危険な二つ名 その9
力強い返事をもらって元気の出た僕は左手を離し、足から十王グモの大群へと飛び込む。その先には鎌のように大きな口が待ち構えている。このまま落ちれば、地面に足がつかないうちに僕の全身はバラバラに食いちぎられるだろう。そうならないために、僕は虹の杖を群れへと向ける。
「『大盾』」
僕を包むまゆのような結界が、着地と同時に十王グモの大群を弾き飛ばす。大風に吹き飛ばされたかのように十王グモが宙を舞い、おなかを見せてひっくり返る。
その隙に僕はスノウを懐にしまい込む。かわいらしい顔が胸元からちょこんと出ている格好だ。
「おとなしくしててね」
呼びかけながら僕はランデルおじさんの剣を抜き、『大盾』を解除する。
一度は吹き飛ばされた十王グモたちが動き出した。仰向きになっていた体を十本の脚を器用に動かしてひっくり返すと、津波のように折り重なりながら僕に押し寄せてきた。
「『瞬間移動』」
虹の杖の力で僕は木の上に移動する。足場となる木の枝のがんじょうさを確かめながら虹の杖を掲げ、真下の十王グモたちに『麻痺』の電撃を浴びせる。小さなカミナリを受けるごとに十王グモたちはぴくぴくと体を震わせながらその場に崩れ落ちる。しびれているのを確認してから、僕は木の枝から飛び降りる。今度は何の障害もなく着地すると、剣を振り回し、動けない十王グモの胴体を真っ二つにした。
あとはその繰り返しだ。向かってくる奴を『麻痺』で動けなくする。その隙に剣で仕留めていく。時々『瞬間移動』で空中に逃げる。時間はかかるけれど、確実な方法だ。
『贈り物』も使ってみたのだけれど、僕という目標を見失って、ばらばらに動き出そうとするのであわてて使うのを止めた。エセルたちから注意をそらすために外に出たのに、おとりが逃げてしまっては意味がない。
一撃で仕留められるよう急所を狙っているのだけれど、とにかく数が多い。
五十匹ほど仕留めたところで十王グモの動きが変化した。
兄弟たちを殺されて警戒したのだろう。無目的に向かってくるのではなく、距離を置くようになった。僕が近づくと、その分だけ後ずさる。僕が下がると追って来る。何を企んでいるんだ、と心の中で首をひねった時、十王グモたちが次々とお尻を向け始めた。
何のつもりだ? とますます首を傾げた次の瞬間、お尻の上の方にある、小さな穴から白い糸が一斉に吹き出した。ねばねばした細い糸がまるで触手のように僕に降り注ぐ。
「『瞬間移動』」
とっさに虹の杖を光らせ、ぱっと空中に舞い上がった。一瞬遅れて僕のいた場所が白い糸で絡み合い、もつれ合いながらまゆのようにひとかたまりになる。僕の代わりに近くにあった兄弟たちの死体を絡め取ったようだ。何重にもぐるぐる巻きにされて、元の形がまるっきりわからなくなる。
危ない危ない。あれに捕まっていたら僕も身動きが取れなくなっていたところだ。
ほっと胸をなでおろす間もなく、ぞわり、と背中の産毛が逆立つ感触がした。
振り向くと、隣の木の上、ちょうど僕と同じくらいの高さに十王グモが登ってこちらを見つめていた。一匹だけじゃない。何匹もの十王グモがあちこちの木にしがみついていた。しまった。待ち伏せされていたのか。何度も同じ戦法を取っていたせいで、動きが読まれていたんだ。
僕の予想を裏付けるようにくるりと一回転する。白い糸に絡まれたらおしまいだ。さすがに空中では逃げられない。もう一度『瞬間移動』で逃げようとした時、お尻から糸が放たれるのが見えた。しゅるしゅると三方向からほぼ同時に糸が向かってくる。
『瞬間移動』では間に合わない。何とか切り離そうと剣を構えると、猫の長い鳴き声がした。
僕の前後左右、四方に鏡のように光る魔法陣が現れた。淡い青光を放ちながら空中に浮かんでいる。魔法陣の中では、不可思議な文字がパズルのように上に行ったり左右に動いたり勝手に動いている。
これは一体、と僕の意識がはっきりすると同時に、魔法陣が金属音と共に砕け散る。すると、僕に浴びせかけられていた十王クモの糸が空中でぴたりと止まった。この現象は前にも見たことがある。スノウの魔法だ。
糸は不意に向きを変え、逆方向に飛んでいく。十王グモたちは自分の放った糸に絡め取られ、次々と木の上から落ちていった。
「にゃあ」
胸の中で誇らしげにスノウが僕を見上げる。
僕はその間に『瞬間移動』で十王グモのいない木の上に移動する。危なかった。今のは冷や汗が出たよ。これだけの大群を相手に油断するなんて僕という奴は何というばかものだろう。スノウが助けてくれなかったらどうなっていたことか。
「ありがとう、スノウ」
やっぱり君は最高の猫だよ。
「でも、大丈夫かい?」
スノウは小さいせいか、魔法を連続では使えないようだ。使いすぎるとひどく疲れるらしく、こてんと倒れてしまう。マッキンタイヤーでも似たような魔法を使った後にくてんと寝転がってしまった。
「にゃあ」
大丈夫よ、と言いたげに元気のよい返事が返ってきた。ふところからくい、と首を伸ばすと僕のあごの下に頭をこすりつける。僕は目頭が熱くなるのを感じた。僕が油断したせいで、スノウまで危険にさらしてしまった。なのに恨みがましい態度一つ見せずに、僕を励まそうとしてくれる。なんていい奴なんだろう。
「ごめんね、スノウ。僕はもう大丈夫だからね」
撫でてあげたいけれど、まだ戦っている最中だ。さっきのような油断はもうしないぞ。
僕は剣と虹の杖を握りなおしながら十王グモの群れに向かっていった。
今度は糸にも気をつけながら一匹一匹確実に仕留めていく。深い森を満たしていた十王グモの足音や牙を打ち鳴らす音はだんだんと途絶えていき、バチバチというカミナリの音や、剣をふるう音や胴体を切り裂く音が入れ替わりに大きくなっていった。
日が西の空へと傾きかけた頃、僕の周りに生きている十王グモは一匹もいなかった。
『失せ物探し』でも確認したから間違いない。
「終わったよ、スノウ」
「にゃあ」
あいかわらず愛らしくもいとおしい鳴き声で返事をすると、くい、とふところを両手でかきわけ、外へ飛び出そうとする。
「あ、ダメだよスノウ」
僕はあわてて服の中に押し戻す。地面は十王グモのなきがらだらけだ。文字通り、足の踏み場もない。体から流れ落ちるオレンジ色の体液がそこかしらに流れて小川を作っている。こんなところを歩いたらせっかくきれいな白い毛並みが汚れてしまう。
これ、どうしよう。燃やすか、持って帰るしかないんだけれど、どちらにしても数が多すぎる。第一、もうすぐ日も暮れる。
『瞬間移動』で持って帰るには数が多すぎる。かといって『裏地』に入れたら、母さんの作ってくれたカバンが体液でべとべとになってしまう。どうしようかなあ、と腕組みしながら考えていると、不意に奇妙な匂いが鼻ををくすぐる。まるで花の蜜を煮詰めたような甘くて、気分がふわふわしてしまいそうだ。
何だろう、と匂いの元を探しているうちに十王グモの親のところまで戻ってきてしまった。鼻をひくつかせながら匂いの元をかぎ分けると、それはなきがらのすぐ側にあった。
焦げ茶色をした木片だった。大きさは大ぶりのナイフ程度だろう。そこらの樹木から力ずくでむしり取ったかのようだ。表面はわずかに湿っていて、強く押すとわずかにへこんだ。嗅いでみたら確かに、この木片が匂いの元のようだ。
一体何の木なんだろう。さっきは気づかなかったけれど。
もう一度嗅いでみようとした時、足音が聞こえた。
あわてて木片をカバンにしまい込み、振り返る。ポーラさんを先頭にみんながこちらに向かって来るところだった。洞穴から出てきたのか。
「何だ、これは」
駆け寄ると、信じられないって感じのつぶやきが聞こえた。ジェシーさんたちがぎょっとした顔つきで十王グモのなきがらを踏みしめながらあたりを見回している。エセルもおっかなびっくりで十王グモをつま先でつついている。
「やあ、どうも。ご無事でしたか」
僕が声を掛けるとジェシーさんが怖い顔で僕に近づくと、急に胸ぐらを掴んできた。
「何者だ、貴様」ぐい、と顔を近づけてくる。
「このふざけた状況をお前がたった一人でやったというのか? だいたい、その杖は何だ? 何種類も魔法の使える杖なんて、ただの冒険者が持てるシロモノじゃあない。どこで手に入れた」
「人に尋ねる前にまず、ご自分から名乗ったらどうですか?」
最近同じ質問ばかり聞かれて面倒くさい。どうせならスノウのことでも聞いてくれれば色々話してあげるのに。
ジェシーさんはそこでぐっと言葉を詰まらせる。
「誰に聞いた?」
「何の話ですか?」
僕はただ礼儀の話をしただけだ。
「それより、手を離していただけませんか。いい加減、苦しいんですけど」
「……」
ジェシーさんは手も離さないまま僕をにらみ続けている。僕も少し腹が立ってきた。
剣呑な雰囲気を「にゃあ」というかわいらしい声がさえぎった。
「やあ、スノウ」
ひょっこりと僕の胸元から這い出ると、腕をつたってジェシーさんの頭の上まで移動する。
「にゃあ」
てっぺんが気に入ったのか、ご機嫌のようだ。
「……もういい」
怒るのもバカバカしい、と言わんばかりにスノウを帽子のように降ろすと僕に押しつけるように渡した。
「おっと」
乱暴な人だなあ。
「ケガはないかい?」
スノウは返事の代わりに僕にすり寄って来る。よかった。ケガでもしたらただではおかないところだったよ。
「話は後だ」
ふてくされたように背を向けて親の十王グモの方に向かっていった。
「えーと、これどうします? 燃やしますか?」
代わりにポーラさんに今後のことを聞いてみた。
「ま、待ってください」ポーラさんがうろたえた声を上げる。
「何匹かサンプルとして持って帰りますが、あとは焼いて処分ですね。このままでは別の魔物を引き寄せてしまいますから」
ゴブリンが獣のなきがらに食らいついているのを僕も見たことがある。ただ問題はなきがらが多すぎる、ということだ。僕たちだけで全部処理しきれるかどうか。
「とりあえず、今日はもう遅いからいったん戻りましょう。明日、ギルドの方から人を出して全部焼いてしまいます」
「僕たちも手伝いましょうか」
「いえ、皆さんは十分に働いてもらいましたか。あとは私たちに任せてください」
念のため周囲をぐるりと一回りして、動く十王グモがいないのを確かめてから僕たちはオトゥールの町に戻ることにした。
ポーラさんを先頭に僕たちは帰り道を進む。ジョンさんたちも警戒を怠らず、周囲に気を配っている。十王グモを退治したからと油断せずにいるのはやはり、冒険者ギルドの人なんだなあ、と感心してしまう。ジェシーさんは一番後ろをむっつりした顔で歩いている。
「ね、ね。リオ。どうやって倒したの?」
エセルは僕の隣を歩いている。じゃれつくようにひっつくので歩きにくい。けどまあ、うん。仕方ないかな。肩に乗っているスノウがしきりに僕の耳をかむのがちょっと痛いけど。
「そりゃあ、ちょちょいとね。この杖と剣でばったばったと」
身振り手振りで説明する。ウソはついていない。ただ、スノウの魔法については黙っておいた。
「信じられないかな。あれをたった一人で……」
「スノウも一緒だよ」
そこは間違えてもらっては困る。スノウがいなかったら僕はやられていたかもしれない。本当なら大声でその活躍をほめてあげたいところだけれど、『猫妖精』だとばれたら困ったことになる。大丈夫だよ、スノウ。ほかの誰も知らなくても僕だけは君がすごい奴だって知っているからね。
「君は……」
「僕はリオ。旅の者で二つ星の冒険者。それでいいだろ」
かわいい女の子に興味を持ってもらえるのはうれしいけれど、ほかに語ることも語れることもない。あ、スノウのことなら大歓迎だよ。
次回は11/3(金)午前0時頃に更新の予定です。




