとした幼い綿毛がそよいでいる。

 丸い大きな足でよろよろと寄ってきて、肩にくっついて丸くなった小さな温もりに、レテは目を丸くした。

 ゴツゴツとは対極。滑らかで柔らかくて温かい。何よりこの温もりには、何の罪もない。

 追い払うこともできず、求めてやまないものとは何もかも違う感触と一緒に、レテは落ちるように眠りについた。




 それから、二人の関係が少し変わった。といって、ダレオが静かになったわけではない。

 ダレオは、日中歩いているときはひとり歌うようになった。歌、なのか、節を付けて喋っているのかは、意見の分かれるところかもしれない。けれど返事を求めているわけではないとわかるから、レテの心は少し落ち着いた。

 そしていつの間にか、レテとダリオの歩幅は歌に合わせて同じになって、隣同士で並んで歩くようになった。


 目的地だけを見て突き進もうとするレテを、時々ダレオは引き留めた。

 それは珍しい花が咲いていたり、鳥の鳴き声が聞こえたり、空に虹がかかったのを、教えてくれる時だった。

 その日も、道から少し外れようと促されて、レテは迷ったけれど頷いた。数日前からずっと、嗅ぎ慣れない匂いがしていて、海の香りだと教えてもらっていたから。海が見えるなら、見てみたかった。


 すでに蛇の神さまの神域は巡り終えて、思いがけないほどの感謝を受け取ったあとだった。気持ちが少し落ち着いたのもあって、その頃にはもう、ダレオに対して持っていた苦手意識はすっかり消えていた。


 手を引かれて引き上げられたところは、見晴らしの良い崖の上で、レテが初めて見る海が、深い深い青に白波を立てていた。


「わ、あ。すごい。すごいね、ダレオ」


 すっかり素の言葉で、すごいとダレオを繰り返す。

 空は刻々と色を変え、やがて海に日が沈む間際に、頭上は緋色に染め上げられた。

 まるで、レテの竜の神さまのように美しい。


 心を持って行かれていたレテは、自分の髪に夕日が当たり、緋色の髪が燃えるように輝いていたことも、そのまま空に溶けて消えそうに見えたことも、それを目を細めて見つめるダレオが、切なく手を握りしめて立ち尽くしていたことも、何も知らない。




「あ、夜」


 見入ってしまっていたから、レテはすっかり暗くなってから、日が暮れたことに気がついた。

 隣の気配が、変わったことにも。

 夜になると、ダレオは急に無口になる。


 昼は相変わらず騒々しい。時に楽しくなりすぎて大きな体で纏わり付くので、押しやったり、すねを蹴ったりするようになってしまった。そうすると、えもいわれぬ嬉しそうな顔をする。

 日頃は竜の神との違いに驚くばかりだけど、そんな時は、少し似ているかもしれないと思ってしまう。


 まして夜には。

 静かになったダレオは、確かにそこにいるのに、自然すぎてまるでいないかのようで。世界と調和している。そんな風に感じるのも、竜の神が隣にいたときと、よく似ている。


「あの、ダレオ」


 この数日、レテは何度かこうして、改まって声をかけることがあった。聞きたいことがあるのだ。


 蛇の神さまが、あなたを見て、嘘くさい毛皮、と言ったのは何のこと?

 夜になると仔虎になって側で寝てくれるあなたの胸元に、深緋の鱗のようなものが見えるのは、何?

 最近その数が増えているのは、良くないことではないの?


 けれど。


「さ、日が暮れた。今日は兎の神域に着いてしまいたいな。ここから、少し降りると海沿いに出て、近道なんだって聞いた」


 また、はぐらかされた。

 呼びかけても、レテが話し出す前に、いつも違う話になってしまう。


 レテだって、気がついている。ダレオはおしゃべりだけど、肝心なことは言わない。何かを隠したままだ。向き合おうとしても、うまくすり抜けられてしまう。

 そして、レテは「行こう」と差し出された手を、無視することもできないのだ。


 早く、神域を巡りたい。

 巡り終えたらその時には、ダレオの秘密を尋ねることができるだろうか。


 そうやって先延ばしにした後悔は、いつも後からやってくる。

 レテはそれを、思い知っていたはずなのに。




 兎の神域でもまた、レテは大いに歓迎を受けた。

 兎の神さまはすらりとした青年の姿をしていて、たくさんの「奥さん」と呼ばれる世話係がいて、その子供たちが歌ったり跳ねたり大騒ぎで、とても賑やかな神域だった。

 野放しの幼児院という神官の噂も真っ赤な嘘ではないけれど、まるで違う。自分の目で見なければわからないものだ。


 レテはここでも、精一杯誠実に、人々からの感謝に向き合い、礼を返した。




 だが翌朝、事態は急変した。

 ダレオが昏睡状態となったのだ。




 レテには、何が起こったのかわからなかった。

 朝の光より早く意識に違和感が差し込んで、目覚めたら、ダレオがもがき苦しんでいた。仔虎の姿と人の姿、そして時に鋭い爪が伸びたり腕や足がひび割れた姿とを行ったり来たりしながら。


「これは、私の失態ですね」


 兎の神さまは早朝にも関わらずすぐに来てくれたが、難しい顔をした。


「……悪意を辿ってみました。昨夜の宴で何かを呑まされたようですね。犯人も、わかりました」


 苦悶の末、ようやくひとの姿のまま安定したダレオの横たわる寝台の横で、兎の神は「奥さん」の一人を、文字通りに吊し上げた。

 昨夜宴を共にして、奥さんや子供たちの輪の中で一緒に笑っていたはずの女性だ。


「よくもやってくれました。あなた、蛇の神ですね」


 兎の神が手を一振りすれば、壁に叩きつけられた奥方の姿は薄れ、先日レテたちを丁寧に歓待してくれた蛇の神の姿となった。


「あいてて、だって、今しか確かめられないことは、試すべきだろう?」

「興味本位。出ましたね。あなたはいつもそればかり。そんな理由で私の顔に泥を塗るとは、いい度胸だ。私の奥方になりすまして、この方に何を呑ませたんです」

「ただの蛇の神気の精さ。どこかの神の眷属なら、なんともない量だ。でも竜と虎とがここまで同じくらい混ざってるのって奇跡だと思うんだよ。ほんのちょっと間違えるだけで、あんな仮初めの体は四散してもおかしくない。かの竜が、それを抑えられるのか、それともあえなく制御不能になるのか、気になるよ~。気になるだろう? 気にした方がいいよ。万年発情してる兎だって、あちこちで情を撒き散らすだけの生活に、ちょっと知的な刺激を入れたらいいよ」

「ほう、喧嘩上等。あなたには、亀との戦いに横やりを入れられた時から、一度真剣にヤり合わないとと思ってたんですよ。表へ出ろやごるぁああ!」


 兎と蛇が喧嘩など、レテは聞いていなかった。


「ダレオ! ダレオ! しっかりして」


 熱い手を握って、祈るように額に付ける。

 白銀の髪は汗で濡れ、ふわふわの耳も倒れている。

 さっき反対側の耳が急に裂けて、血が飛んだ。一瞬痛苦の顔をして、すぐにまた意識を失う。するとまた、腕に赤い線が血管に沿うように伸びて、弾けた。


「ああ、いや。これじゃ一緒になっちゃう」


 あちこち、必死に血を止める。

 汗を拭い、柔らかな毛並みを慰めるように撫でる。

 ゴツゴツとしていない、柔らかでもふもふとした皮膚。

 レテの手が傷つくことを気にせずに、どこまでも触れることができる。

 けれどそれだけだ。

 レテには、何もできない。あの時と同じだ。

 恐ろしくて、涙が止められなかった。


「……泣いてる、レテ?」

「ダレオ! ダレオ! ねえ、まだ何も、何も聞いてないの」


 でも、苦しそうな相手に、尋ねるべきことではないかもしれない。躊躇ったのを、目敏く見つけたダレオが、わずかに片方の口の端を上げた。


「何? 俺、全部聞きたい」


 苦しい時なのに、思い遣ってくれている。それがわかって、もっと涙が出た。


「ねえ、ダレオ。あなたは、私の竜の神さまなの?」


 ダレオは驚かなかった。

 ただ、優しく目を細めた。


「どうしてそう思った?」

「だって……夜、黙って隣にいてくれる時の気配が、一緒だから」

「そこなんだ。もふもふで、手触り全然……違うだろ?」

「仔虎の姿の時、胸の宝石が時々増えていってるのに気がついたの。だからよく見たら、鱗だった。周りの白い毛色で明るく見えるけど、竜の神さまの鱗と同じ色なの。どうしてダレオに竜の神さまと同じ鱗があるのか、最初は何もわからなかった。もしかして、新しい竜の神さまとして、白虎様の眷属のダレオが選ばれたのかとも思ったのだけど」


 バチッと音がして、ダレオの右のこめかみが弾けた。

 レテはもうほとんど何も見えないほど泣きじゃくりながら、手探りで布をあてた。


「ダレオは、私の竜の神さまなの? どうして、姿が違うの? 今つらいのは、もしかしてそのせい? 私が、なんでもふもふじゃないのかなんて、言ったから?」

「レテ」

「聞いてほしくなさそうだからって言い訳なんかしないで、もっと早く聞けば良かった? そしたら、こんなこと、ならなかった? 大事なことは言うって決めたのに、また、まにあわながっだ」


「レテ」


 突然、思い出した。

 そうだ。竜の神さまの世話係になった時に一度だけ名を呼んでもらった声は、この声だ。


「レテのせいじゃない。俺が、戻りたくなかったんだ。隣にいるだけで満足だったのに、レテと一緒に寝たり、触れたりできなくなるのは、すごく寂しい。レテ、あのころ君は触れ合いがなくて寂しかったんだね。ようやくわかった。俺は興味ないことにはものぐさで、竜の時には人の姿になれるかわからないんだ。試したこともなくて。だから、俺は戻るのを先延ばしにしたかった。俺のせいだ。絶対に、レテのせいじゃない」


 安心させようとする低い囁きを、レテはダレオの胸に耳を付けて、懸命に聞き取ったけれど。

 でもそれは、求めている安心ではなくて。


「私の竜の神さまの、ゴツゴツした鱗、大好きよ。毎日撫でるわ。ひとの姿じゃなくても、構わない。ねえ、置いていかないで。置いて行かれるのは、もういや。いやなの!」


 あの時叫べなかった本心を、思いきり叫んだ。

 あの時呑み込んだのは、遠慮や我慢ではない。叫んで縋って、それでも置いて行かれたら、想像できないほど辛いのだろうと、自分を守っただけだ。


 そんな自分が、あとで途方もなく嫌になった。

 もしも奇跡が起きて、あの時に戻れたなら、何千回置き去りにされても、何千回と叫ぼうと、決めていた。


 バンッと激しい音がしてダレオが顔を背けた。


「ダレオ!」

「っ痛。レテ、俺、レテを置いては行かない。俺も、レテがそこにいない俺を追いかけてる背中を見てるのは、辛かったからさ」


 はは、と笑いながら振り向いたダレオは、片目から血の涙を流していた。


「追いかけっこは、おしまいにしよう」


 最後の力を振り絞るように腕を伸ばしたダレオに、促されるまま、レテは顔を寄せて。そっと、優しい口づけをした。

 一度、二度。そしてもっと、深く。


「ああ、もう思い残すことはないや」


 吹っ切れた顔をしたダレオが、輪郭を薄れさせていく。

 何が起こるのかわからずに、逃すまいとばかりに抱きついていたレテも、次の瞬間爆発的に膨れ上がった神気にあてられて、意識を失った。






「その後、竜の神は数百年ぶりに全き姿で顕現し、兎ごと、蛇の神を制圧した、と」

「すごいことですよ。あれほど神気を混ぜ合わせた不安定な状態、しかもぐちゃぐちゃに掻き回されてたところから、一気に完全体に戻れるなど、普通の神にできることではないですよ。どこかに、密かに自分の神気を溜めていたのでしょうか。そんなに用心深い性質ではなさそうですがねえ?」

「蛇の」


 白虎の低い声に、早口の蛇の言葉が、パタリと封じられた。


「蛇と兎の神域で、竜角に救われた民たちから、レテは真摯な感謝の祈りを受けていた。レテは、祈りに乗せられた竜の神気だけを集めて膨らませられる、史上稀な器を持っていたようだ。その神気を、竜のが土壇場で受け取ったおかげで、事なきを得た。

 ——だがそれは、不安定な神気の状態を知った上で異質な神気を呑ませる、なんて神殺しともなる悪質な行為が許される理由にはならないよ。君はそれが、自分の領域の民の、感謝の念まで踏み躙ることだったと、わかっているのかな」


 神の王の裁きが下って、蛇の神は項垂れた。

 今の蛇の神は、手のひらに乗るほど小さい。不可思議なのは、その身に白銀と黒の毛が交互に生えていることだ。そう、まるで、毛虫のように。

 自分の姿を思い出したように、けむ……小蛇はぶるりと震えた。


「だが、すでにそこまで削られて混ぜられていてはね、これ以上は過剰な罰かもしれない。しばらくはおとなしく、自分の神域で反省して過ごすのだね。そう、百年ほど」


 ぎゅう、と一層小さく丸まって、小蛇は姿を消した。

 レテはそれを見届けた。




「やあ、レテ。今日は臨席をありがとう」


 白虎は大きな頭をレテに向けて丁寧に下げた。恐縮するも、今日のレテは、竜の神の名代だ。


「いえ、公平な裁きをありがとうございました」


 なるべく泰然と構えて、礼を受けた。

 ぐるう、と喉を鳴らす白虎は、機嫌がよさそうだ。


「それで、どのような様子だ、竜のは」

「まだ、眠ってることが多いです」


 今日は隣り合って窓辺のひだまりで午睡をして、レテだけがそっと、出かけてきたのだ。


「なるほど、それで焦って追いかけてきたのか」


 白虎の視線が向いた方から、てちてちと急いで歩いてくるのは、岩蜥蜴に似た姿に、翼と牙と、前より少し短い角を持ち、幼児めいたまるい形と大きさで、歩く姿は愛らしいがすぎる、竜の神だ。


「ダレオ!」

「ダレオ? 誰のことだ?」


 首をかしげる白虎をよそに、レテ竜の神に走り寄った。待ってましたとばかりに首を伸ばしてレテに近づけるので、そっと指を鼻先に当てる。


「レテ。起きたら居なかったから、探しに来た」


 レテの好きな声。この頃のレテは、この声を聞くだけで、自分でも気が付かないうちに微笑んでいる。

 前と同じ、静かに寄り添う日々が戻っただけでも嬉しいのに、竜の神はその気持ちを伝えようと、よく喋ってくれるようになった。

 寄り添って眠ることだってある。レテが、自分はそう簡単に傷つかないと、恥ずかしがりながらも熱心に説明したからだ。

 ひとの姿に変じることは、やはりできないようだけれど。旅の間のように手を繋ぎたいからいつかは習得したいと言っていたから、いつかは、もしかして。


「おい、竜の。まさか私が適当につけた名を真名に差し込んだりとか、してない、よな?」

「してない。でもあれは、レテだけが呼ぶ名だ」

「そ、そうか。それを真名と言うなどとこじつけようとはしてないか? 神の名をみだりに変えるなよ?」

「くどいぞ、虎の。それより、レテを勝手に連れて行くな」

「しかたあるまい、裁きの立ち会いに当事者が必要だった。お主は今はまだ、兎のを巻き込んだ咎で神域篭もりの期間中だろう。兎がやたらにお主を庇ったが、一応示しが必要だからな。

 しかしお主、随分余裕がないな」


 神の王は、少し周囲を見回した。レテは竜の神についてきた神官に、今日の資料を渡しているところで、距離がある。

 だが念のため、声を潜めた。


「あー、なんだ。奇跡的に彼女に気がついてもらえて、その、最後の最後に情を交わしたから、神気を取り込めた、であってるだろうか? ゴホン、いや、公式記録には残さないが、参考に」

「ああ、情か。そうだな。とてもよいものだった」

「ほーう」

「口づけとは、あんなに心満たされるものなのだな。時々、思いだす」

「ほーう……。うん? 竜の、それはちょっと、引くほど純粋すぎないか?」


 何かを白虎に教わった竜の神さまが、ひとの形をとる修練に非常に熱心に取り組み始めるのは、このあとすぐだ。






 神々が人の世に残した公式の記録には、竜の神は何代目かの世話係を唯一の伴侶とし、掌中の珠のように慈しみ、二人健やかに生きたとだけ残されている。公の場にはめったに現れなかった竜の神は、なぜか常に丸みを帯びた幼竜の姿で描かれることも有名である。

また神学者の間では、すでに散逸した資料の中に、竜の神域への貢ぎ物として幼い子供の遊具が連ねられた記録があったと、まことしやかに語り継がれていることを、ここに特筆しておく。


 終

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気になった方は、少し切ない童話版もどうぞ…冬童話2025となろラジ参加作品です。
「今は亡き竜のギフト」
― 新着の感想 ―
甘すぎず、だけど主人公と竜神が互いを大切に思っていることがとても伝わってきて、素敵なお話でした。ありがとうございました!
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